Wikipedia‐ノート:表記ガイド/西暦と和暦を併記する際の順序について

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西暦と和暦を併記する際の順序について[編集]

編集合戦が発生し保護に至っているので、こちらで議論を持ちかけます。西暦と和暦を併記する場合の例について、併記する場合にどちらを先に記述するかについて、 2010年4月26日 (月) 19:37 (UTC) 頃から現在にかけて、約12版に渡って例示の順序を入れ替える修正と差し戻しが繰り返され、記事が保護されました。

少々気になったので、この記述がどういう経緯で成立したのかを調べてみました。

スタイルマニュアルの初版では「和暦と西暦」という表現だったものの、後にノートで西暦優先という合意形成が行われ、本表記ガイドの初版に反映された。その後別の経緯で和暦を先にした文例がスタイルマニュアルに追加され、その後本表記ガイドに転記された、という経緯であると把握しました。

私としては、表記ガイドの趣旨からしても、どちらかに統一されている方が望ましいと考えますし、節の冒頭で既に「西暦を原則とする。和暦は併記してよい」と明示されており、西暦を優先とする合意形成も行われていることや、「記述が日本中心にならないように」という観点からも、西暦を優先するのがよいと考えますし、現時点では西暦を先に優先して記述することに理があると考えています。ただ、ナショナリズムに絡んだ問題で、和暦より先に西洋の暦を表示することが国辱的であると考える方がいることも、一定の理解は示しているつもりです。こうした統一を不服とする161.73.57.98氏、Naigai氏の「恣意的な改変による由々しい表記狭矮化」という主張に理があるとするなら、いっそのことガイドラインに、

西暦を原則とします。和暦も併記することができます。 西暦と和暦を併記する場合は、以下のどちらでも構いません。

例: 2006年(平成18年)
例: 平成18年(2006年)

のような形で明文化すべきであると考えます。どうでしょうか? --Kanohara 2010年4月28日 (水) 13:56 (UTC)

