リメンブランス・ポピー
リメンブランス・ポピー(英語: Remembrance poppy)は、複数の国々において、戦争で死没した軍人の追悼を目的に着用される造花である。リメンブランス・ポピーは、退役軍人の協会によって生産され、慈善寄付金と引き換えに手渡される。寄付金は現役の軍人や退役軍人に対し、経済的・社会的・精神的支援を施すために用いられる[1]。
戦争追悼詩『フランダースの野に』に影響を受けたモイナ・マイケルによって取り上げられたそれらは、第一次世界大戦の終戦前夜にイギリス帝国とアメリカ合衆国の両軍の戦死者の追悼のためにはじめて用いられた。アンナ・ゲランは、退役軍人や戦没者の未亡人、戦時国債、赤十字社に対する財政的支援を行うために「ポピーの日」をはじめて立ち上げた[2]。
リメンブランス・ポピーは、イギリス連邦加盟諸国においてもっとも一般的に使われており、募金を募る目的で退役軍人協会によって商標登録がされている。リメンブランス・ポピーは、英連邦諸国においてリメンブランス・デーまでの数週間の期間、服に装着される事が多く、リメンブランス・デーの当日は戦争記念施設にもポピーの花輪が飾られる。しかし、ニュージーランドにおいてはANZACの日の時に着用される事が最も一般的である[3]。
赤のリメンブランス・ポピーは、戦争と平和のさまざまな側面を表現した他のポピーのデザインに影響を及ぼした。フランスでは戦没軍人を追悼する目的で、リメンブランス・ポピーではなく フランスの矢車菊が着用される。
起源[編集]
フランダースにおける戦争とポピーについての言及は、早くは19世紀にジェームズ・グラントが著した『運命のスコットランド兵士たち』(The Scottish Soldiers of Fortune)の中に見られる。
オランダとフランダースにおけるスコットランド人: 1693年、ネールウィンデンの戦いで、旅団はまたしても甚大な損害を被り、1万人の兵士を喪失したウィリアムは、白服姿のフランスの歩兵に屈服する事を余儀なくされた。パース伯爵は妹にあてた手紙の中で次のように書いた、(マコーリーの引用によれば)「その後の数か月間、大地には、千切れた人馬の頭蓋骨や骨、帽子、靴、鞍、ホルスターが散乱していた。翌年の夏を迎えた時、2万体の戦死者の遺骸によって豊かになった土壌に、何百万本もの赤いポピーが咲き誇った[4]。」
第一次世界大戦の戦争詩『フランダースの野に』の冒頭部では、ベルギーのフランダース地域の戦争犠牲者の墓の間に自生するポピーが登場する。この詩は既に戦死した兵士の視線から語られており、最後の節で、兵士は戦いを続けるよう訴えかけている[5]。この詩は、カナダの医師であるジョン・マクレイが、1915年5月3日、前日に友人が戦死した事を受けて書いた物である。その詩の初出は、1915年12月8日、ロンドンで発行されていた雑誌パンチ上での事だった。
ジョージア大学の教員の職務を休職して、アメリカのYMCA海外戦争機構でボランティア活動をしていたモイナ・マイケルは、その詩に心を動かされた。彼女は1918年に自ら作った『我々は信義を守るだろう』(We Shall Keep the Faith)という詩を公表した[6]。彼女は、マクレイの詩への敬意として、戦争を戦った軍人や関係者に対する追悼のために赤いポピーを常用するようになった[7]。1918年11月、YMCAの海外戦争機構の会議において、彼女は絹製のポピーを彼女のコートに装着して、出席者に25本のポピーを渡した。その後、彼女はポピーを国家的な追悼の象徴とする事を求める運動をはじめた。
アメリカ在郷軍人協会は、1920年に開かれた大会でポピーを公式の追悼の象徴として採用した[7]。1920年のクリーブランド大会に招かれたフランス女性アンナ・ゲラン[2]は、「連合国を構成した各国がポピーの日」を制定する事の意義を説いた。大会終了後、アメリカ在郷軍人協会は、ポピーを記念花に制定、ゲランが計画していた「アメリカのポピーの日」への後援を与える事を約束した。アメリカ在郷軍人会がゲランを「フランスから来たポピー・レディ」と呼んだのもこの行事の後である。1921年5月、ゲランは戦没将兵追悼記念日の前週に、戦禍で荒廃したフランスの未亡人や子供たちが作った絹製のポピーを用いて、アメリカではじめての全国的な「ポピーの日」を成功に導いた[2]。
