Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中国の貨幣制度史 20190711

中国の貨幣制度史 - ノート[編集]

選考終了日時:2019年8月1日 (木) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2019年6月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2019年7月11日 (木) 00:04 (UTC)[返信]
  • 賛成 かなりの力作で、よく書かれているものと思います。「倭好には銅貨も含まれる」という趣旨の記述が2回出てくるところはちょっと気になりました。どちらかにまとめた方が良いかと。--Tam0031会話2019年7月18日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
  • コメント あとで中身をじっくり読んだ上で投票致しますが、先に形式的な出典チェックだけ。強化記事投票の際に指摘した件ですが、本文中で用いていないのに「引用文献」節にリスト入りしているものはゼロ (つまり問題クリア) を確認できました。しかし逆に、本文中で用いているのに、引用文献節から抜けているものが2件ありました。oldid=73516277時点で、出典153番 (永積 1999, p. 359.) と、出典135番 (鈴木編 2007.) です。クリックしても飛ばないので、チェックしてみて下さい。また、ハーバード方式を使っていますが、書籍の場合は出典のタイトル・年だけでなくページまたは章を入れる慣習だと認識しています。が、ページ/章の特定漏れがチラホラあります。選考の目安を読む限り、ページ/章特定が良質な記事の「必須」基準だとは思えないのですが、当記事はゆくゆくは秀逸な記事も目指して頂きたいと個人的に期待しているので、時間のある時に漏れの補記をお願いしたいです。--ProfessorPine会話2019年7月18日 (木) 15:41 (UTC)[返信]
    • コメント チェックをありがとうございます。倭好の記述重複と、出典の文献抜けについて修正しました。出典のページ数または章の抜けについては、随時修正してゆきます。--Moke会話2019年7月19日 (金) 01:29 (UTC)[返信]
チェック 編集差分にて、倭好と文献抜けの両方とも反映されていることを確認しました。--ProfessorPine会話2019年7月19日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
  • コメント 今回、主に加筆をした者です。ほかの方が記事に使っている出典について、良質な記事の出典として妥当なのかについて、ご意見をいただければ助かります。
  1. 研究所が所属メンバーの業績について書いた記事であり、宣伝目的の可能性。(出典208番[1]
  2. センセーショナルまたは大言壮語的なタイトルの記事の可能性。(出典238番[2])、(出典239番[3]
  3. 有料会員限定の記事。(出典237番[4])--Moke会話2019年7月19日 (金) 01:59 (UTC)[返信]
  • コメント 私も細かく読んでいる時間がないので形式的な問題点のみ。
§10.1 注釈
注釈文にも出典が必要ですが、ほとんど出典がありません。
なお、出典としての妥当性についてのコメントは以下の通りです。
1. センセーショナルまたは大言壮語的なタイトルの記事の可能性。(出典238番[2])、(出典239番[3])
内容がまあ信頼性ありと言えるようなものであれば、タイトルだけなら多少センセーショナルだったり大言壮語的であっても問題ないと思います。それとも、これらの出典は内容についてもセンセーショナルだったり大言壮語的であって出典にふさわしくないとお考えでしょうか。具体的な日付を思い出せなくて申し訳ないのですが、たしか最近の朝日新聞でも同じような内容の論説を読んだ記憶があります。もっとも、その論説の筆者は、この両出典のどちらかの筆者と同一人物だったかも知れません。それにしても異なる筆者が同じようなことを言っているということは、現代中国経済の研究者にとって、すでにこういう見方が一般的になっているのかもしれません。何にせよ出典の信頼性も、参照の仕方も問題ないと思います。
2. 有料会員限定の記事。
