Wikipedia:査読依頼/ジェームズ2世 (イングランド王) 20060626

ジェームズ2世 (イングランド王) - ノート[編集]

英語版からの翻訳および参考文献をまじえて、大幅加筆しました。名誉革命で追い出された王です。特に(例によっていつものごとく)一般読者にわかりにくくなっていないかが心配です。もちろん、ピア・レヴューも歓迎いたします。どんなコメントでもよいので、お願いいたします。S kitahashi(Plé)2006年6月25日 (日) 22:46 (UTC)[返信]

些細なことでも、まとまってなくても、なんでもいいです。一般の人にわかりやすくしたいと思っています。よろしくお願いいたします。S kitahashi(Plé)2006年7月8日 (土) 08:05 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
いつもながら興味深く拝読しました。気付いた点をいくつか。
  • まず構成について、歴史的評価および人物像については、生涯の後の方が私はしっくり来ると思いました。冒頭の段落がしっかり書かれているため、大体の人物像を把握するにはそれで十分で、後はじっくりと生涯について読み進めることが可能だと思いましたので(というより、私は上から順に読んでいく途中でよく判らなくなったため断念し、生涯から先に読みました)。なお、この点については好みが分かれると思いますので、「かく有るべき」というほど強い指摘ではありません。
  • 次に血縁関係にある登場人物が多く、人物関係を理解するのに骨が折れた部分がありました(これには下で指摘する文章上の問題に起因する部分も大きいです)。もし可能であれば、記事の下の方にでも簡単な系図(血縁関係と着位がおおざっぱに判るもの)があれば、大いに理解の助けになるのではないかと思いました。実現可能かどうかは別として提案しておきます。
以下はきわめてマイナーなポイントの指摘です。基本的には、どれも最終的には理解に至りましたが、ひっかかった部分として書き留めておきます。
他にもいくつか、推敲の余地がある文章があったように思います。最終的な推敲を済ませれば、そのまま秀逸選考を通過しそうな高いレベルだというのが全体としての感想です。--Y tambe 2006年7月5日 (水) 10:33 (UTC)[返信]
長い項目にもかかわらずコメントくださり、ありがとうございます。さっそくいくつか直してみましたが、いかがでしょうか。読みやすくなっていればいいのですが…。S kitahashi(Plé)2006年7月5日 (水) 11:49 (UTC)[返信]
修正された版、読みました。本文については私は申し分ないと思いました。また右に追加されたボックスですが(英語版と同じものですよね?)、登場人物の関係が把握しやすくなったと思います。ただ、自分で系図を要求しておいて言うのは気が引けますが、却ってごちゃごちゃさせてしまった気もするし……なかなか扱いが難しいものですね。とりあえず現状のままでもいいとは思わなくもないですが、何かこれに代わるいい方法が見つかったら改善を、というあたりで。
それから「歴史的評価」についてですが、現在ここに書かれている内容は「イングランドにおける評価」の変遷だ、という理解であってますでしょうか? 日本における評価についても触れられていますし、「イングランドPOVだ」とまでいうつもりはないですが、フランスやスコットランド、アイルランドなどから見た評価についても文献(もしあれば、ですが)に基づいた記述があれば、比較できると面白そうだな、と思いました(なんか、どんどんと要求が増えてしまってますが、期待の表れということでご容赦を)--Y tambe 2006年7月7日 (金) 11:50 (UTC)[返信]
再びのコメント多謝です。私もテンプレを入れて完成とは思いませんが、なかなかいい案が思いつきませんでした。評価は一次史料にあたれるイングランドが、どうしても中心になって、それを国外の研究者がキャッチアップするという形がほとんどのようです。むろんスコットランド氏族とかの間では違った評価があったでしょうが、記録があまり残されていないし、残されても検討されないもので…。イングランドPOVは、いまだ根強く残っているように感じます。S kitahashi(Plé)2006年7月8日 (土) 08:05 (UTC)[返信]
【感想】 ──専門外の方による感想。
面白く読みました。先代次代でアイルランドだけないのはなにか意図があるのでしょうか。それから、赤リンクが多いのは、これから執筆を期待していいんでしょうか。竹麦魚(ほうぼう) 2006年7月10日 (月) 10:52 (UTC)[返信]
えーと、アイルランドが仲間はずれな件は、他の記事がそうなっているから合わせただけで、立派な理由はありません。あと先代次代テンプレートが下にハミ出してしまうのをおそれたというのもないでもないっていう感じです。赤リンクを埋めようといろいろやってますが、ペースは遅いと思います。さしあたりストラフォード伯あたりから始めるつもりです。ともかく、コメントありがとうございます。S kitahashi(Plé)2006年7月10日 (月) 11:07 (UTC)[返信]
Y tambeさんから人物記事のお手本として例示して頂いて拝読したのですが、イギリス史の素人の私などにも非常に読みやすく、また、カトリック陰謀事件などの関連する記事も読んでみようと思わせるだけの誘因を持った、優れた記事だと思いました(関連する記事の出来も素晴らしいと思いました)。
ただ、素人の強みで一点だけ好き勝手にリクエストさせて頂きますが、日本の研究史について、あとほんの少しだけでも詳しく書いて頂くわけにはいかないでしょうか。イギリス史なら日本人研究者も多いと思いますし、ましてや名誉革命のような大きなテーマに関連する人物だというのに、向こうの研究動向が20年以上もろくに反映されていない、というのは「え?何故?」と思ってしまいます(高校教科書レベルならさもありなんですが)。で、参考文献欄を見ると、最近の文献のなかに唯一1981年の日本語文献があって、少々戸惑います。「...いまだ乏しい」という書き方を踏まえると、あたかも日本では1981年から2000年までが空白であるかのようにも思えてしまうのですが
  1. 挙げられている2冊の間にも、紀要や学術誌になら有益な論文は載ったが、単著として公刊されたものはなかった。
  2. 単著か論文かを問わず、有益なものがなかった。
  3. 特に有益なものを2冊挙げただけで、他意はなく、空白など存在しない。
のいずれなのでしょうか。その辺りが鮮明になるような形で研究史と参考文献欄とがブリッジされていると有り難いかなと少し考えました。重箱の隅をつつくような下らない感想で申し訳ありません。--Sumaru 2006年7月14日 (金) 12:37 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。そのとおりですね。たんに英語版を読めばそれで足りるからというのもあると思いますが、ジェームズじたいに焦点をあてた論文等は見たことがありません(友清理士氏の「イギリス革命史」2004はあまり研究界では市民権を得ていないようです)。ともかく直してみました。S kitahashi(Plé)2006年7月14日 (金) 17:37 (UTC)[返信]
早速の御対応ありがとうございました。簡潔でかつ非常に分かりやすくまとめて下さっているので、すっきりと理解できました。--Sumaru 2006年7月16日 (日) 10:02 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など