Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない/過去ログ3

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この方針の名称(「original research」の訳語)[編集]

候補一覧と過去ログ(2006/7/8までの議論)[編集]

これまでにあげられたものの一覧です(他にもあるかもしれませんが)-- 2006年7月8日 (土) 01:00 (UTC)

  • 独自の研究の禁止
  • 独自の調査の禁止
  • 独自研究の禁止
  • 独自調査の禁止
  • 独自研究禁止
  • 独自調査禁止
 
  • 独自の研究はダメ
  • 独自の調査はダメ
  • 独自研究はダメ
  • 独自調査はダメ
 
  • 独自の調査を書かない
  • 独自の調査を記載しない
  • 独自の調査を掲載しない
  • 独自の調査は書かない
  • 独自の調査は記載しない
  • 独自の調査は掲載しない
 
  • 独自の研究の掲載の禁止
  • 独自の調査の掲載の禁止
  • 独自研究の掲載の禁止
  • 独自調査の掲載の禁止
  • 独自研究の掲載禁止
  • 独自調査の掲載禁止
  • 独自研究掲載禁止
  • 独自調査掲載禁止
 
  • 独自の研究の排除
  • 独自の調査の排除
  • 独自研究の排除
  • 独自調査の排除
  • 独自研究排除
  • 独自調査排除
 
  • ウィキペディアは独自の研究の結果の発表の場ではありません
  • ウィキペディアは独自の研究の結果を発表する場ではありません
  • 未発表研究の掲載の禁止
  • 未発表研究の排除
  • 未公知の研究の掲載禁止
  • 思いつきや思いこみはダメです
  • ウィキペディアは思いつきや思い込み発表の場ではありません
  • 未公知の研究の排除
  • 私的な見解の排除
  • オリジナルリサーチの排除
  • 私的見解の非投稿

(ここにあった議論は#正式化に向けてに移動しました-- 2006年7月14日 (金) 03:39 (UTC))ページ内リンク修正しました。--miya 2006年7月21日 (金) 03:08 (UTC)

以下、いったん過去ログ化したものを枠内に戻しておきます(リストを除く)-- 2006年7月10日 (月) 02:51 (UTC)

  1. No original researchの翻訳ならば「独自の調査を書かない」などではないでしょうか。
  2. だいぶ前から言われ続けているのですが、original researchを「独自の研究」と訳してしまったことで語感から来る誤解が大きく、たびたび問題になりました(曰く、私独自の研究じゃない)。もっと良い original の訳語は無いでしょうか。

--Tietew 2006年4月15日 (土) 13:24 (UTC)

  • No -- 「…を書かない」「…結果の発表の場ではありません」
    英語だと「no」の一言で簡潔な表現になってますが、日本語で同じことを表現しようとなると少々回りくどくなるような感じですね(まぁ英語版ウィキペディアの他のガイドライン文書には文章的な題名のものも多いですが)。
  • Original -- 「独自の…」「オリジナルの…」
    英辞郎では「original research」を「未発表の研究」としているようです。少々意訳的ですが、日本語的にも自然だし、Wikipediaの「original research」の訳にも合ってるような気がします。Original researchかどうかは学術誌などで既に発表されたかどうかが基準となるようなので。
日本の学術誌などに寄稿する際の論文の条件は、「original research = 既に学術誌等に発表あるいは投稿されていない」のようです(例:「医療薬学」投稿規定)。Hermeneus (user / talk) 2006年4月17日 (月) 09:34 (UTC)
  • Research -- 「…調査」「…研究」
    もともと科学のトンデモ理論を想定したもののようですので「研究」の方が近いかもしれませんが、電突のようなジャーナリスティックなオリジナル取材(?)もありますので、調査のほうが意味が広く良いかも知れません。
他にも良い案があったらどんどん提案してください。Hermeneus (user / talk) 2006年4月15日 (土) 14:30 (UTC)
"No" は「…の排除」あるいは「…禁止」でいかが。少なくとも「中立的な観点」と並列に並べるには "No" を何らかの形で表現する必要がありますね。"Original" は「独自」でよいかどうか、よくわかりません。"Research" は研究も調査もカバーしなければならないようですが、「調査研究」と併記せざるを得ないかも。
「検証可能性」が遅れていて申し訳ありません。やりにくかったかもしれませんが、NORを先行して頂いて感謝しております。--Kanjy 2006年4月16日 (日) 04:17 (UTC)
やっぱり「…の禁止」が短くていいですかね。Hermeneus (user / talk) 2006年4月16日 (日) 17:15 (UTC)
ストレートに「…はダメ」というのはどうでしょうか?--Basilico 2006年4月16日 (日) 21:37 (UTC)
「ダメ」だとちょっと弱いですね。「禁止」も少し強い感じがしなくもありませんが。Hermeneus (user / talk) 2006年4月17日 (月) 09:34 (UTC)

今気づきましたが、「独自調査の禁止」でも「独自調査はダメ」でも、ちょっとニュアンスが違ってきてしまいますね。禁止されているのは独自調査に関する記事をウィキペディアに作成することであって、独自調査を行うこと自体はウィキペディアが関与する問題ではありませんので。「独自調査に関する項目を作成するのは禁止」だとちょっと長いので、「独自調査の掲載の禁止」ってところでしょうか。

私的には「未発表研究の掲載の禁止」がいいように思うのですが、「独自調査」という用語が既に定着してしまっているので、「独自」という言葉は残した方が良いのかも知れません。とりあえず、考えられる組み合わせを挙げてみましょう:

(上記リスト)

