オールナイトニッポン電話リクエスト

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オールナイトニッポン
電話リクエスト
ジャンル 音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1968年3月31日 - 1984年4月1日
1997年10月12日 - 1999年3月28日
放送時間 日曜 24:05 - 26:00
日曜 24:00 - 26:15
日曜 24:05 - 25:45
日曜 24:05 - 25:30 など(第1期)
日曜 23:00 - 25:30(第2期)
詳細は#放送時間の変遷の節を参照
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 亀渕昭信
菊池貞武
瀬戸将男
広見忠雄
糸居五郎
木藤隆雄
はたえ金次郎
赤坂泰彦
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オールナイトニッポン電話リクエストとは、1968年3月31日 - 1984年4月1日(第1期)、及び1997年10月12日 - 1999年3月28日(第2期)までニッポン放送で放送されていたリクエスト番組。

概要[編集]

オールナイトニッポンの日曜版でニッポン放送ローカルで放送された。内容は主に音楽中心の内容で、日本国内外のポップスの新譜やリクエスト曲を放送。はた金次郎パーソナリティ時代では、番組の後半・午前1時10分頃から国内外ランキングの発表があった(その発表のバックに流れていたのはYMOの「ライディーン」(アルバム『PUBLIC PRESSURE/公的抑圧』収録のもの)。

1970年代の当時は、週ごとに電話番号の末尾制限を設けて電話リクエストを受け付けていたことがあった[1]

木藤隆雄及びはた金次郎パーソナリティ時代、本番組のスポンサーには新星堂が入っており[2]、新星堂の店頭からもリクエスト、投票ができた。エンディング曲は、自身が結成した「HATAKIN&YMG[注釈 1]」の「Good Night My Lovely Girl」。

1997年にはオールナイトニッポン30周年記念で復活した。

1972年6月4日〜同年11月5日、及び1973年10月〜1980年3月の間を除き、本番組が日曜日最終の番組であった[注釈 2]

パーソナリティ[編集]

第1期
第2期

放送時間の変遷[編集]

第1期
  • 日曜日 24:00 - 26:00 (1968年3月31日 - 1974年3月。ただし以下の期間を除く)
    • 日曜日 24:30 - 26:30 (1972年4月9日 - 同年5月28日。この期間のみ日曜日24:00 - 24:30の枠で『ディスク・ハイライト』が放送されていたため30分繰り下げ)
    • 日曜日 24:00 - 26:15 (1973年10月 - 同年12月の間のみ15分延長)
  • 日曜日 24:05 - 25:30 (1974年4月 - 1978年9月。ただし以下の期間を除く)
    • 日曜日 24:35 - 26:00 (1978年4月9日 - 1978年6月25日。この期間のみ日曜日24:05 - 24:35の枠で『沢田研二 ラブ・コレクション』が放送されていたため30分繰り下げ)
  • 日曜日 24:05 - 26:15 (1978年10月 - 1979年9月)
  • 日曜日 24:05 - 25:45 (1979年10月 - 1980年3月30日)
  • 日曜日 24:05 - 25:30 (1980年4月6日 - 1984年4月1日)
第2期
  • 日曜日 23:00 - 25:30

コーナー[編集]

  • コーセー・リクエストバンバン (コーセー化粧品提供のコーナー。木藤隆雄~はた金次郎時代。1981年3月まで)
木藤隆雄時代
  • 少数リクエスト
    • 1975年1月スタート。「たとえどんな少人数のリクエストにも応えます」として、リクエストの数が少ない中からも選曲してオンエア[3]
  • 今週のシンデレラボーイ
    • 1975年1月スタート。リクエスト曲の中から、その曲を歌う歌手がゲスト出演して、その曲のリクエストを寄せた中から選ばれたリスナーとゲストとが電話でトーク[3]
はた金時代 
  • D万クイズ
    • 先週の放送されたリクエスト曲全てを正確な順序でハガキで書いて送ると抽選で1名を2万円がプレゼントされる。
    • ハガキの抽選はスタジオで一番長く飛ばしたハガキから選ばれた[注釈 3]
  • ゲストコーナー
    • リスナーから募集した質問を「イエス」・「ノー」で答える。
    • 日本国内のアーティストだけでなく、海外の歌手も登場した[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1982年にはた金次郎が山中のりまさ村上秀一後藤次利と組んだグループ。YMGは山中、村上、後藤のそれぞれの頭文字。
  2. ^ 1972年6月4日〜同年11月5日の間は『ナベサダとジャズ』を本番組の後続枠、26:00(2:00)- 26:30(2:30)枠で放送。
    1974年4月〜1980年3月の間は、本番組の更に後に
    • 葵テルヨシのサンデーミッドナイト(1973年10月〜1975年4月6日放送、26:15(2:15)- 26:45(2:45)、1974年1月〜同年3月の間のみ26:00(2:00)- 26:30(2:30))
    • ソウル・フリーク (1974年4月から25:30(1:30)- 26:15(2:15)枠で放送、1978年9月まで。1978年4月9日〜1978年6月25日の間のみ26:00(2:00)- 26:45(2:45))
    • 真夜中のスケッチ (1975年4月13日〜1977年4月24日放送、26:15(2:15)- 26:45(2:45)、カルメン・マキ(1975年4月13日〜1976年1月18日)→ 中山ラビ(1976年1月25日〜1977年4月24日))
    • 高田真樹子 ザ・ナイトビフォー (1977年5月1日〜1978年4月2日放送、26:15(2:15)- 26:45(2:45))
    • きまぐれジャムタイム (1978年7月2日〜1979年9月放送、26:15(2:15)- 26:45(2:45)、高田真樹子(1978年7月2日〜8月6日)→ 伊藤広志(1978年8月13日〜1979年9月))
    • ラジオカプセル'79('80)(1979年10月〜1980年3月放送、25:45(1:45)- 26:15(2:15))
    • DO!ミュージックアイランド (1979年10月〜1980年3月放送、26:15(2:15)- 26:45(2:45))
    以上の番組が放送されており、この期間中は日曜日の放送終了時刻が26:45(2:45)だった。
  3. ^ 亀渕昭信のオールナイトニッポンの「はがきぶん投げ大作戦」と同じ抽選方法である。

出典[編集]

  1. ^ 1970年~1972年頃、各新聞当該日(日曜日)のラジオ欄より
  2. ^ ラジオ新番組速報版 1982年夏号(p.30)、1982年秋号(p.32)、それぞれニッポン放送番組表
  3. ^ a b 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年4月号、101頁
  4. ^ ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、85頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

ニッポン放送 日曜日 24:05 - 25:30 枠
前番組 番組名 次番組
受験相談
(24:00 - 24:10)
ウクレレ教室
(24:10 - 24:30)
ナイト・イン・ポップス
(24:30 - 24:45)
キャンドルミュージック
(24:45 - 25:00)
ワン・オクロック・スペシャル
(25:00 - 26:00)
オールナイトニッポン
電話リクエスト
(1968年3月31日 - 1984年4月1日)
松田聖子 愛にくちづけ
(24:05 - 25:00)
タッチ・ミー・EPO
(25:00 - 25:30)
ニッポン放送 日曜日 23:00 - 25:30枠
赤坂泰彦の
オールナイトニッポン
電話リクエスト
(1997年10月12日 - 1999年3月28日)
@llnightnippon.com
HYPER REQUEST SUNDAY!
荘口彰久、23:00 - 25:00)
内田有紀 夜空にYOU KISS!
(25:00 - 25:30)