Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/「美智子 (皇室)」の改名提案について

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美智子 (皇室)」を「美智子」に改名することを提案します。本件記事を括弧つきの記事名にしておく意味は何もありません。曖昧さ回避の必要性は絶無です。

すでにリダイレクトページ「美智子」が存在しますので、移動依頼に出して管理者にページ名の交換を申請することになるかと思います。交換が済んだら、順次、新しい「美智子」へのリンクの修正・付け替えを行い、それが完了したら、新たにリダイレクトページとなった「美智子 (皇室)」については無意味なリダイレクトページとして削除依頼に出す、という手順になるかと思います。いかがでしょうか。--呆庵入道 2008年4月4日 (金) 16:00 (UTC)[返信]

論点整理[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/呆庵入道にて論点整理の要望がありましたので、論点を整理します。以下の意見が対立しています。

  • 正式名称が「美智子」だけであるのは現在の皇后が唯一であるから、記事名は「美智子」であるべき。
  • 「美智子」は一般に女子の名であるので、「皇后美智子」「美智子皇后」「皇后 (美智子)」「美智子 (皇后)」などの記事名としてWikipedia:記事名の付け方が最重視する「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を満足すべき。

正式名称が「美智子」であるかどうかには留保がついていますが、後者の論点では正式名称であるかどうかの判断は必要ないと考えられています。--Jms 2008年6月7日 (土) 03:01 (UTC)[返信]

  • (確認)上の論点のまとめに齟齬がないことを確認しました。なお、問題点については、前者は後者の視点から明らかですが、後者については「美智子」のページの扱い(作成方法、実際に誰が作れるのか)に問題が集中している状態ですね?(「皇后美智子」「美智子皇后」「皇后 (美智子)」「美智子 (皇后)」のどれにするかについては、妥協が図れそうですね。--PRUSAKYN 2008年6月7日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
確認ありがとうございます。現状については (発言の含意に関する無自覚から?) 認識が共有されていない可能性があるので、意図的に言及を避けました。--Jms 2008年6月7日 (土) 06:41 (UTC)[返信]
了解です。では、私の現状の確認についての言及はいちおう線で消しておきます(これなら見たければ見えるし)。よって、現状の問題点の確認は各自議論を見てご判断下さい。--PRUSAKYN 2008年6月7日 (土) 06:51 (UTC)[返信]
「現在の皇后が唯一」についても異議が出されています。論点整理ですので細かい中身は必要ないとは思いますが、このことが議論の流れを大きく変えたと認識しています。この点についての言及は必要ないでしょうか?--あるふぁるふぁ 2008年6月7日 (土) 06:59 (UTC)[返信]
美智子女王がどう影響するかは正式名称論と関連するややテクニカルな部分を含む一方、唯一性に関しては後者の一般性によって包摂し得ると考えてあえて言及を避けました。論点整理が目的ですので、網羅的であるよりは明解であることと、異論が発生しない事を優先した記述にしてあります。--Jms 2008年6月7日 (土) 07:18 (UTC)[返信]
了解です。--あるふぁるふぁ 2008年6月7日 (土) 07:26 (UTC)[返信]

本論[編集]

絶対反対) - 寧ろ「美智子」の方を曖昧さ回避ページにするべきであって、皇后陛下のみのページに「美智子」を宛てることは完全に日本の皇室POVに該当します。「美智子」ページを曖昧さ回避にする作業にこれから入ります。--Kliment A.K. 2008年4月4日 (金) 19:47 (UTC)[返信]
美智子」曖昧さ回避ページ作成作業、完了しました。--Kliment A.K. 2008年4月4日 (金) 20:29 (UTC)[返信]

「日本の皇室POV」というのはなんですか?Wikipediaにそのようなルールがあるのですか?「美智子」がフルネームであって、Wikipediaの記事とされるにふさわしいだけの特筆性のある人物がほかにひとりでもいるなら、曖昧さ回避ページは必要でしょうが、そうでなければ曖昧さ回避ページはまったく必要ありません。なお、くだんの曖昧さ回避ページはリバートしておきました。議論を妨害するためだけにつくられた、嫌がらせ目的の、ためにする行為であるのが明白ですから。今後同じことが繰り返されるようなら保護依頼に出します。あのような記述は「美智子というファーストネームを持つ日本人の一覧」といった記事名で新しいページをつくるべきです。--呆庵入道 2008年4月5日 (土) 07:15 (UTC)[返信]

>嫌がらせ目的の、ためにする行為であるのが明白ですから。
冗談ではありません。貴方の行為は中傷と荒らしでしかありません。
>Wikipediaにそのようなルールがあるのですか?
NPOVはウィキペディアの原則です。--Kliment A.K. 2008年4月5日 (土) 07:36 (UTC)[返信]

(賛成)賛成します。理由は単純、「美智子」という著名人が他にいないからです(もしいるのであれば教えて下さい)。皇后美智子と同程度の著名な人物が出現したときに曖昧さ回避の ( ) 付の必要性が出てくるし、その時にでも ( ) あるなしにこだわる方がいらっしゃったらその時こそNPOVに抵触すると判断していいでしょう。現状ではNPOVはあまり関係ないと思います。-- 2008年4月5日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

同程度といわれて思い付くのは樺美智子位で、もちろん姓があります。ただ、en:Empress Michikoなどからすると「美智子」単独というのは奇異な気もします。わかりやすさという点では次節であら金さんが挙げて取り下げた美智子皇后でしょうが、これだと別の意味に誤解されるという主張もあろうかと思います。皇室関連記事では「皇后美智子」「皇后節子」といった表記も登場するので、「皇后美智子」は考慮する価値はあるでしょう。単体の「美智子」が「正式名称」なのかというと、宮内庁サイトの皇室構成図では「皇后陛下 (美智子)」なので、「皇后 (美智子)」というのもアリかもしれませんが…。--Jms 2008年4月5日 (土) 09:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)現状ではNPOVはあまり関係ないと思います。というのは冷静な判断だと思います。ただ、皇后美智子と同程度の著名な人物というのは、一般人より皇室の人間の方がメジャーであるというPOV(一般人より皇室の人間の方がメジャーであると断定してよいという規則はウィキペディア上には存在しません)、著名度の判断というのが(よく言う「すぐに古くなる」)「現在」というターム抜きには考えられないということから、妥当であるとは思えません。
    問題は、「美智子」という著名人がいるかではありません。問題は、「美智子」という非常に一般的な日本語の人名と、「美智子」という一皇后とどちらが重要ですか、どちらが優先されるのですか、という点です。「美智子」という皇后がいて初めて「美智子」という名前が存在するようになったわけではないのですから、「本家」である「美智子」という名前の方を優先するのが筋でしょう。ただ、技術的な判断で、「美智子」という皇后の方をウィキペディアでは優先してもよい可能性は否定しません。Jmsさんの仰る「皇后美智子」はとてもよい妥協点である気がしますが、他のページとの兼ね合いを考えるとちょっとたいへんそうですね。
    呆庵入道さんのKliment A.K.さんへの批判は中傷に当たると思いますが、ただ、Kliment A.K.さんもちょっと性急に編集しすぎた感はあります。少なくとも、議論中に議論の的となっているページを改変すべきではなかったと思いますよ。 --PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月5日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
一般的な日本語の人名である「美智子」が記事として成立するのならそのお考えもあると思います。しかしながら、Wikipedia:曖昧さ回避#名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せないにもあるように、曖昧さ回避や単なるリストでは難しいのではないでしょうか?-- 2008年4月7日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
(コメント)「美智子」というフルネームを持った人は、日本にはほかにただのひとりもいませんから、著名度云々の問題ではないと思います。
記事名を「皇后美智子」とすると、ほかのすべての皇后の記事を「皇后某子」に改名しないとつじつまがあわなくなるのではないでしょうか。それは実際問題としては無理でしょう。なぜ皇后だけが肩書きを付されて、関白や征夷大将軍や内閣総理大臣には肩書きが付されないのだ、という問題にもなりかねませんし。
正式な名前はどれか、という点については、皇后陛下が著書に署名される際には、ただ「美智子」とだけ署名されますので、やはり「美智子」が正式な名前だと考えます。--呆庵入道 2008年4月7日 (月) 12:00 (UTC)[返信]
(コメント)基本的には呆庵入道さんのお考えに同意しておりますが、「著名度云々の問題」についてだけ。確かにフルネームで「美智子」はただ一人でしょう。しかしながら「美智子」というペンネームや芸名で活動なされる方が出現し、Wikipediaに掲載される程度の著名性を持つ可能性は否定できません。よって著名性(度)についても(将来的には)問題になり得ると思います。-- 2008年4月7日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
(コメント) 記事名を「皇后美智子」とするとほかのすべての皇后の記事を「皇后某子」に改名しないとつじつまがあわなくなる、というのはむしろ逆で、美智子皇后とすると諡号#后・妃の諡号とまぎらわしいので不適切でしょう。なぜ皇后だけが、というのは、他の場合はつけなくとも問題がないからと答えられると思います。WP:NC上は「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」が正式名称を用いることに優先するので、「皇后美智子」には一考の余地はあるでしょう。なおWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/宮号の削正について#「美智子 (皇室)」の移動についても参照。--Jms 2008年4月7日 (月) 15:03 (UTC)[返信]
一般的な日本語の人名である「美智子」が記事として成立するのならさんコメント)申し訳ございません。間違えてしまいました。正しくはさんのコメントです。訂正し、失礼の段お詫び申し上げます。
その前提で話しています。ただ、「成立」の垣根は低くしてあります。つまり、他の人名ページもそれほど大した優れたページとは言えないかもしれませんが、現にそれが「成立」していると認められて存続している以上、それと比較して「美智子」が特に「成立」度が低くなることはないだろうと思います。
曖昧さ回避のためには、美智子 (曖昧さ回避)を利用すれば良いだけです。桜の国さんコメント)
「曖昧さ回避が不要だから美智子_(皇室)美智子にすべき」の提案に賛成で、「曖昧さ回避のために曖昧さ回避のページ美智子_(曖昧さ回避)を作る」んですか? 曖昧さ回避が必要なのか不要なのか、論に一貫性がありません。呆庵入道さんの仰るとおり、Wikipedia:曖昧さ回避#名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せないにもあるように、曖昧さ回避や単なるリストは作成の正当性がありません。先日書いたことの繰り返しになりますが、必要なのは人名ページと皇后のページであり、美智子_(曖昧さ回避)なるページが作成される必要はありません。
美智子は人名ページとし、皇后美智子を皇后のページとするのが最も論理的です。妥協点としては美智子を皇后のページ、美智子_(人名)を人名ページとすることも選択肢としてはありえるかもしれませんが、私は美智子が皇后のページとなっていることが、本当に「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」になっているのか大いに疑問です(「美智子」は人名であり、それが皇后の名前であるというのはその上での話でしょう?)。これも繰り返しですが、「現在」という表現でしかその著名性を説明できない現代の一人物を、より広範的な人名に優先させる例はウィキペディア各国語版では(多分日本語版でも)あまりありません。個人名が人名に優先されているのは、それこそキリスト教の聖人くらいですね(これは聖人の名から後世の人名が作られていることが多いため)。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月8日 (火) 18:14 (UTC)[返信]
(コメント)お疲れ様です。改めて自分の意見をまとめます。上にも書きましたが、私はWikipediaに他の美智子がないから曖昧さ回避の()は不要という立場です。ですので、皇后の美智子以外の美智子という記事が成立するのならば、曖昧さ回避の必要性がでるので、その場合は賛否を撤回します。
さて、では他の美智子という記事とは何かを考えると、単なる人名のリストはWikipedia:曖昧さ回避#名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せないに抵触するため、この部分の改訂が先に必要であると思います。Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避#「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」の根拠は何か?などでも議論がなされているので、あちらでの議論を再開することが必要ではないかと思います。個人的には、Wikipedia:曖昧さ回避#名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せないは必要事項ですが、人名については例外にすべきだと考えております。世の中には人名事典というものがあるのですから。
もちろん、他のアイディアで美智子という記事が成り立てばいいのです。PRUSAKYN (ПРУСАКИН)さんがおっしゃっている「人名ページ」というのは具体的にどのようなアイディアでしょうか?
また、皇后をつける等の別のアイディアで合意がなされるのであれば、それでもかまいません。私はあくまでもWP:DABの観点から、美智子を検索したら美智子 (皇室)にリダイレクトされる状況が解消されればいいのです。-- 2008年4月9日 (水) 07:10 (UTC)[返信]
さんのお考え、理解いたしました。確かに、不必要に美智子を検索したら美智子 (皇室)にリダイレクトされる現状は解消したいですね。
「人名ページ」というのは、具体的にはCategory:ヨーロッパの人名に含まれるようなページを想定しています。このカテゴリーで認められているような程度のページであれば、「美智子」という人名ページも作成できるのではないかと思います。ただ、もちろん名前によりますが、大抵の人名ページは小さくスタブ的になりがちであるという点は否めません。私はこれまでその程度の人名ページでも作成され存在が許容されてきたことを根拠とし、また複数の著名な「○○美智子」が存在することも根拠とし「美智子」についてもこれに限って作るべきではないということはないだろうと思うのですが、議論の余地はあるかもしれません。
このカテゴリーに含まれる「人名ページ」もその是非について今まで厳密に議論されたことはなかったのではないかと思われます。もしかしたら、こうした人名ページはそれほど必要がないのかもしれません。私としては存在価値はあると思っていること(絶対的な「存在必要性」があるかはわかりませんが、「存在価値」はあるでしょう)、現に無数の「人名ページ」が存在を許されてきたことから、「美智子」を含め有名な人名であればページを作成して構わないと思うのですが、その内にすべての人名ページを対象に一括して作成基準を制定すべき時期が来るかもしれません。(極端な話、例えばヨーロッパと違い無限大にある日本人の名前を全部網羅するというような作業は、ウィキペディアでは推奨されないわけですから。日本人の名前を全部網羅しようとする人が出てきたときには、何らかの規制ガイドラインが策定されるようになるでしょう。)--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月9日 (水) 14:24 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。Category:ヨーロッパの人名を拝見しました(全部は見れてないのでランダムに10記事程度ですが)。単なるリストではなく、その人物の簡単な説明を記述するということでよろしいでしょうか?確かにリバートされる前の美智子のように職業だけを書くよりもいいと思います。
私もPRUSAKYN (ПРУСАКИН)さんと同様、曖昧さ回避という観点ではなく、人物のリスト記事としてであれば存在価値はあると考えております。しかしどうしてもこことの兼ね合いが生じてくるので、最初の議論の場所はあちらではないかと考えております。僕も過去の経緯を見るために、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避を読んでいるのですが、かなり込み入った議論がなされており、個人的に時間がないこともあり進んでいないことが現状です。ただ、Kliment A.K.さんがあちらで問題提起をしていだたいているし、この件についてはあちらにシフトしていく方がいいかもしれません。-- 2008年4月10日 (木) 09:32 (UTC)[返信]
(追記)ひょっとしたら、Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインの範疇かもしれない。どちらが適切なのでしょうか?-- 2008年4月10日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

私もPRUSAKYN (ПРУСАКИН) さんご紹介の記事をいくつか読んでみました。これは私のウィキペディアンとしての経験が足りないせいなのか、ガイドラインの読み込みが浅いのか、どうも“リスト”“一覧”を志向した記事は、百科事典的というよりは字引的に思えて仕方がないのですが…。もちろん、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかが「ウィキペディアは用語のリストも含んでいます。」と明言し一覧系記事を積極的に容認していることは承知しております。Category:ヨーロッパの人名に属する多数の記事の存在やその価値を否認するつもりもありません。ご安心ください。ただ、PRUSAKYN (ПРУСАКИН) さんもすでにご指摘ですが、日本語が有している人名の語彙と、欧州諸国語が有している人名の語彙とは、量的に比較になりません。ほとんど質的な差異と言ってもいいレベルの違いです。単純に欧州諸国語版に倣うことがよいことなのかどうか。このように考えること自体がすでに“日本語版POV”などという新奇な造語を使って非難の対象になることなのかもしれませんが、ガイドラインが先にあって、それを満たすためにわざわざ記事がつくられる、というのがほんとうによいことなのかどうか。

いまのところ皇后陛下以外にフルネーム「美智子」の人物が存在しないのに、死後に備えて、あるいは「人名ページ」に関する一定のガイドラインの形成を待って、ガイドラインWikipedia:曖昧さ回避の一部改訂を待って、というような、かなり遠い将来のために、わざわざ「美智子」を空けておくというのも不自然なことに思えます。現に在位している天皇と皇后の名前は、いずれにせよ本人の死後は必ず記事を改名しなければならないわけですから、曖昧さ回避のための「美智子」がいまどうしても必要だ、という具体的で切迫した事情があるのでなければ、将来のかすけき可能性のために、別にWikipedia:五本の柱を明白に侵しているというわけでもない現在の編集行為が制約されるというのはいまひとつ腑に落ちません。少なくとも、その存在について賛否両論があることをガイドライン自身が率直に認めている一覧系記事「美智子」を維持するために、そうでない普通の記事「美智子」の存在が否定され排除される、というのは、話がさかさまに思えます。

私としては、現状の「美智子 (皇室)」がメインの記事になっていて「美智子」がリダイレクトページになっている、という状況はどう考えても異常で、解消されなければならないと考え、「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」という明文規定に忠実に、かつWikipedia:ウィキペディアは字引ではないも参考にしながらふるまっただけなので、このような大騒ぎになって非常に困惑しております。うまい解決策が見つかるとよいのですが…。--呆庵入道 2008年4月10日 (木) 13:32 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避#「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」の根拠は何か?にも日本語と欧米諸国語の違いを指摘している方がいらっしゃいました。また、当然別の場所での議論すべきと合意に達すれば、一旦暫定措置として改名する判断はあるかと思います。わざわざ別の場所の議論を待つ必要はないですから。
しかし、一般的な美智子に関する記事については、議論が始まったばかりですので、もう少し知恵を振り絞る時間はあってもいいかな思います。たとえば、呆庵入道さんからご提示いただいた太郎みたいに書けないかとか。ちょっと週末に図書館にいって人名事典や名前の由来に関する書籍がないかみてきます。
一方、よくわからなくなってきたことがありまして、Category:日本人の姓Category:日本人の名前があり、こちらを精査してみました。たとえばあすか、これってあきらかにWikipedia:曖昧さ回避に反していますよね。こういうのが許されている現状をどう考えればいいのか、またどう手を入れていいものか...悩みます。-- 2008年4月10日 (木) 14:31 (UTC)[返信]
“リスト”“一覧”を志向した記事は、百科事典的というよりは字引的に思えて仕方がないのですが…。私も同感です(私も経験が足りないかもしれませんが)。人名ページの構成は、太郎は人名ページとしては最善の部類に入ると思います。
私は人名ページを一覧とは捉えておらず、私が作った限りはあまり真面目に一覧部分を作成していません(単純に面倒だしあまり意義を見出せないから)。尤も、その人名に由来する人名以外の事物は「この名前はこのような分野において使われている」という意味合いと単体で重なる名称については単純な曖昧さ回避のためで羅列していますが(例:規模は小さくてあまりイメージがわかないかもしれませんが、スヴェトラーナポーランド語版を参考にしたのか少し内容が薄いですが、ru:Светланаを使えば拡張可能。なお、上の基準からすると「スヴェトラーナ・ジュガシヴィリ」が浮きますが、これは私が記載したんじゃありません。追加されて消そうかと思いましたが、消すこともないかと思いそのままというわけです)。従って、もしたんなる一覧にしかならないのであれば私もそれほど存在価値は見出せません。Kliment A.K.さん、美智子についてもう少し書けませんか? 書けるのではないかと思うのですが……。
日本語の名前とヨーロッパ系の名前との兼ね合いですが、いずれにも共通していえることだと思いますが、「名前として著名な名前は作成可」と考えるべきだと思います。結果として、ヨーロッパ系の名前は数が限られる分「著名」率=作成される率が高くなるということです。つまり、現象としてヨーロッパ系の名前であったらウィキペディアンが全員自分の恋人の名前のページを作っても大抵著名度に問題のない名前のページが作成されることになるでしょうが、日本人の恋人の名前を作ったら「はずれ」になる危険性が高い、という結果論的な問題です(ヨーロッパ系でもあまりにマイナーで特殊な名前は没になる可能性があるということになります)。美智子はメジャーだからOK、と思ったのですが……。
結論としては、皇后のページについては私は「皇后美智子」が最善の打開策ではないかと思います。ちょっと意味するところは違うかもしれませんが、「○○皇后」とか「○○内親王」というページは普通ですから、「皇后美智子」に限っておかしい・不自然ということはないと思います。人名ページについては作成・成立可能であれば「美智子」で人名ページを作成し、不可能であれば「皇后美智子」へのリダイレクトとしましょう。リダイレクトというワンクッションを置くだけでも、一般的な人名を検索したらある特定の個人のページに直結してしまったという違和感は和らぐと思います。
なお、ご参考までに雅子徳仁親王妃雅子--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月12日 (土) 10:08 (UTC)[返信]
「皇后美智子」でどうしても困る理由というのはあるのでしょうか。「美智子 (皇室)」には必要性のない曖昧さ回避という観点からウィキペディア上の問題がある一方、「美智子」というのも一般的なわかりやすさという意味では問題があり (ここで正式名称論争に入るとそれはそれで茨の道)、「美智子皇后」では諡号とまぎらわしいのですから、結局「皇后美智子」だと思うのですが。まぁ、正田美智子という手もありますけれど。--Jms 2008年4月12日 (土) 10:47 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避をつらつらと読んでいくと、曖昧さ回避というのが非常に深遠なテーマだというのがよくわかりました。私は地雷を踏んでしまったようですね。しかし、多くの問題提起が、確たる結論や成果を得ないまま、議論が立ち消えになって終わっているところを見ると、多くのウィキペディアンがこの難題を持て余しているということも強く感じました。

「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」の根拠は何か?は、あちらのノートでの議論の中では、反面教師として参考にすべき事例だと思いました。あれは「英語版POV」をむりやり日本語版Wikipediaに直輸入しようとして失敗した事例です。今後、同じことを蒸し返そうとしてもきっと失敗するでしょう。前車の覆轍を踏んではならないと強く思います。「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」の規定は緩和すべきではありません。むしろさらに強化するべきです。

「美智子」を、リストの記事、一覧系記事として作成するのであれば、当然「道子」の記事も必要です。「未知子」の記事も必要です。「路子」の記事も必要です。「三千子」の記事も必要です。「倫子」の記事も必要です。「通子」の記事も必要です。「迪子」の記事も必要です。ばかげています。原理主義というべきです。そうでなければ「英語版POV」の猿真似というべきです。英語版で常識となっていることは日本語版でも同様に行われるべきだ、それがNPOVというものだ、頭が高い、控えおろう、というのは明らかに何かが違うと思います。これがたとえば、

というのであれば、まだしも現実的だと思います。第一、メインページの検索窓に「美智子」と入力して「検索」ボタンをワンクリックすれば済む話でしょう。英語版であれば「Mary」や「George」を検索すればものすごい件数がヒットして収拾のつかないことになりますが、日本語版で「美智子」や「正之」を検索した場合は、ヒット件数は充分に実用に耐える範囲内だと思います。

Category:日本人の姓Category:日本人の名前を見てみましたが、むしろ意を強くしました。どの記事もひどいものです。あれは「許されている」というのではないですよ。「放置されている」「無視されている」というべきです。わざわざ削除依頼に出す労をとってくれる人さえいない見捨てられた記事です。それに、あれは完全に「字引」的な記事です。Wikipediaに置かずにWiktionaryにまわすべきでしょう。

「○○親王」という記事名は、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族での長い議論を踏まえたものなので、簡単に皇后にも適用可能であるとは私は思いません。すでにある「○○皇后」という記事名は、基本的には「諡+皇后」という構成になっていて「実名+皇后」という構成の記事名はないはずです。皇后と親王は異質なものです。皇后陛下は著書に「美智子」と署名しますが、皇太子殿下は著書に「徳仁親王」と署名します。

「皇后美智子」でどうしても困る理由はあるのか、というのは子どもの喧嘩の論理です。あえて「美智子」を排除する論理としては不充分だと思います。--呆庵入道 2008年4月13日 (日) 03:07 (UTC)[返信]

