オスカー・アンダーソン

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オスカー・アンダーソン
1830年にタルトゥで撮影。
人物情報
全名 オスカー・ヨハン・ヴィクトル・アンダーソン
別名 オスカー・ニコラエヴィチ・アンダーソン
生誕 1887年8月2日
ロシア帝国(現ベラルーシミンスク
死没 (1960-02-12) 1960年2月12日(72歳没)
ドイツミュンヘン
出身校 カザン大学
サンクトペテルブルク工科大学
学問
研究分野 統計学計量経済学
研究機関 ヴァルナ経済大学英語版
ソフィア大学
キール大学
ミュンヘン大学
学会 計量経済学会など
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オスカー・ヨハン・ヴィクトル・アンダーソン(Oskar Johann Viktor Anderson、1887年8月2日 - 1960年2月12日)はロシア帝国ミンスク出身の統計学者経済学者[1][2]。別名「オスカー・ニコラエヴィチ・アンダーソン」(Oskar Nikolaevich Anderson)[1]

生涯[編集]

1887年8月2日、オスカー・アンダーソンはロシア帝国ミンスクで生まれた[1]。父ニコライ・アンダーソン英語版は言語学者であり、1894年にニコライがカザン大学フィン・ウゴル語派の教授に就任し一家はカザンへと移り住んだ[1][3]。彼は1906年にカザンのギムナジウムを卒業するとカザン大学で1年間数学を学び、1907年から1915年までサンクトペテルブルク工科学校(現在のサンクトペテルブルク工科大学)で統計学者A・A・チュプロフ英語版の助手を務めた[1]。1917年からはサンクトペテルブルクを去りキエフの研究所で働いていたが[1]、当時ロシアでは政治的混乱が続いており(ロシア革命)彼は1920年に家族と共にロシアを離れた[2]。亡命の過程で彼は一人娘を失い、また息子の1人も亡命中の負傷が原因で亡くなった[2]

ロシアを出たアンダーソンは当初ハンガリーのブダペストで教職に就いたが[1]1924年からはブルガリアのヴァルナ経済大学英語版で理論統計学を教え、1929年に教授に就任した[2]。1935年、同じくブルガリアのソフィア大学教授となり[1]、同校のthe Statistical Institute for Economic Researchの常任理事の地位に就いた[2]。ソフィア大学でブルガリアの政府に関する仕事に参加していたアンダーソンは1940年に戦時配給の研究のためにドイツに派遣され[1]1942年にドイツのキール大学の統計学教授に任命されたが、1947年ミュンヘン大学に移った[注釈 1][2]

アンダーソンは1956年にミュンヘン大学を退職し、1960年2月12日にミュンヘンで死去した[2]

研究内容[編集]

アイオワ州立大学ゲルハルト・ティントナー英語版はオスカー・アンダーソンを現代の標本調査の先駆者だとしている[4]。彼はロシアとブルガリアで国による標本調査に協力し、標本調査の理論的研究に貢献した[5]。彼はまた時系列分析についても研究しており、「Variate Difference Method」(変数階差法)の研究が知られている[6]。この他に、計量経済学経済の指数、相関についても研究していた[7]

肩書[編集]

評価[編集]

アイオワ州立大学ゲルハルト・ティントナー英語版によれば、オスカーは中央ヨーロッパで知名度の高い統計学者だった[10]ミュンヘン大学で彼の後任となったハンス・ケレラー教授は追悼記事の中で、ドイツの経済学部における統計学の教育レベルを世界水準にまで回復させたと彼の功績を称えた[2]。キールの統計学・計量経済学研究所の所長ロマン・リーゼンフェルドによれば、彼はドイツの経済研究に数学統計を導入し、実証的な経済研究の基礎を築いたのだという[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 第二次世界大戦においてキールへの空爆、チュニスの戦闘で2人目の息子を失ったことで精神的にも肉体的にも弱っていたのが理由だという[1][2]
  2. ^ 1930年にクリーブランドで開催された創立総会に招待されており[9]、キール大学のホームページおよびゲルハルト・ティントナーの論文では創立メンバーと記載されている[2][10]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m J. J. O'Connor & E. F. Robertson 2000.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Kiel Univ. 2017.
  3. ^ Wilhelm Robert Karl Anderson”. Tartu Observatooriumi Virtuaalne Muuseum. タルトゥ天文台. 2018年4月9日閲覧。
  4. ^ G. Tintner 1961, p. 274.
  5. ^ G. Tintner 1961, pp. 274, 275.
  6. ^ G. Tintner 1961, pp. 275, 276.
  7. ^ G. Tintner 1961, pp. 276, 277.
  8. ^ In Memory of Fellows of the Econometric Society”. 計量経済学会. 2018年4月25日閲覧。
  9. ^ (PDF) Announcement of the December 1930 organizational meeting in Cleveland. 計量経済学会. p. 3. https://www.dev.econometricsociety.org/sites/default/files/historical/OriginalAnnouncement29%2011%2030.pdf 2018年4月25日閲覧。. 
  10. ^ a b c d e f G. Tintner 1961, p. 273.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]