他にもあれば、上に追加していってみてください。Hermeneus (user / talk) 2006年4月17日 (月) 09:34 (UTC)

「-の排除」を追加しました。「排除」は「掲載禁止」に近い意味になると考えています。また、「-ありません」に、連続「の」を減らした版を追加しました。--Kanjy 2006年4月17日 (月) 10:14 (UTC)
上でも書いたように「独自」という単語を使用することが誤解につながるので、この語に固執することには強く反対します。Tietew 2006年4月17日 (月) 14:20 (UTC)
他のどんな訳語がより適切だと思いますか? 現在「独自」以外の候補としては「未公開」「未発表」がありますが、これらの方が良いでしょうか? あるいまた別の訳語のほうが良いとお考えでしょうか? Hermeneus (user / talk) 2006年4月17日 (月) 21:26 (UTC)
Original は難しいですね。上で書かれたときとは状況が異なり、公式方針文書ができる予定なのですが、それでも「独自」が文字通りの解釈をされて誤解されそうですか。それはそうかもしれません。
もしそうなら、「未発表」もまた、文字通りの解釈をされて「すでに公式サイトで公開済み」「特許出願中、特開200x-131072」などと言われそうな気がしますし(公開と発表は違うのに)。どうしましょう。--Kanjy 2006年4月17日 (月) 15:43 (UTC)
プログレッシブ英和中辞典では以下のように定義しています:「1 ((限定))原始の, 最初の;本来の... 2 独自の, 独創[創造]的な;新奇な;風変わりな... 3 初めて行われた;初公開の... 」この方針で言うoriginalは3に近いですから、もしかしたら2の意味の「独自」と訳すのは誤訳なのかも知れません。Hermeneus (user / talk) 2006年4月17日 (月) 21:26 (UTC)
ご存知の通り、英日翻訳は英語を日本語に変換する作業ではありません。英単語 original に訳された原概念が何だったかを注意深く読み取り、original という語に執らわれず、原概念を最適な日本語に訳す必要がありますよね。
未公知」(みこうち)はいかがでしょうか。「公知」は特許法の「公然知られた」の略語として広く使われ、また、秘密保持契約の決まり文句です。「未公知」は時々見かける否定形です。
「インターネット公知」も特許の新規性喪失事由ですが、個人ページや企業サイトでの自己発表では掲載日時と内容の証明が難しく、出版社、大学、学会、公的機関等のサイトで発表されたものでなければ、特許庁も簡単には信用しないようです (インターネット等の情報の先行技術としての取り扱い運用指針 H11.12.10 PDF形式)。検証の目的は違うものの、私たちの要件に極めて近いのではないでしょうか。
もちろん、WPをインターネット公知の実現手段として悪用するのは言語道断であり、免責事項かどこかで対策すべきかもしれません。--Kanjy 2006年4月18日 (火) 03:24 (UTC)

「未公知」でもいいですね。まぁぶっちゃけた話、日本語版ウィキペディアの専門用語として定着しさえすればどんな用語を採用しても大した違いはないでしょう。用語の定義はこの文書で詳述しているわけですし、仮に誤解を生んだとしてもこの文書を参照するように言えば済みます。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの短い解説しか無かった頃であれば紛らわしい名称が問題になったかも知れませんが、この方針文書が出来上がればそういう懸念も無くなるわけです。いずれの候補も当方針を指す言葉として極端に外れたものでもありませんし、またウィキペディアで意図する意味と100%合致するような既存の言葉は多分無いでしょうから、後はもう好みの問題です。Tietew氏が「未公知」で良しとし、他に反対する人がいなければ、「未公知」にしますか。Hermeneus (user / talk) 2006年4月18日 (火) 07:28 (UTC)

草案の作成お疲れ様です。法律関係に疎いわたしにとってみれば「未公知」という言葉は聞きなれないですが、漢字が表す意味からして(未だ公に知らず)理解し易い言葉だと思います。Hermeneusさんがお調べになられた original の訳の中に”風変わりな”とありましたが、独自の調査という意味からすれば遠からずな感じがします。こちらも付け加えること出来ませんか?軽いジョークとして。--Trilingual 2006年4月18日 (火) 10:53 (UTC)

「未公知の研究の排除」は否定に否定を重ねるようで。でも仕方ないですかね。-- [Cafe'] [Album] 2006年5月30日 (火) 14:39 (UTC)

「独自の研究(調査)」としてしまうと、「私独自の研究(調査)じゃない」と主張する人を納得させるのが難しいというのは理解できます。でも、「未公知の研究」と訳したところで、「この説はみんなが知ってる公知の説だ」と主張する人が出てきて、結局同じことになるのではないでしょうか?どのようなものをoriginal researchとして排除すべきかは、いずれにしても、ルールの中で定義して詳しく説明する必要があるのだろうと思います。だとすれば、すでに法律・専門用語として特定の定義・意味づけがされている「公知」より、手垢のついていない一般用語である「独自」を用いる方が、誤解の危険性が少ないような気もします。--Dwy 2006年5月30日 (火) 15:31 (UTC)

