Wikipedia:査読依頼/アラ・カチュー 20160810

アラ・カチュー - ノート[編集]

本稿は英語資料を主に作成されたものですが、今までほとんど一人で書いたものであるため、他の方の意見が伺いたいと考えこちらに提出いたしました(提出先が違う、ということがありましたらそちらもご回答頂けると助かります)。資料も正当性が怪しいものも含まれるので、そちらも併せて皆さんの意見を伺いたいと思っております。本当であれば、ロシア語やキルギス語の資料もあればより中立的な資料になるものと思いますが、そこまでの力は現時点の当方にはありません。そちらに詳しい方がいらしたら、ぜひご意見をお寄せください。それ以外にも読みにくい、細分化しすぎなどの意見も伺えれば幸いです。以上、よろしくお願い致します。--遡雨祈胡会話2016年8月10日 (水) 02:42 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
こんにちは。参考文献として挙げられている書籍3冊とウェブサイトいくつかを確認しながら、記事を読み込んでみました。当方がこの主題に明るいわけでもキルギスに詳しいわけでもない人間であることはご留意ください。下記に色々とコメント・質問を書いておりますが、総評として、しっかりと出典をもとにまとめ上げられた良質な記事だと思っております。2016年8月12日 (金) 00:59‎版をもとにコメントします。
  1. 宮田, 2006.をもとに、「地方を中心に、首都ビシュケクでも行われている。これは共和国の崩壊後、反米主義とそこから来る伝統回帰を求めるキルギスの流れの一環として考えられている」と書かれておりますが、pdfの何ページか示すことはできますか? ざっと見たところですが誘拐婚/アラ・カチューの話題がpdf中で発見できませんでした。
  2. 細かいことですが、山根, 2013.をクリックしても参考文献に飛ばないようです。
  3. 「Viceの映像によると」は分かりやすく、「Viceのドキュメンタリーによると」でどうでしょうか。
  4. 「Gazbubu Babayarova」だけだとキルギスに馴染みが無い人(おそらく多くのウィキペディア日本語版読者)にとっては、人名だということすら分からないので、「誘拐婚撲滅を目指すNGO設立者のGazbubu Babayarova」という風に肩書をつけてはどうでしょうか。
  5. 「アラ・カチューによって結婚した女性やその後生まれた子供は、法の保護から外れる」ですが、アラ・カチューだからなぜ法の保護から外れるのか、呑み込めませんでした。リックルトン, 2013に書かれているように「違法行為のため、大半の場合、役所に対して婚姻届が提出されることはない」から法の保護から外れるということを書いた方が理解しやすく誤解も無いないかなと思いました。
  6. 出典の示し方ですが、いくつか文の途中で示す形式にしているのは誤解を生むような気がするのであまりお勧めはしません。例えば「一方で前述のプロセスにも記載がある通り、花嫁の説得には女性の力が必要とされる[43]として、単純な男尊女卑だけではないとする考えをジャーナリストの林は主張している。」という書き方だと、出典[43]は「花嫁の説得には女性の力が必要とされる」だけピンポイントで支持しており、残りの文は無出典のように受け止められます。出典[43]は「~林は主張している」までをカバーしているものなので、句点の前に出典を付ける方がベターと考えます。
  7. 「この風習を正当化する人々の一部は、叙事詩として語り継がれる英雄マナスの時代から存在する風習だと主張するが、叙事詩にその記述は見られない」の出典としているサイト(アーカイブ)には、この記述を支持する内容は見当たらず、埋め込まれていた動画の中にそれに近い内容がありました(動画17:46辺り以降)。{{Cite video}}などを使って、公式ユーチューブ動画を直接出典としてはどうでしょうか。
  8. 「本項ではこの儀礼としてのアラ・カチューは上述の犯罪行為を含んだものとは異なるものとして扱う。この二つを分ける決定的な違いは、誘拐される女性側の合意があるか否かである。」について、無出典でここまで書くのは少々書き過ぎに感じます。「決定的な違いは~~である」という部分はウィキペディアの記事が意見を述べていることになります(WP:OR)。私だったら、そこは除去して「これまで上記ではいわゆる犯罪に当たる誘拐婚に焦点を当ててきたが、一方でアラ・カチューには両者の合意の上での駆け落ちとしての側面も存在する。あらかじめ結婚に同意の上で女性が男性の家に入ったのちに、女性の親への報告がなされる結婚も、誘拐結婚と呼ばれる場合もある[61]。」という風に出典で書ける範囲である程度淡々と書きます。たぶんこれでも元の文で伝えたかったであろうことは十分伝わると思います。http://tocana.jp/2014/11/post_5124_entry_2.html をもとにして、かつて駆け落ちのことをアラ・カチューと呼んでいたことなども補足してもいいかもしれません。
  9. 細かい部分ですが、「需要の関係で外国の旅行者などが誘拐される可能性はないと林は主張している」で初めて「林」が現れるので、ここは「需要の関係で外国の旅行者などが誘拐される可能性はないとジャーナリストの林典子は主張している」という風に肩書付きフルネームで書いた方がいいと思います。
  10. 「林, 2014」が2つあるので(同著者・同出版年)、脚注の書き方を「林, 2014a」と「林, 2014b」に分けた方がいいと思います。