  • 反対  なお、私としては「どちらでも構わない」というガイドラインの導入には反対です。「ウィキペディア全体の表記の一貫性を目指す」というガイドラインの趣旨からしても、西暦優先の形に統一すべきと考えます。--Kanohara 2010年4月28日 (水) 13:56 (UTC)
  • 賛成 特に日本に関連する歴史についての記事などは、和暦が先の方が自然な場合があるのではないでしょうか。また、西暦が先のみが強制されるのであれば、西洋中心主義が持ち込まれることにもなり、NPOVにも反するのではないでしょうか。ただ、西暦が全世界で支配的なのは確かだと思うので、一般的である西暦で以て中立とする考えも成り立つので、私以外が反対多数であれば、そこは素直に従うつもりでいます。--國道二百四十六號 2010年4月28日 (水) 14:10 (UTC)
  • 反対 表記統一を目指すガイドラインにおいて、表記の揺れを大きくすることは避ける方向で検討すべき。日本に関連するもののみ和暦を先にするという意見はあるかもしれないが、それは「JPOV」ではないかという懸念はある。また、この件には効果として、「どちらでもいい」ことを理由とした無駄な編集合戦を回避できることも期待できる。--iwaim 2010年4月28日 (水) 14:33 (UTC)
  • (コメント)おそらくいろいろな所で言い古されているのではないかと思うのですが、明治5年以前のいわゆる旧暦では、和暦(中国暦もですが)と西暦年次とは厳密に一致しません。なので「1702年(元禄15年)」は書き方としてはおかしいと思います。元禄15年は8割以上は1702年と一致していますが、たとえば元禄15年12月15日未明の赤穂浪士の討ち入りは西暦では1703年1月31日となります。ナショナリズムとは関係なく、特に日本史分野の記事については、引用する出典からして旧暦における日付の記載が多いこともあり、あまり杓子定規に統一しない方が良いとは思います。--トホホ川 2010年4月28日 (水) 14:35 (UTC)
  • コメント 丁寧に経緯を調べていただきありがとうございます。私もこの編集合戦は気になっていたところでした。「表記の一貫性を目指す」ということに関してはまったく文句はないのですが、ただ西暦と和暦に関しては一部問題がありまして、日本においてグレゴリオ暦が導入される以前は西暦と和暦で年が1対1対応しないということがあります。Template:和暦の注意書きなどを読んでいただくと例が書いてありますが、年末年始では微妙にずれが発生します。そのため、日本の歴史書などでは和暦から西暦への換算をせずに、和暦での日付のままで書いているものがあり、それをウィキペディア編集者が何も考えずに西暦に変換してしまうと問題が生じることがあります。原則として西暦を先にするとしても、そういう場合に和暦を優先して書けるような規定にする必要があるかと思います。--Tam0031 2010年4月28日 (水) 14:40 (UTC)
  • 反対 本文・説明文としては西暦のみが必須であると考えます。したがって、元号(西暦)の順は引用元の原典が元号表記させれている場合に限って引用部分でのみ許容されるべきです。つまり原則とは引用以外のケースすべてであり、西暦のみが必須で、西暦(元号)の表記はオプションとすべきと考える。現在のガイドラインは紛らわしいので、『本文中では西暦での表記を必須とし、必要のある場合のみ西暦に対して括弧づきで元号を併記することができる。ただし、Wikipedia:引用のガイドラインで示される「引用の同一性」を保証する目的で、元号で表記された文書を引用する場合のみ、元号のみで表記するか、その元号に対して括弧づきで西暦を補っても良い。』というように明確にこの表記ガイドも示すべきです。--あら金 2010年4月28日 (水) 15:21 (UTC)
  • 賛成 日本に関連するものでも西暦を先にするということの方が中立性に反し、正確性を損なうことになるでしょう。何でも統一すればいいという考えには反対です。というか、「表記の一貫性」の拡大解釈だと思います。このように明記しちゃうことによって、トホホ川さんやTam0031さんが指摘したようなケースでも頭の悪い自警がガイドラインを振り回して書き換えて回ることになるので、軽率な統一化には断固反対します。あら金氏の提案は論外ですね。--uaa 2010年4月28日 (水) 15:30 (UTC)
  • 反対 西暦のみを必須とすべき。ただし、日本に関連があるものについては括弧内に和暦を表記することも広く認めるべき。
暦関連では西暦から和暦を算出、表記させるテンプレートがあります。私としては、編集段階のソースではなく表示された状態が本ガイドで定められた状態に適合していれば問題ないと考えていますが、一部に、ソースの表記に拘られる方もおられるようなので、テンプレートの使用の可否についても本ガイドで言及すべきと考えますがいかがでしょうか。--Lincun 2010年4月28日 (水) 16:14 (UTC)
  • 反対 あら金さんの提案に賛成します。現在、多くの高等学校で用いられている日本史の教科書である「詳説 日本史」(山川出版社)には、次の凡例が定められています。「年は年代を知るのに便利なため西暦を主とし、日本の年号は( )のなかに入れた。明治5年までは日本暦と西暦とは1ヶ月前後の違いがあるが、年月はすべて日本暦をもとにし、西暦に換算しなかった。たとえば天正14年12月1日は、西暦では1587年1月9日であるが、1586(天正14)年12月とした。改元のあった年は、その年の初めからあたらしい年号とした。たとえば慶応4年は9月8日に改元して明治元年となったのであるが、この年のことはすべて1868(明治元)年とした。」。この凡例による年の表記は、合理的で分かりやすいと思います。したがって、この凡例に倣い、年の表記は西暦を主として、和暦を補充的に用いるという原則を定めるべきであると思います。なお、1873年(明治6年)1月1日以後の日付に関しては、西暦と和暦のどちらを先に表記しようと正確性に違いはありません(改元のあった年については、和暦を二つ書く必要はあります。)。ただ、表記は統一しなければ、文章の分かり易さを大きく損ねてしまいます。したがって、ここでも西暦を主として、和暦を補充的に表記するとするという原則を定めるべきであると思います。--唐棣色 2010年4月28日 (水) 16:57 (UTC)
  • 反対 現状の「原則として西暦」「必要に応じて和暦を併記する」が最善と考えます。中立性や日本を中心視しない世界的な観点からの配慮は当然のこと。項目の日本との関連の有無によって判断を行うことは,避けるべき筆者の独自の評価をそこに入れろと言うことであり面倒を引き起こす可能性が高いと思います。また現行の方針は和暦を排除するものではありません。正確な史料引用の必要や,読者の理解を助けるために必要な情報として和暦を併記することはむしろ推奨されることです。しかし百科事典の中に一貫した混乱をまねかない統一された時間軸を置くことは非常に重要なことですので,「原則として西暦」という大原則は変更すべきではありません。--Zyugem 2010年4月28日 (水) 17:15 (UTC)
  • 反対 原則として西暦、日本に関係するものについては括弧内で和暦とするという案が好ましいと思います。「ガイドライン」での例示としては、西暦(元号)のみを書くべきでしょう。日本史分野で、特に短期間の事柄を扱うような場合は、元号のみで理解できない人でも時期や前後関係を把握できるような配慮をした上で、本文で元号を主として書くことがあってもいいと思いますが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史で議論し、「原則」を逸脱する意義があると考えるとする合意を得る必要があると思います。その上で、どのような条件を満たすかという限定をつけて本ガイドラインで例示を加えるかどうかを考える、ということになるのではないかと。Tam0031さん、トホホ川さんの指摘については、「1702年(元禄15年)」同様「元禄15年(1702年)」も正確ではないわけで、「元号のみ」を是とするか、あるいはテンプレートや算出方法の案内をどうするかどうかという議論になると思います。--Ks aka 98 2010年4月28日 (水) 18:06 (UTC)