「みんなが知ってる」→「その証拠を示せ。信頼できる情報源を示せ。」です。法律用語の「公知」とはそういう意味であり、私たちの No original research と同じです。だから、あいまいな「独自」より明確な「公知」が良かろうという話なのです。 --Kanjy 2006年5月31日 (水) 03:29 (UTC)
必ずしも「未公知=original research」ではないと思います。例えば、発明者自身が私的な手段(自費出版等)で公表した情報は、問題なく「公知」になるはずですが、多分original researchには該当するでしょう。また、「公知」とは「守秘義務を負わない不特定のものが知っている」という意味であり、情報源の信頼性は問題にしていませんから、「信頼できる情報源を示せ」にはつながらないと思います。上で紹介されている特許庁の取り扱い運用指針も、掲載日付(公知になった時期)が証明できるかどうかを問題にしているのであって、情報源としての信頼性(情報が正確かどうか)を問題にしてはいないようです。
いずれにしても、Hermeneusさんがおっしゃっているように、「仮に誤解を生んだとしてもこの文書を参照するように言えば済」む話なのですが、そのときに「『公知』というと特許関係で使う法律用語をイメージされるかもしれませんが、ここでは若干違う意味で使っていまして・・・」のような言い方をしなければならないこともありえます。私としては、「ここで言う『独自の調査』は英語のoriginal researchの訳語なので分かりにくいかもしれませんが・・・」の方が、話がスムーズに進むのではないかと思うわけです。--Dwy 2006年6月1日 (木) 12:18 (UTC)

どうも、「公知」の語に2つの解釈があり、それぞれまだそのソースを示されていませんから、中立的な観点から見れば、どちらもあり得る、と言うことになるわけですかね..... 冗談はさておき、「独自の調査」または「独自の研究」の問題点は、それがどちらも「オリジナルリサーチ」より狭い概念だと言うことですから、広げる意味で「等」をくっつけ、「独自研究等の排除」ですむんじゃないでしょうか。-- [Cafe'] [Album] 2006年6月1日 (木) 15:45 (UTC)

候補中「独自の調査を書かない」の位置を移動していくつか加えました。個人的には「は書かない」が好みです。ところで他の言語版では必ずしもNo original researchの訳ではないようです。[1]で翻訳すると、ドイツ語版はTheory identification、スペイン語版はWikipedia is not a primary sourceとなりました。Kanjyさんの原概念が何だったかを注意深く読み取りをもう一歩進めることになりますが、訳すということにとらわれず、内容にあった題を新たに付ける、といった風に考えるのもひとつの手かもしれません。--124.35.27.245 2006年6月2日 (金) 04:52 (UTC)
Kanjy です。訳すことに執われないのは大切な考え方の一つですが、内容にうまく合わせるのはなかなか難しいものですよね。この文書の場合 original research というものを先ず定義して、それを軸に話を進めるわけですから original research をうまく表現しようというのは、無難なもってゆき方かと思います。ドイツ語版のように No original research 文書のドイツ語訳であることに拘らないのなら、方針名も訳に拘らなくてよいでしょう。
さて「公知」の問題を整理すると、以下のようになるかと思います。
  1. 理論上、本来の公知という概念は、守秘義務のない人が一人でも知ることのできる状態にあることです。実際に知ったかどうかは無関係です。
  2. 実務上、公知の主張は証明せねばなりません。文献公知、インターネット公知などは、それなりに信頼性のある出版社や学会等を経なければ証明困難です。
  3. ただし、どちらにしても、法律用語の公知は、本来は、内容の信憑性と無関係です。公知の証明に適した信頼性のある出版社等を経ることで、結果的に信憑性を得る(ことが多い)に過ぎません。
  4. 裁判等の争いになれば、自費出版でも、版元(出版社)による証明、法定納本が履行された場合国会図書館での確認、といった方法はあり得ます。ただし、そのような検証手段は、それ自体が original research に該当し、ウィキペディアに適しません。
というわけで、公知に関する実務上の要請は私たちの original research に非常に近いのですが、本来の(理論的、辞書的な)概念は Dwy さんが仰る通り異質なものです。異質であるだけでなく、実質的に広い(甘い)ものと受け取られる虞はありそうですね。 --Kanjy 2006年6月4日 (日) 08:43 (UTC)
原文の "original research" が指しているものを的確に表す日本語はないものでしょうか。英和辞書にこだわる必要ないのはもちろんですし "original research" という英語の和訳である必要もありません。どなたか知恵をください。 --Kanjy 2006年6月17日 (土) 15:24 (UTC)
まず、外国語を日本語に翻訳する際に漢語にすることが多いですが、これは避けた方がいいように思われます。漢語は本来中国語という外国語ですから、漢語に翻訳したところでやはりわかりにくさを免れることはできないと思います。英語のoriginal researchという言葉のそれぞれは、英語を母語とする小学生にでも理解できる言葉です。もちろん、その二語で成り立つ複合語の定義するところはそれほど易しい意味合いでは無いのかも知れませんが。その意味と、英語でのoriginal researchの定義を私なりに意訳すると「思い込み・思いつき」という和語がふさわしいのではないかと提案させていただきます。originalと言う言葉も、researchと言う言葉も、多少皮肉の意味合いを込めて使われていると考えましたので。その定義を読んで、私もちょっと反省したところです。 --ぽくぽく 2006年6月18日 (日) 1:07 (UTC)
有難うございます。しかし、違うのです。言葉足らずだったかもしれませんが "original research" という言葉の的確な日本語訳がほしいのではありません。そう申し上げたのではありません。
方針は最初のセクション(原文は en:Wikipedia:No original research#Definition)をまるまる使って、排除すべき対象を定義し、英語版ではそれを "original research" と名付けています。これを日本語で何と名付けるか、直訳の「独自の調査」より良い命名はないかという問題です。
私には「思い込み・思いつき」という命名は、この方針が排除する対象を表しているとは思えないのです。「実験で検証済。思いつきでも思い込みではない。」というズレた反論を招きます。
ぽくぽくさん仰せの通り漢語は大和言葉ではないので、「中立的な観点」「検証可能性」と並べて違和感がなければ漢語である必要はありません。皆様、どうぞ宜しくお願い致します。 --Kanjy 2006年6月17日 (土) 17:05 (UTC)
独自調査であるかそうでないかは、信頼できる情報源から発表されているか否かなので決まるのですよね。そうであれば、排除する対象を正確に指す言葉としては、「信頼できる情報源から発表されていない研究や見解」等が適当なのではないでしょうか。長いですが。
英語のNo original researchを独自研究の排除などと訳すことで混乱を招くのであれば、いっそのこと「オリジナルリサーチの排除」など、あえて訳さず原語のままを使ってみるのも有効かもしれません。最近の「外来語」言い換え提案の流れには逆行するかもしれませんが、インフォームドコンセントなど、あえて訳さずに使う外来語も多いわけですし・・・[2]O^tsuka 2006年6月28日 (水) 15:46 (UTC)
「外来語」言い換え提案って、オリジナルリサーチっぽいですね。それはさておき、名称が決まらからだけではないでしょうけれど、なかなか正式化しないのは不幸なことだと思います。ノーオリジナルリサーチでもいいから、早く正式化したいですね。
といいつつ、もしそれが早く正式化する役に立てば、だけの意味で、ひとつだけ追加します。
  • 私的な見解の排除
-- 2006年7月2日 (日) 00:03 (UTC)

