ガラパゴス (バンド)

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GALAPAGOS
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
レーベル 東芝EMI
(1990年 - 1994年)
メンバー 狩野環(ボーカル)
田中詠司(ギター)
上西泰史(ベース)
飯塚徹(ドラムス)

ガラパゴス(GALAPAGOS)は、かつて存在していた日本バンドジャングルビートを導入したサウンドを展開した。

1990年、デビュー。1994年、解散。

メンバー[編集]

群馬県高崎市出身[1]
布袋寅泰は実兄。
解散後、新たにSuper EGOを結成。後に同バンドのドラマーと結婚した。山下久美子今井美樹相川七瀬、布袋の楽曲にもコーラスで参加している。彼女の第一子はシンガーソングライターのタグチハナであり、2015年にメジャー・デビューしている。この名前を兄の布袋寅泰はジーザス・ジョーンズのマイク・エドワーズの女児にセカンドネームとして贈った。その後離婚するも、布袋のプロデュースでデビューしたJET SETSの元ボーカルで、現在は株式会社フォーデジットの代表取締役を務める田口亮と再婚している。
大分県出身[1]
解散後、1995年にPERSONZへサポートメンバーとして参加し、1996年に正式加入した。2001年にPERSONZ脱退後は、SWEET NUMBER NINEに在籍している。
大分県中津市出身[1]
解散後、狩野と共にSuper EGOで活動。同バンド休止後はアンビエントノイズバンドのLOAD PLANET I.D.としての活動を主体とする一方、カプコンシューティングゲームギガウイング」のサウンドトラック制作を行った事をきっかけに、タクミコーポレーションの作品でもゲームミュージックを制作するなどサウンドクリエイターとしての活動も開始。2005年に結成したCore-MEDALICS、2008年に結成したRama Amoebaのメンバーとしても活動した。クニイリツコ編曲や、2015年には狩野の実娘タグチハナのプロデュースも手がけた。
群馬県出身[1]
解散後の1994年頃に松井常松のツアーに参加。

概要[編集]

上西泰史は上京後、同じ九州出身のメンバーとバンドを組んでおり、新宿のサウンド・ハウスというライブハウスに出演していた。狩野環はサウンド・ハウスのスタッフで働いており、狩野の作ったデモテープを上西が聴き面白いと感じたことがきっかけで結成した[1]。直後に上西と同郷の知り合いだった田中詠司が加入する[1]。ドラマー募集のために作ったデモテープでオーディションにも応募したところ合格し、ブッキング・スタッフが付いた[1]

メジャー・デビュー以前から300人を超える動員を集め、CLUB QUATTROCLUB CITTA'川崎などのライブハウスを中心に活動していた。

大手レコード会社からの争奪戦の末、狩野の実兄である布袋寅泰の事務所「IRc2 CORPORATION」に所属する運びとなり、東芝EMIから1990年にシングル『INDIAN BOY』でデビューを果たした。田中は「結成からデビューまでは早かった」と述べており、上西曰くメジャーデビューの時点でオリジナル曲は20ぐらいしかなかったという[1]。この年に、東芝EMI新人賞を受賞している。

1991年から1992年にかけて開催された布袋のツアー『GUITARHYTHM ACTIVE FLY INTO YOUR DREAM』にオープニング・アクトとして帯同した。また布袋はガラパゴスの楽曲『月の流す涙』を自身のラジオ番組『ミュージックスクエア』でカヴァーしている。

当初アルバム1枚で解散予定だったが、東芝EMIの思惑から以降『FLOWERS』『HONEY PIE』とオリジナル・アルバムは3枚までリリースされた。

1994年、解散。

2012年1月25日、デビュー・アルバム『DOWN BY LAW』 が廉価盤として1500円にて再発売した。また2月1日に発売された布袋のボックス・セットMEMORIAL SUPER BOX』に、前述の『ミュージックスクエア』内で布袋がカヴァーした『月の流す涙』が収録された。

2021年10月27日にガラパゴスの全シングル・アルバムがデジタルリリースされた。

音楽性[編集]

イカ天」に象徴される折からのバンドブームであったが、ジャングルビートという当時の売れ線の主流から外れた独自サウンドを展開した。

大半の楽曲をベース担当の上西泰史が手がけており、アルバム『DOWN BY LAW』のジャングルビートは、1980年代に活躍したイギリスのバンド、アダム&ジ・アンツBOW WOW WOWの影響を大きく受けている。

藤井丈司プロデュースによる1stアルバム、クマ原田プロデュースによる2ndアルバムまでは、エスニックの要素や生ドラムの4つ打ちキックタムやフロアドラムをメインにしたジャングルビートを基本に置きながら、1990年当時イギリスで流行していたミュージックシーケンサーサンプリング、ループを積極的に取り入れたミクスチャー・ロックだった。

上西はレコーディングで訪れたロンドンEDMにも強い影響を受け、当時シーケンサーにOpcode Vison、 KORG M1とサンプラーにAKAI S1000をメインとして作曲を行っていた。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
東芝EMI
1st 1990年9月27日 INDIAN BOY TOST-2540
2nd 1991年5月31日 WAR THE WAR TOST-2665
TODT-2665
3rd 1993年4月21日 MY LOVE AGAIN TODT-3002
4th 1994年6月1日 ロックバルーンは99 TODT-3259

アルバム[編集]

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
東芝EMI
1st 1990年10月24日 DOWN BY LAW TOTT-5847
2012年1月25日 DOWN BY LAW -EMI ROCKS The First- TOCT-11324
2nd 1992年1月29日 FLOWERS TOCT-6331
3rd 1993年5月26日 HONEY PIE TOCT-8013
BEST 1994年6月1日 STAR STREET TRAX VOL.2 TREASURE best of GALAPAGOS TOCT-8385

その他[編集]

  1. STAR STREET TRAX(コンピレーション)

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h ROCKIN'ON JAPAN』VOL.41(1990年10月号)