エドワード・リー (第3代リー男爵)

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第3代リー男爵エドワード・リー英語: Edward Leigh, 3rd Baron Leigh1684年1月13日1738年3月9日)は、イングランド貴族トーリー党所属[1]

生涯[編集]

第2代リー男爵トマス・リーと2人目の妻の次男(長男トマスは1682年3月10日に洗礼を受けたが、後に夭折した)として、1684年1月13日に生まれ、2月3日にストーンリー英語版で洗礼を受けた[1]。1702年5月18日、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学した[2]

1710年11月12日に父が死去すると、リー男爵の爵位を継承[1]、1711年3月13日に貴族院にはじめて登院した[1][3]。しかし、貴族院に数日間登院した後、21日に初代ロチェスター伯爵ローレンス・ハイドを代理投票人に登録して、イタリアに渡ったとされる(同年末に帰国した)[3]ウィリアム・ブロムリーはリー男爵が貴族院での味方になると期待したが、リー男爵は政治に関わらず、救貧とストーンリーでの領地の管理に着力したため、ブロムリーは代理投票人登録の白紙委任を得ただけであり、以降もほとんど登院しなかった[3]

1723年5月6日に登院した以降は全く登院しなくなり、1727年のジョージ2世戴冠式も健康を理由に出席を辞退した[3]

1738年3月9日にストーンリーで死去、同地で埋葬された[1]。息子トマスが爵位を継承した[1]

家族と私生活[編集]

1705年9月11日、ストーンリーでメアリー・ホルベック(Mary Holbech、1743年9月6日没、トマス・ホルベックの娘)と結婚[1]、2男3女もうけた[4]

  • エドワード(1708年頃 – 1737年8月2日)
  • トマス(1713年 – 1749年) - 第4代リー男爵、子供あり
  • メアリー - 生涯未婚
  • エレノア - 生涯未婚
  • アン - 生涯未婚

1714年より自領のストーンリー・アビー英語版の再建に集中し、再建は1726年に完成した[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 567–568.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Lee-Llewellin". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 892–921.
  3. ^ a b c d e Eagles, Robin (2016). "LEIGH, Edward (1684–1738)". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 3. Cambridge University Press. pp. 664–665. ISBN 9781107173491
  4. ^ "Leigh, Baron (E, 1643 - 1786)". Cracroft's Peerage (英語). 29 October 2009. 2019年11月23日閲覧
イングランドの爵位
先代
トマス・リー
リー男爵
1710年 – 1738年
次代
トマス・リー