スティーブ・ベックラー

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スティーブ・ベックラー
Steve Bechler
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州メドフォード
生年月日 (1979-11-18) 1979年11月18日
没年月日 2003年2月17日(2003-02-17)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
207 lb =約93.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 オリオールズ3巡目(全体99位)
初出場 2002年9月6日
最終出場 2002年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

スティーブン・スコット・ベックラー(Steven Scott Bechler、1979年11月18日 - 2003年2月17日)は、アメリカ合衆国オレゴン州メドフォード出身のメジャーリーグベースボール(MLB)の投手ボルチモア・オリオールズに所属した。

サウス・メドフォード高校卒業後、1998年のMLBドラフトでオリオールズに3巡目に指名。マイナーリーグで5シーズンを過ごした後、2002年にオリオールズでメジャーリーグデビューを果たしたが、2003年のスプリングトレーニングに参加する為のコンディショニング調整中に熱射病で死去した。

メジャーでの通算成績は3試合登板、4回2/3を投げて0勝0敗0セーブ、防御率13.50、3被本塁打、3奪三振、4四球だった[1]

幼少期[編集]

スティーブ・ベックラーは1979年11月18日オレゴン州メドフォードでエルネストとパトリシア・ベックラー夫妻の間に生まれた。スティーブンの他に3人の兄弟がいた。

7歳の時に野球を始めた [2]。その後、メドフォード・アメリカン・リトルリーグ、ベーブルース・リーグ、そしてアメリカン・レギオン野球大会に出場した [3]。中でも1997年のアメリカン・レギオン・ワールドシリーズチャンピオンのメンバーとなった [4]

高校時代[編集]

ベックラーはメドフォードのサウス・メドフォード高校に通った。彼は1998年に卒業し [3]、学校の野球チームでプレーしていた彼は、4年生のときにオール・オレゴンのサード・チームに選出された [5]

1998年のMLBドラフト前にベースボール・アメリカ誌は、ベックラーを「オレゴン州の高校生のトッププロスペクト」と評価した [6]

プロ入り以降 [編集]

1998年のMLBドラフトボルチモア・オリオールズは、3巡目、全体99位でベックラーを指名した [4]。その後オリオールズと契約し、257,000ドルの契約金を受け取った。

尚、同じ3巡目、全体83位でテキサス・レンジャースバリー・ジトを指名したが入団しなかった。
同じく3巡目、全体95位でシアトル・マリナーズは2016年に埼玉西武ライオンズに在籍することとなるアンディ・バンヘッケンを指名し、入団している。

その年、ベックラーはルーキー級ガルフ・コーストリーグのガルフコースト・オリオールズでプロデビューを果たした [7]

1999年にクラスAサウス・アトランティックリーグデルマーバ・ショアバードに、2000年にクラスA-アドバンスドのカロライナリーグフレデリック・キーズへと昇格した[8]

2001年もフレデリックに在籍し、カロライナリーグ・オールスターに選ばれた。しかし、クラスAAAインターナショナルリーグロチェスター・レッドウイングスに昇格したため、オールスターゲームには出場しなかった。 [9] しかし、ロチェスターでは2試合に先発し、1勝1敗ながら7回1/3を投げて被安打14、5四死球、防御率15.95と打ち込まれた為、クラスAAイースタンリーグボウイ・ベイソックスに降格され、残りのシーズンを過ごした。

2001年のシーズン後、オリオールズはベックラーをアリゾナ・フォールリーグメアリーベール・サグアロスに割り当てた [10]。オリオールズは、ベックラーをルール5ドラフトの対象から外すために40人ロースターに追加した [11]

2002年はボウイとロチェスターに在籍した。彼はボウイで2勝1敗、防御率3.42、ロチェスターでは6勝11敗、防御率4.09 を記録した。

マイナーリーグのシーズン終了後にオリオールズはベックラーをメジャーリーグに昇格させた [4][12]。3試合に出場し、4+23イニングを投げ、6被安打、4四球、3被本塁打、3奪三振を記録した [13]。尚、このシーズンはハムストリングの故障に苦しんだ [14]

私生活[編集]

2002年10月22日、ベックラーはオレゴン州セントラルポイントのコミュニティ・バイブル・チャーチでカイリー・メイ・ニクソンと結婚した [3]。ベックラーが死去した時に妻は妊娠しており、 [4] 2003年4月に娘が生まれ、ヘイリーと名付けられた [2][15]

[編集]

2003年2月16日フロリダ州フォートローダーデールでのスプリングトレーニングに向けての事前トレーニングに参加しているときにベックラーは倒れた。近くの病院に運ばれ、翌日亡くなった [16]。尚、倒れた時の体温は108 °F (42 °C)に達していた [17]

フォートローダーデールのあるブロワード郡監察医を務める毒物学者のジョシュア・パーパー博士が行った検死解剖では、ベックラーの死は「肝機能異常と軽度の高血圧」と「体重の問題」(この時の体重は104キロであり、倒れた際は激しい運動をしていた)が原因であると結論付けた[18]
更に彼が南フロリダの暖かい天候と、チームドクターの忠告を無視して減量用サプリメントとして服用したエフェドラの毒性に慣れていなかったという事実も重なったと考えられている [19][20] 。これに加えて体重を減らすために2日間は何も食べていなかった [21] と推測されている。