「皇后美智子」でどうしても困る理由があれば、当然「皇后美智子」は妥協案としては不適切なのでたずねたのですが、それを子供の喧嘩の論理ととらえられると困惑します。署名が美智子だというのは皇后を自称しないからではないでしょうか。宮内庁サイトは、以前書いた様に「皇后陛下 (美智子)」を皇室構成図で用いていますので、検証可能性からすれば (陛下はさておき) この組合せもアリでしょう、ウィキペディア的に適切かどうかは別として。--Jms 2008年4月13日 (日) 04:08 (UTC)[返信]
私が何度も書いていることを読んでから仰っているのか不思議を感じるのですが、「道子」「未知子」「三千子」等々という名前がページを作成するに値するほど重要度の高い、一般的・普遍的な、メジャーな名前なのでしょうか? その点についての検証をすっ飛ばしていきなり「美智子」と比較されても困惑するのみです。もし「道子」「未知子」「三千子」等々という名前がページを作成するに値するほど重要度の高い、一般的・普遍的な、メジャーな名前なのであればページを作ればよいでしょう。でなければ、作らなければよいでしょう。「美智子」の話とは、たまたま発音が同じという以外に何の関係あるのか、まったく理解できません。
それからですね、私も何もわかってないでコメントしているわけではないんですよ? すでにある「○○皇后」という記事名は、基本的には「諡+皇后」という構成になっていて「実名+皇后」という構成の記事名はないはずです。皇后と親王は異質なものです。という点を踏まえた上で私は意味するところは違うかもしれませんが、「○○皇后」とか「○○内親王」というページは普通ですから、「皇后美智子」に限っておかしい・不自然ということはないでしょうと述べています。私は、個人名(に類するもの)と称号(に類するもの)を組み合わせてページ名とする前例があるという点において「皇后美智子」にも特に問題を感じないのですが、そこを問題と言われればまあ、意見の相違としかコメントできませんね(違和感があるという意見は間違っていないと思いますが、私は違和感なし、ということです)。少なくとも、利用者にとって「皇后美智子」でそれほど不都合があるとは思えません。
「皇后美智子」でどうしても困る理由はあるのか、というのは子どもの喧嘩の論理です。だなんて、私も昔はよく掴みあいのけんかをしましたが、しかしこの言い掛かりは突飛過ぎてコメントできません。というのも、あえて「美智子」を排除する論理としては不充分だと思います。とのことですが、誰も「美智子」を排除する論理として「皇后美智子」を用いていないからです。「美智子」を排除する(私は「排除」とは思っていないのですが、強いて言えば「なるべく避けられたら避ける」)のは、一般的・普遍的な、メジャーな人名「美智子」を検索したら特定の個人に繋がるというのはおかしいからです。「美智子」を避ける理由は上で何度も説明していますので、妥協案「皇后美智子」の話と混同することなきようもう一度ご確認下さい。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月13日 (日) 05:29 (UTC)[返信]

(インデント戻します)いくつか図書館などを回ってみたのですが適切な書籍がなく(姓名判断とかしかありませんでした)、なかなか「美智子」を太郎のようにするのは難しいようです。お役に立てなくて申し訳ありません。現時点で、美智子を立項しようとするにはWikipedia:曖昧さ回避との兼ね合いを解消する事が先であり、もう少し理論を組み立ててからあちらで提案してみようかと思います。さて、「皇后美智子」については、私は以前から申し上げているように合意が成り立つのならそちらへの改名は問題ないという立場です。無用な()付曖昧さ回避の除去にもなり、日本国において皇后がつく人物は1名だけであることから、一理あるアイディアであると思います。ただし、こちらでの議論の結果をもってWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族に、皇后(あるいは三后)の記事名の扱いについて、提案及び反映は当然のことながらすべきです。またおたずねしたいのですが、改名後でも美智子は皇后美智子のリダイレクトとなるということでよろしいのでしょうか?個人的にはそうなるのかなと考えております。-- 2008年4月13日 (日) 08:03 (UTC)[返信]

私も太郎が理想だと思いますが、美智子がそこまでの記事になるとは思いませんし、太郎ほどすばらしくなくてもページとしては成り立つと思います。ただ、以前作成された状態よりはいくらか加筆できるのではないかと期待しています(自分で書けと言われそうですが)。私の意見としては、Category:日本人の名前に含まれるあまりまともな状態とは言えない項目程度にしかならないのであれば作成せず皇后美智子へのリダイレクトとする、もっとまともな、曖昧さ回避以上のページであるとみなせるだけの最低限の情報を含んでいるページにできるのなら作成すべき、ということになります。
ヨーロッパの人名との違いですが、ヨーロッパの人名には大抵いわれがあったり、名の日があったり、それにまつわる事物があったり、なんやかやと書くことができる場合が多いです。その点、個人による創作性が高い日本人の名前には、百科事典で取り上げるには難のある、なんとも説明し難い名前が多いことが実情です。この辺を考えずにページを作成乱立させた結果、Category:日本人の名前はちょっと困った状態になっているのでしょう。私は美智子は少しはまともなページになるのではないかと思ったのですが、無理なら皇后美智子へのリダイレクトで構いません。
Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族への報告・提案は確かに必要ですね。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月13日 (日) 14:44 (UTC)[返信]
まず「子どもの喧嘩」云々の暴言を吐いたことについてお詫びいたします。申し訳ありませんでした。直接罵言を浴びせてしまったJmsさんに働いた無礼をお詫びするのはもちろん、議論に参加されているみなさん、ノートを呼んでいるみなさんにも不愉快な思いをさせてしまいました。申し訳ありませんでした。すっかり頭に血が昇っていて、ただもうどうかしていたとしか言いようがありません。お詫びのことばもありません。もし赦していただけるなら幸いです。
また、暴言によって私の名誉が失墜するのは当然ですが、その巻き添えを喰って、私の「美智子」への改名提案までも葬り去られることにならなかったことに安堵しております。みなさんの寛容に感謝します。
さて、本題ですが、私にとっていちばんわからないのは、たとえば「美智子」が“ページを作成するに値するほど重要度の高い、一般的・普遍的な、メジャーな名前”であって、一方「道子」「未知子」「三千子」などはその条件にはあてはまらない、となぜ判断できるのか、あるいは、どうやって判断するのか、という点です。いずれもごく一般的に日本人の女性のファーストネームとして使われるものです。それぞれの優劣をどうやってつけるのか、またPRUSAKYN(ПРУСАКИН)さんはどうやってつけていらっしゃるのか、そこがわかりません。どの名前がメジャーでどの名前がメジャーでないか、というのは、それこそ意見の相違、というよりもむしろ感覚の相違であって、それこそ十人十色、客観的に説明することの難しいものです。「美智子」に限っての特例あるいは妥協案というのも、なぜ「美智子」に限ってなのかの説明が困難です。「美智子」がフルネームである以上、フルネームではないほかの「美智子」よりも優越するのは避けられないことだと思います。なお、私には「皇后美智子」は非常に不自然で違和感を覚える記事名です。もちろんこれはご指摘のとおり「意見の相違」(感覚の相違)でしかありませんが、ほかに「皇后某子」の形式をとる記事が存在しないことを踏まえたものでもあります。「皇后美智子」を「美智子」へのリダイレクトとして作成するのであればまだわかりますが、逆はおかしいと思います。
現在存在せず、将来必要とされるかどうかもわからない(現に2007年12月30日から4ヶ月近く、リダイレクトページの状態のまま誰も手をつけませんでした)“人名ページ”「美智子」のために「美智子」の記事名を未使用のままあえて確保しておく必要があるのか、はなはだ疑問です。「美智子 (皇室)」を「美智子」に改名することはWikipedia:曖昧さ回避に照らしてなんの問題もないのですから、もし問題があるとすればWikipedia:曖昧さ回避の規定のほうでしょう。Kliment A.K.さんがあちらのノートページでガイドライン改訂を提案されたのは、その意味でまさに正道を行くものというべきです。既述のとおり、私は、単なる“著名人リスト”でしかない記事の氾濫にお墨付きを与えかねない、そのようなガイドライン改訂には反対ですが。
そもそも、私としては“人名ページ”がほんとうにどうしても必要なのか、ということ自体が大いに疑問なのです。Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインにも「ウィキペディアの目的は自由に利用できる百科事典を作成なので、こうした一覧系の記事が果たして百科事典の作成にとってどの程度重要なものか、疑問を持っている人もいます。また、一覧系の記事には原則賛成の人の中にも、よい一覧と悪い一覧がある、と考える人がいます。」と明記されていますが、私もそのひとりです。“人名ページ”は一覧系記事そのものではないかもしれませんが、その要素がきわめて濃厚、あるいはそうなる可能性が非常に高い記事です。Category:日本人の名前に列挙されている記事の多くが現にそうなっていますし、また「スヴェトラーナ」がPRUSAKYN(ПРУСАКИН)さんにとっていささか不本意な部分を抱え込まざるを得なかったこともそれを示しているでしょう。単なる“著名人リスト”にならずに済む(たとえば現在の「太郎」のような)“人名ページ”を作成することがきわめて困難であることについてはみなさんのご意見は一致していると思います。ことに、日本語の人名の場合はその困難はさらに増大します。易学による判断や単なる字面のバランス、発音の耳ざわりのよさなどがしばしば優先され、漢字はいくらでも当て字ができますから、漢字の意味の解説などで“人名ページ”を充実させることはあまり意味がないと思います。私が「美智子」との比較で「みちこ」と訓じる人名を列挙し、また「みちこ」という記事ならば成立するだろう、と述べたのは、「スヴェトラーナ」のように、人名の意味や語源、使用されてきた経緯、名前としてのバリエーションなどを論じるならば「美智子」という漢字3文字ではなく「みちこ」という音声について論じるのでなければ意味が薄いと考えたからでもあります。
この議論がどのような結論にいたるにせよ、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族に結論を報告するのは当然だと思います。賛成いたします。ただ、こちらでの議論をあらためてあちらでやり直す必要はないでしょう。このノートはあちらのページのサブページであり、リンクも張ってあります。事後報告で充分だと思います。--呆庵入道 2008年4月15日 (火) 14:21 (UTC)[返信]
暴言というよりは姿見の様なものかと。
「皇后美智子」は非常に不自然で違和感を覚える、というのは、具体的にどう不自然なのでしょうか。他に「皇后某子」の形式をとる記事が存在しないのは、皇后は一人しか存在し得ないのだから当然だと思います。「美智子」が正式名称である、という論拠は「署名が美智子だから」という理解でよろしいでしょうか。「『皇后美智子』を「美智子」へのリダイレクトとして作成するのであればまだわかりますが、逆はおかしい」というのは、なぜおかしいと思うのか、具体的に御説明下さい。--Jms 2008年4月15日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
「子どもの喧嘩」云々については、何を言われても一言もありません。申し訳ありません。
「違和感」について言及したのは、PRUSAKYN(ПРУСАКИН)さんの「違和感があるという意見は間違っていないと思いますが、私は違和感なし、ということです」というコメントを踏まえて記したもので、個人的な違和感の有無は記事名を決定する根拠にはならない、ということを互いに確認しあう目的であえて言及したものです。違和感があるから「皇后美智子」には反対だ、などというつもりは毛頭ありません。不適切なコメントだと言われるのであればいつでも撤回いたします。
私が「皇后某子」という記事はほかにない、という場合、現在の皇后ではなく、過去の皇后を念頭に置いています。たとえば「皇后井上内親王」「皇后藤原安子」「皇后藤原賢子」という記事がないのに、現在の皇后の記事だけが突出して「皇后美智子」になるのは奇異であるということです。
皇后陛下の正式なフルネームが「美智子」であることに出典が必要でしょうか。宮内庁のホームページの本人の履歴でも「お名前 美智子」とありますが、不足であればもっと調査します。宮内庁はもちろん彼女を必ず「皇后陛下」としか呼びませんが、宮内庁が使用する公式用語を正式名称として扱い、ストレートにWikipediaの記事名に使用することが必ずしも適当ではないことはWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族などで語り尽くされています。
最後のご質問ですが、現状、曖昧さ回避の必要のまったくない「美智子」をわざわざリダイレクトページにして、曖昧さ回避のための修飾句を付した記事名を冠したページ「皇后美智子」へのリダイレクトとするのはおかしい、と私は考えています。同じくファーストネームを題材とした記事の類例や「美智子」のこれまでの履歴に照らして、私は「“単なる著名人リスト”あるいは“辞書的な記事”にならずに済む“人名ページ”を作成することはきわめて困難である」という考えに立っているので、わざわざ新規に「美智子」(日本語で女性に命名するファーストネームの記事)を作成するために、いまそこにある皇后陛下の記事を「美智子」という記事名にすることをあえて忌避する積極的な理由が見出せないのです。--呆庵入道 2008年4月17日 (木) 12:47 (UTC)[返信]
現在の皇后の記事だけが突出して「皇后美智子」になるのは奇異、というのは、現在の皇后は皇后前置、過去の皇后は皇后後置、というのが奇異である、皇后という語を付すならば、現在の皇后でも諡号と区別できぬ様後置すべきだ、という意味でしょうか。現在の皇后であるとわかる様皇后前置だと考えても奇異でしょうか。
名前の出典はあるに越したことはありません。なお、「皇后陛下」という記事名にすべきだ、という議論ではないので、「宮内庁が使用する公式用語を正式名称として扱い、ストレートにWikipediaの記事名に使用することが必ずしも適当ではない」というのに「皇后美智子」はあたらないと思います。
リダイレクトの件は、「曖昧さ回避の必要のまったくない」というのが妥当かどうかという点で議論がわかれます。ウィキペディアでいう、記事名の末尾に空白をおいて丸括弧でくくった分野名などを置く意味での曖昧さ回避の必要がない、というのには同意しますが、「美智子」という記事名よりも「皇后美智子」という記事名の方がわかりやすい、というのは「美智子」というのが潜在的に曖昧であるから出てくる主張であって、その意味での曖昧さ回避は必要だとも言えるでしょう。「美智子」といわれて皇后のことである、とわかる人には「美智子」に曖昧さはないのですが、何であるかを知るために当該記事を読もうとする人のなかには「美智子」が皇后であるとは知らない人もいるので、そういう人にも配慮すれば「皇后美智子」などの方がより曖昧さの少ない記事名であると考えます。--Jms 2008年4月17日 (木) 13:25 (UTC)[返信]
「美智子」が皇后の記事になっていてそれが絶対的におかしいかという点については一旦保留します。おかしいと思いましたが、他にもそういう項目名がないわけではないので、「おかしいがここだけの問題ではない」ということで保留します。
その上で、Jmsさんのご指摘は合理的であり、やはり「皇后美智子」というページ名は有効であると考えます。
私の個人のコメントに対する返答ですが、スヴェトラーナが不本意であるのは、それだけ特別載せるべきか私には判断しかねる(判断するための知識がないので)特定の個人が1件だけ載せられた、ということです。他のページのようにその名前を持つ人が網羅されるのなら不本意でもないのですが、なんでスターリンの娘だけ特別載せるのかな?と、そういうことです。
というか、もっと不本意なのはなんでロシア語名のページ名でポーランド語やウクライナ語やベラルーシ語の名前について扱わなければならないのかな?ということです。分割したいところですが、内容がページ名以外100%同じページが言語の数だけ作られることになり、これはこれで問題はなきにしもあらずです。ただ、この問題は今回の件には関係ありませんね。いや、「mitiko」を考えると「漢字バリエーションごとにページを作るのか」という議論に似ていないでもありません。
「美智子」が他の「mitiko」よりメジャーであると判断したのは、それだけこの漢字の名前を持つ著名人が大勢いるからです(厳密には一般人含め統計で示したいところですが、そこまでは調べていません。手落ちといえば手落ち)。日本人というのはよく自分の子供に著名人の名前を付けるもので、著名人に名前が多いということは一般人にも多いことが推測されます。他の「mitiko」もメジャーであれば作ればよいですが、「美智子」とそれはまた別件です。他の「mitiko」がメジャーであるかないかは「美智子」にはまったく関係ありません(読みの「みちこ」でページ作成を、というのは一理ありますが、そこまでは考えていませんでした)。つまり、この前のコメントでは、関係ない他の「mitiko」と関連付けて「美智子」をマイナー入りさせる必要はない、と言ったまでのことです。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月18日 (金) 15:18 (UTC)[返信]
「奇異」という表現はいささか感情がこもっているように読めるので「整合性がない」「異例である」といった表現に言い換えた方がいいかもしれません。日本の皇后の記事名に「皇后」の語が入っている場合、いずれも〈「諡またはそれに準じた通称」+「皇后」〉の形式です。〈「実名」+「皇后」〉の例も〈「皇后」+「実名」〉の例も私が探した限りでは見つかりませんでした。「皇后美智子」であれ「美智子皇后」であれ、異例で突出した記事名であることに変わりはありません。
とりあえず「美智子」が現在の皇后の正式なフルネームであることについての出典はこれ以上必要ないということでよろしいでしょうか。
記事名「美智子皇后」を見て「美智子」を実名ではなく諡と誤認する人、あるいは記事名「香淳皇后」を見て「香淳」を諡ではなく実名と誤認する人は、記事名だけを見て記事本文を読まない人しかいないでしょう。そのような人たちに配慮してあえて他から大きく突出した記事名をつける必要があるのか疑問を感じます。
「美智子」の曖昧さについては、記事「美智子」を読めば「美智子」が現在の皇后であり、ほかにフルネーム「美智子」の日本人はひとりもいないことがわかる状態が実現されていれば、曖昧さの問題は生じないと考えます。
メジャーなファーストネームかマイナーなファーストネームかという問題は、ただ「美智子」にだけ限った問題ではありません。日本語の語彙として存在するファーストネームすべてに影響し波及する問題です。特定の個人ではなく、ファーストネームそのものを題材とする記事を作成することが許されるか許されないかの判断に、メジャーかマイナーかという基準を導入すること自体に私は反対です。客観的な判断が不可能だからです。10,000人いればメジャーで9,999人しかいないならマイナーなのか、というような不毛な議論になりかねないからです。かつて「ミッチーブーム」というものがありましたから「美智子」というファーストネームを持つ女性がほかの「みちこ」よりも相対的に多いことはもちろん容易に予想できますが、それは、皇后の美智子さんがそれだけ著名人であること、あるいは皇族の名前を自分の子女にそのままつける親が日本には多くいるということの反映に過ぎず、一般的な「美智子」というファーストネームについての解説がWikipediaの記事として許されるかどうかの判断には直接には関係しないと考えます。「美智子」という記事名で純粋にファーストネーム「美智子」だけを解説する記事を百科事典的にするのはきわめて困難で結局は辞書的にしかならないというのが私の個人的な意見です。--呆庵入道 2008年4月21日 (月) 11:46 (UTC)[返信]
異例で突出している、というのは必然です、なぜならば、唯一現存する皇后だからです。皇后美智子の突出性と、美智子の突出性、それは唯一現存という意味では全く同一です。違いは、他の名も含んだ言語体系において、どちらがより広いスコープならびに理解可能範囲 (あるいは被識別性、整合範囲) を持ち得るかということです。
「美智子」が現在の皇后の正式なフルネームであるということは示されていないと思います。そもそも「フルネーム」という観念が妥当かどうか、大いに疑わしいと思います。
「そのような人たちに配慮してあえて他から大きく突出した記事名をつける必要があるのか」というのは、他から大きく突出しているという点においては「美智子」でも同じです。結局のところ、「美智子」と「皇后美智子」、どちらがより説明的、すなわち前提知識を必要とせず、従って適用可能なネームスコープが広いか、ということに帰着するでしょう。スコープ広いすなわち曖昧さが低いという点では、より限定的な「皇后美智子」の方が適切でしょう。--Jms 2008年4月21日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

わかりにくいので補足 (したところでまだわかりにくいか) --Jms 2008年4月21日 (月) 17:22 (UTC)[返信]

だから、ブームにもなったくらい明らかにメジャーであると「客観的に」判断できるでしょう。ということですよ。
ページ名だけを見て内容を誤認する人のことまでそれほど配慮する必要はなく、従って曖昧で優先性に疑問のある「美智子」より「皇后美智子」の方が適切でしょう。仰る論理では、「美智子皇后」というページ名だけを見て諡と誤認する人や「香淳皇后」を見て「香淳」を諡ではなく実名と誤認する人に対する配慮は不要で「皇后美智子」というページ名だけを見て諡と誤認する人に対する配慮は必要、と読めますが、ちょっと論理がこんがらかってきてませんか?
あえて曖昧性を押して「美智子」にする必要(利点)はなく、Jmsさんの仰るとおりより限定的な「皇后美智子」の方が適切でしょう。本名についてですが、戸籍でも見るかパスポートでも確認するかしない限り断定は難しいでしょう、ウィキペディア的にというよりは一般的な理屈としては、ですが。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月21日 (月) 16:26 (UTC)[返信]

現実問題として、この状況では「美智子」か「皇后美智子」か、という点については当分合意は成立しないと思います。その間、「美智子 (皇室)」という記事名でありつづけるわけですが、それは構わないのでしょうか。「美智子」よりも「皇后美智子」の方が適切と考える人にとって、「美智子 (皇室)」の方が「美智子」よりも容認しやすかろうと思いますが、「美智子」が「皇后美智子」よりも適切だと考える人にとって、「皇后美智子」と「美智子 (皇室)」のどちらが受け入れやすいのでしょう。もし後者の方が受け入れやすいなら、「美智子 (皇室)」のままというのが妥結点だと思います。--Jms 2008年4月21日 (月) 17:22 (UTC)[返信]

議論が継続している間は現状維持でいいと思います。また、そろそろWikipedia:コメント依頼に提出してもいいかと思いますが、いかがでしょうか?-- 2008年4月22日 (火) 08:29 (UTC)[返信]
効果的なコメント依頼のためには、
  • 対立点が明確に示されており
  • その理由が簡潔に述べられていること
が必要だと思います。現状では双方が延々同じ主張を繰り返しているのみで、まずまとめが必要です。
双方が認められるであろう論点をまとめると以下の様になるかと思います。
  • 本人署名を根拠に「美智子」とすべきである
  • 「美智子」では一般読者にとって曖昧さがあるので、記事名は「皇后美智子」などとすべきである
「正式名称」(美智子が正式名称であるという出典は別途必要) か、曖昧さの少ない名称か、というWP:NCの前文を優先するかどうかという議論に見えますが、同時に、記事の対象の名前に関する意見と、記事名称に関する意見の食い違いでもあると思います。「皇后美智子」などとすべき、とする意見は一段メタな議論をしているので、かみ合わないのも当然であり、コメント依頼してもあまり効果を期待できないのではないかと思います。同じ様な、メタな議論とそうでない議論との食い違いという構造はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物の記事名についてにも見られます。美智子論争を「姓をつけずに美智子といえば皇后以外にはあり得ない」というのを読者の常識として期待するのは日本版ウィキペディアとして適切かどうか、という点に集約できるならば、元皇族記事の議論ほど厄介ではなく、コメント依頼できるかもしれません。ただ、もし上記「まとめ」が状況を適切に表しているなら、コメント依頼するまでもないのではないかという気もしますし、なにより「お知らせ」で既にアナウンスされている議論でもあるというのも引っかかるところです。--Jms 2008年4月22日 (火) 15:07 (UTC)[返信]
コメント依頼については、「美智子」と「皇后美智子」のどちらが記事名としてふさわしいか?(また改名せず現状のままでよいのか?)を議論の対立点にと考えておりました。また、「お知らせ」では議論が起こっていることをアナウンスするだけですが、「コメント依頼」では積極的にコメントを要求するという違いがあると思います。しかしながら、下記の通り議論に進展がありますので、一旦取り下げたいと思います。-- 2008年4月24日 (木) 10:41 (UTC)[返信]

美智子さんが皇后であることを知らない人にとって「美智子」よりも「皇后美智子」の方がわかりやすいから「美智子」という記事名よりも「皇后美智子」という記事名の方が記事名として優れている、という理屈は、福田康夫さんが日本の首相であることを知らない人にとって「福田康夫」よりも「内閣総理大臣福田康夫」の方がわかりやすいから「福田康夫」という記事名よりも「内閣総理大臣福田康夫」という記事名の方が記事名として優れている、というのと同じ理屈です。白川方明さんが日銀総裁であることを知らない人にとって「白川方明」よりも「日本銀行総裁白川方明」の方がわかりやすいから「白川方明」という記事名よりも「日本銀行総裁白川方明」という記事名の方が記事名として優れている、というのと同じ理屈です。著しく不合理です。「原則として敬称・肩書はなし」というWikipedia:記事名の付け方の明文規定に対する明白な違反でもあります。とうてい納得できるものではありません。

