カール・パーマー
カール・パーマー Carl Palmer | |
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UK・スケッグネス公演 (2014年1月) | |
基本情報 | |
出生名 |
カール・フレデリック・ケンドール・パーマー (Carl Frederick Kendall Palmer) |
生誕 | 1950年3月20日(74歳) |
出身地 |
イングランド バーミンガム・ハンズワース |
ジャンル |
ロック プログレッシブ・ロック |
職業 | ミュージシャン、ドラマー |
担当楽器 | ドラムス、パーカッション |
活動期間 | 1967年 - 現在 |
共同作業者 |
クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン アトミック・ルースター エマーソン・レイク・アンド・パーマー エイジア 3 クァンゴ カール・パーマー・バンド ほか |
公式サイト | carlpalmer.com |
カール・パーマー(Carl Palmer、1950年3月20日 - )は、イングランド出身のロック・ミュージシャン、ドラマー。
主にプログレッシブ・ロックの分野で活動し、特に在籍した「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」[1]「エイジア」で世界的な成功を収めた。自ら率いる「カール・パーマー・バンド」でも活動している。
ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のドラマー」第10位。
略歴[編集]
黎明期 - 1970年代[編集]
バーミンガムのハンズワース生まれ。12歳でドラムスをはじめ、13歳の頃には同じ学校に通っていたスティーヴ・ウィンウッドとバンドを組んでいる。その後、バディ・リッチやグレン・ミラーなどのアルバムを聴きながらレッスンを続け、ダンス・バンドでプロ活動を開始。ブルースロック・バンド「キング・ビーズ」ではレコードのリリースやテレビ出演の機会も得る。
1967年、クリス・ファーロウが率いており、デイヴ・グリーンスレイドやアルバート・リーが在籍していた「サンダーバーズ」に加入。
1968年、サイケデリック・ロックバンド「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」に加入。
1969年、「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」のツアー中トラブルになり、キーボード奏者の同僚ヴィンセント・クレインと共に脱退。この2人にベースとフルート奏者のニック・グラハムが加わり、「アトミック・ルースター」を結成する。翌1970年、「B&Cレコード」と契約し、3月にアルバム『アトミック・ルースター・ファースト・アルバム』をリリース。
その直後、知己であるグレッグ・レイクから新バンド結成を持ち掛けられ、同グループを脱退。キース・エマーソンらとロックトリオ「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」(EL&P)を結成する。EL&Pの世界的な成功とともに、自身も高い人気と評価を得た[2]。
1980年代以降 - 現在[編集]
1980年のEL&P解散後には、スーパーグループ「エイジア」を結成。ファースト・アルバム『詠時感〜時へのロマン』が商業的な大成功を収めた。1986年にEL&P再結成のオファーがあったが、エイジアとして活動中だったために断っている(代役としてコージー・パウエルが参加した「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」が結成された)。更に1988年にもEL&P再結成が企画され今回は参加を決めたが、今度はグレッグ・レイクが不参加を表明。カールとキース・エマーソンは代わりに、ロバート・ベリーを含めたトリオ編成の「3」を結成し、短期間活動した。
1990年代に、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの再結成がやっと実現する。2枚のスタジオ・アルバムのほか、ライブ・アルバムやライブDVDを発表するなど断続的に活動した。パーマー自身は2010年7月のロンドンでのライブがEL&Pとしての最後のパフォーマンスだと語っていたが、2016年に中心メンバーの相次ぐ死去により活動は不能となった[3]。2017年、キース・エマーソン、グレッグ・レイクを追悼するため、「Carl Palmer’s ELP LEGACY」と名付けたソロ・バンドを率いワールド・ツアーを行った[4]。
EL&Pのほか、近年はオリジナル・メンバーで再集結した「エイジア」に復帰している[5]。個人では、トリオ編成の「カール・パーマー・バンド」を率いたり、ドラムクリニックなど多方面で活躍している。
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EL&P時代 (1978年)
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EL&P再結成時代 (1992年)
