マオリ王
マオリ王(マオリおう、英: Māori King)は、ニュージーランドの先住民・少数民族であるマオリの首長の地位である。王を名乗ってはいるが、国家から公認された地位ではない。それでもマオリの間での権威は大きなものがある。現在の王は第7代のツヘイティア・パキ。
王擁立運動[編集]
1850年代、イギリスの植民者の手によってマオリの土地は急速に奪われ、狭まった土地をめぐるイウィ(部族)間の抗争も激化した。こうした中で、イギリスの王に倣ってマオリにも王を戴き、歴史的に部族ごとの結束・アイデンティティが強固であったマオリを統合しようとする運動が起こる。これを王擁立運動(英: Māori King Movement, マオリ語: Kīngitanga キンギタンガ)という。初代の王に選出されたのはワイカト族の首長ポタタウで、彼を王とするマオリの部族連合は白人勢力に対し結束して抵抗しようとした。これは植民地政府から反乱とみなされ、王擁立運動は困難な状況に立たされるが、その中で王は求心力と権威を獲得していった。
先代王の葬儀の席で、出席した諸部族の有力者が後継者を選出・推戴することになっているが、実際には初代王ポタタウの子孫が代々王位を受け継いでいる。
マオリ王の一覧[編集]
代 | 王 | 出身家 | 在位期間 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ポタタウ・テ・フェロフェロ Pōtatau Te Wherowhero |
1856年 – 1860年6月25日 |
2年 | |||
2 | タウィアオ Tāwhiao |
1860年6月25日 – 1894年8月26日 |
34年 + 62日 | |||
3 | マフタ・タウィアオ Mahuta Tawhiao |
1894年8月26日 – 1912年11月9日 |
18年 + 75日 | |||
4 | テ・ラタ・テ・フェロフェロ Te Rata Te Wherowhero |
1912年11月24日 − 1933年10月1日 |
20年 + 311日 | |||
5 | コロキ・テ・ラタ・マフタ ・タフィアオ・ポタタウ ・テ・フェロフェロ Korokī Te Rata Mahuta Tāwhiao Pōtatau Te Wherowhero |
1933年10月8日 – 1966年5月18日 |
32年 + 222日 | |||
6 | テ・アリキヌイ・デイム ・テ・アタイランカアフ Te Arikinui Dame Te Atairangikaahu |
1966年5月23日 – 2006年8月15日 |
40年 + 84日 | |||
7 | ツヘイティア・パキ Tuheitia Paki |
2006年8月15日 – (在位) |
17年 + 295日 |