唯一現存する皇后であることが「皇后美智子」という異常な記事名の存在を正当化するのであれば、定員が1名であるなんらかのポストに就いている人物であれば、その全員について、いまその現職に就いている唯一の人物であることを根拠にして「肩書き+フルネーム」という記事名による記事の作成を正当化することになります。著しく不合理です。「原則として敬称・肩書はなし」というWikipedia:記事名の付け方の明文規定に対する明白な違反でもあります。とうてい納得できるものではありません。

「美智子」が皇后陛下のフルネームでないとしたら、いったい何が皇后陛下のフルネームなのでしょうか。逆にご教示を乞いたいと思います。そもそも天皇や皇族に戸籍はありません。結婚に際して、美智子さんは正田家の戸籍から抜かれ、雅子さんは小和田家の戸籍から抜かれ、宮内庁書陵部図書課庶務係で管理している「皇統譜」という行政文書に登録されます。この時点で美智子さんも雅子さんも姓を持たなくなり、単なる「美智子」「雅子」になります。姓を持たず、名しか持たない人のフルネームが“名そのもの”以外のなんだと言うのでしょうか。出典が必要ならご用意しましょう。あまりにも当たり前すぎてわざわざ言及した書籍は少ないかもしれませんが、こういう問題に関する概説書はごまんと出版されていますから、皆無ということはないでしょう。

「美智子」という記事名が「他から大きく突出している」とは私は考えません。その人物の正式なフルネームをそのまま命名しただけであり、曖昧さも皆無である記事名に、なんの特異性も異常性もありません。

「皇后美智子」というページ名だけを見て「美智子」を諡と誤認する人に対する配慮が必要だとは私は一言も言っておりませんが、私の文章のどの部分がそのような意味に読めましたでしょうか。ご指摘いただければ幸いです。なお、当然のことながら、記事名「皇后美智子」だけを見て記事本文を読まずに「美智子」が諡であると誤認する人に対しても、記事本文を読めば「美智子」が諡ではないことを容易に知ることができる以上、同様に配慮は不要であると私は考えます。

「ブーム」などという曖昧で雲のようにつかみどころがなく数値的に測定できないものに客観性を認めることは私にはできません。いまは、マスメディアだけでなく、2ちゃんねらーやアルファブロガーが「ブーム」と命名すればなんでも「ブーム」になってしまう世の中です。

「美智子 (皇室)」という記事名が、本件議論が終結するまで当面維持されることについては、私には異論はありません。反対意見があるのにページの改名を強行するつもりはまったくありません。現状でもすでにガイドラインに明確に違反した記事名になっていますから、なるべく早期に改名しなければならないとは思いますが、少なくとも「皇后美智子」よりはまだしもマシです。--呆庵入道 2008年4月23日 (水) 12:14 (UTC)[返信]

「ブーム」になったのは今ではないわけで、時間もたっていますし、きちんと(つまり曖昧で雲のようにつかみどころのないものではなく)社会現象として「ブーム」であったと捉えられていると思いますが。で、初めの私の論旨に戻ると、「美智子」は特筆性が高い名前であるということであり、ページとして作成しても構わないだろう、ということでしたよね。つまり、他の「Mitiko」の中にも特筆性が高い名前があっても別に構わないわけですね。ただ私は他の「Mitiko」の中には特筆性が高い名前を知らなかったというだけで。他の「Mitiko」がどうだという問題を「美智子」と関連付けたのは当方ではなかったのですが……。まあ、「美智子」という人名にまつわる社会現象ついては皇后のページで扱ってもよい可能性はありますが、分けてもよいのではないかと思います。
あなたは記事名「美智子皇后」を見て「美智子」を実名ではなく諡と誤認する人、あるいは記事名「香淳皇后」を見て「香淳」を諡ではなく実名と誤認する人そのような人たちに配慮してあえて他から大きく突出した記事名をつける必要があるのか疑問を感じます、つまり配慮する必要はないと書いていらっしゃいます。一方で、日本の皇后の記事名に「皇后」の語が入っている場合、いずれも〈「諡またはそれに準じた通称」+「皇后」〉の形式です。従って「皇后美智子」であれ「美智子皇后」であれ、異例で突出した記事名であることに変わりはありません。という点には配慮していらっしゃいますね。ページ名だけを見て誤認する人に対して配慮する必要がないのであれば、「皇后美智子」というページ名を見て何か違うことを考えた人についても配慮は要らないんじゃないですか? つまり、あなたは具体的な問題点として〈「諡またはそれに準じた通称」+「皇后」〉の形式を挙げていらっしゃいますが、それでは「皇后美智子」がそれに外れているから生じる誤認に対して配慮が必要であるというようにも読めます。それとも本当にページ名形式のみの問題を指摘していらっしゃるのでしょうか。これまでの議論の経過を見るとそのようには読めませんでしたが、そうであれば、たんに文意がお互い通じていなかっただけかもしれません。
戸籍はうっかりしましたが、つまり「皇統譜」に「美智子」と記載されているということを確認された、ということでよろしいでしょうか。で、因みに徳仁親王妃雅子は「皇統譜」に「徳仁親王妃雅子」と記載されているということでよろしいのですよね?--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月23日 (水) 12:44 (UTC)[返信]
皇統譜の 124 代天皇の部分の画像を信じるならば、「母 皇后節子」とある様です。そこから類推すれば「皇后美智子」となりそうな気がしますが、公開請求するだけの根気がありません。調べた結果を是非教えてください。
比較すべきは福田康夫、白川方明ではなく、康夫、方明でしょう。フルネームである (かどうか、わかりませんが) ことを理由に姓+名を持ってきてしまうのは、問題の本質であるネームスコープについて御理解いただいてないからではないかと思います。皇室というネームスコープでは「美智子」で (少なくとも他に皇室に美智子はいないので) 全く問題ありません。しかし一般のネームスコープでは「美智子」はそれほど自明ではありません。フルネーム美智子は唯一だから識別可能というのはWP:NC的にはあまり適切なスタンスではないと思います。要約欄によれば「 記事名だけでその人が皇后であることを読者にわからせる必要はありません。」との事ですが、仮に「読者にわからせる必要はない」(そのスタンスもどうかと思いますが) としても、そのことは「わからせてはいけない」を意味しません。「原則として敬称・肩書はなし」というのはあくまで原則であり、当然例外があり得ます。仮にフルネームが「美智子」だとして、その曖昧さ除去のためのスコープ指定子 (皇室) を WP:DAB#曖昧さ回避すべきものに従い非曖昧さ回避化 (これはWP:NC冒頭とも関連します、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ7#正式名称と曖昧さ回避のかねあい参照) してスコープ指定子として「皇后」を前置しているのであって、「美智子」という名のイレギュラーさからすれば著しく不合理ということもないでしょう。なお、著しいかどうかは価値規範依存なので、そうした語句を外して考えてみた方が合意には至りやすいと思います。著しく不合理、と書いた時点で、議論は著しいかどうかになってしまい、不合理かどうかにはなりません。明確に違反した、というのも、明確と言えるかどうかという議論になってしまい、合意を難しくしてしまう可能性を否定できません。細かなことだと思われるかもしれませんし、明確なのは明らかだろうと思われるかもしれませんが、一方にとって自明なことが他方にとっては自明でないからこうして議論になっているわけです。著しい、明確、といった価値規範に強く依存した表現を避けてお考えいただくと、合意への道が少しは見えてくるかという気がします。そのあたりが譲れないならしかたありませんが、その場合は合意は不可能ですね、価値規範のぶつかりあいになってしまうので。
曖昧さがなければ何でも良いならば、「美智子」でなくとも「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」でも構わないはずです。そうではなく、「美智子」なのはなぜなのでしょう。そこには、言語体系に埋め込まれたなんらかの意味があるからであり、そこでネームスコープが問題になってきます。このあたりの議論は言語哲学フレーゲ以降の節が参考になると思います。--Jms 2008年4月23日 (水) 15:27 (UTC) 一部修正--Jms 2008年4月24日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
確かに、「皇統譜」に明記されている名称を持って記事名とすることは理解しやすいかもしれません。いくつかネット上で見て回りましたが、これ皇統譜の画像と一緒ですね)を見ると位(天皇)の下に名(裕仁)と書かれており、その間をあけているように見えます。これはその文章中での「内親王 愛子」や読売新聞の記事での「親王 悠仁」でもそのような記述となっています。もちろんこれは皇族として産まれた人物の書き方であり、皇后や親王妃に当てはまるかわかりませんが、(両親の欄ではなく)当人を表す欄では「位 名」となっているような気がします。
また、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#Wikipedia-日本の皇族の記事名に関する合意事項での1番を見る限り、三后及び親王妃・王妃には名+身位という皇族の記事名のつけ方の原則からはずれるとしているのに、3番では親王妃・王妃については、身位の後に名をつけることとなっております。しかしながら、三后については1番以外の言及がありません。なぜ三后だけそういう扱いなのかという疑問も湧いてきますが、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/過去ログのSuifuさんの2006年9月21日 (木) 23:47 (UTC)の発言(合意事項の成立は2006年9-10月ごろ)に美智子 (皇室)皇后美智子に改名する案が提出されておりますので、実際には三后も位+名にするつもりだったかもしれません(これは私の推測です)。
長々と書きましたが、合意事項や過去の議論、他の皇室関係の記事との整合、今回の議論を踏まえて、記事名については「美智子」よりも「皇后美智子」がより適切ではないかと考えるようになりました。その際には、合意事項における三后の扱いを明確にする必要が当然あります。
しかしながら、引っかかる点が2点あります。1つは皇統譜での美智子(あるいは皇室に外部から入ってきた人物)の記載について確認が取れていないこと、もう1つは、のか合意事項で三后と親王妃・王妃が別の扱いになっている理由、前述の改名提案が止まっている理由が過去ログなどをみても調べきれなかった事です。これらが解消されれば、諸手を挙げて皇后美智子に賛成できます。-- 2008年4月24日 (木) 10:41 (UTC) 下記のJms様のコメントを確認後、自己の記載で整合が取れていない部分3か所に取り消し線を、説明が不足している部分1か所に下線を追記しました。-- 2008年4月24日 (木) 15:00 (UTC)[返信]
旧皇統譜令第十二条で定められている天皇について登録すべき項は、御名、父、母、の順となっています。身位、御名と規定されてはいないのですが、皇族譜平成元年度では身位と名の間に区切り線がありますし、御名に「天皇」が含まれることはないでしょう。皇后の場合は名、父、母、の順ですから、そこからすれば名自体は「美智子」となると考えられますが、父母の欄では身位がついた形で書かれています。これをどう解釈するか、なぜ父母欄は名のみではないのか、というのは議論のあるところでしょう。美智子という「名」(名前ではない) に関するスコープ指定子として「正田」や「樺」が前置されるという個体基準的な考え方に立てば、それと同様に母欄では「皇后」や「皇太子明仁親王妃」というスコープ指定子が名に付与される、として統一的に理解できる部分ではあります。なお、これは記事の名前として何がふさわしいかという議論であって、記事の対象の名 (名前ではなく) とは必ずしも一致しないというのは繰り返し述べている通りです。--Jms 2008年4月24日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
私も記事名についての議論のつもりで書いておりましたが、舌足らずであり、かつ整合が取れていない(名前と名が混在している)部分がありましたので、取り急ぎ訂正だけさせていただきました。-- 2008年4月24日 (木) 15:00 (UTC)[返信]
その伝でゆくとわたくしの書いてきた事についても名と名前の区別をきちんとしなおさないといけないだろうと思いますが、漠然と議論してきたのは事実ですので、そのままにします、単なるものぐさでもありますが。「皇后」というのが (スコープ限定子という意味では) 姓の様なものと考えれば整合する、というのは当初から考えていたのですが、反発があろうと書かないで来ました。そこまで考えていたのに、なぜ姓と名の意味の名であって名前ではないという表現に気づかなかったのか、なんともはや。皇統譜令をさっさと調べればよかったと反省しきりです。--Jms 2008年4月24日 (木) 15:10 (UTC)[返信]
いえ今回私は「皇統譜」及び従前の合意事項を引き合いに出したので、そこははっきり区別すべきであったと考えております。私もいままでの議論では漠然と用いていました。-- 2008年4月26日 (土) 00:07 (UTC)[返信]

特筆性」には「特筆性の主張を裏付けるには検証可能な客観的証拠が必要である」と書いてあります。「ミッチーブーム」は、いま皇后の地位にいる美智子さん個人の特筆性の証拠であって、一般的なファーストネーム「美智子」の特筆性の証拠ではありません。

PRUSAKYN (ПРУСАКИН)さんは、なぜ、私の言葉の裏を読み、私の文章の行間を読んで、私が書いてもいないことを、さもそれが私の意見であるかのように主張することを繰り返されるのでしょうか。理解できません。私はただ「皇后美智子」は、Wikipediaで他に例のない異常な記事名であり、また「原則として敬称・肩書はなし」というWikipedia:記事名の付け方の明文規定に対する違反であることを繰り返し指摘しているだけです。「本当にページ名形式のみの問題」をとりあげているだけです。自分が書いてもいないことについてくどくど釈明するのはいいかげん疲れました。そろそろやめていただけると助かります。ここで議論している目的は記事をよりよくすることであって、私を言い負かすことではないはずです。

行政文書の公開は請求してからコピーがもらえるまで30日かかりますし、費用もばかになりませんから、まだ皇統譜の実物やコピーに直接あたったわけではありませんが、すでにいままでのみなさんの調査で皇統譜に現在の皇后の名が「美智子」とだけ書かれていることは容易に推測できるでしょう。というより、そこまでわかっていてまだ「美智子はフルネームではない」とあえて主張される真意が私には理解できません。旧皇統譜令第13条による皇后の欄の記載項目は、下記のとおりです。

  1. 誕生の年月日・時間・場所
  2. 命名の年月日
  3. 結婚した年月日
  4. 死亡の年月日・時間・場所
  5. 追号と、追号が決定された年月日
  6. 葬儀が行われた年月日、皇后陵の場所、皇后陵の名称

「皇后」は、欄の名前、ページの名前であって、そこに記載された美智子さんの名前の一部ではありません。「名」はあくまでも「美智子」です。天皇や皇族が姓(歴史的経緯から言えば正確には「名字」であり、現行民法の規定では「氏」)を持たない以上、当然のことでしょう。皇統譜に姓を書かないのは、姓がないからです。姓がないから、名しか書くことができないのです。それ以外の理由はありません。皇統譜令の規定に「名」としか書いていないから、姓があるのにあえて姓を書かずに名だけを書いているわけではありません。事実として名しかないから名しか書かないのです。姓がなくて名だけある人間のフルネームが“名そのもの”以外のなんだというのでしょうか。なぜみなさんがそのことから必死に目を背けようとするのか理解できません。Jmsさんは「反省しきり」とおっしゃいますが、もともと姓を持たない人物について、姓と名を分けて議論することになんの意味があるのでしょうか。皇后はあくまでポストであって、内閣総理大臣や日本銀行総裁と同列に論じるべきものです。明治には美子さんが皇后であり、大正には節子さんが皇后であり、昭和には良子さんが皇后であり、平成には美智子さんが皇后であり、平成が終われば雅子さんが皇后になるでしょう。次々に現職者が交代してゆく内閣総理大臣や日本銀行総裁となんの違いがあるのでしょうか。「父」と「母」には名前だけでなく地位や称号も書かれているのは、皇統譜令に「父の名」「母の名」と規定されていないからという単純な理由でしょう。

なお、天皇と皇后は旅券を持たないそうです(稲生雅亮監修『そこが知りたい!皇室探検』新森書房、1993年)。国家元首及びそれと同等の扱いを受ける人物は、旅券なしで出入国させるのが外交上の慣例だからだそうです。皇太子以下の皇族は旅券を持ちますが、われわれが持つパスポートではなく、外交官が職務で所持するのと同じ外交旅券を用いるそうです。ちなみに皇太子の場合、自署として「徳仁」と署名し、姓名のところには「NARUHITO」と、職業のところには「The Crown Prince of Japan」と記載するそうです。

「価値規範依存」というご指摘のあった部分は<del></del>で消しておきました。「皇后美智子」がガイドラインに違反する記事名であるという事実と、他から突出した記事名であるという事実さえ主張できれば、私はそれでよいのです。

「問題の本質であるネームスコープ」というのは、Jmsさんが一方的にそう言っているだけで、別段それが本件議論の欠かせない大前提になっているという意識は私にはありません。いつのまにそういうことになったのでしょうか。そもそも「ネームスコープ」ってなんですか?

「わからせてはいけない」を意味しない、というのはJmsさんのご指摘のとおりですが、なぜ内閣総理大臣や日本銀行総裁はわからせる必要がなくて、皇后だけはわからせる必要があるのかを説明する論理にはなっていません。なぜでしょうか。

「美智子」というフルネームが日本人としてイレギュラーであるのは事実ですが、それが彼女のフルネームですから仕方がありません。そのことをあえて反映させずに、必要性もないのに「皇后美智子」という記事名をわざわざ選択する理由がわかりません。

〈「美智子」でなくとも「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」でも構わないはずです。そうではなく、「美智子」なのはなぜなのでしょう。〉という比喩は、きわめてわかりにくいです。記事が記述しようとする対象が「美智子」であるから「美智子」なのであって、記述しようとする対象が「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」であるならば、それが「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」である以上、別に「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」でも構わないでしょう。しかし「美智子」は「美智子」であって「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」ではありません。だから「美智子」なのです。なぜJmsさんが「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」という例を持ち出してこられたのか理解できません。なお、私にはJmsさんのお立場は「わかりやすければなんでもよい」というものに見えます。“正式名称と曖昧さ回避のかねあい”を考えた場合、かなり“曖昧さ回避”の方に傾きすぎているように思えます。

日本の皇族の記事名に関する合意事項の対象が、親王・内親王・王・女王・親王妃・王妃に限られ、皇后・皇太后・太皇太后が除外されている理由は私にもわかりません。過去ログを読みましたが、どこにも明記されていませんでした。ただ、私にはすっきりと納得できることではあります。前6者と後3者は互いにはっきり異質なものだからです。前6者が理論上同時に無限に存在できるのに対し、後3者は定員が1名であり、身位を付さなくても充分に曖昧さを回避できる以上、Wikipediaでの記事名に身位を付す必要性は絶無です。--呆庵入道 2008年4月25日 (金) 14:17 (UTC)[返信]

  • 絶無…。合意が難しくなる表現だという気がしますが、意図的なものでしょうか。妥協する意志なし、という意志表示なのでしょうね。
  • なぜ言葉の裏を読むのか、といえば、対偶をとると穴が見えるからです。わたくしはこどもの喧嘩に関して「姿見」と申しましたが、それにはそういう意味もあります。「自分が書いてもいないことについてくどくど釈明するのはいいかげん疲れました。そろそろやめていただけると助かります」というのも姿見で見てみることをお勧めします。「私を言い負かすことではないはずです」勝ち負けの問題ではないのに、なぜ「言い負かす」という表現が登場するのか、そこも姿見を御覧いただく方が良いと思います。
  • ネームスコープというのは、名前空間のことです。
  • 「必要性もないのに『皇后美智子』という記事名をわざわざ選択する理由がわかりません」必要性がない、と考える人にはわからないでしょう。必要性がある、と考える人がいる、そこまでは事実としてお認めいただけるでしょうか。そこを認めていたただければ、必要性があると考える人なりの名前空間が存在することになります。呆庵入道さんがお持ちの名前空間の体系とは別の名前空間の体系を持つ人がいる、ということです。
  • 「なぜみなさんがそのことから必死に目を背けようとするのか理解できません」というのは当然理解できないと思います、必死に目を背けようとしている人などこの議論には登場していませんから。
  • 「1b2c6dca8e36e769f0687826b88c54dd」は「美智子」のMD5によるハッシュ値です。記事名は曖昧さのない固定指示子であるだけでなく、意味がなければならないでしょう、名前の意味は名前空間依存できまるでしょう、ということです。
  • 「皇后美智子」がガイドラインに違反する記事名であるという事実、というのは存在しないと思います。
  • Wikipedia:特筆性はガイドラインですらないので、論拠とすべきではありません。
  • この調子では妥結は無理に思えますし、このまま続けても時間の無駄なので、記事名を変更しないという結論での審議終了を提案します。--Jms 2008年4月25日 (金) 15:50 (UTC)[返信]

審議終了を提案しながらアレですが、合意の希望を捨てないという意味で、呆庵入道さんに質問。ノート:備前長船兼光にある改名議論は「美智子 (皇室)」の改名議論と本質的に同じ構造だと思いますが、どうお考えになりますか。--Jms 2008年4月25日 (金) 23:45 (UTC)[返信]

まず、審議終了については現時点では言明しません。
「皇后美智子」がWikipediaで他に例のない異常な記事名であるとは思いません。合意事項にあるとおり、すでに他の皇室関係については身位と名の組み合わせになっております。またWikipedia:記事名の付け方は原則としての話であり、「明文規定に対する違反」とまで言われると正直つらいですし、その発言は合意事項を否定することになりませんか?美智子が名であることはもう誰も否定をしないと思います(こんな例ももあります。宮内庁HPの署名欄をご覧ください)。しかしそれとWikipediaでの記事名は別問題だと思います。なぜあの合意事項が纏められたのか、それを考えると「皇后美智子」という記事名がそこまで否定されるものではないと思います。-- 2008年4月26日 (土) 00:07 (UTC)[返信]
Jmsさんは、本件議論の当初から「妥協」ということをしきりにおっしゃっていますが、ご真意がわかりません。本件議論の目的は、最も適切で正確な記事名を選ぶことであって、最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです。それに「美智子」か「皇后美智子」かの二者択一の方向に議論が収束しつつある現状で、私が「皇后美智子」に妥協するということは、それは単に「一方的な譲歩」です。やらずぶったくりにされてはたまったものではありません。
Jmsさんのコメントは、私にとってはしばしばわかりにくいです。「姿見」という比喩も何がおっしゃりたいのかよくわかりません。なんの前触れもなくいきなり「美智子」のハッシュ値や「ネームスコープ」という術語を持ち出したりするのは、自分が知っていることをまさか相手が知らないはずがない、という確信を持って議論に臨んでいることを思わせるものです。おそらくまったく自覚なしになさっていることだとは思いますし、それが私の下種の勘ぐりであれば幸いなのですが、私はこのところずっと、Jmsさんのハイブラウなコメントにふりまわされて右往左往するばかりです。「美智子」という人物の記事名が「美智子」であってなぜいけないのか、という素人の素朴な疑問に答えることのできない学問は、それがどんなに高尚で価値の高いものであっても無益なものだと私は思います。
私は、単純に、本件議論は、ディベートを愉しんでいるのではなく、記事をよりよくするためのものだということを主張しただけです。「言い負かす」の一語の揚げ足を取ってそのように勘ぐられることは心外であり迷惑です。
「名前空間」の記事を読んでみましたが、むしろ確信が強まりました。「美智子」は単純名ではありません。完全限定名です。姓を持たない美智子さんは日本中探してもひとりもいません。
「必要性がある」と考える人がいる、ということは当然のことです。そのことを否定するつもりは毛頭ありません。むしろ、だからこそ本件議論が議論として成立しているのでしょう。この議論は必要性があるのかないのかというのが主題のはずです。Jmsさんは「ある」というお立場であり、私は「ない」という立場です。Wikipediaにおいて客観的に見てどうなのか、というのが本件議論の争点なのではないでしょうか。
「なぜみなさんがそのことから必死に目を背けようとするのか理解できません」というのは〈「美智子」は皇后陛下のフルネームではない〉という不可解な主張に対する私の驚きと苛立ちの表現です。実際、Jmsさんが「そもそも「フルネーム」という観念が妥当かどうか、大いに疑わしいと思います。」とコメントされたときに私の受けた衝撃は非常なものでした。「太陽は西から昇る」と大真面目に主張する人に出会ったような気がしたものです。もう何度も何度も質問しているのに誰もまともに答えてくれませんが、それでも繰り返し私は問います。日本人のフルネームは姓と名からのみ構成されていて、それ以外の構成要素は持たないはずです。姓を持たず名しか持たない人のフルネームが“名そのもの”以外のなんだというのでしょうか。
考慮すべきガイドラインであるWikipedia:記事名の付け方に「記事名は基本的には日本語での正式名称を使用します」とあり、また「原則として敬称・肩書はなし」と明記されている以上、記事名「皇后美智子」はガイドライン違反であると考えます。「原則として」という限定は付けられていますが、いまのところ「皇后美智子」を例外として扱ってよい、という論拠は明示されていません。
「特筆性」にガイドラインとしての規範性がないのであれば、PRUSAKYN(ПРУСАКИН)さんが主張する「美智子」はメジャーなファーストネームでWikipediaの記事としての特筆性があるから、皇后陛下の記事とは別の記事の記事名として留保しておくべきだ、という主張も崩れることになるので、私は別にそれはそれでけっこうです。
時間の無駄だと思われるのであれば、Jmsさんがこれ以上コメントを付けなければよいだけの話です。個人的なご都合で一方的に議論を打ち切ろうとするのには納得できません。以前にも申しましたが、反対意見があるのに私ひとりの判断で改名を強行することはいたしません。議論の風向きが変わるまで、何年待っても私はかまいません。
備前長船兼光では、彼の打った太刀に「備前長船兼光」という銘が入っていることが論拠になっています。「本質的に同じ構造」という点についてもう少し親切に解説していただけると助かります。
合意事項との関連についてですが、私はすでに親王等の6種類の身位と皇后等の3種類の身位は異質なものであり同列に論じられない、と指摘しております。合意事項と本件ノートでの私の主張とのあいだに矛盾はありません。なお、過去ログをお読みになればおわかりだと思いますが、あの合意事項がまとめられるについては「皇族の記事名が呼び捨てにされているのは不敬である」という不純な動機で議論に加わっている人もいますので、その点も考慮されるべきかと思います。--呆庵入道 2008年4月27日 (日) 12:00 (UTC)[返信]
議論の大前提を共有していないのですね。「本件議論の目的は、最も適切で正確な記事名を選ぶことであって、最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです」というのは、Wikipedia:記事名の付け方に従うなら、誤りです。「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を選ぶことが目的です。優先順位は
  • 1. 記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」
  • 2. その次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」
  • 3. 記事名は基本的には日本語での正式名称を使用
の順であって、その意味では「最も適切で正確な記事名」よりはむしろ「最もあたりさわりのない記事名」を選ぶことであり得ます。まずこの点が合意されていないと話は先に進まないので、これを片付けましょう。仮に「美智子」が日本語での正式名称であったとしても、それがそのまま記事名となるとは限らない、というのはよろしいですか。--Jms 2008年4月27日 (日) 14:17 (UTC)[返信]

