Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵) 20191224

アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵) - ノート[編集]

選考終了日時:2020年1月7日 (火) 12:46 (UTC)2020年1月21日 (火) 12:46 (UTC)

  • (自薦)イギリスの庶民院書記官で、現代ではイギリスの憲法の一部ともいわれる『アースキン・メイ:英国議会法実務』の著者です。人物記事として経歴、著作、評価といった内容を大方網羅していると考えますので、推薦いたします。著書に関する記述はこれ以上だと人物記事ではなく著書の記事(アースキン・メイ (書籍))に譲るべきだと考えますし、また著書以外では上級公務員程度の経歴なので、現時点ではサー・ウィリアム・マッケイによる論文以外に伝記があまり見当たらず、これ以上の加筆はあまり望めないと思います(どこか加筆できるところがございましたら是非教えていただければと思います)。--ネイ会話2019年12月24日 (火) 12:46 (UTC)[返信]
  • 賛成 :自薦票。--ネイ会話2019年12月24日 (火) 12:46 (UTC)[返信]
  • 賛成 短めですが、十分な内容になっているものと思います。--Tam0031会話2019年12月26日 (木) 13:51 (UTC)[返信]
  • 反対 辛辣な言葉になって申し訳ありませんが、だいぶ足らないです。人物伝の記事とその人物の著作の記事を別ページに分けること自体は賛成なのですが、著作を理解せずして人物伝を書くのは厳しい。そして残念ながら、著作の理解が浅いと思われる形跡が残っています。出典2番 (著作通称『アースキン・メイ』の2019年出版第25版) を使っている箇所は2つだけです。その箇所とは、著作をアースキン・メイと呼ぶ、そしてアースキン・メイと呼ばれるほど有名な著作である、だけです。きちんと著作の中身を理解している人だったら、このような無駄な出典の使い方はしないはずです。
試しに、Palonen (2012年) の小論文をざっくり読んでみて下さい (このリンクをクリックするとPDFダウンロードが始まるのでご注意を)。メイの一世代前の政治哲学者ジェレミー・ベンサム (功利主義思想、「最大多数の最大幸福」の生みの親として有名) との対比が書かれています。ベンサムもメイも、議会進行に関して論じているものの、メイは「対立する利害をいかに調整し、議事妨害を阻止するか」「いかに議会は紳士的なフェアプレー精神が求められるのか」に重きを置いている、とPalonenは評しています。
そして2019年には改訂第25版が出版され、その前書きが「こちら」から読めます。(21世紀に入ってもBrexitで英国議会は紛糾したように)、議会進行には難しい問題があり、だからこそアースキン・メイが未だに改訂されながらも読み継がれているのだ、との意義が前書きに書いてあります。つまり何が言いたいかというと、メイが生きた時代にはどのような政局にあったのか説明がないので、メイの著作の根底を流れる個人の主義・主張が伝わってこない。そして政治の人物伝を書くにあたり、主義・主張が書かれていないのは致命的です。
さらに。アースキン・メイを執筆した当時は、庶民院図書館の図書館員補佐という貧弱なキャリアしか積んでいなかった。なのになぜ、このような素晴らしい著作を書けたのか。私の理解では、(英国に限らず) 当時の議会図書館というのは、政策立案のための公営政治シンクタンクのような組織であり、議会所属の議員からのリクエストを受けて、さまざまな調べものをしてレポートを提出していたのだと思います。だからこそ、議会進行の問題点を肌で感じられる場にいたのだと推測します。この手の話は、個人の伝記本だけ探しても出てこないでしょう。調査する文献を広げないと、メイの人物伝記事を一定水準に乗せるのは難しいでしょうね。
正直に申し上げると、今の完成度だと、無出典が多いジェレミー・ベンサムの方が、アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵) よりもまだ読んでいて面白いし、人にも薦めたいです。--ProfessorPine会話) 2019年12月26日 (木) 16:17 (UTC) ⇒ 加筆を受け、反対票からコメントに変更。コメントは下記にて。--ProfessorPine会話2020年1月5日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
  • コメント 辛辣な言葉とはいいますが、使える出典を挙げた上での反論でしたので、それに基づく加筆ができて大変ありがたいです(「主義・主張が書いていないので反対票」の一言だけでしたら、印象がだいぶ違っていただろうと思います)。いくつか返信します。