ここまでの議論を拝見して、誤解を避けるためには「オリジナルリサーチ」とカタカナにするのがよいように感じました。

  • 「Wikipedia:オリジナルリサーチの排除」

など、いかがでしょうか。--miya 2006年7月7日 (金) 16:30 (UTC)

正式化に向けて[編集]

正式化に向け、Wikipedia:井戸端 (告知)#Wikipedia:独自の調査(現)に告知を行いました。念のため、Template:意見募集中にも書いておきました。-- 2006年7月8日 (土) 00:53 (UTC)

っさん、正式化に向けて進めていって下さりありがとうございます。ただ、一つ気になったことがありますので、書かせていただきます。Wikipedia:井戸端 (告知)#Wikipedia:独自の調査(現)を見たところ、「Wikipedia:オリジナルリサーチの排除」へ改名した上での正式化ということになっていました。それであれば、改名に関する議論の部分(== この方針の名称(「original research」の訳語) ==の節)は現段階では過去ログ化すべきではないと考えますが、いかがでしょうか。現在のノートを見ただけでは本方針の名称についての議論がわからず、意見も出にくいと感じております。--Sloop25 2006年7月8日 (土) 18:11 (UTC)
すみません、枠内に戻しておきました。-- 2006年7月10日 (月) 02:51 (UTC)
早速、対処していただきありがとうございます。--Sloop25 2006年7月11日 (火) 21:23 (UTC)

カタカナ語への異議(2006/7/9以降の議論)[編集]

カタカナ語はちょっと抵抗があります。「オリジナル・リサーチ」と「独自の調査」を比較すれば、多少の語弊はあるとしても、まだ後者の方がよいと思います。Noは「書かない」を支持します。「新たな考察を書かない」、「まだ知られない説を書かない」なども候補として考えられないでしょうか。--みっち 2006年7月9日 (日) 03:00 (UTC)

カタカナ語には違和感ありますね。とはいえ、「独自の調査」もおかしい。ORIGINALを独自と訳すと、それだけで語弊が生じます。記事を書く際には独自に文献等を調査して記述することもあるからです。ORIGINAL RESEARCHのORIGINALは、その個人が発信源の…(ORIGINAL=起源)くらいのニュアンスだと思いますが、これを「独自」と訳すと、独自からはSELFの意味も感じ取られてしまいます。
「一般に未検証である私的な研究」の立項・掲載の禁止】【一般に未検証の私的研究の発表禁止】・・・長いですが、意味としてはこんなところかなと思っています。 私的、はUNIQUE・当該個人がORIGIN、という感じで・・--PeachLover 2006年7月9日 (日) 03:09 (UTC)

そうですね。ただ、下に戻した過去ログを見ても、上のリストを見てもわかるように、案は百出するのですが、どうしてもうまく内容を説明できているものが出ないので、よい訳語が出るまでこれでいってはどうかという提案なのです。
ひとつには、下の過去ログにもあったと思いますが、下手に意味の通じる語句を書いて、内容も読まずに誤解したままわかった気になられるのを避ける、という意味合いもあります。
「書かない」もいいのですが、「排除」のほうが「書いたら消すぞ」という意味合いが出るように思いました。逆に「禁止」では意味が強すぎるような。-- 2006年7月10日 (月) 02:51 (UTC)

どこに書いていいかわからなくなりましたが、「独創的」「独創的な」も候補に挙げます。これだと「独自の」より語弊は小さいかと思います。Noは「でないこと」もあります。たとえば、「独創的な調査・研究でないこと」。基本方針ですので、「書いたら消すぞ」というより、「そういう立場に立たない」という表明がよいのではないでしょうか。--みっち 2006年7月12日 (水) 10:01 (UTC)

(↑位置を移動しました)
独創的なもいいのですが、逆にこんどは、独創的研究が広く一般に認められたというのもあるでしょうから..... 「でないこと」はいいですね。単に「でない」もありかもしれません。-- 2006年7月13日 (木) 15:40 (UTC)
そう言われてみると、「非独自性」「非独善姓」というのもありかなと。思い切って「調査・研究」を省いてしまっていますが。(実はひそかに「独善禁止法」がいいと思っている)-- 2006年7月13日 (木) 15:46 (UTC)