これも、会員登録するための資格として何らかの制限(何かの組織のメンバーであるとか、誰かの推薦が必要とか)がかけられているのでない限り(ただし年齢制限は除く)、つまり誰でも金を払えば自由に登録し購読出来る限り問題はありません。
--Loasa会話2019年7月19日 (金) 13:59 (UTC)[返信]
  • 返信
  1. 注釈文にも出典が必要という点は、良質な記事の目安に含まれるのか解釈の余地がありそうなので、他の方の意見も参考にして様子をみます。
  2. 出典のタイトルについて了解です。自然科学、医療、法律などの分野の記事でも同様なのかについて、他の記事も見つつ見識を深めてみます。--Moke会話2019年7月19日 (金) 20:46 (UTC)[返信]
コメント 私も註釈に出典は必要であり、「独自研究を載せない」「検証可能性」の目安に鑑みても、選考基準になると考えます。理由については、本文箇条書きの出典不足を指摘した下記に意見をまとめています。--ProfessorPine会話2019年7月20日 (土) 10:34 (UTC)[返信]
  • コメント 古代~中世 (明の時代まで) を読んで気付いた点をお伝えします。今のところ条件付き賛成のスタンスです。後半を読む時間が足らず、選考終了日7月25日を1週間延長し、8月1日までお願いできませんでしょうか? 最大で4週間延長可能とのことですので、他の審査ユーザさんや修正対応する執筆者さんで更なる延長が必要でしたら、別途ご申請頂ければと思います。--ProfessorPine会話2019年7月19日 (金) 14:27 (UTC)[返信]
  1. 親ページに該当する貨幣史 (世界各国の総説ページ) と子ページである中国貨幣制度史の間で、内容的な不整合はありませんでした。しかし、時代区分がズレています。親ページだと五代十国時代は「中世」に分類され、子ページでは「古代」。明の時代は親ページでは「近世」、子ページでは「中世」です。親子ページをクロス読みする読者もいると思うので、時代区分を統一するか、または子ページが親ページと異なる理由を冒頭に書かないと、独自研究による時代区分を使っているような印象を与えてしまいます。
  2. チェック 中世の「元」の時代節で「この税制は、モンゴル帝国が改称して成立した元の初期にも引き継がれた」との記述がありますが、「改称して成立」という表現は国際的な中立性の観点で正しいのでしょうか? ちなみに「元 (王朝)」の説明によると、「モンゴル人が建てた征服王朝」とあり、モンゴル帝国を元に改称したのではなく、元はモンゴル帝国の植民地みたいな扱いでしょう。そのため、節名を「元」にするか「モンゴル帝国」にするかでもめるぐらいなら、いっそのこと節名を「銀錠」という貨幣制度名に変えてしまう手もあると思いました。ステータスを済に変更。--ProfessorPine会話2019年7月20日 (土) 10:34 (UTC)[返信]
  3. 「宋」時代の節と、「明」時代の節で、ともに箇条書きの一部に出典がありません。
  4. これ以外にも根本的なツッコミどころが見つかってしまったのですが、秀逸な記事の選考基準になってしまうので、今後の宿題みたいな位置づけで、当ページのノートページの方に指摘をあとで記入しておきます。
  • 返信
  1. 「貨幣史」の五代十国と明2ついて更新しました。明は14世紀から17世紀にかけて存在した国なので、中世と近世においてどのように記述するかは様々なやり方があるでしょう。時代区分を外すのも手かと思います。
  2. 「元」の名称について、「元 (王朝)」の概要には、「元の成立は従来のモンゴル帝国の国号「イェケ・モンゴル・ウルス」を改称したに過ぎないとも解せる」と書いてあるので、「元はモンゴル帝国の植民地みたいな扱い」とは異なるように読みました。複数の見解があるので、改称についての記述をいったん削除しました。
  3. 箇条書きの一部に出典が必要かという点が良質な記事の目安なのかは、解釈の余地がありそうです。他の方の意見も参考にして様子をみます。--Moke会話2019年7月19日 (金) 20:46 (UTC)[返信]
  • いろいろ細かい指摘を行っていますが、前半を読んだ時点で「条件付賛成」スタンスは変わっていません。反対に転じるつもりはなく、とても前向きです。若干意見が折り合わない箇所があっても、許容できる範囲ですし、選考通過後に修正対応になったとしても、良質な記事の品格が損なわれるほど深刻とは思えないので。