私の4月27日付のコメントについて「本件議論の目的は、最も適切で正確な記事名を選ぶことであって、最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです」という一点以外はすべてなんのご異議もないということでよろしいでしょうか。私はJmsさんの論点提示に対してひとつひとつまじめにお答えしているつもりです。最初から私が答えを返すことや反応を示すことを期待しておられないのなら、最初から論点提示などしないでいただけると助かります。それこそ時間の無駄ですから。

前提を共有していないと言えば、Jmsさんと私とでは「妥協」という単語の意味について前提を共有していないことに今になって気づきました。Jmsさんは最初から「皇后美智子」は「妥協案」であると言いつづけてきました。私にとって「妥協案」というのは、ことの是非や理非曲直は棚上げにして、ただ足して2で割っただけの、みなの不満がなるべく少ないように、とりあえずいちばんあたりさわりのない案、という意味しかありません。Jmsさんは「妥協案」などと言わず、最初から「大本命」とおっしゃるべきでした。なぜJmsさんが、たかが「妥協案」に過ぎない「皇后美智子」にかたくなに固執して、次から次へと新しい論点を追加しては無駄に議論を拡散させ散漫にさせたり、片言隻句を捉えて揚げ足を取ったりして、遮二無二議論の幕を引いてしまおうとするのか、ずっと不思議に思っていましたが、やっと謎が解けました。なお「最もあたりさわりのない記事名」というのは、Jmsさんが使った「妥協案」ということばの言い換えに過ぎません。それ以上の意味はありません。

Jmsさんは3つの要件を提示されましたが、私もその3要件については当然容認しています。何をいまさらというのが正直な感想です。私の主張は当初から一貫しています。

  • 記事名「美智子」は1.の要件、2.の要件、3.の要件をともに充分に満たしている。
  • 記事名「美智子皇后」と記事名「皇后美智子」は、3.の要件を欠いており、さらに、1.の要件を不当に拡大解釈して、無意味で不必要な曖昧さ回避記事をつくりだす結果を招いている。したがって、記事名として「美智子」よりも劣る。
  • 仮に、記事名「美智子」が1.の要件を満たしていないのであれば、記事名「福田康夫」や記事名「白川方明」も1.の要件を満たさないことでは同様である。記事名「皇后美智子」または記事名「美智子皇后」でなければ1.の要件を満たすことができないのであれば、記事名「福田康夫」は記事名「内閣総理大臣福田康夫」、記事名「白川方明」は記事名「日本銀行総裁白川方明」でなければ1.の要件を満たすことができないはずである。

以上です。記事名「美智子」は、Wikipedia:記事名の付け方に最も忠実な記事名です。--呆庵入道 2008年4月30日 (水) 12:40 (UTC)[返信]

「本件議論の目的は、<略>点以外はすべてなんのご異議もないということでよろしいでしょうか、という点については、いいえ、です。もっとも根本的な部分で前提を共有していない可能性があるので、他は留保してまずその点について確認する必要があると考え、その点についてのみ問いました。長くなって編集上の都合もありますので、それぞれの論点について、節を立てながらひとつひとつ議論しましょう。まずは議論の目的を確認したいと思います。--Jms 2008年4月30日 (水) 15:00 (UTC)[返信]

この議論の目的[編集]

呆庵入道さんから「本件議論の目的は、最も適切で正確な記事名を選ぶことであって、最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです」という意見が提出されました (2008年4月27日 (日) 12:00 UTC)。これに対し、わたくしは、Wikipedia:記事名の付け方に従うなら、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を選ぶことが目的だ、と主張しました (2008年4月27日 (日) 14:17 UTC)。この節ではこの改名議論の目的について議論します。すなわち、Wikipedia:記事名の付け方のうち本件に関係すると思われる三要件、

  • 1. 記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」
  • 2. その次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」
  • 3. 記事名は基本的には日本語での正式名称を使用

について、この順で優先順位があるという意見 (わたくし) と、三要件は独立であって足し算で考えるべきという意見 (に、2008年4月30日 (水) 12:40 UTC 付け呆庵入道さんの意見は論理的にはなっていますが…) がありますが、優先順位があるかどうかを議論することになります。「最も適切で正確な記事名を選ぶこと」というのは、要件 3. のことであって、呆庵入道さんの意見は矛盾している様に見えます。--Jms 2008年4月30日 (水) 15:00 (UTC)[返信]

呆庵入道さん、あなたのコメントの裏を読むようなコメントをするのはなぜかというご指摘ですが、それは恐らく当方も頭がこんがらかっているためもあると思います。その点については不必要にご不快な思いをさせてしまったこと、お詫びします。ただ、Jmsさんの仰る「姿見」の話についてもう少しよく考えてみて下さい。本論についても、Jmsさんのお話は決して高尚ぶった変に難解なものではありません。恐らく、私のコメントよりずっとわかり易く、丁寧で、的を得たものだと思われます。無論、他人の言うことを他人が100%理解することは不可能だと思いますが、論旨は十分理解できます。ハッシュ値や「ネームスコープ」という術語を持ち出したりするのは、自分が知っていることをまさか相手が知らないはずがない、という確信を持って議論に臨んでいることを思わせるなどという文章表現上の枝葉のことを勘繰らず、文脈と要旨を掴むようにして下さい(ハッシュ値が何たるかが文脈上それほど重要ですか? あるいはそれが重要なタームであるかどうかすらわからないほど難解であったのですか? いずれにせよ、お互い、わからなかったコメントについては批判の材料にするのではなく、質問によって解決していくようにしたいものです)。
本論ですが、その三要件については、ガイドライン上はそのように優先順位があるように読み取ることができます(1->2->3並びにその他の順)。無論、三要件を満たす場合と1だけ満たす場合とでは前者に利があると思いますので「足し算」説も否定しませんが、2と3を満たして1を満たさない場合というのは、慎重に検討する必要があります。1だけ満たすものと1以外を満たすものを比較し、1対2だから後者に決定してよいとはガイドライン上は読み取れません。1をすっとばしてよい場合は、ウィキプロジェクト等で「正式名称を優先させるべき」と規定されている分野か、1によほど欠陥がある場合でしょう(センシティヴな分野や恣意的に(=ある明確な原因によって)偏った通り名が通用している場合、外国関係では何語名を優先させるかという問題が重要であったりする等)。その場合は、結果として「最もあたりさわりのない記事名」といった場合に決定根拠を「正式名称」に求めることになる場合は少なからずあると思います(「正式名称」であるから、というのが最も中立的に理解され易い根拠になるからです)。そのため結果として「正式名称」優先となっているページ名は少なくありませんが、そのことと1・2・3の優先順位とを混同してはいけません。
今回については、2・3を満たす「美智子」は1の段階において問題があるので、1の扱いにおいて慎重に検討する必要があり、従ってここまで議論が続けられている、という解釈ではないでしょうか。
尤も、呆庵入道さんの論によれば「皇后美智子」は~中略~1.の要件を不当拡大解釈して、無意味不必要な曖昧さ回避記事をつくりだす結果を招いている。したがって、記事名として「美智子」よりも劣るのだそうですけれども、それならば我々としては「美智子」は優先順位の低い3を不当に重要視して楯となし、最優先されるべき1をすっとばして曖昧で恣意的な記事名をつくりだそうとしている、ということになるかと思います。お互い、このような論調で議論はしたくありませんよね。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月30日 (水) 16:34 (UTC)[返信]
優先順位か「足し算」か、というのはどちらか一方だと思います。「まず何よりも」というのは最優先という意味であり、その一方、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ7#正式名称と曖昧さ回避のかねあいで指摘されている様に「『正式名称』ルールが記事名の付け方の基本となっているのは、当初の目的ではその方が曖昧さがなくなるから」ならば、正式名称かどうか、というのは曖昧さをなくすための手段であって、正式名称であること自体が目的ではないと考えるべきだからです。曖昧のないことが優先なのですから、そのまま足し算ということはあり得ません。--Jms 2008年4月30日 (水) 21:28 (UTC)[返信]

Jmsさんのご意向が〈本件議論の目的は、<略>点以外はすべてなんのご異議もないということでよろしいでしょうか、という点については、いいえ、です。〉ということでしたら、例えば、2008年4月25日(金)15:50(UTC)付のコメントのような、多様な論点を一気に羅列するようなことは今後はおやめいただけると幸いです。私は人間が単純にできていますから、聞かれたことにお答えしないのは失礼だと思って片っ端からその場でお答えしてしまいます。お答えしたことについてJmsさんから何も反応がいただけないと、2階に上げられて梯子をはずされたようなもので、Jmsさんが何をお考えなのかわからず、どうしたらいいのかわからなくなります。Jmsさんの場合「その点についてのみ問いました。」というのが今回に限ったことではなくてこれまでもあったので、私としては、Jmsさんのコメントがひどく断片的で説明不足で、言葉尻を捉えて木を見て森を見ないように感じられ、それでずいぶんコメントのご真意を推測するのに苦労してきました。Jmsさんのコメントが難解でわかりにくいというのは、それが高度に専門的で難解だからというよりは、論点がひどく鋭く絞り込まれているので、いま議論の中心になっている論点を私がしばしば見失った、ということです。

幸い、今後は論点をひとつひとつ事前に明確に絞って議事を進めてゆく、とのご方針のようなので、是非ともそうしていただけると助かります。

さて、現在の論点である3要件の優先順位について。Wikipedia:記事名の付け方には、

記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。

とありますから、おふたりのご指摘のような優先順位は当然あるでしょう。その点については私も異議はありません。誤解を招くといけませんので「本件議論の目的は、最も適切で正確な記事名を選ぶことであって、最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです」というコメントはいちおう撤回しておきます。「最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです」というのは、Jmsさんが「皇后美智子」を「妥協案」と位置づけていたことを踏まえて、安易に足して2で割ったような結論を出すのには私は反対する、という意思表示以上のものではありません。

優先順位の意味すること[編集]

上記での撤回を受けて、節を変える--Jms 2008年5月19日 (月) 15:02 (UTC)[返信]

2008年4月30日(水)12:40(UTC)付の私のコメントは、べつだん「そのまま足し算」というつもりで述べたものではありません。というより、白状すると、そこまで深く考えていなかった、というのが正直なところですが…。あれは、優先順位があることを前提としたうえで、それでも、いずれかを過度に重視したり過度に軽視したりすれば、均衡を失することになる、と考えてのコメントだったつもりです。私はもともと、記事名「美智子」に曖昧さがある、という主張自体に疑問を持っています。繰り返しになりますが「美智子」というフルネームの日本人はほかにいないからです。Wikipedia:記事名の付け方だけ読めば、曖昧さ回避という要件を最も重視すべきで、ほかの要件は相対的により軽視してもよい、ということにもなるでしょうが、Wikipedia:曖昧さ回避の方には、逆に、

読者が迷う恐れがない場合には、曖昧さ回避にするべきではありません。

とあります。この議論はWikipedia:記事名の付け方の内部だけで完結させられる議論ではないでしょう。また、

別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです。

という記述は、あくまで曖昧さ回避の濫用を戒める趣旨であって、Jmsさんの〈「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく」を受けている〉というお考えは、いささか飛躍しているように思います。両ガイドラインをともに尊重し、両ガイドラインの「かねあい」を考慮するのであれば、私にはやはり、記事名「皇后美智子」または「美智子皇后」は、Jmsさんがまとめてくださった3要件の、1.の要件が過度に重視され、2.と3.の要件は過度に軽視されているのではないか、という疑念が拭えません。Wikipedia:曖昧さ回避には、

読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか、また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうかを総合的に判断してください。

ともありますから、だから「美智子」以外に選択肢はない、という結論に直結することにはもちろんなりませんが、読者にとって検索が容易であるかどうかはリダイレクトページとして「皇后美智子」なり「美智子皇后」なりを作成すればクリアできる問題ではないでしょうか。現状でも、Googleで検索すると「美智子」でも「皇后美智子」でも「美智子皇后」でも、Wikipediaの「美智子 (皇室)」の記事が最初にヒットします。「美智子 (皇室)」を「美智子」に改名したら結果が変わってしまうほどGoogleの検索エンジンは無能ではないでしょう。

ところが、ところで、Ginzさんというのはどういうお立場の方ですか?ガイドラインの解釈についてそのコメントが一定の規範性や証拠能力を持つようなお立場の方なのでしょうか。--呆庵入道 2008年5月3日 (土) 12:45 (UTC)(誤字訂正)--呆庵入道 2008年5月7日 (水) 11:52 (UTC)[返信]

Ginz さんがどういう方なのかは (問うことに意味があるなら) 投稿履歴を御覧のうえ御判断なさるのがよろしいかと。
「優先順位があることを前提としたうえで、それでも、いずれかを過度に重視したり過度に軽視したりすれば、均衡を失することになる」というのはどういう状況を想定なさっているのでしょうか。ある記事について、記事名の候補として A、B 二つがあったとして、判断基準 1、2 により、基準1 では A が、基準 2 では B が、それぞれ記事名としてふさわしいと判断される場合、基準 1 が基準 2 よりも高い優先順位を持つならば、選ばれるのは A である、というのが優先順位ということだと思います。逆のいい方をすれば、優先順位が高い方の基準で決まってしまうということです。過度に重視、過度に軽視、という考え方は、優先順位という考え方とは相容れない、加重平均的な考え方でしょう。いちばんはいちばん、にばんはにばん、順序というのはそういうものです。A 君は国語で一番算数で二番、B 君は国語で二番算数で一番、だからどっちも 1.5 番、ということにはなりません。
議論の目的をメタに論じている段階なので、具体的な名称を挙げて今までと同じ主張を繰り返すのは待ってください。まず、議論の目的と、それを実現するためのフレームワークについて合意をとるべきだと思います。--Jms 2008年5月3日 (土) 14:36 (UTC)[返信]
「Ginzさんとはどういうお立場の方か」と私が問うた意味あるいは目的は、Jmsさんが、Ginzさんのコメントを、あたかもガイドラインの一部をなすもの、あるいはガイドラインの公式な解釈であるかのように語ったことが正当かどうか確認することです。当然、そのことが正当かどうかの立証責任はJmsさんにあるものと考えます。投稿履歴を見てもそんなことは判断できません。
それと、私が2008年5月3日(土)12:45(UTC)付のコメントで指摘し、お願いしたことがらについては、すべて認容しご承諾いただいたということでよろしいでしょうか。何もご返答がないということは、きちんと約束していただいた、今後は改善または遵守していただける、と受けとめてよいものと考えますが、それでよろしいでしょうか。
繰り返しになりますが、Wikipedia:記事名の付け方だけを使って議論するならば、Jmsさんのおっしゃるような話になるでしょう。しかし、私は、それだけでかたのつく議論ではないと私は申しあげています。同ガイドラインには、
記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。
と確かに書いてあります。ただ、葵の印籠のように、この一文を振りかざせばほかのあらゆる要素は無視してよいということにはならないはずです。Jmsさんのこれまでのご態度は私にはそのようにしか受けとれません。Jmsさんにそんなつもりがあるかどうかはこの際関係ありません。オンラインでの議論では、誤解はされるものではなく招くものです。同ガイドラインになぜこのような規定があるかといえば、結局のところ、記事名に曖昧さがあると、記事と記事とを内部リンクで結ぶのに支障が出るからでしょう。どんなにキレイゴトを言っても、要するに技術的制約という理由がいちばん大きい。また、Wikipediaのガイドラインはほかにもたくさんあります。この規定を守るためなら何をしてもよい、ということにもならないはずです。Wikipedia:曖昧さ回避を読めば、曖昧さ回避は、あくまでも仕方なくやるものであってやらないで済むならば、やらないで済ますのがいちばんいいものであるのは明瞭でしょう。Wikipedia:記事名の付け方での優先順位が最高だからといって、安易に曖昧さ回避を導入してよいとは私はどうしても思えません。
繰り返しになりますが「正確さ」がWikipedia:記事名の付け方において「わかりやすさ」よりも優先順位が低いことには私も同意しています。「本件議論の目的は、最も適切で正確な記事名を選ぶことであって、最もあたりさわりのない記事名を選ぶことではないはずです」という意見はすでに撤回しました。しかし、曖昧さ回避を安易に選択することにはあくまで反対です。「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という文言に盲目的に拘泥することが正しいやり方だとは思えません。--呆庵入道 2008年5月7日 (水) 11:52 (UTC)[返信]
「2008年5月3日(土)12:45(UTC)付のコメントで指摘し、お願いしたことがらについては、すべて」というのは、具体的にどれとどれのことでしょうか。「多様な論点を一気に羅列するようなことは今後はおやめいただけると幸いです」という例示については、状況によりますので、お約束できかねます。しかし、論点をひとつにしぼっていただければ、その論点が本当にひとつにしぼれている (実は複数の論点が潜んでいたりしない) という前提で、対応できるかもしれません。これから書くことがふたつめの論点になるのかどうか判断に迷いますが (というのは部分への分割において論点をどうとらえるかに依存するためですが)、同一パラグラフで述べられているので同一ないし極近い論点なのだろうと仮定して書くと、「Jmsさんのコメントが難解でわかりにくいというのは、それが高度に専門的で難解だからというよりは、論点がひどく鋭く絞り込まれているので、いま議論の中心になっている論点を私がしばしば見失った、ということです」と言うのは、論点を絞りこむなという指摘にも読めます。もしそうであるなら、「多様な論点を一気に羅列」するな、というのと矛盾する依頼をなさっているので、対応できかねます。しぼりすぎず、ひろげすぎず、という御依頼なら、価値規範依存の部分があるので必ずしもお約束できません、という回答は可能ですが、これだとひとつのことがらにになってしまうので、「すべて」という条件を満たしません。「きちんと約束していただいた、今後は改善または遵守していただける」という、かなり強い表現で確認を御許めですので、それ相応の明確な指定をお願いします。
ひとつひとつということですので、Ginz さんの件と、「繰り返しになりますが」で始まるふたつのパラグラフについては、保留いたします。--Jms 2008年5月7日 (水) 15:21 (UTC)[返信]

ひとつひとつということですから、とりあえずひとつだけ質問しましょうか。

Jmsさんのそのばかげた揚げ足取りと論点のすりかえに専念するスタイルはいったいいつまで続くのでしょうか。

私はこれまで、Jmsさんのたくさんのコメントに対して、同意したり、批判したり、反論したり、弁明したり、質問したり、真意を確かめたり、いろいろと問いかけ、働きかけ、語りかけてきましたが、Jmsさんから正面からきちんと応えた返事をもらった最後のケースがいつだったか、もう思い出せません。

おおかたは、そもそも返事がもらえません。頭から無視です。そうでなければ、いきなり新しい議題や論点を提示して、それまでのやりとりを白紙に戻してしまう。たまさかに何か返事らしきものが返ってきても、断片的だったり、散漫だったり、前言との関連性が不明瞭だったり、説明不足だったり、意味不明なたとえ話であったり、片言隻句を捉えた揚げ足取りであったり、とにかくそもそも真意が不明なものばかりです。突然「皇后陛下のフルネームは美智子ではない」などという不条理なことを言い出して議論を空転させたりもしましたね。こちらはJmsさんの言っていることがわからないから、また質問や真意の確認をする。そうするとまた要領を得ない答えしか返らない。もう疲れました。

私が繰り返しあれこれと「約束」を要求するのは、要するにそういったJmsさんの議論の手法に強烈な不信感をいだいているからです。何を考えているのかわからない人、何を言い出すかわからない人、何をやりたいのかわからない人とのあいだに信頼関係を築くのは非常に困難です。自分が損得を考えずに考えていることをそのままコメントしてしまう性質だけになおさら困難です。

私の問いかけがそもそもばかげていて返答する価値さえないとお考えなのでしたら、その都度そう言っていただきたい。私にとっては、そのほうがはるかに誠意ある態度です。

とにかく、自ら進んで議長役を買って出ておられるのですから、これ以上議論を停滞させないでください。「呆庵入道が間抜けなコメントばかり並べるから議論が先に進まないのだ」ということにしてもらってもけっこうですから、話を本題に戻して先へ進めていただきたい。このままでは、Jmsさんにとっては、呆庵入道の揚げ足を取ることこそが「この議論の目的」だということにしかなりませんよ。--呆庵入道 2008年5月10日 (土) 11:01 (UTC)[返信]

