Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/上野不忍池競馬 20150308

上野不忍池競馬 - ノート[編集]

選考終了日時:2015年3月22日 (日) 09:38 (UTC)

  • (推薦)私が書いた競馬場記事では数本を良質な記事にしていただいていますが、実のところ自分ではこれがもっとも要領よくまとめられたと思っています。拙著で恥ずかしいが、読んでくださると幸いです。--目黒の隠居会話2015年3月8日 (日) 09:38 (UTC)[返信]
  • 賛成 競馬に詳しい人が多く出入りしているので、そうした方で読んで欲しいですが、とりあえず他者から見て簡単に分かるような抜けは無いように思います。当時の絵や写真が用意されているのが素晴らしいです。--Tam0031会話2015年3月13日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
  • 賛成 個人的には、明治天皇が計8回も行幸された事実に目が行きました。また「婦人財嚢競争」が行われていたという事実も面白い点です。この時代・この場所に出られる馬主ですから、それこそ立派な華族でしょう。「スポーツ・オブ・キングス」を地でいっていたと想像できます。その一方で雑種馬を混ぜて出走させるなど、競馬が形作られてゆく黎明期ならではの無茶っぷりも伺えます。この時代のことは専門紙「優駿」といえども中々出てくることのない話であり、「上野不忍池競馬」という競馬の存在を知るのみがせいぜいである方がほとんどだと思います(私もその一人です)。この時代のことを、これだけまとまった記述で知ることが出来るのは貴重な機会であり、「良質な記事」として推させていただきます。馬面長伊奈会話2015年3月15日 (日) 07:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 「良質」の基準に照らし、じゅうぶんな質が確保されていると考えます。Tam0031さんもおっしゃっていますが、画像が豊富なのも嬉しいです。出典がやや立川氏に偏っている感はありますが、この時代に関するまとまった資料は、『日本馬政史』『日本競馬史』あたりの古いもの以降は何十年かの空白があり、現代的な研究者としては立川氏の単走みたいな状態なので、しょうがないところはあるでしょう。富山大の資料は私も見たことがないのですが、こうした資料まで丹念にあたられた執筆者さんには敬服します。
何にも指摘しないと何にも考えずに言ってるだけみたいな感じなってしまうので、無理やり3つ指摘をします。1つ目は、メインの節が長さ、情報量ともけっこうあるので、適当に小節を設けてもいいかなあということ。2つ目は、戸山、三田、池上あたりのこともサラッと盛り込んだバックグラウンド・日本競馬史における位置付け的な簡単な案内があるとうれしいかなあというぐらい。3つ目、(『文明開化に馬券は舞う』はいちおう私も持ってはいるのですが、仕舞いこんでいてすぐに確認できないのですが)婦人財囊「競」という表記が4回出てきますけども、これは「競」ではなく、原典が「争」だったでしょうか。--柒月例祭会話2015年3月20日 (金) 16:48 (UTC)[返信]
見てくださってありがたい。競争は変換ミスですが思い込むと見えなくなるものです。直しました。節分けもご指摘の通り。三田や靖国神社競馬の事も注釈で一言触れました。池上とは間に15年近い断絶があるのでどうしようか考えています。--目黒の隠居会話2015年3月21日 (土) 09:05 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--HOPE会話2015年3月23日 (月) 06:21 (UTC)[返信]

結果に影響があることではないですが、3票目から48時間経過前に選考期限に到達しているので、これは早期終了ではなく通常終了です。--Tam0031会話2015年3月23日 (月) 14:20 (UTC)[返信]