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エイジア時代 (2006年)
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カール・パーマー・バンド時代 (2009年)
音楽性[編集]
自らを「クラシックの教育を受けているけど、根本的にはロックのドラマー」と評する[6]。クラシック音楽での打楽器の解釈・モダン・ジャズの奏法・独特のフィルセンスによるロック奏法といった、独自の奏法とグルーヴ感を有する。そのいずれもがミックスされたエマーソン・レイク&パーマーにおいては、様々なレパートリーでキースの奔放さとグレッグのリリシズムの双方に巧みに合わせたプレイを残している。時にライブで「走る」ほど前のめりでアグレッシヴなプレイは、参加したバンドの音楽性にハード・ロック的ですらある跳ねるような躍動感をもたらした。スティックの握り方はほとんどの曲においてレギュラーグリップである。
近年は『ラディック』製のビスタライトを使用している。かつてはスリンガーランド、1980年代はREMOを使用していたが、エイジアのオリジナル・メンバーでの再結成後にラディックに戻った。シンバルはパイステを使用。
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『ラディック』製カール・パーマー・バンド仕様 (2006年)
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『ラディック』製エイジア仕様 (2012年)
ディスコグラフィ[編集]
ソロ・アルバム[編集]
- 『PM』 - 1:PM (1980年) ※PM名義で発表
- Anthology: Do Ya Wanna Play, Carl? (2001年) ※パーマーが参加したバンドの曲を集めたベストアルバム
- 『ワーキング・ライヴ Vol.1』 - Working Live – Volume 1 (2003年) ※ライブ
- 『ワーキング・ライヴ Vol.2』 - Working Live – Volume 2 (2004年) ※ライブ
- 『ライヴ・イン・ヨーロッパ』 - In Concert: Carl Palmer plays the Music of ELP (2006年) ※ライブDVD
- 『ワーキング・ライヴ Vol.3』 - Working Live – Volume 3 (2010年) ※ライブ
アトミック・ルースター[編集]
- 『アトミック・ルースター・ファースト・アルバム』 - Atomic Roooster (1970年)
- Devil's Answer (1998年) ※1970年–1981年のBBCラジオ・セッション
- 『ライヴ・アンド・ロウ 70/71』 - Live and Raw 70/71 (2000年)
エマーソン・レイク・アンド・パーマー[編集]
エイジア[編集]
その他の参加アルバム[編集]
- マイク・オールドフィールド : 『ファイヴ・マイルズ・アウト』 - Five Miles Out (1982年)
- 3 : 『スリー・トゥ・ザ・パワー』 - To the Power of Three (1988年)
- クァンゴ : 『ライヴ・イン・ザ・フッド』 - Live in the Hood (2000年) ※ジョン・ウェットンらと短期間活動したバンドのライブ
参考文献[編集]
- 『エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝』 (シンコー・ミュージック刊)
脚注[編集]
- ^ “Keith Emerson of Emerson, Lake & Palmer Dead at 71 of Suicide”. billboard (2016年3月11日). 2016年3月13日閲覧。
- ^ “エマーソン・レイク・アンド・パーマーの名曲10選”. Rolling Stone (2016年4月3日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ “グレッグ・レイクとカール・パーマーがキース・エマーソンを偲ぶ”. rockin'on (2016年3月15日). 2018年1月17日閲覧。、“カール・パーマー、グレッグ・レイクを追悼”. BARKS (2016年12月9日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ “バンド・メイトを相次いで亡くしたカール・パーマーが、ELPレガシー・ワールド・ツアーを発表!最新ライヴDVDもリリース”. LiveLand (2017年2月19日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ “カール・パーマーとジェフ・ダウンズ、ジョン・ウェットンを追悼”. BARKS (2017年1月31日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ トニー・アイオミ、ビル・ワードの代わりにカール・パーマーを推薦 barks 2013年8月23日