まず、出典2番について申し開きをさせていただきますと、それは書店による紹介であり、本記事はこのコメントの時点ではアースキン・メイの書籍自体を出典としていません(出典20番はアースキン・メイのオンライン版ですが、出典として使っているのはトップページの紹介文で、本文ではありません)。
メイの政治観について。メイは1831年にベッドフォード・スクール出てすぐに図書館員補佐になり(サー・ウィリアム・マッケイによると、このときの就職がなければオックスフォード大学に進学したものだと思われる)、以降は1844年のアースキン・メイ初版まで同職を務めたので、議会規則に関する知見はほぼ確実に庶民院図書館で得たものであろうと思料します。当時の庶民院図書館については、ちょうどマッケイの論文の次に載っている論文が庶民院図書館について述べているので、それに基づいて加筆できそうです。またマッケイの論文ではメイが自由主義寄りと考察していますが、その部分は出典として使用していないのでそれも加筆できると思います。
現時点で「Palonenの小論文」「アースキン・メイ初版のまえがき」「マッケイの論文におけるメイの政治観の考察」「ゲイの論文(庶民院図書館について)」「アトキンスの論文(メイによる庶民院日誌の編集)」から加筆できると思いますが、年末年始に書き上げたい記事がほかにもありますので、選考を2週間延長していただければと思います。--ネイ会話) 2019年12月27日 (金) 04:27 (UTC)誤記修正--ネイ会話2019年12月30日 (月) 16:24 (UTC)[返信]
2週間延長の更新を行いました。あと2点ほど言い忘れてました (笑)。若干ですが、Huttonのブログにも加筆のヒントが書いてあります。つまり英米法大陸法の違いですね。イギリスは細かく成文化する大陸法ではないので、多くの手続法がUnwrittenであり、アースキン・メイもnot so much a ‘procedural bible’な本だと。ちなみにHuttonのブログを掲載しているのはHansard Society英語版なので、出典としても使えると思います。メイの前の時代のベンサムが大陸法的な自然権思想を嫌い、功利主義を提唱したことも、一部は英米法と大陸法の違いと通じると思います。あともう1点は、1832年改革法の内容です。Palonen論文の18ページに書かれている「the 1832 Parliamentary Reform」のことです。議会改革をやった後にアースキン・メイが上梓されているのですから、メイの人物伝でも触れざるを得ないでしょう。結局、議会改革って国の意思決定のあり方、つまり民主主義のあり方を問うものであり、奥深いんですよね。なのでどうしても政治思想史に片足つっこまざるを得ないと思います。--ProfessorPine会話2019年12月27日 (金) 05:39 (UTC)[返信]
  • コメント ほかの記事が予想より早く完成しましたので、いくらか加筆しました。書評を中心とする加筆であり、肝心の主義・主張はまだですが、一応報告まで。--ネイ会話2019年12月30日 (月) 16:24 (UTC)[返信]
  • 賛成 2019/12/30と2020/1/4に加筆された内容を確認し、現時点で良質な記事として賛成します。--Moke会話2020年1月4日 (土) 10:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 改稿済みのものを見ましたが、良質な記事としての基準はクリアしているのではないかと思います(秀逸な記事にするためにはもう少し加筆がいるかもしれません)。いくつか注の場所などを読みやすさのため変更してみました。--さえぼー会話2020年1月5日 (日) 04:26 (UTC)[返信]
  • コメント 読みづらい。アースキン・メイ_(初代ファーンバラ男爵)#初期の経歴で「サラ・メイ(Sarah May)である[6]。(ただし、初代ファーンバラ男爵の日記を編集したサー・ウィリアム・マッケイ(英語版)によると[7]、初代ファーンバラ男爵は初代アースキン男爵トマス・アースキン(英語版)の息子または孫だった可能性がある[8]。) 」となっているのが良くない。「(ただし…)」が前の文にかかるなら「である[6](ただし…)。」とならねばならない。間に[6]が入り込むのが美しくないのであれば、そもそも丸括弧など付けずに「である[6]。ただし…」とすべき。--Mid9t Luv会話2020年1月5日 (日) 08:33 (UTC)[返信]
  • コメント 2017年の文集をようやく(Google Books経由ではなく実物で)読めたので、それに基づいて加筆しました。現状では下記の課題が残っていると思います。
    1. 記事の構成。最初は「生涯」「著作」とで節を分け、続いて官僚としての業務と密接に関連する著作を生涯節に移しましたが、「主義・主張」節を設けることはできませんでした。その理由は何かというと、主義・主張の出典が主にメイ本人の著作と2017年の文集であり、前者は「著作」節に入り、後者はメイの行動と連動する形で記述していることが多いので(特に「庶民院図書館員補佐として」節の3著作はいずれも庶民院委員会への提言に関連)、どうしても「生涯」節に配置せざるを得ません。現状はメイの歴史観が「ジョージ3世の即位以来のイングランド憲政史(1861年)」節に、選挙制度の主張が「陸奥宗光との対談(1884年)」節に、議事規則の主張が各著作の節に散らばっている形になりますが、「主義・主張」節はどう書いたほうがいいでしょうか。それとも現行のままで大丈夫でしょうか。