わたくしとしては妥当性を欠く批判をされている気がしますが、その判断は他の方々に御任せします。その様な見方がある、というのはもちろん事実ですので、謙虚にうけたまわります。
「質問しましょうか」の「か」にとてもひっかかりを覚えますが、あえて抑えてお答えいまします。
Jmsさんのそのばかげた揚げ足取りと論点のすりかえに専念するスタイルはいったいいつまで続くのでしょうか。に対しては、「ばかげた揚げ足取りと論点のすりかえに専念するスタイル」というのに同意致し兼ねますので、その御質問にはお答え致し兼ねます。強いて言えば、わたくしとしては互いに姿見を見ているのではないかと考えております。そのたとえがわからないから説明せよ、とお求めいただいておりますが、あえて姿見とだけ書いて留めているところを汲んでいただければと思います。姿見に何が写って見えるかは、結局はその人次第です。「正面からきちんと応えた返事をもらった最後のケースがいつだったか、もう思い出せません」というのは、正面から受け止められていない誤解を招きかねないので補足。相手は正面からきちんと応えた返事をしているのに、それを正面から受け取れていないのかもしれない、という意味だけかもしれません。しれません、であって、事実がどこにあるかは難しいところです。互いに全く異なる前提に立って議論しているのですから、自分の正面を疑う、姿見が 45 度に傾いているのか、自分の方を向いているのか確かめてみる、そういった作業が必要だとわたくしは考えています。それは大変疲れますし、何より自分の姿が人前にもさらされ、また自分にもあらわになるので、大変辛い作業です。
「私の問いかけがそもそもばかげていて返答する価値さえないとお考えなのでしたら、その都度そう言っていただきたい。私にとっては、そのほうがはるかに誠意ある態度です」とのことですが、馬鹿げているという判断をわたくしはあまりしないのと、仮に馬鹿げていると判断するにしても、そのためには相手の問や主張の意味するところを理解する必要があります (この過程で裏を読むわけです)。まだその過程の段階ですので、判断には至っておらず、都度申し上げるわけにも参りません。
話を本題に戻して先へ進めていただきたい、とのご希望ですが、わたくしは本題に向かって進んでいると考えています。そのための前提条件を確認している段階です。前提を共有せずに議論もどきをしても、先へは進めません。現在はWP:NCをどう位置づけるかという確認をしている段階です。「おおかたは、そもそも返事がもらえません。頭から無視です。」というのは、返事をするための確認作業が無限後退に近い状況になっているからではないでしょうか。呆庵入道さんにとって当然のこと (たとえば、「葵の印籠のように、この一文を振りかざせばほかのあらゆる要素は無視してよいということにはならないはず」) が、わたくしにとっては他のことと矛盾してしまう (もし「葵の…」という主張が成立するなら、最優先ではない事になるので、優先順位に同意していないことになり、従って WP:NC を受けていれていないことになり、呆庵入道さんが述べたことに矛盾する) ので、その矛盾を除去するための次の問いに一歩後退しているのですが、それが呆庵入道さんには「無視」に見えているのかもしれません。意図的に無視している部分があるとすれば、「ああ筆が滑ったのね、見なかったことにしましょう」というのはあるかもしれません。たとえば
「呆庵入道が間抜けなコメントばかり並べるから議論が先に進まないのだ」ということにしてもらってもけっこうですから、話を本題に戻して先へ進めていただきたい。このままでは、Jmsさんにとっては、呆庵入道の揚げ足を取ることこそが「この議論の目的」だということにしかなりませんよ。
などは、「そんなこと書かなきゃいいのに、書かずにはいられないのだろうなぁ、そんな思いさせて済まないねぇ、でも呆庵入道さんの主張がわからないんだ」と思いつつ、スタイル批判をしてもしかたないので、見なかったことにする例です。
さて、わたくしに関して対話相手としての不信任が提出されましたが、では以降どの様にこの件をすすめましょう。--Jms 2008年5月10日 (土) 11:47 (UTC)誤字修正 提出されましたか→が --Jms 2008年5月10日 (土) 15:31 (UTC) 誤解を招き兼ねない表現補足 --Jms 2008年5月12日 (月) 09:29 (UTC)[返信]

私はJmsさんが信頼できないといって憤激しているのではなく、Jmsさんを信頼したくてもできない状況に陥っていることを悲嘆しているだけなので、その点はご理解願います。

今後の議論ですが、別にどのように進めていただいてもかまいません。とにかく本題が前に進みさえすれば。私があれこれ言ったところで、Jmsさんの議論のスタイルやポリシーはいまさら変えられないでしょう。私の短気と馬鹿正直と論理性の欠如もおそらく一生治りません。議長役はどうやらJmsさんが引き続き引き受けていただけるおつもりのようにお見受けいたしますのでお任せいたします。

さて、それでは、議論を先に進めるためには、私はまず何をすればよろしいでしょうか。何からお答えしましょうか。お手数ですがひとつご指南願います。できれば1回に1問ずつ、なるべく平易なかたちでお願いいたします。--呆庵入道 2008年5月12日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

それではまず、「2008年5月3日(土)12:45(UTC)付のコメントで指摘し、お願いしたことがらについては、すべて」というのは、具体的にどれとどれのことか、列挙をお願いします。--Jms 2008年5月12日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
ご質問にお答えすると本件改名提案についての議論がどれほどどのように前に進むのかどうかよくわかりませんが、お尋ねですからお答えいたします。
  • 2008年4月25日(金)15:50(UTC)付のコメントのような、多様な論点を一気に羅列するようなことは今後はやめていただきたい。その場で回答する必要のあることだけ選んでご質問いただきたい。
  • Jmsさんから私への質問や批判に対して私からお答えしたことについては、諾であれ否であれ回答の保留であれ、なんらかの反応をいただきたい。無言のままというのはやめていただきたい。
  • Jmsさんのコメントは客観的には簡にして要を得たものかもしれないけれども、私にとっては逆に簡略に過ぎて、しばしば言葉足らず・説明不足に感じられることがある、ということをご理解いただきたい。
  • 記事名はWikipedia:記事名の付け方だけでなく他のガイドラインも考慮しなければ決定することができないはずで、同ガイドラインの枠内だけで議論を進めることには無理がある。
以上です。--呆庵入道 2008年5月14日 (水) 12:54 (UTC)[返信]
御回答頂いた 4 点のうち、第一点については前述の通り状況によりますが、可能であれば対応します。第二点については、なるべくそう致しますが、見落としということもあろうかと思います。第一点に従うなら見落としの可能性は少なくなりましょう。第三点については、同じ事の繰り返しを避けている面もあるので、分かりにくければ具体的に御質問いただければ助かります。最後の点については、これから、必要があれば議論します。
さて、本論を進めることを優先してペンディングな点からひとつ選ぶと、次は呆庵入道さんの 2008年5月7日 (水) 11:52 (UTC) 付け「繰り返しになりますが」の一つめを検討することになると思います。
Wikipedia:記事名の付け方にある項目の優先順位について合意が成立しているはずですが、「葵の印籠のように、この一文を振りかざせばほかのあらゆる要素は無視してよいということにはならないはず」というのは、「足し算方式」をも意味するならば (というのは足し算方式から出ている議論なのでそう解釈しているのですが) 優先順位に矛盾すると考えています。この点について確認させてください。前述しましたが、優先順位のあるふたつの判断基準1、2 (1 が優先) があり、記事名候補 A、B があるとき、基準 1 で A、B いずれか一方に決まれば基準 2 は使われず、基準 1 で決まらない場合にのみ基準 2 が考慮される、というのが判断基準に優先順位がある、という意味だとわたくしは理解していますが、これには同意できますか。同意できない場合は、同じく基準 1、2、記事名候補 A、B という道具立てだけを用いて、優先順位があるということをどう考えるのか、説明してください。一点ずつですので、今回はここまで。--Jms 2008年5月14日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
2008年5月14日 (水) 12:54 (UTC) のコメントの第1点から第3点までについて基本的にご同意いただいたようで心から安堵しております。ありがとうございます。これで議論が続けられます。第4点については、まだ問題提起の段階で、これから本格的に議論すべきことであるのはもちろんです。
私が「ほかのあらゆる要素」と言ったのは、優先順位のより低い要件である「リンクの作成しやすさ」「正式名称」を指したものではなく、コメントのなかでWikipedia:曖昧さ回避を例示したように、主として他のガイドラインの存在を念頭に置いたものです。優先順位についての考え方はJmsさんに同意します。ただ、今回のケースで「基準 1、2、記事名候補 A、B という道具立てだけを用い」ることは、おかしい、正しくない、というのが私の2008年5月7日 (水) 11:52 (UTC) 付のコメントにおける主張の中核です。つまり上記の第4点の繰り返しです。5月3日→7日→14日→17日と私は基本的には同じことを言っているつもりです。--呆庵入道 2008年5月17日 (土) 13:26 (UTC)[返信]
質問のフレームワークとしては、まず、Wikipedia:記事名の付け方に限って、その中での優先順の意味するところを聞いています。ひとつずつですから、それに確実に答える前に、その先に行かないでください。先に進むことで矛盾を導入してしまい、答えた事が答えていないことになってしまう場合もあり得るので、ひとつずつ確実にこなしてください。念のため、再度問います。同意ということですから、条件 1 で一方に決まれば、条件 2 について判断することはない、というので間違いありませんね? --Jms 2008年5月17日 (土) 14:40 (UTC)[返信]
しつこく言っておかないとまた無視されるかもしれないと思うと不安なものですから。Wikipedia:記事名の付け方の枠内に限って、という前提のうえでならば「条件 1 で一方に決まれば、条件 2 について判断することはない」ということでけっこうです。「まず何よりも」「その次に」…という明文規定がある以上、ほかの選択肢はありません。--呆庵入道 2008年5月19日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
(インデント戻し) 優先順位のある条件 1、2 があって、それに基づいて A、B いずれかを判定する場合に、という一般化された形で、優先順位とは手続きとして何を意味するかを問うているのですが、それが一般には成立せず「Wikipedia:記事名の付け方の枠内に限って」という前提が必要になる、ということは、優先順位のある条件 1、2 による判断について、他の様式があるという主張だと思います。それはどんな様式ですか。上記手続きは優先順位のある判定条件一般に成り立つとわたくしは考えています。--Jms 2008年5月19日 (月) 15:02 (UTC)[返信]
「他の様式があるという主張」というのは深読みのしすぎです。Jmsさんが「Wikipedia:記事名の付け方に限って」とおっしゃったので鸚鵡返しをしただけです。本件議論がWikipediaの記事名を決めるための議論である以上「Wikipedia:記事名の付け方に限って」という前提が存在することは当然のことだと考えます。--呆庵入道 2008年5月21日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
判断基準に優先順位があるというのは手続き的にどういうことか、という点については齟齬はないと判断します。さて、その上で、呆庵入道さんの
  • 優先順位があることを前提としたうえで、それでも、いずれかを過度に重視したり過度に軽視したりすれば、均衡を失することになる
  • 葵の印籠のように、この一文を振りかざせばほかのあらゆる要素は無視してよいということにはならないはず
  • 今回のケースで「基準 1、2、記事名候補 A、B という道具立てだけを用い」ることは、おかしい、正しくない
(これらはひとつの事を言い替えていると理解しています) について検討します。
もし、Wikipedia:記事名の付け方がよるべき基準であるならば、それ以外の判断基準を用いる必要があるのは、Wikipedia:記事名の付け方で記事名が決まらない場合だけです。呆庵入道さんの上記主張は、Wikipedia:記事名の付け方にもとづいて記事名が決まる場合であっても、それ以外の基準も用いるべきだ、ということを含意します。すなわち、記事名の決定はWikipedia:記事名の付け方によらない、という主張をしていることになります。呆庵入道さんがそれを意図しているとは思いませんが、論理構造上、意図せずしてそう主張してしまっている様にわたくしには思えます。この点について、Wikipedia:記事名の付け方によらない記事名の決定を主張なさろうとするのでなければ、上記三点は取り下げていただかないと、議論はかなり難しいと思います。もちろん、Wikipedia:記事名の付け方で記事名が決まらない場合にはその限りではありません。--Jms 2008年5月21日 (水) 14:41 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方だけで記事名が決まるのであれば、Wikipedia:記事名の付け方に基づいて記事名が決まるのは当然のことです。ガイドラインWikipedia:記事名の付け方と他のガイドラインとの優先順位が問題になるのは、ご指摘のWikipedia:記事名の付け方だけで記事名が決まらない場合は当然として、これに加えてWikipedia:記事名の付け方だけを使って決めた記事名が他のガイドラインの趣旨に違反・抵触する場合です。そもそも私はWikipedia:記事名の付け方だけでも充分に本件提案が通るものと考えて本件提案をいたしましたし、いまもそう考えています。あたかもWikipedia:記事名の付け方よりもほかのガイドラインをより尊重すべきであると主張しているかのような誤解を受けたのは、反対意見や代案への反駁のための論拠として過度にそのことを強調してしまったためです。もちろんそれはあくまでも私の失言ですので誰を責めるつもりもありません。--呆庵入道 2008年5月24日 (土) 12:29 (UTC)[返信]
では、以下ではWikipedia:記事名の付け方の範囲で、優先順位に従って検討します。

要件1:曖昧でなく理解しやすいもの[編集]

Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点から、「皇后美智子」と「美智子」という記事名候補を検討します。

  • 「皇后美智子」は、「皇后」という言葉の意味を知っていて、「美智子」というのが女性の名であると知っていれば、誰を指すかに曖昧さはなく、理解も容易です。
  • 「美智子」は、一般に女性の名ですから、これが誰を指すかには曖昧さがあり、またこれをもって皇后である美智子だという理解は必ずしもできません。正式名称/フルネームが「美智子」なのは唯一人しかいないから曖昧さはないという主張がありますが、それが成立するためにはそのこと、すなわちその「美智子」は姓のない美智子を指すのであって、一般的な名としての美智子ではないということを背景知識として持っていることが前提です。これは「美智子」という文字列が単独で記事名に用いられた場合に何を意味するかをあらかじめ知っている人には、曖昧さがなく理解しやすいという主張でしかありません。

以上より、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点からは、「皇后美智子」という記事名の方が「美智子」という記事名よりも適切であると判断されると思います。--Jms 2008年5月24日 (土) 14:03 (UTC) 脱字挿入 --Jms 2008年5月24日 (土) 20:31 (UTC)[返信]

(コメント)単なる美智子は美智子女王の頁もありますんで(てか、俺が赤リンク解消のために立てたんですが)駄目でしょう。称号を省いたらどっちのことだか分からなくなる。美智子皇后がいいでしょうね。--アダモステ 2008年5月24日 (土) 20:04 (UTC)[返信]

確認させてください。「皇后美智子」ではなく「美智子皇后」を提案している、という理解でよろしいですか。--Jms 2008年5月24日 (土) 20:31 (UTC)[返信]
そっすね。美智子皇后を提案します。皇后美智子だと、皇室に悪意を持つ人々の言うところの天皇明仁、と同じ感じがして受け入れがたいものがあるんですよね。何というか、呼び捨てっぽくてですね。あと、歴代皇后と並べたとき書き方が違うと正当でない存在のように扱っているとも見えてしまうんで。その点美智子皇后だと歴代皇后の何々皇后、という名前と同じ形式になって収まりがいいっすから。--アダモステ 2008年5月24日 (土) 20:41 (UTC)[返信]
了解。三つ巴で検討する必要はないでしょうから、「皇后美智子」と「美智子」の結果が出たら選ばれた方と「美智子皇后」とで検討しましょう。既に「『美智子皇后』とすると歴代皇后の諡号#后・妃の諡号とまぎらわしい」という意見が出ています。また、皇統譜の 124 代天皇の部分の画像に「母 皇后節子」とあることから、現皇太子については「母 皇后美智子」となるのではないか、という意見もあります。これらの点について準備しておいていただくと、前記の結果が出た後の議論が円滑に進むと思います。もしお時間があればよろしくお願いします。--Jms 2008年5月24日 (土) 20:58 (UTC)[返信]
今思いついたんですけどね、折衷案として美智子 (皇后)はどうでしょうね?どうしても決まらない場合の候補として考えといていただけないっすかね。--アダモステ 2008年5月24日 (土) 21:24 (UTC)[返信]
先々のことを書いて誘導したくはないので、今後の検討対象記事名候補を「美智子皇后」、「美智子 (皇室)」、「美智子 (皇后)」とし、検討順序は上記結果を待って決める、という程度にとどめたいと思います。ひとつひとつ着実に進めましょう。--Jms 2008年5月24日 (土) 21:33 (UTC) 「美智子 (皇室)」取り下げ --Jms 2008年5月25日 (日) 07:57 (UTC)[返信]
これまで姓なしの個人名「美智子」は皇后しかないという前提で話し合われてきたのが実は他にもありましたということが明らかになったので、この段に至っては問題は各「美智子」の曖昧さ回避の図り方という点に絞ってしまってよいのではないでしょうか。私は上のJmsさんの2008年5月24日 (土) 20:31のご意見に賛同しますが(以前もうえーの方でそう書きましたが)、この点で各意見の人が納得して同意できるのなら最善なのですが、もし同意が難しいようであればこの点は飛ばして、実利優先で「曖昧さ回避の方法」という観点でどのようなページ名がよいか話し合った方が、早期に問題を解決できるのではないでしょうか。--PRUSAKYN 2008年5月25日 (日) 07:19 (UTC)[返信]
うっかりしていましたが、美智子女王が存在する以上、「美智子 (皇室)」のママというのはダメなので、改名不可避ですね。候補が一つ減ったのはよいけれど。--Jms 2008年5月25日 (日) 07:57 (UTC)[返信]
確かにうっかりしました。「美智子_(皇后)」はありかもしれませんが。--PRUSAKYN 2008年5月25日 (日) 08:14 (UTC)[返信]
途中の議論に参加せずに意見ばかりで申し訳ありません。状況(他の美智子が出てきた)が変わり、曖昧さ回避の必要性が生じたことは理解しました。「美智子 (皇后)」、「美智子皇后」、「皇后美智子」いくつか候補があげられているようですが、個人的には、この節での当初のJmsさんの提案及び皇統譜の記載方法から「皇后美智子」を押します。しかしながら、直接皇統譜の美智子の欄についての確認が取れていないことなどから「美智子 (皇后)」もありだと思っております。-- 2008年5月25日 (日) 08:42 (UTC)[返信]
話を先に進めて差し支えなれば、という前提でコメントしますが、私も「皇后美智子」でよいように思います。皇室に悪意を持つ人々の言うところの というご心配はあるかもしれませんが、他国の事情を考えれば称号が前に来ることは別におかしいことではないので、私は別段 受け入れがたいもの は感じません。それほど悪意を助長するのであればやめた方がよいと思いますが、一般の日本語読者を想定する限り、そこまで心配しなくても大丈夫なのではないでしょうか。--PRUSAKYN 2008年5月25日 (日) 09:19 (UTC)[返信]
横から失礼します。これまでの議論も読ませていただき、私としては「美智子 (皇后)」または「皇后美智子」を支持します。ただ『「美智子女王」の記事があるので「美智子」は不可』という流れになってから呆庵入道さんの書き込みがないまま話が進みそうになっていることに危惧があります。私はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物の記事名についてでの議論の関係からこちらの議論も読ませていただいたのですが、あちらで呆庵入道さんは「皇族の身分を離れた者の記事名については、皇族の身分を離れて以後の姓名を記事名とすべき」と主張されていますので(積極的な賛成は得られていませんが)、「『美智子女王』は『賀陽美智子』であるべきで、現皇后の記事名は『美智子』が正しい」と主張されそうです。話を前に進めるのは呆庵入道さんのコメントを待ったほうが良いように感じましたので、私が言うことではないのですが、コメントさせていただきました。これまでの議論に参加していない者がでしゃばり失礼いたしました。--あるふぁるふぁ 2008年5月25日 (日) 13:34 (UTC)[返信]
それなんですがね、美智子は皇室にただ一人という入道さんの提案の前提はすでに一度崩れているわけですから、その必要はないんじゃないですかね。仮に改名したとしても美智子女王という記事名がリダイレクトリンクとしてでも残れば混同の可能性は生じるわけで。話を進めるべき、早く結論を出すべきだと思いますよ。ただでさえ一月以上論争が続いて、皇室関係の記事に飛び火もして、気分を害した人も多い。美智子女王を見つけなかったらfinishを提案していたところですよ。早く終わらせましょうや。--アダモステ 2008年5月25日 (日) 13:56 (UTC)[返信]
私としてもそう思いますし、議論の流れも私の考えに合う方向に進みそうなので、話を進めていただいて一向に構わないのですが、あとから話を戻されるといやだなぁ…と。--あるふぁるふぁ 2008年5月25日 (日) 14:08 (UTC)[返信]
誰かが議論を戻そうとしても、それを受け入れるかどうかは議論に参加している参加者の意志に基づくわけで。他の参加者がそう望まなければ、彼の意見がどうあれ却下されるでしょうや。今大事なのは、新しい記事名候補についてどれが分かりやすいか調べて検討して、結論を出すことだと思いますよ。とりあえず、静かになってるんですから話を進めましょうや。--アダモステ 2008年5月25日 (日) 14:29 (UTC)[返信]
現在にせよ過去にせよ、「美智子」という名前だけを持った人物は2人存在する(した)わけです。美智子女王の方が現在別の名前になっていたとしても(仮に別の名前でページが作成されたとしても)一時期「美智子」と呼ばれていた事実にかわりはなく、いずれにしても現在の皇后との曖昧さ回避は必要です。特にこの件について心配する必要はないかと(美智子女王がどのようなページ名で作成されようと、こちらとの曖昧さ回避のページとして美智子は必要になります)。あと、お二人のように途中からでも意見を寄せてくださるのは歓迎です。ありがとうございます。--PRUSAKYN 2008年5月25日 (日) 14:41 (UTC)[返信]
結論を急ぐ必要があるかどうかの判断材料にしたいので、「皇室関係の記事に飛び火」の参照先を御教えいただければ幸いです。手際がわるくて時間がかかっているのはごめんなさい。--Jms 2008年5月25日 (日) 15:32 (UTC)[返信]
あー、言い方がまずかったっすかね…俺が言いたいのは入道さんがこことか皇族記事の改名議論とかの強引なノリであちこちの皇室関係記事の編集をやってまして、それを飛び火と言ったんっすよ。入道さんの編集、まっとうな編集も少なくないんですけどおや?っての多くてですね。女系天皇のところの「ありえない極論」だとかここでの「絶無」発言、旧皇族での「血統を売り物にする」、準皇族での「根拠のない誹謗中傷」とか決め付けっぽい編集があったり、旧皇族、準皇族は俺も関ったんすけど、自分の編集以外一切認めないって感じでリバートするし、天皇家とか内廷皇族とかじゃノートで散々大声をあげてまして。後醍醐天皇とかプチ編集合戦になってるところもあって。こことかもうひとつの、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/皇族の身分を離れた人物の記事名についてでも席を蹴って退席しちまった人いたし喧嘩になって議論が止まることもあったし。議論始まってからもう皇室記事全体がなんか大火事っぽいんですよね。早いとこ議論終わらせてそっちのほうも鎮火に向かってほしいっすね。--アダモステ 2008年5月25日 (日) 18:49 (UTC)[返信]
ざっと拝見しましたが、ここでの議論が早く終わることがそう影響するとも思えないので、粛々と進めようと思います。--Jms 2008年5月25日 (日) 20:47 (UTC)[返信]
んじゃ、それでいいっすよ。候補の検討に戻るってことで。--アダモステ 2008年5月26日 (月) 16:54 (UTC)[返信]
(私が議論を止めてしまった張本人ですが…)その後呆庵入道さんからの異議もないようですし、粛々と進めてくださって結構です。--あるふぁるふぁ 2008年5月29日 (木) 10:24 (UTC)[返信]
粛々の判断基準としては、呆庵入道さんがこのノートで反応するか、他の記事について編集するか、または、合理的と思われる期間が経過するまで、というのを想定しています。それまでは、待ちます。合理的期間について御意見があれば、ぜひお願いします。--Jms 2008年5月29日 (木) 10:40 (UTC)[返信]
既に他の記事の編集や議論への参加はされているようです。--あるふぁるふぁ 2008年5月29日 (木) 14:28 (UTC)[返信]

最初にお断りしておきますが、本件改名提案は、美智子女王の存在は承知のうえで出しました。「美智子女王」は「美智子女王」であって「美智子」ではありませんから。しかも1943年に結婚して「徳大寺美智子」になっていますしね。1945年に離婚して「賀陽美智子」に戻していますが、皇族には戻れませんでした。したがって1947年に皇籍離脱したメンバーには入っていません。なお「女王」が称号でも敬称でもなく身位であり、Wikipediaの記事名としては名の一部として用いられることはwikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族ですでにローカルルールができています。皇后陛下と賀陽美智子さんを「重複」と捉えるのはナンセンスです。

天皇や皇族が姓を持たないことを予備知識として持っていない人のために記事名を「皇后美智子」とすべきだ、という主張には首肯できません。それは言い出したらきりがないからです。私はJmsさんに繰り返し繰り返し繰り返し質問してきましたね。「内閣総理大臣福田康夫」が許されないのに、なぜ「皇后美智子」は許されるのかと。Jmsさんはいつもいつもいつも私の質問から逃げ続けてきましたが、そろそろお答えをいただきたい。福田康夫が日本の内閣総理大臣であることを知らない人はWikipedia日本語版利用者のなかにひとりもいないと断言できますか。