  • (コメント)本件に関することだけでいえば「併記許容をガイドライン化することの是非」ということなので、それに対する賛成・反対の二択しかないのであれば、確かに反対という意見が多いのも仕方ないとは思います。しかし、日本史分野の執筆者としては上記反対の皆さんが触れておられる「原則として西暦」「必要に応じて和暦を併記する」という方針に完全に統一したいという話なのであれば、個人的には強く反対します。理由は前述の通りで現行グレゴリオ暦と太陰太陽暦は一致していないからです。通常の日本史関連(東洋史関連)の専門書籍や論文ではあまりない表記です。唐棣色さんが挙げた山川出版社の凡例はあくまで社会科教科書の基準であって、書籍や事典類の基準ではありません(なお私は山川基準が合理的であるとも思えません)。実際に当該分野で最も典拠として引用されやすい、日本史のスタンダード的辞典である『国史大辞典』(吉川弘文館)では「元禄十五年(一七〇二年)」表記です。また、それ以前に表記法をあえて統一するメリットが私には全く感じられません。uaaさんが仰るごとく、安易に方針を統一することで、(たとえ例外が許容されていたとしても)それを杓子定規に(あるいは拡大解釈して)片っ端から表記をいじって回る自警的利用者なり生体botが出てきて皆がそれに振り回さそうなことが容易に考えられ、結局デメリットにしかならないと思うからです(少なくとも「和暦(西暦)方式」「西暦(和暦)方式」が混用されているという些末な問題よりは)。同一記事内で表記が統一されていないのであればさすがに多少「あれ?」と違和感を感じる方もおられるでしょうが、不特定多数の執筆者が存在するwikiシステムにおいては、記事間の年次表記の揺れくらいは無理に統一せずに許容した方が、執筆者を萎縮させたり無駄なコミュニティ疲弊を招いたりすることがないと思います。--トホホ川 2010年4月28日 (水) 22:03 (UTC)
方針としての統一については、執筆者によって「和暦(西暦)方式」「西暦(和暦)方式」が混用されているだけならいいのですが、方針やガイドラインに解釈の余地があれば拡大解釈して、方針やガイドラインに決まりがなければ自分が正しいと考える表記に片っ端からいじって回る利用者が出てきます。西暦も和暦もキリスト教や天皇制という、ややこしい背景を持ちます。他の暦法でも、暦法というのは、おうおうにしてそういう面を持つのでしょう。そういう観点からは、ウィキペディアの記事は、すべて、あるいは出来る限り、ある暦法を採用するべきだと考え、編集を強行することになります。そうすると、どちらかが間違っているというものではないですから、いちいち皆が解釈論や関連する情報源の調査に振り回され、疲弊してしまう。「安易に」方針として統一すべきではないと思いますが、統一できる範囲では統一しておいたほうが、混乱は避けられるということもあるとご理解いただけると助かります。--Ks aka 98 2010年5月2日 (日) 09:08 (UTC)
  • 反対 少なくとも1872年(明治6年)以降は西暦を原則とし、和暦は併記可能とすべきであり、今回問題になった例示は西暦(和暦)とすべきと考えます。なお、トホホ川さん他のコメント自体はもっともな話であり、1871年(明治5年)以前については和暦優先の表記も認めてよいと思います。ただ、この問題は日本に限った話ではなく、中国の歴史上の事項などでも共通の話でしょう。もう少し一般化して、「現地の暦法が西暦と一致していない場合は現地の暦法を優先して良い」位の表現ではいかがでしょうか。--アルビレオ 2010年4月28日 (水) 22:36 (UTC)
  • 反対 私が和暦(西暦)の例を追加した理由は明治5年以前の例のほかに和暦が正式表現であるものが多数あるためです。(日本における予算、大相撲本場所の正式名称など)--Goki 2010年4月28日 (水) 23:00 (UTC)
Gokiさんの2010年4月28日 (水) 23:00 (UTC)のご発言ですが、先頭のtemplateの「反対」と本文の内容が食い違っているように見受けられます。ここでは、「西暦(和暦)」の表示例に「和暦(西暦)」を表示例として追加するかどうかについての意見が求められています。「反対」だと「和暦(西暦)」を追加しないことになるのですが。--アルビレオ 2010年4月28日 (水) 23:37 (UTC)
コメント私の反対は細部に関する反対意見です。和暦を先に書いてもよいとすべきですが(理由は先述のとおり)、当時の私の編集の意図は(大部分のリンクがリダイレクトである和暦年へのリンクと、括弧を含めたリンクの非推奨)リンクを含めたものですのでそれをはずしたガイドラインには賛成できないのです。--Goki 2010年5月1日 (土) 01:37 (UTC)
  • コメント 旧暦時代の扱いについて、ウィキプロジェクト日本史で検討した上でこちらにフィードバックするという、Ks aka 98さんの意見を支持します。検討すべき事項は大きく二つ。1.和暦年と対応する西暦年について、赤穂浪士討ち入り時に「1702年(元禄15年)」あるいは「元禄15年(1702年)」のような表記を認める(あるいは全面的に導入する)か。(因みに、記事平治の乱冒頭部ではこの手法が採用されています)。2.和暦年を先にするか西暦年を先にするか。検討の結果1と2共に執筆者に選択を任せるという決断もありえるかと思いますが、その場合は読者向けの注意をどこかに(Portal:歴史または当表記ガイド?)明示しておく必要を感じます。--ととりん 2010年4月29日 (木) 09:15 (UTC)
  • コメント このガイドライン文書における例示としては「西暦(和暦)」の形式のみで構わないと思います。しかし、西暦を優先する規定はキリスト教POVではないのか、という論点が全く考慮されないままこれほどの反対意見が並んでいるという状況には強い違和感を覚えます。世界には様々な種類の暦が存在するのであり、項目の扱う主題やその暦年が言及される文脈に応じて最も相応しい書式を用いることが認められるべきだと思います。西暦優先の原則を全ての項目で一律に適用することには反対します。--sergei 2010年4月29日 (木) 14:39 (UTC)
  • コメント あんまりPOVパラノイアやってたら、ガイドラインに従うのもガイドラインPOVってことになるかもなぁって、死んだお祖父ちゃんが言ってました。--Qrsk075 2010年4月29日 (木) 16:14 (UTC)
  • 賛成 編集合戦の当事者でありますNaigaiです。場違いかも分かりませんが、まず今回こうして議論の場を用意して頂き、また過去の経緯を詳らかに検証して頂くの労を執って貰い、ここにKanoharaさんにお礼申上げます。しかし、編集合戦にまで至った動機は無論、徒に紛擾を醸すことにはなく、当該箇所の変更問題を由々しい事態と判断した為で、それに関する意見をここに述べさせて頂きます(冗長ですみません)。まず最初に、「西暦を原則とする」の文言を以て「和暦(西暦)」の処断を試みる方が多い様に見受けますが、両者は全然反しないものと解する為、私の目には実に不可思議な意見に映ります。wikipedia項目内の主要な文章を和暦のみで書けば「原則西暦」に大いに抵触するでしょうが、「和暦(西暦)」であれ「西暦(和暦)」であれ、そこに西暦が押し並べて明確に付されている以上、原則に抵触する部分は毫末もない筈です。また國道二百四十六號さんの仰る西洋中心主義となることも大いに問題ですし、uaaさんの仰る通り、「表記の一貫性」の拡大解釈であると私も思います。もし仮に一貫性を求めた表記方式を論じるならば、(歴史関連に限らず)日本国内の日本に関する出来事は「和暦(西暦)」、日本国外の日本に関する出来事は「西暦(和暦)」、日本国外の日本に関連しない出来事は西暦のみ、ときっちり定めるのが、最も整然とした表記ガイドラインであると信じますが、如何でしょうか(これは別問題であり、今は結論を求めませんが、編集合戦を抑える一方策でしょう)。往々にして起こりがちですが、日本中心にならないようにという観点を無制限に広げて振り回し、表記の上において、日本を全く無視して無理に海外中心になっているという問題があるのではありませんか。大変失礼ですが、余りに狭隘なあら金さんのご提案はまさしく論外です。wikipediaの項目には文系理系交々多端な分野がありますが、殊に歴史に関する分野で、西暦を主に和暦を申し訳程度に用いるなど、そこに大した知識を求めない方には充分でしょうが、事実愚の骨頂です。歴史に関する項目を同じく多く編集する者として、トホホ川さんの仰ることに全面的に賛成です。結局無用な表記順序の一方的規制は、分野によって大いに内容を低品質ならしめることにしか繋がりません。sergeiさんの仰ることにも同意しますが、明記しなければガイドラインの狭い解釈によって、記事の質を場合によっては落して回る方も出るでしょう。Kanoharaさんは可能な限り客観的に問題提起をして下さり、感謝に耐えませんが、これはナショナリズムの一語では済まない、wikipediaの質に関わる大問題であると信じるが故に、西暦優先の表記統一には反対致します。議論下手の為、贅弁が過ぎ申し訳ありません。--Naigai 2010年4月30日 (金) 01:10 (UTC)