アメリカ在郷軍人協会が、ポピーに替えてデイジーを追悼の象徴とした時、対外戦争退役軍人協会の会員は、ゲランの支援に回った。対外戦争退役軍人協会は、ゲランから購入したフランス製のポピーを用いて、1922年の記念日にアメリカ初の退役軍人による「ポピーの日」行進を組織した[2]。1924年、退役軍人協会は、「バディ・ポピー」(Buddy Poppy)の名を商標登録した[8]。
ゲランによる「汎連合国的なポピーの日」制定の構想に、イギリス帝国内の一部の退役軍人組織が応じた。1921年の追悼記念日の後、ゲランはカナダに渡った。彼女が、7月4日の大戦役退役軍人協会で演説した後、この団体もポピーを象徴として採用し、「汎連合国ポピーの日」の構想を受け入れた。彼らはイギリス連邦の前身であるイギリス帝国の退役軍人組織ではじめての受容例となった[2]。
その後、ゲランはアメリカ赤十字社出身のモファット大佐を代理としてオーストラリアとニュージーランドに派遣した。彼女はイギリスに向かい、ダグラス・ヘイグ元帥とイギリス在郷軍人協会に自らの構想を伝えた。組織には予算が不足していたため、ゲランはイギリスのリメンブランス・ポピーの代金を自ら立て替え、イギリス在郷軍人協会は、1921年11月11日のリメンブランス・デー終了後に立て替え分を払い戻した[2]。1921年までにリメンブランス・ポピーが、休戦記念日に追悼のために着用される花であるという認識が、第一次世界大戦の連合国を横断する形で受け入れられていった[9]。
配布と着用[編集]
リメンブランス・ポピーは、複数のイギリス連邦加盟国において、主としてリメンブランス・デーに至る数週間の間に配布される。しかし、ニュージーランドにおいてはANZACの日に至る数週間が配布期間である[10]。リメンブランス・ポピーは、退役軍人を記念し、退役軍人の組織や活動に必要な資金を得る目的で、退役軍人の全国組織によって配布される。
複数の国の退役軍人組織が、独自にリメンブランス・ポピーを作っているため、リメンブランス・ポピーには複数のデザインが混在している。しかし、カリブ海地域のイギリス連邦加盟国であるバルバドス、ガイアナ、ジャマイカ、トリニダード・トバゴは、イギリス連邦退役軍人連盟を通じて、カナダ在郷軍人協会からポピーの供給を受けている[11][12]。
リメンブランス・ポピーは主としてイギリス連邦加盟国の間で用いられているが、それ以外の複数の国においてもいくばくかの使用例がある[13]。
オーストラリア[編集]
オーストラリアにおいては、フランダースのポピーと呼ばれる事もある布と紙によって作られたリメンブランス・ポピーは、リメンブランス・デーを公式に記念する花として、1921年以来オーストラリア帰還軍人奉仕連盟による配布がおこなわれている[14]。オーストラリアにおいてリメンブランス・ポピーが着用されるのは、一般的にはリメンブランス・デーのみであり、ANZACの日などのようなその他の退役軍人関連の祝日の際は着用しないのが通例である[15][16] 。
ANZACの日には服に着用される事がないとはいえ、リメンブランス・ポピーはこの祝日の際においても依然として顕著な象徴性を帯びており、ポピーの花やリースが戦争慰霊碑に置かれる事が伝統となっている[16][17]。
バルバドス[編集]
1923年、バルバドスにおけるはじめてのリメンブランス・ポピーがバルバドス・ポピー連盟によって配布された。その前の年に、バルバドス総督だったチャールズ・オブライエンによってバルバドス在郷軍人会の募金部門としてバルバドス・ポピー連盟が設立された[18]。バルバドス・ポピー連盟はイギリス連邦退役軍人連盟を通じて、カナダ在郷軍人協会からリメンブランス・ポピーの供給を受けている[11]。
カナダ[編集]
カナダにおいては、1921年からポピーを公式に追悼の象徴として採用されている。それは10月最終週の金曜日から着用が開始され、11月11日まで続く。その年の最初のポピーは慣例として、カナダ在郷軍人協会全国議長からカナダ総督に贈呈されている。ポピーのイメージ図を商標登録しているカナダ在郷軍人協会[19]は、ポピーをジャケットの左胸側もしくはできる限り心臓に近い位置で着用する事を推奨している[20]。
カナダのポピーは、4枚の花びらと黒い中心部から構成され、葉がないデザインが特徴的である。リメンブランス・ポピーはフロック加工が施された2個の成型プラスチックと服に留めるためのピンから構成されている。1980年から2002年までは中心部の色が緑だった。現在は黒のみである。この変更はオリジナルのデザインに馴染みがない者たちを混乱させた[21]。2007年、子供や老人、食品業界の労働者を対象として、ポピー・ステッカーが導入された[22]。カエデの葉に、戦没者と銃後を意味する2つのポピーをあしらった金属製の「カナダ・リメンバーズ」ピンも配布されている[23]。