どこに書くのかわかりにくいですー。独善というと、本人は独善と思っていなかったりいまいち悪いニュアンスが入るので感情的な議論に向かうように思います。っさんの路線なら「独創性」がもっとも適当ではないかと思います。

他方、これまで検討されてきた路線に従い、リサーチの訳語として考えると、「研究」は文書で想定されている範囲よりも広く(強く奨励されている「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチ」は、独自の研究に含まれるのでは?)、「調査」は文章で想定されている範囲の限定的な一部であると感じます(意識調査や国勢調査のような、あるいはアマゾン流域の調査のような)。「見解・調査」などと並列して表記するのが、適切ではないかと思います。

訳語で言えば「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな統合の例」の「統合」という表現にも違和感があります。強く奨励されている「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチ」との違いが不鮮明になっているような。--Ks aka 98 2006年7月14日 (金) 03:05 (UTC)

「統合」は、ニュアンスからすると「合成」ですかね。「オリジナル」ですが、どんなリサーチでも、「独創性」がなかったら、評価されるに値するものとなり得ませんよね.....? その意味で、「独創」にはちょっと無理があるように思うのです。
ところで、そろそろ告知から1週間になるのですが、主としてページタイトルに問題が指摘されています。正式化を遅らせてもっと議論する必要があるでしょうか、それとも、とりあえず明日正式化して、さらに議論を進めましょうか。-- 2006年7月14日 (金) 03:49 (UTC)
名称案が百出する中、意外にも「Wikipedia:オリジナルリサーチの排除」に改名して正式化、ということに明確な異議が出ていません。私自身は正式化には賛成、この改名案は許容範囲、従来の仮称「独自の調査」のままでの正式化には反対です。皆さまはいかがでしょうか。 --Kanjy 2006年7月14日 (金) 04:01 (UTC)
私の出した異議は「不明確」だったでしょうか。異議でなければ、新たに候補を挙げたりしません。「独創」がダメで「オリジナル」がよいというのは、ちょっとよくわかりません。言葉には広義と狭義があり、「独創」にも「オリジナル」にも受け取り方に幅があります。たとえば、っさんの言葉をお借りすれば、「オリジナル」な研究にも広く一般に認められたというものもあるでしょうし、どんなリサーチでも、「オリジナル」でなかったら、評価されるに値するものとなり得ないということがいえるのではありませんか? このように意味が通じますから、そうすると「オリジナル」は採れないことになります。--みっち 2006年7月14日 (金) 09:07 (UTC)
タイトルが決まらない以上、正式化は保留することが望ましいと思います。各所での議論においてまずはタイトルが書かれ、その語が熱心で思慮深い執筆者以外のところで一人歩きする可能性は高いでしょう。それが、正式化後の議論によって覆るのは好ましくないように思います。
「独創性」については「ピューリッツアー賞クラスのジャーナリズムやノーベル賞ものの研究でさえも、それがウィキペディアで最初に発表されることになるのであれば、掲載拒否せざるをえません。」という意見に従うならば、独創性を評価するという軸はウィキペディアには存在しないと捉えるべきであると理解しています。共同的な創造性や、独自でも独創的でもないけれど、誠実にかつ丁寧に整理されていることで評価するべき記述というものが望まれているのではないでしょうか。「独自」と比較すると、執筆者ではない誰かによるものを「独自」は含むため、その「誰か一人」がウィキペディア外部で十分に評価されている場合がありえます。まあ微妙なニュアンスとか、それぞれの感じ取り方によるところもあるとは思いますが。--Ks aka 98 2006年7月14日 (金) 09:48 (UTC)
うーん、私は「独創的」に一票、です。というのは、そもそもこの"original research"ってのは、学術論文の投稿規定に必ずと言っていいほど出てくる用語なんで。英文学術雑誌の場合、自分の研究結果を"original article"(=原著)として投稿するときには、"original research"であることが要求されます。それと比較して、Wikipediaでは"original research"でないことを要求しますよ、というのが、そもそもの英語版の"no original research"に伺えるわけです。で、学術和雑誌の投稿規定でこの"original research"に該当する用語としてよく用いられているのが「独創的(な)研究」だ、という点を根拠として挙げます。もちろん、山のようにある和雑誌全部の投稿規定を調査したわけではないですが、私がこれまで見聞きして来たものの他にも、オンラインで読めるものをいくつかググってみても「独創性(的)」という語を含むものが多いようですから。--Y tambe 2006年7月14日 (金) 10:23 (UTC)
あ、それから一点補足ですが、上の方にある「未発表の」については、英文学術雑誌の投稿規定では"unpublished"として、"original"とは別途明記されます。これについては雑誌への二重投稿の禁止に係ります。--Y tambe 2006年7月14日 (金) 13:44 (UTC)

Y tambeさんのご説明をうかがって「独創的研究」がよいような気がしてきました。

  • 「Wikipedia:独自の研究」
  • 「Wikipedia:オリジナルリサーチの排除」
  • 「Wikipedia:独創的研究を書かない」

を並べて比較してみて、どれが「わかっていない人に対する説明に使いやすいか」を考えてみます。--miya 2006年7月14日 (金) 14:08 (UTC)

  • 「Wikipedia:独創的な見解・調査を書かない」

を提案します。--Ks aka 98 2006年7月14日 (金) 14:19 (UTC)

確かに独創的研究のほうが一般的で意味も通りやすいかもしれません(Hermeneusさんが挙げられていたサイトにも独創的研究とありました)し、独創と言う言葉の意味からもその方が適当かもしれません。「No」の部分は、っさんが仰るように「排除」とした方がこの方針の意図がストレートに伝わるように思いました。ですので個人的には