    • コメント 「(歴史関連に限らず)日本国内の日本に関する出来事は「和暦(西暦)」、日本国外の日本に関する出来事は「西暦(和暦)」、日本国外の日本に関連しない出来事は西暦のみ、ときっちり定める」のは不可能です。一見明確な仕分けですが、「刑法」はどれ?「ドラえもん」はどれ?「日本酒」は?「日本海溝」は?いずれも日本だ国外だと分けることはできません。和暦を記載する際には、原則「西暦(和暦)」、例外「和暦(西暦)」または「和暦」、例外は「1873年(明治6年)1月1日前の日付」、「固有名詞」、「引用文」とすればよい。自治マニアがガイドラインを振りかざして荒らして回ると危惧される方がいますが、現状は、「和暦(西暦)」マニアが無意味に修正して回っている状態です。--Qrsk075 2010年4月30日 (金) 01:37 (UTC)
      • コメント コメントを頂き有難うございます。本題よりそれますが、上記の仕分け方に関してその案で言えば、刑法もドラえもんも日本酒も日本海溝も、日本の刑法であり、日本で放送され、日本で醸造され、日本の地理を論ずる内容の文面である限り、明確に「和暦(西暦)」であると思います。欧米の刑法、海外放送、海外で流通する海外の製品、日本を含めないまたは日本を含む国際的地理問題として書かれる場合には、明確に「西暦のみ」もしくは「西暦(和暦)」であると思います。「和暦(西暦)」マニアが無意味に修正して回っていると仰いますが、これはお互いに過剰な編集合戦にならないように気をつけるべきであるとは思いますが、冷静に見れば中には、和暦優先への有意義な修正と無意味な西暦優先への差し戻しも多いのではありませんか?一方の視点に傾き過ぎないようにということは、共に戒むべきことと思います。--Naigai 2010年4月30日 (金) 02:41 (UTC)
        • コメント 「日本」という一つの観点から文章を仕分けて、「和暦(西暦)」にしたり「西暦(和暦)」にしたりと扱いを変えることは、無意味で無駄で無理な作業です。上記の簡単な例でさえ、「日本の地理を論ずる内容の文面」と「日本を含む国際的地理問題として書かれる場合」で扱いを変えろという矛盾を生じています(一体、いつの時点での「日本」なのでしょう?)。そもそも、「欧米の刑法、海外放送、海外で流通する海外の製品、日本を含めない…国際的地理問題」に関する文章で和暦を付記する事例はないので、結局、「和暦を使うときは必ず「和暦(西暦)」にせい」という主張になっています。一人で自由に仕分けたにもかかわらず混乱してしまうような曖昧で硬直的な基準は、基準の体を為していないと言わざるを得ません。--Qrsk075 2010年5月1日 (土) 01:50 (UTC)
      • コメント何故無意味と仰られるのでしょうか。「いつの時点」というよりも文章の主体を考えれば一目瞭然です。 記事の内容が主に日本に属し、海外を主体に日本の番組が放送されれば、それは「西暦(和暦)」でもありえるでしょう。記事の内容が主にヨーロッパに属し、そこに日本が参戦したなどと言う場合も、「西暦(和暦)」でしょう。これらの仕分け方は本件とは別議論ですが、私は困難とは思いませんし、そこまで窮屈に考えなくても、他の方が編集を佐長して下さるでしょう。--Naigai 2010年5月1日 (土) 12:12 (UTC)
  • コメント 西暦が重用されるのは、改元が頻繁に行われた和暦よりも時を示す尺度として便利だからであって、西洋中心主義だとかキリスト教POVとかいう話とは別の問題でしょう。確かに、日本人の中にはキリスト教の暦をそのまま用いることについて違和感を感じている人も少なくはないと思いますが、それに匹敵する便利な暦もないというのも事実だと思います。また、西暦以外の暦は和暦だけというわけではなく、和暦だけ特別な扱いを認めるのであればそれこそ「中立的な観点」を特に重視される方がよく口にされる「日本POV」にあたるのではないでしょうか。--Lincun 2010年4月30日 (金) 02:22 (UTC)
    • コメント 常に和暦優位にせよと提唱している訳ではありません。西暦原則を逸脱しないにも関わらず「和暦(西暦)」表記を不用意に排斥しようというのは、中立的観点からも(記事の内容によって)学術的観点からも、不当であり問題のあることと思います。またこれも少し本題よりそれますが、私は和暦のみならず、例えば「民国○○年(19××年)」といった表記にも賛成です。--Naigai 2010年4月30日 (金) 02:41 (UTC)
      • コメント 和暦優先を適用できる範囲は明確化が可能であると上で仰せですが、和暦以外の諸々の暦も同様の処置を講ずるべきとされるのであれば、それらの適用範囲の明確化についても自信がおありということでしょうか。--Lincun 2010年4月30日 (金) 03:07 (UTC)
        • コメント あくまで本件とは別問題ですので、他に議論を尽くす必要もあり多言は避けますが、私は決して不可能ではないと信じます。その際もし仮に、一編集者が判断に困ったことがあったとしても、そこがwikipediaの強みで、他の編集人より適度なフォローが入ることと存じます。それは一歩進んだ議論としても、とまれ今回の案件については、和暦優先と西暦優先の「仕分け方式を明確化するか否か」は別問題としても、少なくとも両方式が適切な表記方式として共に明示されていなければ、原則の解釈の相違により生じる編集合戦は、また繰り返されることと思います。--Naigai 2010年5月1日 (土) 00:11 (UTC)
          • コメント 和暦優先の適用範囲を線引きするのは殆ど無理だと思っています。また、和暦以外の各地域の暦の扱いを和暦と同等の扱いをするとなると、それらについてもどう線引きするか考えなければなりません。ウィキペディアの執筆者が聞き分けのいい人たちのみで構成されているのであればさほど神経質になることではないのですが、現にこのガイドにおいてすら編集合戦が繰り広げられているわけで、その辺は悲観的にならざるを得ません。--Lincun 2010年5月4日 (火) 14:38 (UTC)
  • 賛成  和暦、西暦の順序はどちらでもよいと思う。様々なケース、事情を一切考慮しない画一的なルールには反対する。--Arstriker 2010年4月30日 (金) 05:51 (UTC)問題を取り違えていたため修正--Arstriker 2010年4月30日 (金) 06:08 (UTC)
  • 反対 ここはウィキペディア「日本語版」であり、「日本版」ではない。不満は残るかもしれないが、他言語版の状況とWP:JPOVを考慮すれば、「西暦のみ」もしくは「西暦(和暦)」が最善。--花蝶風月雪月花警部 2010年4月30日 (金) 14:27 (UTC)
    • コメント 一言挟ませて下さい。他言語版の状況というのが何を指すのか分かりませんが、その様に思われるのは、暦法が西暦でない国が日本以外に少ないからではないでしょうか。例えばwikipediaタイ語版では仏滅紀元が使用されている様です。「日本語版であり日本版ではない」ということも、是非気をつけるべき点ではありますが、西暦を付した和暦優先の記述が何故日本語版たるポリシーやWP:JPOVに抵触することになるか、私には分かりません。突き詰めれば日本語版の自己否定にすら繋がるのではないでしょうか。--Naigai 2010年5月1日 (土) 00:14 (UTC)