  1. 親ページ側を修正されたようですが、ごめんなさい、違和感があります。親ページの「古代」節を見ると、貨幣史#西アジアダレイオス1世 (前550年頃 - 前486年) の話、貨幣史#ギリシャ、ヘレニズムアレクサンドロス3世 (紀元前356年 - 紀元前323年) の話で締めくくられています。このような古い時代の「古代」節に中国の五代十国時代 (907年 - 960年) を挿入するのは、さすがに時代がぶっ飛びすぎていませんか? 最初に述べたように、同時代の中国国外はどのような状況だったのだろう?と横比較したい人には、頭が混乱してしまいます。むしろ親ページの貨幣史は時代区分をリバートし、子ページ (今回の選考対象ページ) 側をいじるべきと思います。選考ノートページで表明した通り、そもそも子ページを「古代」「中世」・・・と分ける意味があまりないと個人的には思っていますが。ただし目次構造を大幅にいじるなら、記事ノートページで他の執筆者さんらと合意形成の上で行った方が良いでしょうから、暫定的に親ページと子ページで区分がズレている理由を冒頭に書いておく逃げの手段もあるかな、と思います。
  2. とりあえず本文から物議を醸しそうな表現を除去しておくので、私も正解だと思います。ご対応ありがとうございました。
  3. 上記のLoasaさんの「註釈にも出典は必要」とのご意見とも共通しますが、本文中の箇条書きだろうが、註釈だろうが、検証可能性は必須と考えます。独自研究の記述禁止となっており、独自研究ではないとの唯一の証明手段が出典の提示だからです。つまり現時点で、箇条書きの一部や註釈は、独自研究を疑われていることになり、良質な記事の目安に合致しないと考えます。なお、註釈については{{Refnest}}の使い方を知らず、註釈の外付けで註釈の出典を併記してしまっている人がいるのかもしれません (少し前の私がそうでした笑)。当記事はMokeさん以外にも複数の編集者がおられるので、出典をつけ忘れた人を探し出して確認をとる作業は大変な気がします。なので良質な記事の選考時点では、出典が明記できておらず、かつ外付けをRefnestに変換することもできない箇所は、暫定的にコメントアウト対応するのもアリかと。少なくとも註釈のほとんどは、コメントアウトしたからといって記事の品質を大きく損ねることはないと感じています。
  4. 先ほど当選考ページのノート側に追記しておきました。--ProfessorPine会話2019年7月20日 (土) 10:34 (UTC)[返信]
  • 賛成 現時点で良質な記事としては十分であると思います。大作であるだけに後述するように大小様々に気になる点はありますが、全体としてよくできていると思います。全体を確認したわけではありませんが、以下に問題点と感じる箇所について述べます。形式面での指摘は既に種々行われているので、主に出典と内容についてです。
  • 出典の内容と本文の内容の乖離:出典の数が多いだけに到底全てを確認することは不可能ですが、以下の書籍について確認し、実際に参照された上で記事が執筆されていることを確認しました。
    • 山室信一『キメラ - 満洲国の肖像 増補版』中央公論新社〈中公新書〉、2004年。 
    • 佐藤信弥『周 - 理想化された古代王朝』中央公論新社〈中公新書〉、2016年。 
    • 小林正宏; 中林伸一『通貨で読み解く世界経済 - ドル、ユーロ、人民元、そして円』中央公論新社〈中公新書〉、2010年。 
    • 辛島昇 編『南アジア史〈3〉南インド』山川出版社〈世界歴史大系〉、2007年。 
しかしながら、本文の内容が出典の内容から飛躍しているように見られる箇所が散見されます。上記の書籍についていえば以下の2例が挙げられます。
  • 佐藤 2016 :本書のp. 63, 105を引いて、「(貨幣の単位として)そのほかに陌・貫・両や、古代ではタカラガイを表す朋(ほう)、銅の重量を表す寽(りつ)などの単位が使われた」、「タカラガイを糸でつないだものを朋と呼び、王朝では儀礼における贈与や下賜など互酬の行為としてタカラガイを使ったとされる。また朋は物品の価値を示すためにも使われた」という文章が作られていますが、同書の該当部分の記述は以下の通りです。
「宝貝は<17義盉蓋>に見えるように『朋』という単位で数えられ、時にその数量でもって物品の価値を示す基準とされることがあり、それによって後代に中国における貨幣の期限とみなされるようになったのではないかと考えられている。」(p. 63, 強調は引用者による)