姓を持たず名のみを持ち「美智子」をフルネームとする人物が日本中にたったひとりしかいないということは「美智子」という記事名を持つ記事はほかにはつくられないということです。ということは、Wikipedia:記事名の付け方だけでも皇后陛下の記事の記事名を「美智子」に決めるのには充分だということです。一般的な女性名の「美智子」の記事はどうせ「字引的な記事」にしかならないのですから、本来はWiktionaryに載せるべきです。現在、日本語版のWiktionaryは、人名の登録を即時削除の罰則を持って禁じていますが、これは相手方の事情、それもどうやら日本語版独自の特殊な事情のようです。Wikipediaがその百科事典としての本分を離れて、Wiktionaryの果たすべき役割を肩代わりする理由にはなりません。「美智子」というファーストネームを持つ著名人のリストをつくりたいのであれば「記事内容が記事名を規定する」というJmsさんのご持論に忠実に「美智子という名を持つ著名な日本人女性の一覧」という記事名で記事を作成すべきです。

さらに、皇后陛下の記事である「美智子」に曖昧さ回避をする必要がないのに、あえて曖昧さ回避を行おうとするのは、Wikipedia:曖昧さ回避に言う「読者が迷う恐れがない場合には、曖昧さ回避にするべきではありません。」という規定に違反します。Wikipediaにリダイレクト機能がある以上、皇后陛下のフルネームが「美智子」であることを知らない人でも、記事の検索に迷う恐れはありません。本件はWikipedia:記事名の付け方だけで結論は出せないはずだ、と私が言うのはそういうことです。

皇統譜の記載事項は前出の画像が「親王|徳仁」であることから推測するならば「皇后|美智子」となっていると考えるのが妥当でしょう。旧皇統譜令の規定もそうなっています。「皇后」は名の一部ではなく皇統譜のページのタイトルです。2008年4月25日 (金) 14:17 (UTC)の私のコメントでこのことはすでに指摘しています。いまになって否定論を口にするのは証文の出し遅れと言うものです。

「皇室に悪意を持つ人々」が天皇や皇后を呼び捨てにするから、というのは記事名決定の根拠になりません。明白なNPOV違反だからです。Wikipedia:中立的な観点には「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」とあります。皇室に好意を持つ人も悪意を持つ人も、Wikipediaでは平等に扱われなければなりません。--呆庵入道 2008年5月29日 (木) 14:59 (UTC)[返信]

福田康夫については既に答えた通りです。議論の進めかたについて合意できているのですから、合意された優先順位について、比較すべき記事名を、一つ一つ検討しましょう。念のため論点を再掲します。
  • 「皇后美智子」は、「皇后」という言葉の意味を知っていて、「美智子」というのが女性の名であると知っていれば、誰を指すかに曖昧さはなく、理解も容易です。
  • 「美智子」は、一般に女性の名ですから、これが誰を指すかには曖昧さがあり、またこれをもって皇后である美智子だという理解は必ずしもできません。正式名称/フルネームが「美智子」なのは唯一人しかいないから曖昧さはないという主張がありますが、それが成立するためにはそのこと、すなわちその「美智子」は姓のない美智子を指すのであって、一般的な名としての美智子ではないということを背景知識として持っていることが前提です。これは「美智子」という文字列が単独で記事名に用いられた場合に何を意味するかをあらかじめ知っている人には、曖昧さがなく理解しやすいという主張でしかありません。
という意見が出ています。呆庵入道さんは、Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点で判断した場合に、どちらがより適切な記事名だと考えますか。--Jms 2008年5月29日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
「女王」込みでページが作成されるはずだというウィキペディア内の事情を知らない一般閲覧者や、wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族を見ていないウィキペディアンは「まさか女王付きでページが作成されることなんてないだろう、クリスティーナ女王ではページは作成されないのだから」と思って「美智子」で検索するでしょう。そしたら皇后がヒットするのですか? そういう場合への配慮として、「美智子」は曖昧さ回避とする有用性はあります。
では反対意見が付いたということで美智子_(皇后)でよいでしょう。美智子女王との曖昧さ回避ですから「_(○○)」のスタイルは使用可能です。「皇后美智子」や「美智子皇后」と比べて意味が通りにくくなることはありませんし、もし呆庵入道さんの仰るような配慮(福田首相関係)をする必要があるのならば、「_(皇后)」のスタイルは万全です。私は「皇后美智子」でよいと思いますが、「美智子_(皇后)」で妥協が図れるのなら、これ以降議論にリソースを費やすよりはその方がよいと思います。--PRUSAKYN 2008年5月29日 (木) 17:32 (UTC)[返信]
それでいいっす。んじゃ、これでfinishっすかね。--アダモステ 2008年5月29日 (木) 17:40 (UTC)[返信]
PRUSAKYNさんの2008年5月29日 (木) 17:32 (UTC)の提案に賛成です。議論も尽くされていると思いますのでアダモステさんの終了提案にも同意します。--あるふぁるふぁ 2008年5月30日 (金) 07:47 (UTC)[返信]

「福田康夫についてすでに答えた」というのはJmsさんのいつのコメントのどの部分のことですか?私はJmsさんからきちんとした回答をいただいた覚えはありません。

「その「美智子」は姓のない美智子を指すのであって、一般的な名としての美智子ではないということを背景知識として持っていることが前提」というのが私には理解できません。現に皇后陛下に姓がない以上、利用者が背景知識を持っていようといまいと、皇后陛下が姓を持たないという事実は変えられません。「日本人ならば必ず姓を持っているはずだ」という誤った思い込みに配慮して、姓のない人物の名に“姓に代わる何物か”を補うのであれば、それは曖昧さ回避という以前に単なる捏造です。「美智子」が日本にただひとりしかいない以上「美智子」で検索した結果が皇后陛下の記事となることは必然的なことです。事実は曲げることができません。一般的な女性の名「美智子」が本来Wikipediaの守備範囲外であることはすでに述べました。

Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点で判断した場合でも、私の意見は変わりません。特に「皇后」が名前の一部であるという誤解を与える可能性のある「皇后美智子」「美智子皇后」には賛成できません。いずれにしてもこれらの改名案が“過剰な曖昧さ回避”であってWikipedia:曖昧さ回避に違反するという考えに変わりはありません。この2つの案よりは現状維持のほうがまだマシです。--呆庵入道 2008年6月1日 (日) 12:04 (UTC)[返信]

では、皆様「美智子_(皇后)」への改名への反対はないということで、Jmsさんがこれでゴーサインを出して下さればこれで決定しましょう。ご苦労様でした。--PRUSAKYN 2008年6月1日 (日) 12:14 (UTC)[返信]
そっすね。賛成4ないし5、反対0、以上で「美智子_(皇后)」決定ということで議論finish。Jmsさんの音頭で正式に決を取って移動っすね。--アダモステ 2008年6月1日 (日) 12:52 (UTC)[返信]
福田康夫については 2008年4月23日 (水) 15:27 (UTC) に言及しました。
議論の進めかたについて時間をかけて合意をとりながら参りましたが、呆庵入道さんに合意された進行に沿ったやりとりを再度促したにもかかわらず御理解いただけず残念です。こういう状況では「美智子_(皇后)」について問われれば反対はしないと答えるしかありません。その上で「美智子」はどうしましょう。--Jms 2008年6月1日 (日) 14:06 (UTC)[返信]
いろいろ残念な部分はあると思いますが、ここまで議論が堂々巡りになっては、ちょうどよい妥協案が出てきた時点で妥協は已むを得ないと思います。もしかしたら1年くらい話し合えばお互いすっきり解決するかもしれませんが……。
「美智子」については、よくある「名前のページ&曖昧さ回避のページ」スタイルでよいでしょう。(「美智子(みちこ)は日本語もしくは「日本系の」?)の人名である。これは、以下のような人物に用いられている。」云々)
問題は、「言い争い」の発端となった時点での一覧のようなページがよいのか、それとも皇后と女王だけを記載するのがよいのか、という点だと思います。これまでの議論の流れだと多分後者になると思いますが、他の同種のページの現状に合わせるのならば前者です。--PRUSAKYN 2008年6月1日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
ミッチー・ブームと検証可能な形で関連づけられるなら、前者の方が項目としては存在意義があって良いと思います。--Jms 2008年6月1日 (日) 14:56 (UTC)[返信]
そうですね。……うーん、私には荷が重いなあ。--PRUSAKYN 2008年6月1日 (日) 14:59 (UTC)[返信]
とりあえず、後者で立てといてどこまで拡大するかは今後も議論を続けませんかね。俺はしょーもねー知能しかないんでどこまで付き合えるかは分かりませんけどね。いきなり決めようとするよりはいいんじゃないっすかね。詰まったときはとりあえずの方法で乗り切って、後のことはそれから考えましょうや。--アダモステ 2008年6月1日 (日) 16:47 (UTC)[返信]
それではダメです。曖昧さ回避の括弧を含む項目が「美智子 (皇后)」しかないのならその記事は「美智子」とすべきだ、というのに抗弁できません。「美智子 (皇后)」にするなら、「美智子」はそれなりに充実した、たとえばミッチー・ブームが「美智子」という名に与えた影響といった記事にする必要あります。だから「皇后美智子」を推していたのに…そこが通じていなかったのか。どうします、合意した議論の形式に従わずに表明された意見だから無効という論理で「皇后美智子」への呆庵入道さんの 2008年6月1日 (日) 12:04 (UTC) 付けの反対表明を無効扱いして、「美智子」か「皇后美智子」に戻りますか。--Jms 2008年6月1日 (日) 20:30 (UTC)[返信]
なるほど、そりゃまずい。それなら、美智子という名前を持つ人物一覧の形式でいいっすよ。一覧形式に賛成ってことで。--アダモステ 2008年6月2日 (月) 02:19 (UTC)[返信]
存在意義のある (単なる一覧ではない) 「美智子」という記事をアダモステさんがお書きになるならよいと思いますが、そうでないなら「美智子 (皇后)」は画餅に過ぎず、「皇后美智子」か「美智子皇后」ではないかと思います。--Jms 2008年6月2日 (月) 08:33 (UTC)[返信]
難しいっすねえ…。名前の文字構成を解説するとどうしても独自研究になっちまうし、ミッチー・ブームについても関連付ける内容は相当吟味しないとミッチー・ブームに書けとなるだろうし。これは時間がかかりそうっすね。議論がまた蒸し返されても嫌っすから、ここは俺が退きましょうか。実現困難ということで美智子 (皇后)を、送り名と紛らわしいという点で美智子皇后を撤回、親王妃との整合性を考えて皇后美智子に一票を入れることにしますよ。--アダモステ 2008年6月3日 (火) 12:03 (UTC)[返信]

Jmsさんは4月23日のあのおざなりな言及で私を納得させたつもりだったのですか。その後も私が繰り返し説明を求めたことはお忘れですか。ずいぶんと傲慢な態度です。私がさらに説明を求めたことにほんとうに気づかなかったのでしょうか。ほんとうに気づかなかったのであれば怠慢です。気づいていて無視したのであれば卑劣です。

私としては、福田康夫が内閣総理大臣であることは知っているのが当然で、美智子が皇后であることは知らないのが当然だ、という論法にはどうしても納得できません。結局のところ、それは個人的な価値観の反映に過ぎず、客観性が欠けています。

Jmsさんの言われる「合意した議論の形式」なるものの内容は具体的に判然としませんが、私としてはきちんとWikipedia:記事名の付け方にしたがって議論してきたつもりなので、その点を否認されるのは納得できません。また、私が繰り返しWikipedia:曖昧さ回避に違反する記事名は許されないと指摘したにもかかわらず、問答無用でそれを議論から排除したことは非常に残念です。むざむざとガイドラインに違反する記事名を看過することになった自らの無力を痛感しています。

本件に関して最も正当な記事名が「美智子」である、という点は譲ることができませんが、みなさんが「美智子」はどうしても受け入れられないということであれば「美智子 (皇后)」をセカンドベストとして選択いたします。「皇后美智子」と「美智子皇后」は、いずれも、結局のところ“姓のない人物にありもしない姓を偽造すること”なので同意できません。--呆庵入道 2008年6月3日 (火) 13:10 (UTC)[返信]

「合意した議論の形式」というのは、いまの段階では、まずWikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点から、「皇后美智子」と「美智子」という記事名候補を検討する、ということです。同意するかどうかは問うていないのに、同意しないということをおっしゃるから困っています。議論を進めようと論理形式の明確化をしてまいりましたが、問いの形式に対応した答えをいただけないのは、合意破棄だと理解します。実に残念です。「Jmsさんのそのばかげた揚げ足取りと論点のすりかえに専念するスタイルはいったいいつまで続くのでしょうか。」と、太字でおっしゃる位なので、そのプロセスの意味自体御理解いただけていなかったのかもしれません。未だに正当云々というレベルの主張をなさるあたりからすれば、ご自身では「私としてはきちんとWikipedia:記事名の付け方にしたがって議論してきたつもり」と仰っていても、実のところ御理解いただけていないのではないかと思います。議論の段階としてはWikipedia:曖昧さ回避よりもずっと手前なのですが、手順が破棄された以上、やむを得ないものであったと考えます。「自らの無力を痛感」なさっているとのことですが、そもそも他の人を納得させられない主張だったとしたら、誰によらずできないことだとはお考えになりませんか。
福田康夫については 2008年4月23日 (水) 15:27 (UTC) に言及した通りです。それで納得なさったかどうかは存じませんが、対比の構造として適切でないのですから、議論するまでもないと考えています。--Jms 2008年6月3日 (火) 13:28 (UTC)[返信]
呆庵入道さん、「傲慢」、「怠慢」、「卑劣」と他人を罵ってはあんまりです。もう少し遠廻しな言い方を。Jmsさんはたまたまこういう言葉の端々に食いつくような人ではないようなのでよいようなもので、一般的には「卑劣」まで言っては弁明のしようもない批判の対象になりますよ(私だったら最低コメント依頼、できればブロック依頼へ直行するかもね)。
Jmsさんにひとつお願いですが、呆庵入道さんがわからなかったと仰っているのですから、もう一度言葉を変えて、あるいは別の方法で説明を試みられてもよいのではないでしょうか? 議論するまでもないとのことですが、議論の段階以前の「質問」の段階のようですから、対処のしようもあろうかと思います。--PRUSAKYN 2008年6月3日 (火) 13:42 (UTC)[返信]
質問と見做して対処するのは構いませんが、ひとつずつ、という合意があります (そうでないと議論は難しい様です) ので、質問も一つずつ、脇道に入らぬ様議論の進めかたに沿ったものについてのみ順次応ずる必要があると思います。どこまでもどりましょう。なお、折角投げられたタオルを投げ返す様ですが、言い方を遠回しにしたところで御本人がそう思われているのだからよいのではないでしょうか。相手に何を読み取ってしまうかは、結局は姿見のようなものなのですから、むしろ、そうしたわかりやすい表徴は便利ですらあります。--Jms 2008年6月3日 (火) 13:52 (UTC)[返信]
横から失礼します。そこまで戻る必要があるでしょうか?Wikipediaとして「美智子女王」の記事名に何が最もふさわしいとしても、「過去に、姓を持たず名のみを持ち『美智子』をフルネームとする人物が現在の皇后の他にもいた」という事実は変えようがないのですから、「美智子」は曖昧さ回避ページ(または人名ページ&曖昧さ回避ページ)とする必要があります。「福田康夫」に内閣総理大臣をつけるか否かを論じても、現在の皇后の記事名が、呆庵入道さんが主張されるように「美智子」になることはありえないと思います。--あるふぁるふぁ 2008年6月3日 (火) 13:57 (UTC)[返信]
遠回しにというのは少し言い方をしくじった(意地悪く言った?)かもしれませんが、これは呆庵入道さんに対するアドバイスとして、です。無論、議論相手としては相手がおかしいことをしてくれればくれるほど有利になりますから、「便利ですら」あるのですが。しかし、一時的にちょっと思っただけのこと(感情)を明記することでその感情が強化されてしまうこともありますし、遠回しに言うことで逆に感情が抑えられることもあるのではないかと思います。それと、Jmsさんがいわばたまたま怒らない方なのでよいようなものであり、ウィキペディアの一般論として言えば、あまりそういう直接的で攻撃的な表現を用いるとウィキペディアにとって利益にならない「口論」の類が発生してしまいそれは我々すべての利用者にとってマイナスですので、ご自重下さい、という意味があります(ここでよりは呆庵入道さんのノートで個人的にアドバイスすることだったかもしれませんが)。
あるふぁるふぁさんの仰るとおりこのページが「美智子」になることはないと思うので確かに「質問」は飛ばしてしまってもよいかもしれませんが、議論参加者の主要メンバーが説明を求めていることですから、ひとつずつでももう一度説明することに利益はあるかと思います。「皇后美智子」か「美智子_(皇后)」かの議論には寄与するかもしれません。--PRUSAKYN 2008年6月3日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
補足どうも。せっかくのアドバイスをスポイルしてしまったかしらん。説明を試みることはしますが、ひとつずつにします。2008年6月1日 (日) 12:04 (UTC) の問いから始めるのが適切な気もしますが、議論がまた錯綜気味なので躊躇しています。--Jms 2008年6月3日 (火) 16:45 (UTC)[返信]
あ、2008年6月1日 (日) 12:04 (UTC)は私がすっかり飛ばして「じゃあ美智子_(皇后)で」などと決めてしまった箇所ですね(……)。確かに議論は錯綜気味で躊躇はありますが、できれば質問箇所について呆庵入道さんに箇条書きか何かで列挙していただいては? その方が一問一答形式で明確なのでは? 結局文章で書くとあれもこれもになって論点(質問点)がわからなくなってしまうようなので。--PRUSAKYN 2008年6月3日 (火) 17:02 (UTC)[返信]
列挙は呆庵入道さんにしていただいて、検討/回答順序は合議で決めて、ひとつずつやりますか。--Jms 2008年6月3日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
そのようにお願いできたら、と思います。私たちにもシステム的な確認として勉強になると思います。--PRUSAKYN 2008年6月4日 (水) 10:45 (UTC)[返信]

要件1:曖昧でなく理解しやすいもの (その2)[編集]

長くなったので、編集都合上セクションを分けました --Jms 2008年6月4日 (水) 13:23 (UTC)[返信]

すでに私の提案を容赦なく葬り去ったのに、まだ私に何か御用がおありですか。私としては、この件についてはもう吹っ切れて、Jmsさんが2008年6月1日 (日) 20:30 (UTC)付のコメントで「美智子 (皇后)」に反対した理由を見て、私の「一般的な女性名の「美智子」の記事はどうせ「字引的な記事」にしかならない」「「美智子」というファーストネームを持つ著名人のリストをつくりたいのであれば「記事内容が記事名を規定する」というJmsさんのご持論に忠実に「美智子という名を持つ著名な日本人女性の一覧」という記事名で記事を作成すべき」という主張に一言もコメントがつかなかったのは、Jmsさんが決めた「合意した議論の形式」に違反したからではなく、痛いところを衝いたのでぐうの音も出なかったのだな、とひとり自己満足に浸っていたところだったのですがね。

「美智子」という記事の執筆をみなさんが譲り合って誰も引き受けないのであれば、確かにJmsさんが憂慮されるとおり「美智子 (皇后)」だけでなく「皇后美智子」も「美智子皇后」もその記事名としての正当性は根底から崩れ去ります。記事名「皇后美智子」は、結局、現場の実態を考えずに頭の中だけで組み立てた机上の空論だったことになります。どなたかが責任をお取りになるべきです。

まあ、私がまだみなさんのお役に立てるのであれば、もちろん微力を尽くします。よろしくお願いいたします。

箇条書きに、と言われましても、咄嗟にうまく整理できません。いったん挙げはじめたら、なにしろ以前も申したとおりJmsさんのコメントはどれを取っても私にとって難解なものなので、1ヶ月分も2ヶ月分も遡ってあれもこれもそれも、となりそうですし、現在の議事の進行状況については特に異論はありませんし…。それでは、とりあえず、Jmsさんが5月29日に、

「呆庵入道さんは、Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点で判断した場合に、どちらがより適切な記事名だと考えますか。」

と尋ねられたのに対して、私が6月1日に、

Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点で判断した場合でも、私の意見は変わりません。特に「皇后」が名前の一部であるという誤解を与える可能性のある「皇后美智子」「美智子皇后」には賛成できません。」

とお答えしたことが、なぜ「合意した議論の形式に従わずに表明された意見」ということにされてしまったのか教えていただけますか。私が6月3日に「Jmsさんの言われる「合意した議論の形式」なるものの内容は具体的に判然としません」と述べたのは、上記のコメントは「合意した議論の形式」に沿ったものだという認識だったのに、いきなり合意破棄と決めつけられたので反問したまでなのですが。

そのほか、呆庵入道はこんなところがわかっていないようだからいまのうちに聞いておいたほうがいい、というようなことがありましたらご指摘ください。よろしくお願いします。--呆庵入道 2008年6月4日 (水) 13:00 (UTC)[返信]

「とりあえず」とあるものについて答えます。合意された議論の形式に従わないと判断した理由は、「私の意見は変わりません」というのがその前段落を含め呆庵入道さんの従前の主張を受けていると判断したからです。たとえば「美智子が正式名である」という呆庵入道さんの主張は、Wikipedia:記事名の付け方で言えば優先順位第三位 (今回の件には関係しない文字種についての条件は除く) に基づく判断に対応しますから、「私の意見は変わりません」というのはそれをも含んでおり、Wikipedia:記事名の付け方での優先順位に基づいた判断をするという合意された議論の形式に従っていません。Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする判断基準による検討段階では、正式名かどうかという観点は登場し得ません。そうでなければワンセグイギリスも別の記事名になっています。--Jms 2008年6月4日 (水) 13:23 (UTC) 一文字削除--Jms 2008年6月4日 (水) 16:28 (UTC)[返信]
横から口を挟むようですみませんが、一件だけ。このページを「美智子」にしないというのは、「美智子」というページがいま作れるかどうかとは関係はありません。たまたまウィキペディアに「美智子」を作るだけの技量・知識・能力のある人材が今はないというだけで、作成自体は可能であると展望され(その展望は上で示されている通りです。あとは「誰が作るか」だけなので)、本義的なページは皇后ではなく名前のページの方であると想定されるからです。
例えば、いまウィキペディアにはイヴァーン・ボフーンという人物のページを作るだけの能力・熱意のある人材はありません。下手をしたら今後30年間作成されないでしょう。だからといってイヴァーン・ボフーン_(小型揚陸艦)イヴァーン・ボフーンに改名しろという論がナンセンスなのはわかりますよね。
それとは別に、一般の読者(大多数の日本語話者)にとって姓なしの「美智子」と考えられる(正しいにせよ、誤解にせよ、過去のことにせよ)人物は皇后だけではないのですから、{{Otheruses}}で誘導する方法もないわけではありませんが、やはり本義的には「雅子」のように曖昧さ回避のページを作成することは、最低限必要でしょう(名前のページとしなかったとしても最低限曖昧さ回避のページは作成すべき。一般的な日本語話者にとって「美智子」という単語には曖昧性があるわけですから)。どうやら、「美智子=皇后」と思うのは、「美智子=名前」と思わなかった人と、「美智子=女王」を知らなかった人だけのようです。逆に言えば、「美智子」といえば「皇后」と思う人も「女王」と思う人も「人名」だと思う人もいるのです。ウィキペディア上はいろいろの取り決めがあってそれに詳しいユーザーの方は迷うことはないのかもしれませんが、私のようなそうしたルールに精通していないユーザーや、まして一般の閲覧者はページ名「美智子」といえば最低3つの異なる事物を想定し得る、従って「美智子」には曖昧性があり曖昧さ回避のページが必要、ということです。
「質問」の本筋とは関係のない件ですので、「質問」は「質問」で私のコメントに関わらず進めて下さい。失礼しました。--PRUSAKYN 2008年6月4日 (水) 15:53 (UTC)[返信]
呆庵入道さんの 2008年6月1日 (日) 12:04 (UTC) 付け第二段落冒頭文、「…というのが私には理解できません」というのがもし質問であったとしたら、上記ПРУСАКИНさんの第三段落、「それとは別に…ということです」というのがそれに対する回答を含んでいると思います。これで本論上の質問相当には答えており、少なくとも 2008年5月24日 (土) 14:03 (UTC) の時点からの議論継続には支障がないと思いますが如何でしょう。--Jms 2008年6月4日 (水) 16:28 (UTC)[返信]

