Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/サルゴン2世 20200522

サルゴン2世 - ノート[編集]

選考終了日時:2020年6月5日 (金) 13:57 (UTC)

  • (推薦)月間強化記事賞に漏れた記事です。古代アッシリアの王について、わからないことはありつつも、事績を丁寧にたどり、家族や人物像、研究によって次第に明らかになってきたことなど、よくまとめられているものと思います。なお、選考提出時点で私の推薦が4記事目となりますが、「紙本墨書南番文字」の選考が賛成2票反対なしで48時間継続に伴う推薦権の追加を利用しています。--Tam0031会話2020年5月22日 (金) 13:57 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Tam0031会話2020年5月22日 (金) 13:57 (UTC)[返信]
  • 賛成 :先月、大幅に加筆されて充実しました。私も賛成します。--つちくら会話2020年5月22日 (金) 21:57 (UTC)[返信]
  • 賛成 :翻訳記事としてよく仕上がっており、良質な記事の水準にあると思います。ただし古代オリエントにおいて重要な存在と思われるエジプトと関係する出来事に全く言及がない点は気になりました。エジプト第22王朝の記事ではサルゴン2世がエジプトの国境付近まで進出し、エジプト側は貢物を送って攻撃を回避した旨の記述があり(出典はないですが)、英語版のオソルコン4世の記事にも前716年の出来事として同様の言及があります(こちらは出典あり)。また、同記事内には前720年のレヴァントの反乱の際にエジプトが援軍を送った旨の記述がありますが、こちらも本記事内の反乱の説明では言及がありません。重要性が低いという英語版の判断なのかもしれませんが、他記事との整合性の点から簡単にでも触れておいた方が良いと思いました。--Los viajeros 77会話2020年5月25日 (月) 02:56 (UTC)[返信]
    • 返信 ご指摘ありがとうございます。エジプトについて他記事との整合性は考慮が抜けていたので少し確認してみました。エジプト第22王朝の該当する部分は大昔に私が加筆したもので、もう覚えていませんが多分出典はジャック・フィネガン『考古学から見た古代オリエント史』pp. 369-370 とA.マラマット、H.タドモール著『ユダヤ民族史1 古代編1』のpp. 236-237 になります。大本の出所となる史料はサルゴン2世の年代記の断片のようです。この事件、『旧約聖書』にあるヒゼキヤ王治世中のパレスチナにおけるアッシリアのプレゼンスの拡大の文脈では、聖書と同時代史料の記述が一致を見せる一コマとして流れるような説明ができますが、現在のサルゴン2世の記事にパレスチナ方面についてまとまった記述が無い状態なので加筆するとなるとちょっと配置に悩みます。単純には「同じ716年、エジプト国境まで進出してエジプト王シルカンニ(オソルコン4世)から貢納を受け取った。」というような記述を同じ年代の文中に入れるような形になりますが、やや唐突な感じになってしまいます。出典自体は2,3冊つけての記載が可能なのですが・・・。この話題、『考古学から見た古代オリエント史』でもアッシリア史の節では触れられず、エジプト史(あるいはパレスチナ史の文脈と『旧約聖書』と古代オリエントの記述の整合性の確認)の文脈で書かれていて、これ自体をサルゴン2世治世中の重要事件として触れているものは日本語の文献ではざっと確認した感じ見当たらないです。加筆する場合『旧約聖書』との関わりの記述を設けてその中に置く、というのが良いかなと考えましたが、ちょっと時間がかかりそうです。--TEN会話2020年5月25日 (月) 13:51 (UTC)[返信]
      • 返信  Los viajeros 77さん、ご指摘ありがとうございました。英語版のオソルコン4世の記事の該当部分を翻訳して混ぜようかとも思いましたが、TENさんの言うとおり、確かに、唐突感があります。お手数をおかけしますが、TENさんの作業を待ってみようかと思います。--つちくら会話2020年5月25日 (月) 20:00 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年5月27日 (水) 13:39 (UTC)[返信]