  • 「Wikipedia:独創的研究の排除」

がシンプルで良いかなと思いました。O^tsuka 2006年7月14日 (金) 18:02 (UTC)

ただ、そうしたところで上のセクションで指摘されていた独自の研究の場合と同じように、「これは独創ではありません。ネット上では有名な話です」等と反論される方がいらっしゃるかもしれませんね。このようなことを考えだすとキリがないのでしょうけれど・・・。O^tsuka 2006年7月15日 (土) 18:38 (UTC)

「独創的」を用いるなら、

  • 「Wikipedia:独創的研究を載せない」

くらいかな? 確かに「独創的研究」だと一般に意味が通りにくいというKs aka 98さんの意見ももっともだとは思いますが、「見解」だと意味が変わってしまいますので。それならば多少耳慣れなくても定訳に近い方を使う方がいいかと。また「研究を書かない」というのは、少し日本語として違和感がありますし、「書かない」は執筆者だけに向けた注意点のような印象を受けます。他方で「排除」というのは、執筆者本人以外が、不適切な文章が「書かれた後で取り除く」という印象を受け、しかもかなり強い響きがあります。そうではなくて、Wikipedia編纂方針としては、雑誌等と同様に収載しない、という意味で「載せない」くらいが妥当ではないかと思いました。--Y tambe 2006年7月15日 (土) 22:49 (UTC)

英熟語は、英単語それ単体からはとても考え付かないような意味を表すこともしばしばであるため、"original research"が英熟語であるならば、こちらが優先されるべきと考えます。Hermeneus さんの示された『英辞郎』によれば、それは「未発表の研究」である可能性が高いのでは?。あとは訳の問題で、"No"を訳さないと意味を誤読させる恐れがあるのかというと、そういうわけでもなさそうで、記事名が端的に「未発表の研究」となっているならば、「未発表の研究がどうしたんだって?」と、むしろ文書の内容に注意を促す効果を期待できそうです。--Rigel 2006年7月17日 (月) 04:02 (UTC)

"original research"あるいは「オリジナル・リサーチ」という表現を用いるのは好ましくないと考えます。熟語として特別な意味があるのであれば、翻訳から正式化までの間に、その特別な意味を特定し、解説に加えることが求められるのであって、原語を残すべきではないでしょう。Y tambe 2006年7月14日 (金) 10:23 (UTC) をみれば、おそらくは学術雑誌の表現を逆手にとって「ウィキペディア用語」としてもちいているものと想像しますが、"original research"という表現に慣れていない日本語版編集者・読者にとっては意味が掴みきれないと思われますし、まったくわからないというわけでもないので適当に独断してしまう可能性もあります。対応する訳語として「独創的(な)研究」が和雑誌で用いられているのであれば、こちらのほうが適当かと思われます。
他方、「研究」という語に抵抗を感じているのは、Ks aka 98 2006年7月14日 (金) 03:05 (UTC)も書きましたが、強く奨励されている「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチ」が、掲載されるべきではないという印象を受けるからです。本文中でも「ウィキペディア用語」として再定義するのですから、「Wikipedia:"独創的研究"を載せない」と、カッコで括るということでいかがでしょうか。--Ks aka 98 2006年7月17日 (月) 09:10 (UTC)

否定的な意味を持つ言葉は必須?[編集]

すみません、↓の方の記述に神経を集中させていたため、↑のムツカシイ部分はよく読んでいませんでした。であるならば、「独創的(な)研究」で良いのでは?。文書自体は、載せる・載せないの境界線を定める内容のようなので、へたに「載せない」などと記述するよりも、「載せる・載せない」に該当する部分を削ってしまった方が、全体をより正確に表す表現であると感じます。--Rigel 2006年7月17日 (月) 10:44 (UTC)

あ、えーと「載せない」「排除する」とかの表記よりも、研究という語の使用に抵抗があるので、「載せない」なしなら「独創的(な)"研究"」かなあ。「独創的(な)研究」で合意するなら、さほどごねるつもりもないですけど。--Ks aka 98 2006年7月17日 (月) 10:57 (UTC)

original researchの正確な訳語かどうかは分かりませんが、投稿規程を「未発表のもの」としている学会誌「オリジナルな研究」としている学会誌もあるようです。「未発表」は過去の議論で既に候補として挙がっていましたが、これも「信頼できる情報源から(未発表)」という補足を加えれば、Wikipediaが指すところの独自研究とかなり近くなると思います。

Wikipedia独自の用語と言う意味では、Wikipedia:中立的な観点なども言葉のイメージから同じように誤解を受けやすいわけで、上のセクションで言われていたように、解決策は方針をよく知ってもらうこと以外に無いとは思いますが。O^tsuka 2006年7月17日 (月) 22:51 (UTC)

一点だけ。「載せない」でも「禁止」でもいいので、否定的な意味を持つ言葉は必須です。以前からこれは一意でない、誤解を招きかねない危険な表現と思ってましたから。「中立的な観点」「検証可能性」「独自の調査」を並べると、前二者はそれぞれ括弧内の文言を肯定してるんですが、この独自の調査だけは中身を読んではじめて「否定」なのが判る状態なんです。ところが、これを三つ並べるとむしろウィキペディアは独自の調査を推奨しているように受け取られかねない。この誤解はきわめてクリティカルな問題です。なので、まぁ正直、「独創的研究」でも「独自の調査」でも、さほどはこだわらないのだけど、否定的な言葉を入れなければならないということだけは強く主張します。--Y tambe 2006年7月18日 (火) 12:11 (UTC)
では、語尾は「可否」でどうでしょう?。「独自調査の可否」、「独創的研究の可否」となりますが…(「未発表の研究の可否」では、ちょっと語呂が悪いと感じます)。Ks aka 98 さんは、「○○研究の排除」に抵抗がある、とのことですので。--Rigel 2006年7月18日 (火) 13:50 (UTC)
ぼくは「排除」でも「可否」でも「載せない」「禁止」でも、よいですよ。混乱させてしまっていたならすみません。否定する意味合いの言葉を加えるべきであるという意見には賛成します。どれが適当かについての議論は続けるべきかも知れません。ともあれ、ぼくが抵抗があるのは「研究」のほうです。--Ks aka 98 2006年7月18日 (火) 14:20 (UTC)