要するに、私は「呆庵入道さんは、Wikipedia:記事名の付け方が最優先とする「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点で判断した場合に、どちらがより適切な記事名だと考えますか。」とJmsさんから質問されたのに対して、理由も何も示さずに、ただ「美智子」とだけ答えればよかったということですか。そういう不誠実な回答の仕方はなるべくしたくないです。きちんと理由や根拠を示さずに結論を述べるだけのやりとりは、もはや議論ではないでしょう。それに、今後もJmsさんがいきなり理由も示さずなんの前触れもなしに私のコメントにどんな不本意な解釈をくだすかわからないとなると「物言えば唇寒し」の心境になって言いたいことも言えないことになります。Jmsさんはそういう味も素っ気もないやりとりがお好みなのかもしれませんが、私は、考えていること、思っていることは語る機会があるときにすべて述べておかないと、自分の真意がきちんと相手に伝わっているかどうか不安でならないたちです。Jmsさんも少し前にそれで失敗しているでしょう。6月1日から2日にかけてのアダモステさんとのやりとりで「そこが通じていなかったのか」と悔しがっているではないですか。あれはアダモステさんの察しが悪かったから伝わらなかったのではないですよ。Jmsさんのことばが足りなかったから伝わらなかったのです。Jmsさんのコミュニケーションスキルの問題です。Jmsさんの2008年6月4日 (水) 16:28 (UTC)の他人事のようなコメントも、本来ならば4月23日の段階でJmsさんご自身のことばで説明がなされているべき性質のものです。ろくに理由も説明しないで、いきなり門前払いを食わせるから不必要に話がこじれるのです。

イヴァーン・ボフーンの比喩はいまひとつわかりにくいです。本件に置き換えると、ボフーンという人物の記事は皇后陛下の記事に相当し、小型揚陸艦の記事はバラの品種の「プリンセスミチコ」に相当するような気がするのですが、いかがでしょう(もちろんこの場合は曖昧さ云々の話にはなりませんが)。主と従、本体と派生物の関係が逆転しているように思えます。

私は、PRUSAKYNさんが望まれるような「美智子」の記事がWikipediaで作成されるのは限りなく不可能に近いと考えています。可能ならば、同様の記事がもう少したくさんできていてもよさそうなものですし、今回のケースでももっと簡単にどなたかが引き受けそうなものです。

「雅子」の記事を読みましたが、あの記事は私には「無意味で不必要な曖昧さ回避」に思えます。「徳仁親王妃雅子」と女優の「雅子」との間に曖昧さ回避を必要とするような関係は存在しませんし、あの記事から曖昧さ回避の要素を取り除いたら「雅子は日本人女性の名前」という一文しか残りません。まったくの「字引的な記事」になってしまいます。たとえば、それなりに著名な女優なり小説家なりの「美智子」がいるなら、私も当然皇后陛下の記事にはなんらの曖昧さ回避措置が必要だと考えますが、そうでないならやはり納得はいきません。もちろん「賀陽美智子」(あるいは「美智子女王」)との間には曖昧さ回避措置は不要です。人名の「美智子」「雅子」はWiktionaryの守備範囲です。

とりあえず、いまの私の考えはこのようなものです。次の質問に進むべきかどうかは、みなさんのご同意をいただいてから判断します。--呆庵入道 2008年6月9日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

「理由も何も示さずに、ただ『美智子』とだけ答えればよかったということですか」いいえ。要件 1 について判断する根拠がWikipedia:記事名の付け方の要件 2 以降に基づくものであってはならない、ということです。提示されている理由に対して、要件 1 の範囲で理由を説明することは妥当ですし、その範囲で理由を説明できないなら、その判断は妥当ではありません。
「考えていること、思っていることは語る機会があるときにすべて述べておかないと、自分の真意がきちんと相手に伝わっているかどうか不安でならないたち」なのはわかりませしたが、考えていること、思っていることは語る機会があるときにすべて述べることで、却って真意がつたわらなくなることもあります。また、たとえば「『そこが通じていなかったのか』と悔しがっているではないですか」などというのは、思っていることをあたかも事実であるかの様に書くことで、真意がなんだかわからなくなる例です。
わたくしのコミュニケーションスキルの問題を御指摘頂いて感謝しておりますが、論理的に導けることまで一つ一つ書いていたらキリがありません。ウィキペディアにおいては、百科事典編纂に携わらんとする人々という程度の前提は妥当だと考えます。
「次の質問に進むべきかどうかは、みなさんのご同意をいただいてから判断します」というのは、何についての同意ですか。--Jms 2008年6月9日 (月) 14:48 (UTC)[返信]
まったく仰るとおりで、皇后の「美智子」のページをたんに「美智子」とするように主張するのは、小型揚陸艦の「イヴァーン・ボフーン」のページをたんに「イヴァーン・ボフーン」とするように主張するのと考え方の方向性として同じようなことです、という意味です。これを「主と従の関係が逆転」と言うのかはよくわかりませんが、ちょっと変ですよね?
「美智子」の記事がWikipediaで作成されるのは限りなく不可能に近い」ということは、実際「可能」であるということですよね。「近い」ってのはそういうことですね。ですから、今の時点でたまたまウィキペディア内に名前「美智子」のページを作成する技量・やる気のある人材がいないからといって、皇后の「美智子」をたんに「美智子」とするのは「イヴァーン・ボフーン_(小型揚陸艦)」を「イヴァーン・ボフーン」にするようなものですよ、ということです。コサックのイヴァーン・ボフーンのページを作る人がいないってのと、人名の美智子のページを作る人がいないってのは、本質的に違いはありません。作る人がいれば作られるでしょうし、誰も作らなければ作られないでしょう。
ご理解いただけないようですが、私は大多数の日本語話者はウィキペディアの内部規定である皇室関係の人物ページの扱いについて理解していないと思います。また、大多数の日本語話者は皇室の人名についてそれほど詳しく理解しているわけではないと思います。つまり、「美智子女王」のページがウィキペディアにおいて「美智子」で作成されることがないということを、大多数の日本語話者は理解していないものと考えるのが合理的です。よって、「美智子」はかなり曖昧性のあるページ名称であるといえます。「美智子」は取り合えず人名のページとして作成できないとしても、最低限曖昧さ回避のページとして用意する必要はあります。その場合、最低限記載されるべき事項は、人名「美智子」と、「美智子女王」と、皇后の「美智子」です。--PRUSAKYN 2008年6月10日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
「みなさんのご同意をいただいてから判断します」の「同意」が呆庵入道さんの考え・主張への「同意」だとすると、私としては不同意と言わざるを得ません。人名ページ「美智子」が作成できるか、曖昧さ回避ページ「美智子」が必要かについて全体の同意が得られないからこそ、まさにその点が現在の議論の焦点になっているのですから。
人名ページ「美智子」が作成できるかどうかについては、1%あるいは0.1%の可能性を「限りなく不可能に近い」と捉えるか「0%ではない」と捉えるかの違いだろうと思います。ほとんど人生観というか価値観の問題に近く、議論を続けても合意に至ることは難しそうです。また曖昧さ回避ページ「美智子」の論点より重要ではないと考えていますので、私としては後者の立場に立ちたいと述べるにとどめます。
曖昧さ回避ページ「美智子」については必要であると考えます。「美智子女王」で記述されている人物についてのWikipediaでの正しい記事名が「美智子女王」であれ「賀陽美智子」であれ、「過去に姓を持たず名のみを持ちフルネームが『美智子』である人物が現在の皇后である『美智子』意外にもいた」ということは厳然たる事実であり無かったことにはできません。「もちろん『賀陽美智子』(あるいは『美智子女王』)との間には曖昧さ回避措置は不要です」の「もちろん」というのが私には分かりません。--あるふぁるふぁ 2008年6月11日 (水) 09:50 (UTC)[返信]
議論に参加している人によって、この議論に関与できる頻度が異なるので、議論の円滑な進行が難しくなっていると思います。それに加えて、「考えていること、思っていることは語る機会があるときにすべて述べておかないと、自分の真意がきちんと相手に伝わっているかどうか不安でならないたち」という呆庵入道さんの告白に配慮すれば、相当厳格な (トークン・パッシングセマフォの様な) 制御をしなければ議論が成立しないのではないかと危惧します。どうしましょう。
というのはニュートラルな立場からの発言で、そんなコントロールをするまでもなくもう結論は出ている気がします。とはいうものの、納得していないのは呆庵入道さんだけなので、結局のところ呆庵入道さんのペースに合わせるしかないと思うのです。可能な実装としては、呆庵入道さんの発言をトークンとして扱い、それを受けて、呆庵入道さん以外の参加者で誰がトークンを獲得するかネゴシエーションして…といったもの考えられますが、書いている一方で本当にそこまで必要かと思わずにはいられません。都度ネゴシエーションはオーバーヘッドが多いので、論点を列挙調整して、論点をトークンとして議論を制御する方が現実的かもしれません。それはもうなされているという気がしないではありませんが、機能してないなら、やりかたを変える必要があるでしょう。--Jms 2008年6月11日 (水) 10:12 (UTC)[返信]

多忙と体調不良が重なってしばらくオンラインから遠ざかっていました。失礼しました。

その間にいろいろと考えたのですが、やはり、この議論は、これ以上の続行は不可能だと考えるようになりました。みなさんからこれまで提示していただいた材料では、私はとうてい納得することはできないし、現在の私にはみなさんを説得できるだけの力量はありません。互いの主張もあまりにすれ違いが多く、特にJmsさんとはしばしばまともな会話さえ成り立たないような状況です。正直疲れました。今回のような長いブランクが今後も繰り返される可能性も否定しきれません。

すでに5月中にその点ははっきりしていて、6月3日のコメントでは私もこれで完全に議論は終了した、と確信して「むざむざとガイドラインに違反する記事名を看過することになった自らの無力を痛感しています。」とまで述べたわけですが、その後「列挙は呆庵入道さんにしていただいて、検討/回答順序は合議で決めて、ひとつずつやりますか。」というお話になったもので、引き続き対話を続行してきたわけです。

しかしながら、やはり互いの拠って立つ前提が大きく食い違ったままでは、対話を続けてもそれこそ言葉の枝葉をとりあげて揚げ足をとりあうだけの不毛なやりとりにしかならないでしょう。私ひとりがみなさんと意見を異にしている状況で、そのような泥沼的な状態にみなさんを付き合わせるわけにはいきません。

ただ、Wikipedia:論争の解決によれば「Wikipediaは民主的ではないため、片方の主張が少数であることを理由に議論を終わらすべきではありません。」ということですから、私のこれまでの意見や主張については撤回はいたしません。たとえば次のようなものです。

  • 皇后陛下の記事の記事名として最善のものは「美智子」である。
  • 「皇后美智子」「美智子皇后」「美智子 (皇后)」「美智子 (皇室)」は、いずれも曖昧さ回避としては過剰であり不必要であって、Wikipedia:曖昧さ回避に抵触する。
  • 「皇后美智子」が許容されて「内閣総理大臣福田康夫」が許容されないのは、一貫性がなく筋が通らない。
  • 皇后陛下の記事以外の「美智子」を記事名とする記事は、実際問題として、Wikipediaの記事として必要がないか、もしくはふさわしくないものにしかならない。

もちろんこれですべてではなく限定例示にとどまるものです。

皇后陛下の記事と「賀陽美智子」または「美智子女王」の記事との重複については、{{Otheruses}}を使って皇后陛下の記事から誘導すればたくさんでしょう。たった2つしかない記事のためにわざわざ曖昧さ回避ページをひとつ新設する必要があるとは思えません。そもそも、Wikipedia:曖昧さ回避でもその過剰な使用がはっきりと戒められているにもかかわらず、いまのWikipediaにはさまざまな種類の無用の曖昧さ回避が多すぎます。「伊藤博文」や「長谷川一夫」のようにうまくまとめているケースもあるのですが、なぜああいう穏当な解決をあえて避ける傾向が多々見られるのか、不思議でなりません。

また「同意」というのは「『呆庵入道は次の質問に進んでもよい』というみなさんのご同意」という意味です。6月3日からの話の展開は、みなさんが私に質問をさせて、みなさんがそれに答える、というかたちでなされるものという理解でおりましたので、議事進行もみなさんの意向次第にお任せしようということです。

これまでの一連の対話の後始末のつけ方についてもみなさんとご相談したいのですが、さてどうしたものでしょうか。--呆庵入道 2008年6月18日 (水) 13:11 (UTC)[返信]

確かにこのまま続けても平行線でしょうから、上記の呆庵入道さんのご意見に反論して議論を蒸し返すことはいたしません。
後始末のつけ方について相談したいとのことですが、「美智子女王」と(人名ページ&曖昧さ回避ページとして)「美智子」が存在していますので、現状維持の「美智子 (皇室)」と呆庵入道さんご提案の「美智子」を除外した「皇后美智子」「美智子皇后」「美智子 (皇后)」に絞られるのではないかと思います。あるいは(人名ページ&曖昧さ回避ページ)「美智子」を削除か改名する前提で呆庵入道さんご提案の「美智子」を候補に入れてもいいかもしれませんが、結局この3~4の候補から投票で決めるしかないのではないでしょうか。
最後に、自説を撤回されないまでもコミュニティの意向には従うという姿勢に敬意を表します。お互いWikipedianとしての力量を高め、自説を補強して説得する材料が集まったら、またその時点で改めて議論しましょう。--あるふぁるふぁ 2008年6月18日 (水) 15:35 (UTC)[返信]
投票するまでもないと思います。呆庵入道さんの主張に合理性がない、すなわち、一度合意したことを理由なく反故にしているのですから、呆庵入道さんの主張に論理矛盾があるということであり、議論で解決してしまっている問題だと思います。「理由なく反故」というのは、WP:NCの優先順位に従って決定しようと合意しているのに、結局「最善のものは美智子」と主張してしまうところです。要件1 の判断に要件 3 の判断基準を用いているところが問題です。呆庵入道さんの主張が受け入れられないのは少数意見だからではなく、単に不合理な主張だからです。--Jms 2008年6月18日 (水) 20:18 (UTC)[返信]
まず第一に。現在の美智子アダモステさんが本文を作成して下さったのですでに名前のページとして機能しており、今更美智子を皇后のページ名にすることはあり得ないと思います。美智子を皇后にして名前の方を美智子_(人名)にする手も方法としてはあり得ますが、本末転倒なので私は賛成しません。
よって問題は皇后の美智子をどのようなページ名で作成するか、という点に集約できます。美智子_(皇后)皇后美智子美智子皇后のいずれかが候補となっているようですね(旧姓は候補にならないようなので)。どれがよいでしょうか。
呆庵入道さんに一点だけできればご理解いただきたいのですが、日本語話者とはいえ素人には「美智子女王」が「美智子」でページにならないということは想定しがたいんですよ。つまり、クリスティーナ女王メアリー女王アンナ女帝は、それぞれ「~女王」や「~女帝」ではなくクリスティーナ (スウェーデン女王)メアリー (スコットランド女王)アンナ (ロシア皇帝)でページが作成されていますよね。素人考えで行くと、じゃあ「美智子女王」も美智子_(女王)で作られているんじゃないか、などと考えるわけですよ。あ、でも赤リンクだ、ってんで、じゃあわからないから取り合えず美智子で検索してみよう、と思うわけです。従って、美智子が曖昧さ回避のページであることは合理的ですね。そこで、大抵の日本語話者は「あれ、美智子女王だけ美智子女王でページが作られている、何でだろう、まあいっか」となることでしょう。美智子というページ名で作成され得るのが皇后だけだというのは、日本語話者の大多数にとってはそれほど自明のことではありません。
{{Otheruses}}ですが、それでもよいと思います。ただ、現に人名ページができていますので、今回は当てはまらないかと。しかし、{{Otheruses}}を用いるのが「穏当な解決」なのかは理解できません。つまり、{{Otheruses}}を用いないで曖昧さ回避ページを作成するような方法は、「穏当な解決」ではない=過激派のやることだというのですね。まあ、いずれにせよ今回は関係ないので別にいいですけど。--PRUSAKYN 2008年6月19日 (木) 17:10 (UTC)[返信]

私の主張は、皇后陛下の記事の記事名として「美智子」に曖昧さはない、というところに主眼があるので、Jmsさんの批判には理由がありません。

一般的な日本語話者が「美智子女王」の「女王」と「メアリー女王」の「女王」とを混同するということは想定しがたいです。一般的な日本語話者にとっては、日本が天皇制を採用していて「女王」が reigning queen や queen regnant ではなく princess であることは自明ですから。日本語にそれほど練達していない人がまちがえる、というのならまだわかりますが、そういう人を「素人」という言葉で表現できるものなのかどうか私にはわかりません。

「過激派のやること」というのが非難を意味するのか賞賛を意味するのか、私はそんなことは一言も言っていないので私にはわかりませんが、一般的な人名の「美智子」を皇后陛下の「美智子」よりも優先させようとする立場は、原理主義的で教条主義的な立場だとは思います。そのことは「現場の実態を踏まえない机上の空論」という表現で繰り返し申しあげております。現在の「美智子」の記事は、私の想定していた以上に残念な状態になっています。「字引的な記事」と「著名人一覧表」と「曖昧さ回避のためのページ」の悪いところを中途半端に継ぎ合わせただけのキメラです。どうせそういうことにしかならないから、皇后陛下以外の「美智子」は無理だ、と何度も申しあげてきたのですが、ご理解いただけなくて残念です。

投票が行われるのであればもちろん私は「反対」に1票を投じます。「美智子」以外に賛成票は投じません。皇后陛下の記事を「美智子」以外の記事名に改名なさりたいのであれば、いったん「改名提案」タグを除去して、新たに改名を提案していただきたい。相手のコメントの恣意的な曲解と論点のつまみ食いとでまともな会話も成り立たない状況に追いやった挙句、自分の意見を通すためのだしに使われてはたまったものではありません。--呆庵入道 2008年6月23日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

「皇后陛下の記事の記事名として『美智子』に曖昧さはない、というところに主眼があるので、Jmsさんの批判には理由がありません」というのは、具体的にどういう意味で理由がないというのでしょうか。全ての美智子が皇后でない限り、皇后である美智子は一般の美智子の真部分集合であり、それ (全ての美智子が皇后であるということ) は事実ではありませんから、「美智子」は一意に皇后を指しはしないでしょう。それを「一般的な人名の『美智子』を皇后陛下の『美智子』よりも優先させようとする立場は、原理主義的で教条主義的な立場だ」と考えるのは、合理性がありません。「相手のコメントの恣意的な曲解と論点のつまみ食いとでまともな会話も成り立たない状況」というのは、一度合意したことを理由を提示もせずひっくり返し、無視して自分の主張を繰り返すことでしょうか。Wikipedia:記事名の付け方に従った議論をしているはずなのに、その合意を反故にしておいてなおその様なことをおっしゃる理由が理解できません。--Jms 2008年6月23日 (月) 14:13 (UTC) 誤解を招く表現修正 --Jms 2008年6月23日 (月) 14:27 (UTC) てにをは修正 --Jms 2008年6月24日 (火) 17:47 (UTC)[返信]
ちょっと編集競合したため、無理に直しましたが繋がりがおかしいかもしれません。
「過激派」が非難か賞賛かは私にも図りかねますが、「穏当」ではないと仰るのでそういうことかと早合点しました。「原理主義的で教条主義的な立場だとは思います」については一般論としては理解できる気がします(Jmsさんのご指摘とは別に)。初めからそう言ってほしかったですよ。そんなことは一言も言っていないとはご尤もですが、ただ、前のコメントを読んだ者の中にはあたかも曖昧さ回避のページを作成するのが何やら穏やかでない手段だと非難されているように感じる者もあったのかもしれないとご理解下さい。
教条主義的との観点をいれると{{Otheruses}}の使用で解決を図るのもよい気がしますが、ただ今回は名前のページは今後発展可能性があると思われるので(呆庵入道さんも皇后陛下以外の「美智子」は無理だと考える、つまり今後の発展は絶対に見込めないという外部的な根拠を示すのは難しいでしょう)、現在のページはその土台としては充分であり、存続可能でしょう。また、Jmsさんのご指摘の「部分集合」の話は重複になるので省略、私も同意見であるとだけ述べます。
皇后のページを決める前に、一度あのページが存続に耐えるページかどうかを改めて検討してみてもよいかもしれません。この観点に限ってのコメント依頼も可能かと。--PRUSAKYN 2008年6月23日 (月) 14:21 (UTC)[返信]

「美智子」一覧曖昧さ回避の数々のリバートにつき[編集]

なるほど、「美智子」と検索して我が国の皇后陛下しか出て来ないのは「日本語版ウィキペディアではPOVではない」という事なのですね。ヨーロッパの人名では「ファーストネームの一覧表」はごくごく当たり前に作成されているのですが。他言語版ウィキペディアでもごくごく普通の事です。ファーストネームで検索をかけたら、その言語が最も話されている王室の人間しか出て来ない情況など、他言語版では全く考えられません(別に皇室に対する尊崇の念とか関係ありません、あくまで「NPOV」を考えるべきです)。

大変疑問が多いのですが、正直申しましてこの領域にばかりリソースを費やされたくありません。専門領域外の事ですので、私はもう関わりたくありません。ただ、井戸端などの議論の呼びかけのスペースにおいて、議論提出だけはさせて頂きます。--Kliment A.K. 2008年4月5日 (土) 07:48 (UTC)[返信]

Wikipedia:お知らせWikipedia‐ノート:曖昧さ回避に議論参加の呼びかけを行いました。後は申し訳ありませんが、私は少し控えさせて頂きます。--Kliment A.K. 2008年4月5日 (土) 08:13 (UTC)[返信]

(コメント)Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#Wikipedia-日本の皇族の記事名に関する合意事項(2006年10月8日 (日) 03:41 (UTC) 合意)に依ると美智子 (皇室)美智子皇后美智子で妥当なのでは? ノートの「美智子」「美智子皇后」「皇后」に関する議論は合意前の物だし。他の何某美智子なる者は氏を持っているでしょうから氏名が正式なタイトルになると考えます。(美智子皇后を意味しない人名を意味する「美智子」は理論的には命名される余地があるが、それが固有名詞として美智子皇后以外のを指すと認知される可能性は極めて低いため。)--あら金 2008年4月5日 (土) 08:56 (UTC)[返信]
  • (コメント)「名前のページ」についてのKliment A.K.さんのご指摘に同意します。もしKliment A.K.さんが作成されたようなページを作ってはいけないという方針があるのでしたら、Category:ヨーロッパの人名のページはおおかた削除依頼に出した方がよいでしょう。名前を持つ人の一覧化についても、「ヨーロッパ人の名前はファーストネームの一致だけで一覧化するのがよくて、日本人の名前はだめ」という規定があるのでしたら教えて下さい。「美智子」にせよ「美智子_(人名)」にせよ、何らかの形でこの名前についてのページ(一覧を含む)が作成されることを妨げる要素は何もありませんよ。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月5日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
PRUSAKYN (ПРУСАКИН)のおっしゃる「ヨーロッパ人はOKで日本人はだめ」についてですが、Wikipedia:曖昧さ回避#名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せないの「姓あるいは名だけで呼ばれることが非常に多い人物など」を該当させているのかもしれません。(至極日本人的な発想ですが)日本人を名前だけで呼ぶことは親しい間柄ではない限りあまりないですが、ガリレオとかソクラテスとか欧米の方々を名前だけで呼ぶこと多いですから。上でも書いたのですが、この条項は不自然な感じがしますので、あちらで議論する必要は大いにありますね。-- 2008年4月9日 (水) 07:23 (UTC)[返信]

(コメント)作成されることを妨げる要素は何もありませんが、記事として誰からも必要とされていないそれ自体無意味な記事を、ただ原理原則の存在を明示するという目的だけのためにわざわざ作成することを推奨する理由も何もないと考えますがいかがでしょうか。--呆庵入道 2008年4月7日 (月) 12:00 (UTC)[返信]