  11. 「マスメディアの偏向報道」という部分ですが、報道自由度ランクと「林, 2014, p 201」だけで、「マスメディアの偏向報道」と銘打つのはどうなんでしょうかね。報道自由度ランクとアラ・カチューの存在を関連づけて論じている出典があるわけではないですよね。「林, 2014, p 201」は偏向報道の一例といえなくもないですが、このインタビューの一言だけでマスメディアの偏向報道という節を作るのは抵抗があります。
  12. 写真が足りないのは補う意味でも、外部リンク節に http://daysjapan.net/taishou/2013/third01.html のサイトを入れて良いと思います。フォトジャーナリズム賞を受賞しているものでWP:EL的にも問題ない水準だと思います。
以上です。--Yapparina会話2016年8月17日 (水) 15:47 (UTC)[返信]
ご回答をありがとうございます。項番2-12は仰る通りに修正しようかと思いますが、肩書について述べるものと出典の修正以外は他の方のご意見も伺ってから修正したいと思いますので、大変申し訳ございませんが今しばらくお待ちください。項番1については、仰る通りに該当する内容は見られませんでした。これは当方のミスですので、キルギスではソ連の崩壊後、反米主義とそこから来る伝統回帰を求める動きが活発になっている(宮田, 2006年, pp. 47-48.)。という内容の方が適切だと思いますので、こちらに修正しようかと思います。--遡雨祈胡会話2016年8月18日 (木) 00:03 (UTC)[返信]
前回コメントでは依頼動機の重要な点に十分答えてないような気がしましたので、それらについても少し追加コメントさせていただきます。これらは前回時にも少し感じていたことでもあり、頭に引っかかっていた点です。強い確信を持つわけではないですが参考になれば幸いです。
  • 記事導入部で、アラ・カチューとは「男性が求婚する女性を誘拐し、処女を喪失させる、もしくは女性が処女を喪失したと周囲に認識させることで、事実婚としてしまうものである。」と断定、定義づけてしまうことは、どうなんだろうか?いいのか?と正直思いました。これがアラ・カチューの定義のように書くには、そういう風にはっきり断定している信頼性の高い情報源や権威を持つ人物による言明の出典が、できれば独立した複数の出典が、求められるレベルだと考えます。「処女を喪失させる、もしくは女性が処女を喪失したと周囲に認識させることで、事実婚としてしまう」事例があることと、あるいはそのような事例が多いことと、それがアラ・カチューの意味・定義であることは注意して分ける必要があると思います。
  • アラ・カチューの人権侵害的な側面やそれらへの批判がこの記事の主を占めることは、「主な意見や報道を主として書く」という中立な観点(WP:WEIGHT)に沿って正しいと思うのですが、導入部がそれだけで終わってしまっていいのか?とも思いました。1,2行程度でもいいので合意の程度が高いアラ・カチューというものもある点に触れるのがフェアなような気がしています。これがベストなのかわかりませんが英語版では、 http://faculty.philau.edu/kleinbachr/2004_study.htm を出典にしつつ、冒頭で "The term can apply to a variety of actions, ranging from a consensual elopement to a non-consensual kidnapping,[2] and to what extent it actually happens is controversial." と記しています。少々長くなったとしても、はっきりしない説明になったとしても、導入部でもう少し多面性に触れる必要があるように感じました。
  • 脚注で結びつけて使用されてないですが、参考資料として挙げられている http://www.marriage-intheworld.info/world/centralasia/kyrgyzstan/WP:RS的にアウトじゃないかなと思いました。ウェブサイト内を調べてもサイト作成者の名義すら見つかりません。
コメントの反映を急いでする義務など課せられませんので、遡雨祈胡さんの自由なペースでゆっくりやってください。納得できない部分があれば反論を寄せていただいても結構です。コメント反映をしなくてもいいです(何も気にしません)。--Yapparina会話2016年10月4日 (火) 13:51 (UTC)[返信]
度々の返答を有難う御座います。もう少し待とうとも思いましたが、残念ながらこれ以上返答が来ることはまずないと思います。ただ、自分で書いておきながら元の量が多すぎて、どこから手を付けたものか、と思っている節もあります。本当に遅くなるとは思いますが、もし宜しければまた時間を空けて読んで頂いて、ご意見などをうかがえると幸いです(個人的には自分の書いた内容に対して批判やコメントが寄せられるのは、光栄に思っております)。この度の指摘は本当に有難う御座いました。自分で読んでいると、読んだ内容でなんとなく補完してしまっていたので、大変助かりました。特に意見か定義か、のところは自分でも頭を抱えていたので、ここに関してはクラインバック氏の論文などに頼ろうと思います。本当に有難う御座いました。--遡雨祈胡会話2016年10月4日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
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