      • コメント元号表記の問題点は高々63年の連続性しかなく、歴史上の時系列や地誌的な同時性が断裂するという点に尽きます。これは他国の歴史や自国の百年単位の歴史を俯瞰する上で致命的な欠点です。歴史的資料と突き合わせる場合(つまり引用)のみ元号表記するときには重要ですが、それ以外の場合においては「日本国の元号によるカテゴライズ」を強制する以上の意味はないです。つまり「大化の改新は大化元年に始まった」という文は極めて正確ですが、説明として理解すべき点はなにもありません。また「鳩山氏は大化1365年にあたる年に内閣総理大臣に就任した」という文も厳密ですが、意味がありません。つまり、元号をベースとした和暦というのは、正確ではあるが非常に狭い観点でしか意味を持たないということです。したがって、特定の観点でしか時系列をあらわさない日付の表記方法というのは「引用の正確性が特に要求される場合」以外は必要がないということです。。Wikipediaの事実としてCategory:昭和とかCategory:天保とか元号をベースとしカテゴライズがないという事実は元号による時代区分というのは観点として大した意味がないということをも示唆します。--あら金 2010年5月1日 (土) 00:50 (UTC)
        • コメント例にあげられた大化の改新ですが、「大化の改新は大化元年(645年)に始まった」というのが一番いいような気がします。元号大化はそもそもなぜに『大化』の改新なのかという主題に密接した情報を提供しますし、世界的な時間尺度である西暦がともに記されているからです。このように記事の主題により密接した暦を優先使用すべきであって、その場合汎用タイムスケールとしての意味しかない西暦は補用すべきでしょう。--BadSurprise 2010年5月1日 (土) 10:48 (UTC)
        • コメントあら金さんが述べられたのは、西暦がいかに算数的に便利かという理系の利点を述べておられるだけです。鳩山氏が総理になったのは平成21年であり大化1365年ではないので、意味がないのは当然です。理系の方には良いのかもしれませんが、私のように西暦ではピンと来ず読み辛くて仕方のない人間も、決して少数ではないでしょう。一方的に原則を曲解してまで和暦を追いやる理由にはなりません。便宜上の西暦のみを用い、不用意に本来の和暦の併記を失うことこそ、「非常に狭い観点」であると思います。--Naigai 2010年5月1日 (土) 12:00 (UTC)
      • コメント 「暦法が西暦でない国が日本以外に少ない」というのは誤りです。日本では1873年(明治6年)にグレゴリオ暦を採用しているので、日本の暦法は西暦です。少なくとも、1873年(明治6年)1月1日以後の日付は、和暦と西暦で完全に一致しています。したがって、同日以後の日付については、和暦で表記する意味はありません。ただ、和暦の記載が文章の内容を把握するための一助となることもあるので、補足的にカッコつきで付記しているに過ぎません。--Qrsk075 2010年5月1日 (土) 01:50 (UTC)
        • コメントそれは明確な間違いです。グレゴリオ暦とは即ち太陽暦ということで、太陽暦である西暦と同様に、明治6年から和暦も太陰暦から太陽暦に変わったということです。その後平成22年に到るまで一致するのは当然のことです。後に定められた閏年の算出も、西暦ではなく神武紀元です。これらは和暦の変遷であって、日本の暦法は西暦ではありません。ただタイに仏滅紀元がある一方で日本の神武紀元の使用は限定的になってきたので、西暦が同様に算数的に便利である所から便宜上用いる訳です。故に大化の改新が実際に起こったのは大化元年ですが、理解する一助として便宜上645年と付すのも大変便利ですから、この場合原則と照らしても大化元年(645年)と書くのが最善です。--Naigai 2010年5月1日 (土) 12:00 (UTC)
          • コメント おっしゃる通り、前言を訂正して、日本で採用されている暦法(和暦)は、グレゴリオ暦(西暦)と全く同じ太陽暦であって、1873年(明治6年)1月1日以後の日付は、和暦と西暦で完全に一致しているのは当然のことなのです。そして、西暦が大変便利であることから、日本でも広く用いられているのです。この「便利」という点が、ウィキペディアの記事においては最も重要なのです。ここで定められるガイドラインが、ウィキペディア「日本版」であったり、日本の公文書に適用されるものであるならば、たとえ便利さを幾分欠いていても、「元号による表記」(このガイドラインにおける「和暦」)を優先的に使用することにも、考慮の余地があるかもしれません。しかし、このガイドラインはウィキペディア「日本語版」に適用されるものです。したがって、優先的に使用されるべきは「和暦」(日本で採用されている暦法)ではなく、便利さに優る「西暦」なのです。「日本版」と「日本語版」の違いは、「日本」という観点から書くか、「日本語」によって書くかという違いなのです。なお、私は、1873年(明治6年)1月1日前の日付については、「和暦(西暦)」という表記を勧める立場に立っています。したがって、私が書くならば、「大化の改新は、皇極天皇4年(645年、大化元年)に始まった。」とするでしょう。しかし、1873年(明治6年)1月1日以後の日付は「西暦(和暦)」を用いるので、「日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日に始まった。」と書きますし、ガイドラインは「例: 2006年(平成18年)」とします。--Qrsk075 2010年5月1日 (土) 13:40 (UTC)
            • 大化の改新の開始には複数説ありますが、ウィキペディアの最新版では、改新の詔を開始としているので、大化2年となっています。最近は乙巳の変を開始とする説も有力ですが、その場合大化が始まる旧暦6月19日より前ですから、大化元年とは言えないでしょう。「元号による表記」には、この例でも西暦に比べて不便な点があります。乙巳の変を開始とするなら、645年(皇極天皇4年)でしょうか。なお、和暦では「元号による表記」となっているので、厳密に言えば皇極天皇4年を併記するのはルール外です。--アルビレオ 2010年5月1日 (土) 23:56 (UTC)
  • 賛成  和暦優先も許容すべきです。--BadSurprise 2010年4月30日 (金) 17:57 (UTC)
    • コメント 誤解があるといけないので追記しますが、西暦優先の原則は原則として維持すべきだと思います。ただ確実に西暦よりも和暦(或いは他の暦)を優先した方が良い記事もあるわけです。特に日本史などの歴史関連はそうでしょうし、他にもそういった記事があることでしょう。和暦などで記録された故事の中には正確に西暦年に換算できないものもあります。そういった記事にまで西暦優先を強いるのはナンセンス以外のなにものでもないでしょう。あくまでも原則は原則とし、フレキシブルな運用を是とすべきです。日本POVとはまた違った観点です。--BadSurprise 2010年4月30日 (金) 17:54 (UTC)
      • コメント 正確に西暦年に換算できないものについては和暦などを優先(というよりそもそも正確な西暦年に換算できないときにどうするかの別の観点が必要)でしょうが、今回問題になっている例は2006年(平成18年)であり、正確な西暦年がわかる場合です、その場合についても和暦優先の記述を許容すべきとお考えでしょうか? --アルビレオ 2010年4月30日 (金) 21:59 (UTC)
        • コメント 記事の主題に密接した暦があればそれを使用すべきでしょう。その場合、西暦は併記すべきですし、そうでない場合は原則に照らし西暦を優先使用すれば良いと思います。--BadSurprise 2010年5月1日 (土) 10:55 (UTC)