インデント戻します。独自にしろ独創にしろ、ウィキペディア初心者にいらぬ誤解をまねくのではないでしょうか。個人的には未公知あたりかなとも思いますが、上で述べられた「オリジナルリサーチ」が落としどころとしててきとうなのではないかと思います。S kitahashi(Ple')2006年7月19日 (水) 12:42 (UTC)

わかりやすいこと、なるべく誤解を招きにくいこと、というのは大切なことです。しかし、それ以前に、英語版方針 en:No original policy の日本語版である以上、不可欠な観点が二つあると思います。
  1. "No" を何らかの形で表現すること。 Y tambe さんも仰せの通り「中立的な観点」「検証可能性」と並べるために必須だと思います。
  2. 英語版で "Original research" と命名された概念を、日本語(外来語含む)で命名し、ウィキペディア用語として定義すること。これを疎かにすれば、方針名を Wikipedia:独自研究は載せない/過去ログ3 の本文にうまく反映できません。
「独創的な研究」は悪くないのですが、2 のために「な」を抜いた「独創的研究」の方がよいでしょう。「オリジナルリサーチ」も、以前から使われている「独自調査」「独自研究」も、ウィキペディア用語として定義するのに適していると思います。
もちろん上の 1 と 2 は、最低限の資格に過ぎません。その上で、わかりやすさなどの観点から検討する必要はありましょう。 --Kanjy 2006年7月19日 (水) 14:05 (UTC)
オリジナルリサーチ、には明確に反対。ここは日本語版であり、公式な指針とする以上は適切な日本語を使用するのが第一。そもそもカタカナにしたところで、言語が異なる以上、同じ意味になどならない。だとしたら、original researchを意図したオリジナルリサーチなるカタカナ語ではなく、きちんと「日本語としての意味」を持つ「日本語」で記述するのが当然だし、日本語版利用者にとって公的な指針として当然の態度であると考えます。--PeachLover 2006年7月20日 (木) 11:40 (UTC)
PeachLoverさんと同じく明確に反対。オリジナルリサーチのほうが誤解の余地が少ないように思うのは訳語に関する議論を読んだ後で見た場合で、先入観なく見れば単にカタカナが好きなんだなという印象しか無いでしょう。誤解の余地が無い分かりやすいことを最優先するならば「トンデモ理論発表の禁止」が良いでしょうが、品位に欠けますね。トンデモ理論はともかく「発表」の文字を入れるのはoriginalの意訳として良いかもしれません。--モノノハズミ 2006年8月23日 (水) 21:33 (UTC) --(訂正)モノノハズミ 2006年8月24日 (木) 10:16 (UTC)

ウィキペディア用語 "original research"[編集]

No original research 方針文書の日本語版がない頃、永らく「独自(の)研究」「独自(の)調査(結果)」という語が方針文書や削除依頼で使われてきたことは、皆さまご存知の通りです。 日本語版方針名の検討にあたり、時々誤解を生んだ「独自」の語に固執することについて、4月に Tietew さんが強く反対なさったことから、「未公開…」「未発表…」「未公知…」「思いつき・思い込み」「私的(な)見解」「オリジナルリサーチ」「独創的研究」「独善…」などなどの対案を、私たち知恵を出し合って検討してまいりました。

「オリジナルリサーチ」や「独創的研究」も悪くはないと思いますが、「独自…」に対して、明らかな改善になっているでしょうか。誤解されにくさや、わかりやすさで、すでに定着している「独自研究」や「独自の調査」に取って代わるほどの改善になっているでしょうか。

「独創的」について改めて考えてみて気づいたのですが、載せるべきでない original research と独創性は、何ら関係がないように思われるのです。研究テーマとして評価される「独創的研究」は、むしろ査読で評価され学会誌等での発表を果たし、堂々とウィキペディアに掲載できるようになるのではないでしょうか。逆に、独自にコツコツと労力を積み重ね調査して得られた知見は、独創性が乏しくても、ウィキペディアを発表の場とすべきではありません。

このような観点では O^tsuka さんが惜しんでおられる「未発表研究」はよいと思います。 排他法 poll を進めながら、 ENWP 用語 "original research" に当たる JAWP 用語を何にするか、もう少し検討しませんか。 --Kanjy 2006年7月26日 (水) 14:43 (UTC)


補足します。 OR の訳語として「独創的研究」が必ずしも不適格だとは申しておりません。 排他法 poll でも示されている通り、どの訳語案も、誤解を招かない完璧なものではありません。 おそらくは、そもそも英語版 Wikipedia (EnWp) 用語の "original research" が、定義を参照しない限り誤解がつきまとう用語なのかもしれません。 日本語版 (JaWp) でも、どんな訳語にせよ、方針文書がそれを JaWp 用語として明確に定義する限り、 "original research" の訳語として採用可能であろうと思います。 どんな訳語にせよ、世間一般あるいは学術研究における一般用語と解されることが、最大の誤解を招きます。 誰が見ても JaWp 内で定義された専門用語にしか見えない訳語、というのは望むべくもありませんが、一般用語と解されやすい表現を避ける努力は必要でしょう。 気休めかもしれませんが、「な」や「の」を避けるべきと考えます。