この当時、エフェドラは国際オリンピック委員会 (IOC) 、全米大学体育協会 (NCAA) 、およびNFLによって禁止物質に指定されていたが、MLBによって禁止物質に指定されていなかった[22]MLBコミッショナーバド・セリグは、ベックラーの死をきっかけにエフェドリンの禁止を求めた[23]。これを受けて多くのチームがチームクラブハウスでのエフェドラの使用を禁止した [24]
更にアメリカ食品医薬品局 (FDA) は、これまでエフェドラの使用の規制には消極的だったが、規制する取り組みを再開した。アメリカ合衆国議会はエフェドラの禁止に対する反対意見を却下し、ベックラーの両親は議会で証言した [17]。 最終的にFDAは12月30日にエフェドラを使った商品の販売を禁止する決定を発表した [25]

ベックラーは死後火葬された。死後6か月の記念日に、カイリーがオリオールズの本拠地のオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズのピッチャーマウンドに散骨した [15]。彼女はサプリメントの製造業者であるNutraquest社に対して600万ドルの損害賠償を求めて訴訟を起こした [26][27]。この訴訟は同社が合衆国法典連邦倒産法第11章に基づいて倒産を申告した2003年10月に一時停止された [28]

スティーブ・ベックラー奨学基金はスティーブの死後、彼の両親によって設立された。この基金は、サウスメドフォード高校の卒業生の大学進学の援助を目的としており、サウスメドフォードの企業からの寄付で賄われている [29]

脚注[編集]

  1. ^ baseball-reference.com”. 2021年5月12日閲覧。
  2. ^ a b Vecsey (2003年4月30日). “Drug policy leaves Bechlers at a loss”. Baltimore Sun. 2020年6月23日閲覧。
  3. ^ a b c Obituaries”. Southern Oregon Mail Tribune (2003年2月28日). 2016年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月28日閲覧。
  4. ^ a b c d He was a gamer Sports Illustrated. Saturday March 8, 2003
  5. ^ Greg Stiles (1998年6月17日). “Rumrey named 4A baseball player of year”. MailTribune.com. 2014年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月28日閲覧。
  6. ^ CNN/SI – Baseball Draft – – June 1, 1998”. Sports Illustrated (1998年6月1日). 2014年3月28日閲覧。
  7. ^ David Preszler (1998年6月10日). “O's give Bechler signing bonus of $257,000”. MailTribune.com. 2014年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月23日閲覧。
  8. ^ Keys roster features two of Os' top draft picks”. The Frederick News-Post (2000年4月5日). 2014年3月28日閲覧。
  9. ^ Road to Triple-A not easy for Bechler”. Baltimore Sun (2001年7月16日). 2020年6月23日閲覧。
  10. ^ Ripe prospects mature in Fall League”. USA Today (2001年10月3日). 2014年3月28日閲覧。
  11. ^ Orioles arm selves, but gamble, too”. Baltimore Sun (2001年11月21日). 2020年6月23日閲覧。
  12. ^ Bechler, Rogers join O's for 1st time as 5 are called up”. Baltimore Sun (2002年9月4日). 2020年6月23日閲覧。
  13. ^ Orioles' 23-year-old pitching prospect dies”. Sports Illustrated (2003年2月17日). 2020年6月23日閲覧。
  14. ^ Pitching in pain, Bechler hurt by slam, too”. Baltimore Sun (2002年9月23日). 2014年3月28日閲覧。
  15. ^ a b Camden closure for Bechler widow”. Baltimore Sun (2003年8月18日). 2020年6月23日閲覧。
  16. ^ Steve Bechler's Death Five Years Later”. Baltimore Sun (2008年2月17日). 2014年3月28日閲覧。
  17. ^ a b Untimely death spurred ephedra scrutiny”. ESPN (2004年2月17日). 2020年6月23日閲覧。
  18. ^ Kennedy, Ben (March 2004). "Why is America so Fat" p54 by Ben Kennedy. ISBN 9780975265604. https://books.google.com/books?id=1MUr8VP1qQ4C 2014年3月28日閲覧。 
  19. ^ Death at the ballpark: a comprehensive study of game-related fatalities of ... By Robert M. Gorman, David Weeks. McFarland Press. p. 64.
  20. ^ Drugs and society By Glen R. Hanson, Peter J. Venturelli, Annette E. Fleckenstein p. 314.
  21. ^ Quinn (2003年2月23日). “WEIGHT TO BEAR Obsession with shedding pounds led Bechler to ephedra”. New York Daily News. 2014年4月22日閲覧。[リンク切れ]
  22. ^ Parents: Bechler had problems with heat”. Baltimore Sun (2003年2月19日). 2020年6月23日閲覧。
  23. ^ Selig calls for talks on ban of ephedrine”. Baltimore Sun (2003年2月22日). 2020年6月23日閲覧。
  24. ^ Brewers ban supplements from clubhouse”. Midland Daily News (2003年3月5日). 2020年6月23日閲覧。
  25. ^ “Government announces ban on ephedra”. CNN.com. (2003年12月31日). https://edition.cnn.com/2003/HEALTH/12/30/ephedra/ 2014年3月28日閲覧。 
  26. ^ O's outraged as ephedra maker names team in Bechler lawsuit”. Baltimore Sun (2003年12月3日). 2014年3月28日閲覧。
  27. ^ 2 Orioles pitchers testify in Bechler heatstroke case”. Baltimore Sun (2005年3月19日). 2020年6月23日閲覧。
  28. ^ Stimulant maker files Chapter 11”. Chicago Tribune (2003年10月22日). 2020年6月23日閲覧。
  29. ^ Steve Bechler Scholarship dinner set for fourth year. KEVIN GOFF. Mail Tribune. February 15, 2007

参照[編集]

外部リンク[編集]

  • 選手の各国通算成績