コメント旧暦時代を含めて西暦優先とし、和暦および元号が定められていない場合は天皇在位年を併記可能を提案します。(今までの和暦を優先してよいから少し考えが変わりました)その理由として

  1. 南北朝時代に和暦を適用すると、同じ年に二つの元号が付いているので混乱する。西暦を優先することで混乱を防ぐことができる。
  2. 元号が定められていない場合に天皇在位年が使われている実績が多い。(厳密には和暦ではないが、許容すべき)

です。そろそろ色々な観点が出てきて、整理すべきですね。--アルビレオ 2010年5月1日 (土) 12:04 (UTC)

  • 反対 あら金氏の発言に同意します。表記の揺らぎ防止のためにはどちらかに統一すべきで、すべての時点は西暦で表記できるはずだからそれに統一すべきでしょう。そして執筆者は西暦で表記できるよう努力すべきでしょう。もちろん、わかりやすくするために和暦を補足することを妨げるべきではありませんが。--いんでぃご 2010年5月1日 (土) 16:02 (UTC)
  • 反対 個人的な能力限界ってゆーか知識不足に基づくんですが、「西暦表記」の方が前後関係を把握しやすいんですよね。んでもってまあ、西暦っていうから文化問題とかが出てくるんでしょうけど、皇紀でも絶対年代でもいいんだけど(絶対年代の起点をどうするんだってのは置いておく)、一直線に数字で並べてもらった方がありがたいっす。対して、和暦優先を認めるとどういうメリットがあるんだかがわからない(和暦併記は認められているんで、和暦の方がわかりやすいひとにとっても、問題はないでしょう。和暦の方がわかりやすいひとがほんっとに存在するのかどうか、おれは疑問に思っていますけどね(ふっ))。しょーじき、この提案が出された理由が、全くわかりません。いったいどういうメリットがあると思っての提案なんだろうか。--Nekosuki600 2010年5月1日 (土) 19:22 (UTC)
  • 賛成  まず日本で西暦と呼ばれていますが本当はキリスト教暦(en:Anno Dominiグレゴリオ暦)のことで、厳密には訳語が正しくありません。それゆえ、厳密にいえばキリスト教徒以外がこの暦を使うのは、宗教の公平性・中立性といった点から問題があるわけです。日本史においては、明治以前はキリスト教暦は公式には使用されたことがありませんし、それゆえ和暦優先でもかまわないと思います。少なくとも日本史のような特定の分野においても西暦の優先を強制するのは、宗教の中立性から問題があります。--薔薇騎士団 2010年6月25日 (金) 01:56 (UTC)
  • 賛成  反対派の意見を見るに、自分にとって西暦が一番よく知っている便利なものだから、という理由に過ぎず、中立的でもなんでもない。

和暦のみを用いてすべての行動が行われてきた日本史という空間では、和暦を先にし、理解に便利であるから参考として西暦の様な統一年紀を附けるのが本筋であり、同様にイスラム文化の中で起こった出来事はヒジュラ暦、タイでは仏歴とすべてにその文化本来の暦を優先的に記して始めて中立的と言えるだろう。 反対派の意見は自分が無意識に当然としているものの押し付けでしかない。中でもあら金氏の様な考えは、そもそも"なぜ中立的でなければならないか"の前提である多様性の存在を無視したものであり、之に強く反対する。

和暦優先は和暦を使ってすべてを処理していた文化内の事を語る場合、特に旧暦時の様な暦そのものが同期しない時代の事を言及する際は、正確さという点において明らかな利点がある。

また西暦を先にしようと、和暦を先にしようと、それが並んで表記されていれば、読む側に混乱というほどのものが起きるとは到底思えない。分かりやすいかどうかは、杓子定規な押しつけでなく、場合によりどのように説明するかといった文脈に依存する。多様性への考慮を書いた画一的な規則により、わかりやすさや正確さが失われるのを防ぐ為に、むしろ場合に応じた柔軟性の担保こそを統一規則として制定しておくべきである。 --射丸蔵 2010年12月19日 (日) 10:14 (UTC)

論点の再設定[編集]

論点が錯綜してきているように思いました。整理してみます。西暦を書かなければならないという点については、合意があると考えます。西暦、和暦(または西暦以外の暦)の記述方法として、

  • 「西暦」または「西暦(和暦)」でなければならない、という意見、または解釈があります。
  • Kanoharaさんの提案は、どのような記事についても、「西暦(和暦)」「和暦(西暦)」の語順を任意に選択できるというものになっています。たとえば「フランスの歴史」のような項目も「和暦(西暦)」を採用することができます。ここまでの賛否、および各コメントからは、この案は受け入れられていないと言えると思います。

上記二つの考えを前提として議論が進みましたが、論点は以下のことに移行してきたと思われます。

  • 一定の範囲に限定して、「その他の暦(西暦)」を採用する、あるいは許容するのがよいという意見があります。なお、「西暦(マヤ暦)」のように、西暦に加えて、その項目を書く上で適切と思われる暦法で併記するということは、許容されてきていると思います。
    • 具体的な範囲について
      • トホホ川さん、Tam0031さんの意見は、明治の改暦を理由として、おおむね、日本史分野で、改暦以前の事柄を主とする記事では「和暦(西暦)」を採用する可能性を残してほしいというものだと受け取りました。
      • Naigaiさんは、その範囲をもっと広げて、「歴史関連に限らず、日本国内の日本に関する出来事」では「和暦(西暦)」という意見です。ここでは、その境界の解釈が可能かどうかという点について異論があります。
      • sergei さんは項目の扱う主題やその暦年が言及される文脈に応じて最も相応しい書式を用いることが認められるべきという意見でした。
    • 範囲を限定する場合、手続き的に
    • プロジェクトなどの合意に基づくのがいいという意見は、ぼくが述べました。
    • 「項目の性質によって、」というような、おおまかな線引きで、「その他の暦(西暦)」というような形にできるようにするという意見もありました。

既に、これらについての意見も述べられていますが、やや派生的な論点として扱われてきたと思いますので、あらためて「一定の範囲に限定して、「その他の暦(西暦)」を採用する、あるいは許容する」かどうかについて、意見をお願いできますでしょうか。