ポピーは、1996年まではカナダの傷痍軍人たちによって作られてきた。しかし、それ以降は民間の請負業者によって製造されている[24]。カナダ在郷軍人協会によるリメンブランス・ポピーはトロントで製造されており、2011年、協会は1800万個以上のポピーを配布した[13]。
2000年、全国的な戦没者追悼式が挙行されるオタワの国立戦争記念碑の中に無名戦士の墓が作られて以降、式典の終了後に参列者がポピーを墓に献花するという新たな伝統がはじまった。公式の式次第には含まれていないものの、他の軍事関連慰霊碑における式典にも波及していった。
1949年にカナダに編入されたニューファンドランド・ラブラドール州においては、ニューファンドランド独自の追悼象徴花だったワスレナグサにとって替わる形でリメンブランス・ポピーが用いられるようになった。ワスレナグサは最近ニューファンドランドの軍事関連の慰霊行事において復権しつつあるが[25][26]、依然としてリメンブランス・ポピーの優位は継続している。
ニュージーランド[編集]
ニュージーランドにおいては、一般的に4月25日のANZACの日にニュージーランド軍の戦没者を追悼するためにリメンブランス・ポピーが着用される。また、ニュージーランド帰還軍人奉仕協会の募金によって配布されたポピーはリメンブランス・デーの時にも着用される。1921年、協会は休戦記念日に他国と同様にポピーの日の行事を行うつもりだったが、フランスからポピーを載せた船の到着が間に合わなかった。そのような理由から協会は1922年のANZACの日まで延期する事を余儀なくされた[要出典]。このはじめてのポピーの日の行事は成功におわった。寄付された金額の多くは、貧窮した兵士と家族に寄付され、余った分はフランス北部で戦禍に苦しむ地域への連帯としてフランス児童連盟に寄付された[要出典]。
ポピーの日がはじまった後、第二次世界大戦の間には大きな寄付記録が記された。1945年には75万個のポピーが配布された。これは国の人口の半分に相当する数だった[27]。
パキスタン[編集]
毎年11月11日に「グレート・ウォー・カンパニー」によって内々に式典がおこなわれており、その際、第一次世界大戦を戦った英印軍の兵士らの末裔たちが赤いポピーを身につける[28]。
南アフリカ[編集]
2000年代、リメンブランス・ポピーに対する関心が高まった。2011年11月のチャールズ皇太子の南アフリカ訪問後、南アフリカ退役軍人連盟にはポピーを求める人々からの電話が急激に増加した。この年、南アフリカ退役軍人連盟はイギリス在郷軍人協会のポピー工場から30万本以上のポピーの供給を受けた[13][29]。
韓国[編集]
リメンブランス・ポピーは、リメンブランス・デーに釜山のUN記念公園で開かれる追悼式典の際、朝鮮戦争の韓国と国連軍の兵士を称えて着用される。ポピーの着用はカナダ軍の退役軍人であるヴィンセント・コートネイによって提案された。
イギリス[編集]
イギリスでは、リメンブランス・デーの数週間前からイギリス在郷軍人協会(RBL)のボランティアによってリメンブランス・ポピーが街中で販売されるようになる。イギリスにおけるリメンブランス・ポピーはイギリス在郷軍人協会による登録商標となっている[30][31]。RBLは「赤のポピーは私たちの登録商標であり、唯一の合法的な使用目的はポピー・アピールによる募金である」と宣言しており[32]、それはリメンブランス・デーの数週間前から募金活動に用いられる。その団体はこれらのポピーは「戦没者を記念し、今日も任務につく人々への支援を示すために身につけられる」と述べた[33]。それ以外のポピーの関連商品は募金活動の継続の一部として、通年販売されている[34]。
イングランド、ウェールズ、北アイルランドで配布されるポピーは、通常の場合、2枚の紙製の花びらと緑の葉がプラスチック製の緑の茎と組み合わせられ、花の中心部の黒色のプラスチックが際立っている。茎にはポピーを服に留めるためのピンとして使われる枝が付属している。通年販売されるポピーは、RBLの主要な財源となっている。ポピーに定価は定められておらず、寄付者が寄せた金額の上下に関わらず配布、もしくは募金者が金額を提示する事もある。1994年までポピー中心部の黒いプラスチックには「ヘイグ・ファンド」と刻まれていたが、今は「ポピー・アピール」に変わっている[35]。スコットランドでは、スコットランド・ヘイグ伯爵基金がポピーの製造や配布にあたっている。スコットランド・ヘイグ伯爵基金が作るポピーは、イギリス在郷軍人協会によるそれとは多少意匠が異なっている。スコットランドのポピーは4枚のカールした花びらから構成されており、葉や茎がない。