「銘文原文の『銅十寽』の寽とは銅塊の重量を示す単位である。」(p. 105, 強調は引用者による)
いずれもこの単位はタカラガイ、銅塊の単位として語られており、「貨幣」の単位とされてはいません。確かに朋をもって「価値を示す基準とされること」もある。銅十寽というのは「手数料」や「罰金」の額面に相当するという説があるという記載はありますが、前後の文脈から考えてこれを貨幣の単位と読み替えるのはかなり飛躍したものであると感じます。同書の当該部分は幣制ではなく王権と臣下との関わりや礼制を主題にした箇所でもあり、少なくとも同書だけを本文の出典とするとき、貨幣単位としても使用されたことに疑問の余地のない「貫・両」と並置はできません。
  • 辛島編 2007:本書のp. 144を引いて「モンゴル帝国の領土拡大にともない、管理貿易によって銀が輸出されてユーラシア大陸の東西を横断した。インド洋貿易では元の陶磁器とアラビアの馬が重要な貿易品となり、貨幣の流れに影響を与えた。南インドではパーンディヤ朝が元と貿易を盛んにして、元との貿易で得た銀でペルシア湾から馬を輸入した」という文章が作られていますが、これも出典から乖離した情報が加えられています。
同書該当部分にはモンゴル帝国(元)、さらに「銀」は全く登場しません。この部位で語られているのは大きく「13世紀にインドで中国陶磁器の輸入量が飛躍的に増大した。それはムスリムの食器としての需要が高まったことと関連していると考えらえる。」ということと「バーンディヤ王国がキーシュ島から大量の馬を買い付けておりこれもまた、13世紀のムスリム政権の成立によって騎兵の重要性が増したこと」と関係づけられる、ということです。また該当部は数百年単位のスパンで語られており時代的範囲は13世紀から15世紀、一部は18世紀に及ぶ説明を行っています。同書を元に「元との貿易で得た銀でペルシア湾から馬を輸入した」という文章は作れないはずです。
  • 春秋戦国時代の通貨の使用範囲について:端的に言って現状の記事本文の内容は「様々な種類があった」ことしか触れられておらず、なぜ様々な種類があったのか、それぞれがどのような背景をもって発行されていたのか、といった内容が欠けているように見えます。本文の内容について以下の書籍
  • 江村治樹『戦国秦漢時代の都市と国家 考古学と文献史学からのアプローチ』白帝社〈白帝社アジア史選書〉、2005年。 
と内容を比較してみました。同書によれば貨幣の発行主体は、自立性の強い経済力の都市の多かった旧晋諸国(韓・魏・趙)では各都市が中心であり、国家側の影が薄いのに対し、斉・燕・秦のような周辺諸国においては貨幣発行能力のある都市が乏しく、初期より国家側の統一的な貨幣発行が行われていた傾向にあるという説明があります。また、考古学的には、国々の境界と貨幣の流通範囲は特に旧晋諸国において一致しないとあります。これについては同書から記述を足してみようと思いますがとりあえず。
  • 宋銭の海外波及について:宋銭については大量に輸出されたことが本文にありますが、少なくとも日本ではこれが与えた影響は大きく、重要な研究が複数あり、海外での普及やその影響について、もう少し詳細があっても良いように感じます。--TEN会話2019年7月21日 (日) 13:55 (UTC)[返信]
  • コメント どなたからもコメントがないように見えるので、一応再掲します。以下の出典が、良質な記事の出典として妥当なのか判断がつきかねるので、ご意見をいただければ助かります。前回は「書いた」という表現になっており、「掲載した」に変更しました。
  1. 研究所が所属メンバーの業績について掲載した記事であり、宣伝目的の可能性。(oldid=73559299の出典212番[5]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2019年7月27日 (土) 13:33 (UTC)[返信]

  •  追記 既に早期通過の結果が出た後ですが、せっかく期限延長をお願いしてまで査読したので、近代 (清の時代)~現代のコメントをノートページの方に追記しました。良質な記事の選考基準としては、クリアしていると思います。Loasaさんから挙がっていた註釈部分の出典不足の件も、全て対応できていることを確認しております。執筆者の皆様、お疲れ様でした。これからも頑張ってください。--ProfessorPine会話2019年7月28日 (日) 08:48 (UTC)[返信]