どういうふうに書けばいいのか、という点で、共通の認識が得られたら、本ガイドラインで、それを適切に反映した文章に改めることはできると思います。--Ks aka 98 2010年5月2日 (日) 09:05 (UTC)

  • 「一定の範囲に限定して、「その他の暦(西暦)」を採用する、あるいは許容する」に賛成します。『一定の範囲』の解釈はまた一悶着ありそうですが、私は、個々の事情を考慮し「その他の暦」の優先使用が適切な記事の集合と解釈しました。--BadSurprise 2010年5月2日 (日) 09:39 (UTC)
  • 「その他の暦」と「西暦」の両方が明確になっている前提で、「原則として西暦、西暦(その他の暦)を認める」の現状を支持し、「その他の暦(西暦)」には反対します。理由は、
  1. 西暦の方が他の事項との時間関係がわかり易く、百科事典として適切である。
  2. 5月3日 などCategory:日付の記事に見られるような一覧では「西暦(その他の暦)」に統一されており、ウィキペディアとしての整合性に優れる。
  3. 具体的な例として、足利尊氏では征夷大将軍に任じられた年を「暦応元年/延元3年(1338年)」と記述しているが、南朝での「1338年(延元3年/暦応元年)」の方がすっきりしている。また、その他の暦を優先する場合は、この例のように北朝の元号と南朝の元号の優先順位が大きな問題になる。西暦を優先した場合もその問題は残るが、重要性は低くなる。
言い換えれば「一定の範囲には何も含まれない」です。本件は「一定の範囲」がある程度合意されないと決着しない問題だと考えます。「一定の範囲で認める」の意見では、すくなくともある程度の「一定の範囲」の基準を示していただきたい。なお、「原則として」は、既存の記述での「その他の暦(西暦)」を「西暦(その他の暦)」に書き換えるだけの修正を防ぐためです。--アルビレオ 2010年5月2日 (日) 22:42 (UTC)
上記は「その他の暦(西暦)」をいかなる場合でも「許容しない」ではない意見ですよね。ここで問われているのは例外なく「西暦(その他の暦)」を使用するかどうかだと思うのですがいかがでしょうか。--BadSurprise 2010年5月3日 (月) 05:43 (UTC)
『「その他の暦(西暦)」は許容しない。ただし、すでにある記述については、それだけの修正はしない。』とした方が明確ですね。後半を意識して曖昧な記述になっていました。「例外なく」とすると、それを理由としたそこだけの修正がされるのは避けたい、が目的です。--アルビレオ 2010年5月3日 (月) 08:19 (UTC)

(確認)ここでの取り決めの適用範囲は歴史関係の記述だけではないのですか?私はそう思って上記の意見(要約すると「画一的に決めなくてもいいじゃないか」)を述べたのですが、議論に参加している方々の発言を見ると、その辺の認識がまちまちなように感じます。全ての分野に適用するとすると、例えば、”平成○○年度予算”とか”平成○○年○月法律○○号”のような名称や、「平成○○年度から実施」といった記述も”20××年度予算”、”20××年○月法律○○号”、「20××年度から実施」のようにするのですか?現在でも日本の政府等での年号に関する表記や法律等の命名は和暦が原則ですよね。統一すべきという意見の方々は、そのようなものも西暦に改竄するべきと主張されているのでしょうか?--uaa 2010年5月4日 (火) 12:32 (UTC)

ここの議論はあくまで表記ガイドの年月日の先頭の項目に関する議論です。名称を書き換えるような話はしていません。ただ、すでにガイドには『年度は「2004年度」のように表記します。ただし、日本の会計年度以外のものについては年度表示を避けたほうがよい。』とあります。また、「平成○○年度から実施」という記述は、「20XX年(平成○○年)4月1日から実施」のように日付を明示的に書いた方が良いと思います。(もちろん引用の場合は元の表記をそのまま引用するわけですが)--アルビレオ 2010年5月4日 (火) 13:11 (UTC)
ここでの取り決めは当然歴史関係にとどまらず全分野について適用されるものでしょう。ただ、和暦を内部に取り込んでいる固有名詞については当然話は別だと私は思っていたのですが、そうは解釈しない人もいるようなので、ガイドにおいてその点を言及する必要があるように思います。--Lincun 2010年5月4日 (火) 14:38 (UTC)

コメント ルールの策定において「原則と例外」を定める場合、「例外」の範囲をしっかり定めなければならないと思います。また、あまり細かくすると煩雑なので、例外の範囲は狭くした方がよいと思います。そこで、再度提案します。

  1. 和暦を併記する際には、原則「西暦(和暦)」と表記し、例外として「和暦(西暦)」または「和暦」と表記できる。
  2. 例外は、「1873年(明治6年)1月1日前の日付」、「固有名詞」、「引用文」を記載する場合とする。

「固有名詞」の範囲については議論があるかもしれませんが、細かい記載例については他のガイドラインによっても定められているので、年月日表記のガイドラインとしてはこの程度の緩さで構わないと思います。--Qrsk075 2010年5月5日 (水) 02:10 (UTC)

「1873年(明治6年)1月1日前の日付」と「固有名詞」、「引用文」は別の話なので、後半を別立てにしました。また、西暦が判明しない場合についても別立てにしました。肝心の「1873年(明治6年)1月1日前の日付」についてですが、私はやはり「西暦(和暦)」を原則としておきたいところです。「1338年(延元3年/暦応元年)」と「暦応元年/延元3年(1338年)」では前者がすっきりしていると思います。--アルビレオ 2010年5月5日 (水) 09:00 (UTC)

コメント 「一定の範囲に限定して、「その他の暦(西暦)」を採用する、あるいは許容する」に賛成です。「一定の範囲」については、「その他の暦(西暦)」を使用する分野のプロジェクト(無ければ、ポータルや執筆者間の合意)がその必要性を検討し、採用が妥当であるとの結論を得れば本ガイドラインに「その他の暦(西暦)」が使用できる例として追記していけばよいでしょう。--ととりん 2010年5月5日 (水) 12:49 (UTC)

コメント 「一定の範囲に限定して、「その他の暦(西暦)」を採用する、あるいは許容する」に「条件付で」賛成です。条件は、

  • 「一定の範囲」を「例示」にとどめること。
  • 「一定の範囲」から外れたことだけを理由にして杓子定規に編集合戦&編集者のブロック依頼に持ち込まないこと。

です。--Goki 2010年5月9日 (日) 02:48 (UTC)