RBLのポピーは、リッチモンドのポピー工場で、年間数百万本のポピーが約50人のイギリス軍の傷痍軍人によって作られている[36]。スコットランド・ヘイグ伯爵基金が配布するポピーは、エジンバラのヘイグ夫人ポピー工場で作られている。
2010年、ポピー工場では約4,800万本のポピーが製造され、そのうちの4,500万本がイングランド、ウェールズそして北アイルランドにおいて配布された。残りの300万本のポピーは約120か国に向けて送られた。海外のイギリス大使館やイギリス人コミュニティが主な送り先だった。2011年、スコットランドでは年間約500万本のポピーが配布された[13]。
第一次世界大戦が終結してから数年の間、ポピーはリメンブランス・デーの時のみに着用されていた[37]。今ではRBLによるポピー・アピールは、イギリスにおけるその他のどの募金活動よりも高い知名度がある[37]。例年10月下旬から11月中旬にかけてポピーは、広範に見られるようになり、一般人、政治家、イギリス王室およびその他の公人によって身につけられる。この時期、巨大なポピーの看板は、バス、地下鉄、飛行機ばかりか街頭、看板、公共施設、ランドマークにおいても見かけられるようになる。ポピーは多くの新聞や雑誌の表紙にも掲載されるようになり、自分のアバターにポピーを加えるSNSのユーザーもいる[要出典]。毎年、ポピー・アピールの公式ソングのシングル盤が発売される[38]。リメンブランス・ポピーの募金者は、街角およびコンサート、展覧会、マラソン大会をはじめとする競技会など多くの公共イベントで見かけられるようになる。その他にも関連のイベントがおこなわれる。2011年には第二次世界大戦時代の航空機が、サマセットのヨービルの街に6,000本のポピーを投下した[39]。2014年、ロンドン塔の空堀にイギリス帝国兵士の第一次世界大戦における戦死者数と同数の888,246本のセラミック製ポピーを敷き詰めた、インスタレーションである『血が流れる大地そして赤い海』が作られた。
イギリス在郷軍人協会は、許可なく多くの商品やサービスにポピーが用いられる事を避ける目的で、2000年以降イギリスにおいて商標登録をおこなっている[40] 。
イギリス在郷軍人会によるポピー・アピールは数十年間にわたって論争の対象となっており、イギリス陸軍の退役軍人を含む一部の人々は、このシンボルがイギリスの軍事的干渉への支持を集める目的で過剰に用いられており、公人はポピーを着用するよう圧力を受けていると主張している[41]。
北アイルランド[編集]
毎年、イギリス在郷軍人協会は北アイルランドでもポピー・アピールをおこなっており、2009年には募金の額が100万ポンドを超えた[42]。北アイルランドでのポピーの着用は物議を呼んでいる[5]。それは政治的[5][43]、英国民意識[5][44][45]の象徴にして、イギリス軍に対する支持を表明するものであると見る者が多く存在する[43]。長きにわたりポピーは、ユニオニスト、ロイヤリストの共同体によって保持されてきた[5][44]。アルスター義勇軍やアルスター防衛同盟などのロイヤリスト準軍事組織も北アイルランド紛争で殺害された隊員を追悼するためにポピーを用いた[46]。
アイルランドのナショナリストや共和主義者の大多数は、ポピーを着用する事を選択しない[43]。彼らはポピー・アピールを、血の日曜日事件などのように民間人の殺害にかかわった兵士や、北アイルランド紛争の間のバナー作戦の際にグレナン・ギャングをはじめとする非合法なロイヤリスト準軍事組織と通じていた兵士に対する支援であると見ている[5][47][48][49][50][51]。アイルランドのナショナリスト組織や殺害被害者の遺族による組織は、BBCに対してすべてのテレビ司会者がポピーを身につけなければならないとする方針の撤回を求めている。彼らは北アイルランドの職場においては政治的シンボルの掲示が禁じられているはずなのに不公平であると主張する。