>記事として誰からも必要とされていないそれ自体無意味な記事
(↑無根拠な主観
>ただ原理原則の存在を明示するという目的だけのためにわざわざ作成する
(↑無根拠な中傷)--Kliment A.K. 2008年4月7日 (月) 13:31 (UTC)[返信]
あなたがあのような記事をわざわざやっつけ仕事で作成しなければならなかったという事実と、それを複数の人間からルール違反として指弾されたという事実だけで、充分私の指摘は客観的で根拠のあるものだと思います。あなたの掲げる理想がどれほど高貴で神聖不可侵なものか私にはわかりませんが、議論に参加して正々堂々と反対の論陣を張るのではなく、議論の前提そのものを破壊してそもそも議論自体をやらせないという行為に出たことはテロリズムと呼んでも過言ではありません。Wikipediaは民主制ではありませんが、だからといってファシズムだというわけでもないでしょう。--呆庵入道 2008年4月8日 (火) 11:09 (UTC)[返信]
本当に中傷がお好きのようですね。貴方が私の動機について断定した事が中傷だと判断したのは私だけでは無く、ПРУСАКИНさんも同様の指摘をなさっているという事をお忘れなく。そもそも私のした仕事について、
>やっつけ仕事で
と貴方は断定なさる。冗談ではありません。あれだけの人数の曖昧さ回避がやっつけ仕事で出来るとお思いですか?1時間ほどかけてかなりの作業量を投入して作成したページを「やっつけ仕事」などと言われてはたまったものではありません。
>あなたの掲げる理想がどれほど高貴で神聖不可侵なものか私にはわかりませんが
謂いたくないのですが、私は個人的な感情としては「美智子」と入力して「皇后陛下」が出てくる事自体には、何ら抵抗はありません。皇室に対する尊重の念はかなり深い方だと思いますし。しかしながら個人的感情で百科事典の記事名の決定は出来ません。また、人名の曖昧さ回避の作成自体はこれまでウィキペディアでも認められています(これも、私だけでなくПРУСАКИНさんが指摘している事です)。ヨーロッパの人名については認められていた曖昧さ回避が、日本人名についてのみ認められないとは初耳です。そうした事を完全に無視する貴方の態度は不愉快を通り越して呆れるばかりです。--Kliment A.K. 2008年4月8日 (火) 11:19 (UTC)[返信]
>そもそも議論自体をやらせないという行為に出た
出ていません。だからこそこうして議論に応じているではないですか。捏造中傷も好い加減にして頂きたい。--Kliment A.K. 2008年4月8日 (火) 11:23 (UTC)[返信]
ルール違反というのなら、呆庵入道氏の行動の方が疑われます。以下、その履歴。
元々このページ(美智子)は、曖昧さ回避からリダイレクトに変更されるという、疑問の多い経過を辿ったページでもありました。
美智子 の変更履歴
リダイレクト化された際の差分
問題意識を持っていたのは私だけではなかったということです。--Kliment A.K. 2008年4月8日 (火) 11:34 (UTC)[返信]

美智子という苗字なしの人は世界で一人しかいないが、だからといって美智子=妃殿下とするのは異常だろう。太宰つながりの美智子だっているし、尾道なら美智子は横山だろうさ。Kliment A.K.の考えが正しいが、ウィキは知恵の輪的でたいていがねじ曲がるから、Kliment A.K.の考えは間違ってるということになるだろうな。--以上の署名のないコメントは、202.8.58.53会話/Whois)さんが 2008年4月8日05:20(UTC) に投稿したものです(呆庵入道による付記)。

テロリズムと呼んでも過言ではありません。
だからといってファシズムだというわけでもないでしょう。
明らかにWikipedia:個人攻撃はしないに抵触します。他人をテロリスト呼ばわりしたり、あたかもファシズムに拠って議論を進めているかのように論ずる言動はWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例で具体的に禁止事項として挙げられています。発言を撤回すべきでしょう?
Wikipediaは民主制ではありませんが
基本的には民主制だと思います。少なくとも、このように合議制であり、最終的には投票もあります(というよりむしろすでにみんな投票しているわけで、民主制でないなら投票は無視することにしましょう)。
お二人とも少し冷静にして下さい。呆庵入道さんもちょっと中傷的な行為に出ておられると思いますが、Kliment A.K.さんも彼の過去の経緯を調べてくるなど随分「熱」が入ってしまっているように思われます。私はあなたがそのエネルギーを新しい記事の作成に当てることのできる日が来ることを願っています。
議論での真摯な意見について判断するのは難しいですが、明らかにおかしい言動は誰が見てもすぐにわかるのです。お二人ともそこまで徹底的に突っ込まなくてもよいのでは、と思います。関係が無闇にぎくしゃくするだけです。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月8日 (火) 18:14 (UTC)[返信]
>彼の過去の経緯を調べてくるなど随分「熱」が入ってしまっているように思われます。
そうかもしれません。但し、彼の言動を調べようとして履歴を調べたのではありません。私の疑問「これまで一貫して美智子ページがリダイレクトだったのかどうか?」を調べている間に、彼が問題行動を過去に起こしていた事が分かったので付加えたというのが経緯です。なお、新記事作成につきましては今準備しているものがありますが、時間がかかる性質のもので非常に苦労している所です。こちらの議論にはもう関りたく無いと本気で思っているのですが、中傷については放置しておく訳には参りませんでしたし、ここまで来ますとこれまでの経緯(「美智子」の履歴)についても調査せざるを得ませんでした。しかし、新たに誹謗中傷等が起こらない限りは、再び発言を控えます。と申しますのは先に述べました通り、個人的な感情面では「美智子」と検索して「皇后陛下」が出て来る情況には何ら不快感は伴わず、私のモチベーションは相対的に低いからです。--Kliment A.K. 2008年4月8日 (火) 18:30 (UTC)[返信]
わかりました。私も勘繰りが過ぎるようです。今後とも要所要所での発言はお願いします。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月8日 (火) 18:33 (UTC)[返信]
了解しました。--Kliment A.K. 2008年4月8日 (火) 18:34 (UTC)[返信]

せっかく「美智子」の変更履歴を確認されたのに、2008年に入ってからの履歴だけを確認して、それ以前の履歴を確認されなかったのは非常に理解に苦しみます。「美智子」が曖昧さ回避のためのページとして存在することについて複数のウィキペディアンから疑問が提示され、結果として現状のリダイレクトページになったという事実は、Kliment.A.K.さんの内面では、なかったことになっているのでしょうか。2007年12月30日以前の一連の編集行為は「集合知」ではなく「衆愚」だとでもいうのでしょうか。

まあ、過ぎたことをいまさらあれこれ言ってもはじまらないので、これ以上は私も何も申しません。議事妨害さえされなければ私はそれでいいのです。--呆庵入道 2008年4月9日 (水) 10:22 (UTC)[返信]

>複数のウィキペディアンから疑問が提示され、結果として現状のリダイレクトページになったという事実は、Kliment.A.K.さんの内面では、なかったことになっているのでしょうか。
誰がそんな事を言いましたか?では、同じ言い方を返しましょう。曖昧さ回避の方が適切だと感じた人間は私だけではなかったという事実は、呆庵入道氏の内面では無かった事になっているのでしょうか。それと、中傷について全く謝罪も何もありませんね。誠意を疑わせるに十分です。--Kliment A.K. 2008年4月9日 (水) 14:02 (UTC)[返信]
あと、私は以下の履歴を挙げた上で
美智子 の変更履歴
「曖昧さ回避からリダイレクトに変更されるという疑問の多い経緯を辿った」と申しました。2003年以降のものをチェックした上で申しているのは文面から明らかです。そして、御自分の「即時削除依頼」についても反省の弁が全くありませんね。--Kliment A.K. 2008年4月9日 (水) 14:05 (UTC)[返信]
>複数のウィキペディアンから疑問が提示され、
該当するページの履歴を調べても、ノートページの履歴を調べても、疑問を提示(?)して「リダイレクト化」したのは、利用者:Shaorin氏お一人のようですが。捏造ですか?それとも他に「疑問が提示された」ところがあるのなら、是非御教示いただきたい。--Kliment A.K. 2008年4月9日 (水) 14:13 (UTC)[返信]
ノート:美智子がKliment A.K.さんが書き込まれるまで白紙であったことはもちろん承知しております。「美智子」の記事内容が右に左に揺れ動いてきたことももちろん承知しております。しかし「編集内容の要約」に書き込まれたコメントは無視してもよろしいのでしょうか。Wikipedia:曖昧さ回避に「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」という明文規定がある以上、あのような声が寄せられることは自然なことでしょう。それがおかしいというのであれば、まず先にご自身の手でガイドラインを改訂されるべきです。
日本語版Wikipediaには「正之」の記事も「由紀子」の記事も「隆弘」の記事も「佐知江」の記事もありません。「太郎」の記事はありますが、ことばの成り立ちを解説した記事です。「花子」の記事はありますが、いまだにスタブです。お望みのような記事が誰からも必要とされていないか、誰もそのような記事をつくろうという意欲を持たないか、そのいずれか、あるいは両方だと私は考えます。英語版に「エリザベス」や「エドワード」の記事があるから、日本語版にも「美智子」の記事がなければならない、というのは、ファンダメンタリズムというものでしょう。
なお、私は、心に一片のやましさもないのに、口先だけの謝罪や反省の弁を述べてその場を取り繕うようなことはいたしません。それこそ誠意に欠けるというものです。--呆庵入道 2008年4月10日 (木) 11:33 (UTC)[返信]
>まず先にご自身の手でガイドラインを改訂されるべきです。
人名列挙の記事の必要性については他のものについても認めますので、既に該当ページに提案して参りました。なお、テロリスト呼ばわりしておいて
心に一片のやましさもない
等と言い放つ人に対して、他の部分につき返答の必要を認めません。--Kliment A.K. 2008年4月10日 (木) 12:03 (UTC)[返信]

もうそろそろ二人ともやめてもらえませんか。正直ここまで来たらどっちもどっちです。自分の提案にいきなり「絶対」反対と強調文字で書かれたら僕だっていやですし、テロリズム・ファシズムなんて表現されたら頭に来ますよ。

ここで、お二人がやっていることは単なるお互いの荒探しです。こういう面と向かわずに文章だけでやり取りすれば、ちょっとした言葉のあやや舌足らずな表現、間違いなんてよくあること。それを出会い頭が悪かったお二人が、重箱の隅をつついてけなしあっているだけです。他の人相手や場所では、そんな議論の仕方をしないでしょ?一度冷静になって考えて下さい。上でまじめに議論しているのが馬鹿みたいです。-- 2008年4月10日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

喧嘩両成敗的な貘さんの仲裁には感謝しますが、私も大真面目です。どう考えても皇室POVだと考え、「絶対反対」に広く賛同頂けると思っておりました。いやむしろ「問題外」と書きたかったほどです。「こんな馬鹿な提案をなぜなさるのか?」と思ったのが正直なところです。むしろ膨大な量の相次ぐ改名提案と、POVも構わない視点(と私は思っておりました)に対し、荒らし警告も出そうと考えていたところだったのです。ところが意外とあっさりと改名が通りそうな局面、ただただ私は驚いている所です。しかもただ単なる暴言ではなく、捏造まで仕掛けられているのです(つまり曖昧さ回避ページを志向していたのは私だけだったかのような経緯の説明)。捏造に対し抗弁出来ないとすればそれはあんまりではありませんか。--Kliment A.K. 2008年4月10日 (木) 12:26 (UTC)[返信]
(追伸)事実に関する捏造が行われない限り、このページには参りません。何度も申しますが誠意の感じられない相手とは「もう関りたく無い」のです。--Kliment A.K. 2008年4月10日 (木) 12:30 (UTC)[返信]
貘さんが「どっちもどっち」とおっしゃるのはまったくご指摘のとおりです。Kliment A.K.さんがこれ以上私を罵倒しないなら、異議なく私も黙ります。私としては、穏やかに「議論をいたしましょう」と提案しただけなのに、いきなり問答無用で殴りつけるような真似をされたわけですので、なかなか腹の虫は収まりませんが、これ以上何も生むことのない不毛なやりとりをしていることは自分でも承知しております。ご忠告のとおりにいたしたいと思います。わざわざご親切にありがとうございました。--呆庵入道 2008年4月10日 (木) 12:37 (UTC)[返信]

お二人のご発言のエッセンス自体には重要なものが含まれていることは理解しております。しかしそれを包んでいる表現がいささか行き過ぎていると思いました。たぶん(というか絶対に)わだかまりはあるでしょうが、手打ち、または距離を置いて頂くとご決断してくれたことには本当にありがたいと思います。改めて、出しゃばった真似をした非礼に対するお詫びと、矛を収めていただいたお礼を申し上げます。また狭いWikipdeaiaでは、どこかで出会い、議論することがあると思います。切なるお願いですが、ぜひにこの期間を冷却期間として、お互いが理解しあえる第一歩にしていただ抱きたい思います。若輩者のかってな願いながら、よろしくご検討ください。-- 2008年4月10日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

(コメント)「美智子」だと誰を指しているのか不明瞭。「美智子皇后」だと既に歴史上の人物になっているのでは?「皇后美智子」だと今上天皇が亡くなった場合、皇太后美智子に改名でしょうか?私は、汎用性の高い記事名美智子 (皇室)を支持します。--219.106の者 2008年4月28日 (月) 23:03 (UTC)[返信]


移動報告[編集]

議論が止まってから二ヶ月近くが経過し、新たな提案もなかったようなので美智子 (皇室)をこれまでの議論において最も支持を集めていたと見られる皇后美智子に移動しました。--アダモステ 2008年8月11日 (月) 12:39 (UTC)[返信]

強く反対するものではありませんが、少々拙速だったのでは?確かに「美智子」と「美智子皇后」については反対があり賛成は少数でしたが、「皇后美智子」と「美智子 (皇后)」では「皇后美智子」の方が支持を集めていたとは言い切れないように思うのですが…。私としては「美智子 (皇后)」を支持していましたので、少し残念です。--あるふぁるふぁ 2008年8月12日 (火) 09:37 (UTC)[返信]
Wikipedia:曖昧さ回避の「曖昧さ回避を導入する前にWikipedia:記事名の付け方も参照してください。別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです」に従えば、曖昧さ回避を使わずに済む「皇后美智子」がガイドライン上は優先します。その意味で、「美智子 (皇后)」ではなく「皇后美智子」となったのは妥当でしょう。また、皇室な美智子が複数存在した以上「美智子 (皇室)」が曖昧さ回避として不適切であるのも事実です。呆庵入道さんの提案では「美智子女王」ではなく「賀陽美智子」とすべき、となるのでしょうが、これも賛同者の得られていない提案であり、即採用という訳にもゆきません。以上の様な事情から、「皇后美智子」への改名は結果としては妥当だと考えます。しかし、手続き上拙速であったのも事実です。その点については確かに問題ではありますので、御不満でしたら再度改名提案をなさることをお勧めします。--Jms 2008年8月12日 (火) 10:16 (UTC)[返信]
「美智子」「美智子 (皇室)」「美智子皇后」でなければ(つまり「皇后美智子」か「美智子 (皇后)」」であれば)妥協というか容認できる範囲ですので、私としては強く反対するものではありません。私の不要な発言でJmsさんに余計な手間をお掛けしてしまったようで、申し訳ありません。--あるふぁるふぁ 2008年8月14日 (木) 09:01 (UTC)[返信]

Wikipedia:記事名の付け方も参照してください。別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです」に従えば、曖昧さ回避を使わずに済む「皇后美智子」がガイドライン上は優先します。その意味で、「美智子 (皇后)」ではなく「皇后美智子」となったのは妥当でしょう。

この理屈に従うなら、ひまわり (絵画)は、最初から絵画ひまわりにすべきだった、ということになりませんか?もっと「皇后美智子」という単語自体の妥当性について議論すべきだと思います。すでに曖昧さを回避する目的で美智子を作っている以上、「曖昧さ回避を使わずに済む」云々は意味がありません。あのくだりは曖昧さ回避ページを新設するのは避けた方がよい、という意味であり、括弧は使わない方がよい、という意味ではないからです。もし、「新設すべきではない」という主張を通すつもりならば、ここでの議論では、user:呆庵入道氏の論調が最も近くなります。なぜなら、美智子女王美智子と違う項目名で立てられているので、まさに「曖昧さ回避を使わずに済む」場合なのです。これまでの議論をひっくり返して美智子に皇后の内容を記述しようという立場でないのなら、「曖昧さ回避を使わずに済む」ことを理由として挙げる態度は一貫性を欠いています。現状の美智子は独自研究そのもので、前半はWikipedia:言葉を濁さないに違反し、後半はミッチー・ブームに統合すべき内容ですから。

もし、皇統譜に記載されている「任意の人物の子女の父母欄」を自身の正式な名前、すなわちwpのガイドライン的な意味の「正式な名称」と見なすのなら、バランスの問題から明仁のページは天皇明仁が適当です。上にも例が出ていますが、もし現職の総理以外に麻生太郎という人物が著名になった場合、総理麻生太郎や、政治家麻生太郎に改名すべきだとは思いません。他の皇族のように項目名に身位を含めるというルールで合意ができているのならともかく、「皇后美智子」は全く類がない新しいパターンなので、もう少し慎重に論議すべきです。天皇と皇后の状況の違いは、「美智子女王が存するか否か」という一点だけにかかっているという点に留意し、それを踏まえた上で、ワンタイムの刹那的案ではなく、(現行の天皇制がずっと続くという前提の下では)将来の天皇・皇后にも通用できる「ルール」を策定して欲しいと思います。ただし、美智子 (皇后)の場合、既存のルールだけで説明し得るので、これが最大のメリットとなるでしょう。曖昧さを避ける目的で分ける、という案に呆庵入道氏以外の全員が合意しているのですから。

user:あるふぁるふぁさんは妥協できるとおっしゃっていますが、不謹慎の謗りを恐れずに言うと、皇太子夫妻が即位した場合、両殿下の項目は、またもや徳仁皇后雅子になるのですよ。雅子内親王の存在がありますから。明仁の項目名に釣り合いが取れる項目名は美智子 (皇后)以外にありえない、と私は思います。--Askr 2008年12月30日 (火) 14:01 (UTC)[返信]
曖昧さ回避を用いるべきかどうかは総合的に判断することですので、「皇后美智子」を妥当とするロジックがそのままひまわり (絵画)に該当するとは限りません。Wikipedia:曖昧さ回避の当該部分について、曖昧さ回避ページの新設に限定的に読むべきであって括弧は使わない方がよいという意味ではない、というのは、なにを参照すれば判断できましょうか。わたくしには曖昧さ回避ページの新設に限定的には読めません。「皇后美智子」と対比すべきは「総理太郎」「政治家太郎」であって、対比対象に姓を含めるべきではありません。三后については身位を後置するのが宮内庁の慣例、としているWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族#敬宮愛子での言及は皇統譜の母欄の記述とは整合せず、諡号との区別の意味でも、身位前置は妥当な範囲であるでしょう (唯一の解という意味ではありません)。天皇と皇后についての記事名のバランスについての考えかたはいろいろではないかと思います。--Jms 2008年12月30日 (火) 19:31 (UTC)[返信]

曖昧さ回避を用いるべきかどうかは総合的に判断することですので、「皇后美智子」を妥当とするロジックがそのままひまわり (絵画)に該当するとは限りません。

この主張でなされている「総合的」という文言はロジカルではありません。このような言い方をする限りいかなる合意に辿り着くこともできないでしょう。まず、絵画ひまわりと皇后美智子の差について複数の論点を挙げて総合的に論証してください。

わたくしには曖昧さ回避ページの新設に限定的には読めません。

Wikipedia:曖昧さ回避には、件の引用の直前に次のようにあります。

曖昧さ回避がどれだけ必要かどうかは、読者がその言葉でその項目を探す可能性が大きいかどうか、また読者が探しているページへの誘導が簡単かどうかを総合的に判断してください。

もし、新設を前提としないのなら、「どれだけ必要」と表現する必要はありません。必要に応じて新しいページを新設しなければならないからこそ、程度が問題になるのです。逆に考えて「『どれだけ必要』なら括弧をつけるべき/つけないべきなのか」という命題を考えれば明らかでしょう。「別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです」とは結局そういうことです。そして、「より適切である」とは論証されていなければ、合意も形成されていません。

身位前置は妥当な範囲であるでしょう (唯一の解という意味ではありません)。

何か誤解しておられるようですが、前置が問題なのは身位云々ではなく、純粋にwpの項目名としてです。つまり、この問題は前述の「絵画ひまわり」問題が総合的に論証されるなら問題ありません。

「皇后美智子」と対比すべきは「総理太郎」「政治家太郎」であって、対比対象に姓を含めるべきではありません。

これは人名だけの問題ではありません。全ての項目名において、「皇后美智子」という形式で付けられている項目が存在しないことが問題なのです。人名に拘るなら、イチローを考えてみてください。彼に匹敵する有名人が現れた場合に、イチロー (野球選手)とせずに、野球選手イチローとしようというのですから。念のために言って置きますが、「皇后美智子」は日本語の呼称として全く問題ありません。しかし、それは絵画ひまわりや野球選手イチローが問題ないのと同程度においてであり、wpの項目名としては異常です。そして、wpにおいて認められている数少ない例外が皇族の身位として明文化されているのです。(上記にリクエストした「総合」問題は、ひまわりの代わりにイチローで論じて頂いても結構です。)そして、部分的に反論するのではなく、論点を選ばずに議論を進めてください。もう一度繰り返しますが、明文化せずに場当たり的に決めようという態度が最も問題であろうと思います。--Askr 2008年12月31日 (水) 06:17 (UTC)[返信]
総合的、というのはWikipedia:曖昧さ回避に述べられていることです。論理的でないとの御批判ですが、もし論理で全て片付くなら合意は必要ありません、原子命題の真理値だけで決まってしまいますから。合意が必要なのは、問題が論理だけでは片付かないからですし、多様な項目を扱わねばならない百科事典の編纂とは、まさしくそうした行為、論理だけでは済まない行為でしょう。なぜ絵画ひまわりと皇后美智子の差について複数の論点を挙げて総合的に論証する必要があるのでしょうか、皇后美智子について検証すればよいことであって、他の任意の項目名と逐一対比するというのは現実的ではないでしょう。比較するとすれば、せいぜい同一カテゴリの項目名程度にすべきでしょう。あるカテゴリーについてならばいえるかもしれないことを、全ての項目について一様に適用せよ、というのは百科事典の扱うべき項目の多様性からすれば無理かつ無意味な要求だと思います。もちろん、まったくランダムでよいというわけではなく、結局はWikipedia:記事名の付け方冒頭の二条件で判断することになるでしょう。
以前議論した際には「皇后美智子」を妥当とする合意が成立していたと理解しています。もちろん異議はいつでも唱えられるので、議論に参加する人が変われば合意が成立しなくなることはあるでしょう。そうなればまた検討すればよいだけの話です。ウィキペディアの様な編纂スタイルとはそういうものでしょう。
全ての項目名において、「皇后美智子」という形式で付けられている項目が存在しない、というのは事実でしょうか。おっしゃる通り、日本語の合成において形容部分が名詞に前置されるのは一般的であり、項目名としても日本語弥生式土器内燃機関と枚挙に暇がありません。固有名詞であっても、構成に意味のある固有名詞は、たとえば日本放送協会徳仁親王妃雅子の如くです。イチローとの対比は (麻生太郎よりはずっとマシですが) 的を射ているとは思えません。検証可能性という点で、「皇后美智子」と「野球選手イチロー」では全く異なります。「美智子」が皇后美智子の名であることは確かでしょうが、皇統譜の母欄にある「皇后良子」から類推すれば「皇后美智子」という表記にはなんら問題はないでしょう。繰り返しになりますが、皇后前置は諡号との混同を避けるためであり、また親王妃ならびに王妃ついての記事名は身位前置 (実際、皇統譜で確認可能です) なのですから、「皇后美智子」が異常であるとはいえないでしょう。「明文化せずに場当たり的に決めようという態度」といわれても、そう判断なさったということ自体は事実でしょうが、そう断定されても困惑するばかりですし、なにより、そもそもが明文化されていないことです。Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族にある合意事項は、ノートでの合意であって、Wikipedia:記事名の付け方の一部という訳ではありません。曖昧さ回避の問題にとどまらず、存命中の皇后について身位前置を明文化せよ、というのが論点なのでしょうか。--Jms 2009年1月4日 (日) 17:53 (UTC)[返信]