    2. 『議会の法、特権、手続と慣習』を書いた背景について。2017年の文集からヒントが見つかると思いましたが、「ヴァードンとともに庶民院図書館の業務に関わったことと、すでに出版されていた議事規則本に触れた」という程度の記述なので、1832年の第一次選挙法改正との関連がみられず、逆に「1844年時点の議事規則は(17世紀の)長期議会のそれとは本質的には同じ」とする出典が見つかったほどです。
    3. Palonen論文とHuttonのブログからの加筆がまだ終わっていません(まだ精査していませんが、それほど時間かかるものでもないと思います)。
    以上です。--ネイ会話2020年1月5日 (日) 09:59 (UTC)[返信]
返信 ネイさん、大幅加筆お疲れ様です。私はスローペースな方なので、ネイさんの執筆スピードには驚かされます。この短期間に、よくぞ追加出典を複数あたってここまで加筆できますねぇ。2020年1月5日 (日) 10:28 (UTC) 版をベースに、以下、返信コメント致します。
まず「生涯」節について。人物伝ですから、何をやったか (What)、だけでなく、なぜそれをやったのか (Why) が書かれているかがポイントになってくると思います。Whyの部分は外的要因としては、(1)「庶民院 (イギリス)」の当時置かれていた状況・役割期待と、(2) 庶民院を支える図書館とそのスタッフの役割 (いわゆる日本の官僚的な立法過程への関与) の2点が必要でしょう。本来は内的要因 (動機) も書かれるべきですが、当時の手紙や日記などが残っていなければ内的要因は書けないので、無くても致し方ないかと。そして外的要因の (2) については既に加筆されているので、材料は整っていると思います。ところが1832年の議会改革法 (選挙改革含む) に触れていないので、(1) が弱い。なので、新たに加筆した「庶民院日誌への索引付け」などの意義が伝わりづらくなっているのかもしれません。私の理解では、イギリスは世襲制的な貴族院と、商人出身などで構成されて選挙で議席がコロコロ変わる庶民院では、求められるものが違ったのだと思います。英米法的な先例主義は世襲制であれば文書化していなくても、親から子へ引き継がれていくのですが、庶民院の議員にはやはり文書化されていないと困る。だからこそ、新米庶民院議員でも先例を調べられるように、索引付けの作業が必要だったのではないでしょうか。そして、索引付けの延長線上に、議会運営そのものの手続明文化が必要だったからこそ、『アースキン・メイ』の執筆が求められていたのだと思います。このような庶民院の背景については、生涯節の小節である「初期の経歴」と「庶民院図書館員補佐として」の間に織り込んで書いてしまうのが、文脈的に分かりやすいと思います。「メイが図書館員補佐になった当時の庶民院は...」みたいなつなぎ方で。
続いて「著作」の節ですが、メイが権威とみなしたJohn Hatsellですが、Hatsellの4巻本は1779年から1796年にかけて上梓されており、フランス革命の影響を大きく受けています。つまり、王政や貴族院的なものを否定し、イギリスの庶民院に近い民主主義をフランスの方が先行して取り入れていた時代背景があると思います。そして、ベンサムもメイもHatsellを下敷きにしながらも、一部に違いがあるというのはなかなか面白い点です。これらはPalonen論文でカバーされているので、主義・主張はPalonenを出典にして「著作」節の方に織り込んでしまえばいいかな、という気がしています。そしてフランス型のシビリアンコントロールとの比較に端を発し、イギリスらしさを維持した立憲君主制を論じるがために、後の『イングランド憲政史』や『ヨーロッパ民主史』執筆にもつながったと思われます。
とてつもなく抽象的なコメントになってしまい、参考になったのか混乱をもたらしただけなのか自分でもよく分かりませんが (苦笑)、とりあえずPalonen論文をサクっと読んで頂ければ、ネイさんなら何とかまとめて下さる気がします。--ProfessorPine会話) 2020年1月5日 (日) 14:58 (UTC) -- 反対票から返信コメントに変更し忘れたので訂正。--ProfessorPine会話2020年1月5日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
多分早期通過の条件を満たしたと思いますが、再加筆がまだできていませんので、ProfessorPineさんのコメントへの返信は記事のノートページで行います。--ネイ会話2020年1月7日 (火) 15:26 (UTC)[返信]