また、彼らは、公的資金によって運営されるBBCはコミュニティのすべての反映でなければいけないと説く[49][52]。同じようにレラティブズ・オブ・ジャスティスのディレクターは北アイルランド警察庁の警官によるカトリック居住区におけるポピーの着用を「イギリス陸軍の行為を考えるにつけ、わが共同体の大多数にとって不愉快な物である」と非難した[48]。アイリッシュ・インデペンデント紙は、ポピーの販売で集まった「かなりの額」の資金が「狂気の将軍の記念碑や戦争エリートのための老人クラブの建設」に使われていると非難した[50]。 2010年のリメンブランス・デーに社会民主労働党のマーガレット・リッチーがナショナリスト政党の党首としてはじめてポピーを身につけた[53]。
イギリス連邦加盟国以外の国々[編集]
イギリス在郷軍人協会とカナダ在郷軍人協会は、英連邦加盟国以外の複数の国々に向けてリメンブランス・ポピーを配布している。イギリス在郷軍人協会のポピー工場は、現地のイギリス大使館や在外イギリス人コミュニティを主な対象として、300万本のポピーを120ヵ国以上に配布した[13]。また、RBLは香港を含む海外支部にもリメンブランス・ポピーを配布している[54]。カナダのリメンブランス・ポピーは駐韓カナダ大使館を含む複数の国々の大使館でも配布されている。[55] 。
イギリス連邦以外の国の退役軍人組織も、独自に彼らのリメンブランス・ポピーを作り、配布している。
アルバニア[編集]
アルバニアで70度目の解放記念日に開催された記念式典の際、エディ・ラマ首相を含む政府関係者が、リメンブランス・ポピーを着用した[56]。
アイルランド[編集]
第一次世界大戦の間、アイルランド全体がイギリスの一部であり、約20万人のアイルランド人の男たちがイギリス軍の一員として戦った(アイルランドと第一次世界大戦)。第二次世界大戦の間、中立政策をとった独立アイルランドから7万人の国民がイギリス軍に加わり、ダブリン大学のトリニティ・カレッジの戦没者名簿には、戦争で死んだ3,617人が記録されている[57][58]。イギリス陸軍はアイルランド共和国における勧誘活動が拒まれているが、共和国側に存在するRBLの支部は、ダブリンのセント・パトリック大聖堂において献花をおこなっており、式典にはアイルランド大統領も参列している[59]。
共和国には、7月にすべての戦没したアイルランド人を追悼するための独自の国家記念日が存在する。他のイギリス連邦非加盟国と同様にポピーの着用は一般的ではなく、主要な記念行事の際にも登場しない[60][61]。これは、アイルランド独立の対抗者として戦闘を繰り広げたイギリス軍の役割や、アイルランド独立戦争[62]および北アイルランド紛争における一部の行為が原因となっている。
ポピーは独立戦争が終わってからの数年間、アイルランドのナショナリストがイギリス帝国主義の挑発的な象徴と見なした事で特別に物議を醸す存在だった。ダブリンではイギリス在郷軍人協会員の歩行者が襟からポピーを奪い取られ、しばしば取っ組み合いの騒ぎになった。対抗策としてポピーを身に着ける者の中にはポピーの中にカミソリの刃を忍ばせる者もいた[63][64]。1930年代以降はダブリンにおけるポピーの日はその暴力的な側面が減少した。しかし、その後の数十年間の間にこのシンボルを身に着ける事も一般視されなくなった[65]。
2017年、レオ・バラッカー首相は、ドイル・エアランでアイルランドの首相としてはじめてシャムロック・ポピーを身に着けた[66]。
ウクライナ[編集]
ウクライナの人々は、2014年からナチスへの勝利と第二次世界大戦の戦没者に対する追悼の象徴としてポピーを着用している。それは親露分離主義者やロシアの軍事侵攻と関連づけられるようになった聖ゲオルギー・リボンに取って代わった。ポピーのデザインはセルヒー・ミシャキンによっておこなわれ、「1939-1945 二度と繰り返さない」というスローガンが加えられている[67] 。
関連項目[編集]
- フランスの矢車菊 - フランスのヤグルマギクは英連邦各国におけるリメンブランス・ポピーにあたる。
- モンテ・カッシーノの赤いポピー - ポーランドの軍歌ではモンテ・カッシーノの戦いの追悼の象徴として赤いポピーが登場する。
脚注[編集]
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外部リンク[編集]
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