コメント 例外を認めるのであれば、原則を「西暦」或いは「西暦(その他の暦)」とすることに異論はありません。例外については例示に止めるということについてはGokiさんと同意見です。例外の範囲についてはQrsk075さんの意見でよいと思います。そのうち明治改暦以前の取扱いについてはKs aka 98さんの意見通りプロジェクトで議論しましょう(日本史分野の1次史料が日記などの場合で、当該事件が○○(元号)○年に起こったとしか分からない場合もありますので、その場合は元号にリンクを貼ることを条件に「その他の暦」のみの表記も認めるべきだと思います。)。Naigaiさんの意見については心情的に理解できますが範囲の判断を巡って編集合戦を引き起こす可能性が高いため消極的に構えたい。いずれガイドラインなのだから少なくとも原則は定めておく必要があります。--ろう(Law soma) D C 2010年7月13日 (火) 00:43 (UTC)

コメント
主に日本に関する人物・事柄等の記事において、(西暦を用いると定められた)明治改暦(明治6年1月1日)以前から言及される記述・年表等については、「和暦(西暦)」表示を使用しても可とするのが良い考えます。
理由は、文献との整合を保つためです。WP:VWP:NORに関わる重要なことであると考えます。
また月日まで分かる場合の表記は、「元禄10年(1697年)12月27日」という誤差・誤解を生じる表記ではなく、「元禄10年12月27日(1698年2月7日)」と「和暦の年月日(西暦の年月日)」という表記が暦法の差異について厳密にできると考えます。
コメント 参考
現在、氷鷺さんが「年月日を指定することで西暦和暦を併記するテンプレート」の試作してくださり、「Template‐ノート:和暦#西暦和暦を変換し併記するテンプレート」でテンプレートの詳細についての議論を行っております。テンプレートを使用できる期間に制限があるようですが、「和暦 → 西暦(和暦)」だけではなく、「和暦 → 和暦(西暦)」にも対応可能とのことです。--Resto1578 2010年7月27日 (火) 19:32 (UTC)

年月日・時間の対象範囲[編集]

Qrsk075さんの2010年5月5日 (水) 02:10 (UTC)のコメントのうち、「固有名詞」、「引用文」については 年月日・時間の節全体に適用されると考えます。節の先頭に『以下は記事の中で年月日・時間について記述する場合に適用する。著作物の名前に年月日・時間が含まれる場合など「固有名詞」には適用しない。また、引用する場合にも適用しない。』を追記したいと考えます。--アルビレオ 2010年5月5日 (水) 09:00 (UTC)

本件については特に反対がないので、本文に追記します。--アルビレオ 2010年5月21日 (金) 21:10 (UTC)

西暦が判明しない場合の扱い[編集]

日本の歴史に限りませんが、ローカルな暦が使われていた時代の事項については、例えば天文5年1月としか書かれていないと、それが1535年か1536年かわかりません。このようにローカルな暦での年がわかっていても、かならずしも西暦がわからない場合があります。その場合の表記についてですが、

  1. 和暦年(西暦年、ただし両年を併記)月の表記とする。例「天文5年(1535-1536年)1月」
  2. 和暦年月(西暦年、ただし両年を併記)の表記とする。例「天文5年1月(1535-1536年)」
  3. 和暦年(西暦、ただし和暦の年がほぼ対応する年)月の表記とする。例「天文5年(1536年)1月」
  4. 和暦年月(西暦、ただし和暦の年がほぼ対応する年)の表記とする。例「天文5年1月(1535年)」
  5. 和暦だけを表記する。例「天文5年1月」
  6. あくまで西暦(和暦)とする。例「1535年12月-1536年1月(天文5年1月)」

といったスタイルが考えられます。私としては、2番目の和暦年月(西暦年、ただし両年を併記)の表記としたいところですが、かなり微妙であり、1,2,3,4のどれでも可としても良いと思います。#5は他の事項との比較ができないので避けたい。#6はわかりにくく、見にくいのでさけたい。(例に挙げたのは豊臣秀吉の誕生月のつもりでしたが、天文 (元号)の記述の西暦年が間違っており、かつ「豊臣秀吉」の記事ではそもそも5年1月1日が少数説のようなので、後で手を入れておきます。)--アルビレオ 2010年5月5日 (水) 09:00 (UTC)

  • コメント (基本的にはアルビレオさんと同じ)確認ですが、例えば「鎌倉時代」などのときに「13世紀頃」あるいは「12世紀後半から14世紀前半」とかを『必ず併記』するのかです。記事に書かれていることの年月があまり断定できていないとき、例えば、鎌倉時代は分かっているが、13世紀中頃かもしれないし14世紀初期かもしれないと曖昧なときなど、併記に迷ったときはどうしましょうか。--Aimaimyi 2010年5月6日 (木) 17:54 (UTC)
年がわかる場合の話に限定しておいた方が良いと思います。鎌倉時代であれば、リンク先を見ることで年がわかるので、それで十分だと思います。--アルビレオ 2010年5月23日 (日) 08:53 (UTC)
「誰が見てもそうしなければ話が通じない」場合を除いて「~しなければならない」という枷は可能な限りはめないようにした方が幸せです。--Goki 2010年6月9日 (水) 01:33 (UTC)

コメント アルビレオさんの例示の場合なら2番目「天文5年1月(1535-1536年)」がよいと思います。1番目、3番目だと「1月」がユリウス暦の1月に見えますし、1番目だとそもそも西暦何年の1月なのかという余計な疑問を生みます。4番目の場合は教科書の凡例と同様の記載を表記ガイド等に明示しておかないと混乱を招きます。なお、上でも書きましたが日記等で「天文5年」としか確定できない歴史上の事件の場合は西暦年が確定できません。この場合はアルビレオさんの2010年5月23日 (日) 08:53 (UTC)の発言と同様、「天文」に「天文 (元号)」へのリンクを貼っておくことを必須にすれば年が分かるので「和暦」のみで十分だと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年7月13日 (火) 00:53 (UTC)

元号がない場合について[編集]

現状を追認する提案です。和暦では元号と続く年によって表現する、となっていますが、例えば元号が定められる前については、推古天皇30年のように、天皇在位年が広く使われています。現状の表記ガイドの記述の「和暦も併記することができます」を、「和暦(元号が定められていない場合は天皇在位年)を併記することができます」とし、「例: 2006年(平成18年) 」を「例: 2006年(平成18年)  622年(推古天皇30年)」とすることを提案します。--アルビレオ 2010年5月23日 (日) 08:53 (UTC)

本件についても特に反対がないため、本文に追記しました。--アルビレオ 2010年5月29日 (土) 22:22 (UTC)