その次に、一般用語と解されたときに生ずる誤解の程度が小さい訳語をなるべく選ぶのが望ましいことになります。 「独創的研究」はその意味で、使用実績のある「独自…」の有意な改善でなく、むしろ誤解の程度が大きいのではないか、と前回申し上げたわけです。 「未公表…」や「未公開…」は明らかに意味が異なり、自費出版でも自己サイトでもOKと解されるでしょう。 「未発表…」も同様に解される虞はありますが、発表の場を与えられたか否かを意味合いに含むならば、より良い訳語かもしれません。

要点は、上で強調(太字)にした3点であり、重要なものから順に述べました。 これらの観点で "original research" の訳語を検討するならば、議論はそれほど発散しないと思うのですが、いかがでしょうか。 --Kanjy 2006年7月28日 (金) 04:10 (UTC)

これはあくまで個人的な印象ですが、助詞を除くことによる効果はさほどないのではないか、と思います。さておき、どの語を選ぶべきか、個々人の主観とかそういうのが入りみだれて、ちょっと収拾がつきにくい感になってきてますね…。S kitahashi(Ple')2006年7月28日 (金) 09:14 (UTC)

S kitahashi さん有難うございます。仰せの二点、私も全く同じ認識であり、すぐ上の補足は、その認識に基づいて申し上げたものです。「一般用語と解されやすい表現を避ける」観点では、最低限「な」や「の」を避けて一続きの熟語(漢語や外来語)を選ぶぐらいの配慮は必要と考えますが、気休めでない、もっと効果的な訳語選択のアイデアはないでしょうか。 --Kanjy 2006年7月28日 (金) 11:00 (UTC)

ページ名に必要なものを明確にし、それになるべく近く多義的でない語を探す、または作る、ということですよね。で、Kanjyさんの「一続きの熟語」というご意見は、この作る、というのに近いと思います。そのように絞った上で、もう一度案を出し合いますか?-- 2006年7月28日 (金) 11:44 (UTC)

ですね。というわけで "original research" に、上記の「独自研究」と「未発表研究」を推薦します。 --Kanjy 2006年7月31日 (月) 10:14 (UTC)

おっと、それは違いますよ。ここでは NOR ではなく OR の話をしています。未熟あるいはおはなしでしょう。本文の最初の節で「未熟とは … を指すウィキペディア用語です。」と使う用語を考えていることをお忘れなきようお願い致します。これに No を付けたものが方針名となります。 --Kanjy 2006年7月31日 (月) 13:08 (UTC)

ことは主観や感情の交錯する問題のように思います。なので、あらゆる意見になるべく寛大にみるのがいいのではないでしょうか。私は最近クーンパラダイム論を読んでいますが、異なるパラダイム(日本語圏/英語圏)では概念の通約は不可能であるらしいです。逐語訳が不自然になるのは、あるいはこのせいかもしれません。あえて飛躍させることを支持します。「未公知の論考」を提案します。カタカナのまんまでいい気がしてきた…S kitahashi(Ple')2006年8月1日 (火) 02:17 (UTC)
っさんのご提案を否定しているのではなく、この節の話題とは異なると申し上げた上で、この節の話題に沿う形で取り入れようとしております。 S kitahashi さんはこの方針名をめぐる過去の議論をすべてお読みになったと思いますが、なぜ「未公知の論考」が適しているとお考えなのか、過去の議論を踏まえて理由をご説明頂けませんでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。 --Kanjy 2006年8月1日 (火) 23:59 (UTC)

Kanjy です。皆さまにお願い致します。この節で私が主張している三つの要点(以下に再掲)にご賛同頂きたい。「間違っている」や「間違いではないがより正確には…」等のご批判(代案)は、理由が明確である限り、歓迎します。

  1. どんな訳語にせよ、方針文書がそれを JaWp 用語として明確に定義する限り、 "original research" の訳語として採用可能
  2. 一般用語と解されやすい表現を避ける
  3. 一般用語と解されたときに生ずる誤解の程度が小さい

これらの背景にある私の認識は、排他法 poll でも示されている通り、どの訳語案も、誤解を招かない完璧なものではないということです。ご賛同もしくはご批判をどうぞ宜しくお願い致します。 --Kanjy 2006年8月1日 (火) 23:59 (UTC)


Kanjy です。こうしてお願いをしております理由は、本文の翻訳がほぼ(僅か1点を残して)完了しているのに、方針名が決まらないために正式化が遅れているからであり、方針名に関して主観が錯綜し、議論が堂々巡りし続けることを望まないからであります。

主観を100%廃した議論は無理でしょうが、主観が全てでもないでしょう。考え方をなるべく共有してゆくことを試み、主観のぶつかり合いを減らしましょう。その上で、最後にどうしても主観や好みの対立が残った点のみ、投票が必要かもしれません。

本文でただ一つ翻訳が残っているのは、ウィキペディア用語 "original research" です。私がこの節を立てたのは、その訳語を決めるためです。これを決めることは、方針名を決めることにも大いに役立つと考えます。まずは上記の要点に賛同、修正、追加、等々お願い致します。 --Kanjy 2006年8月2日 (水) 03:20 (UTC)

ご期待に添えず申し訳ないのですが、Kanjyさんが主張される3点は、互いに矛盾しているように感じます。なぜなら、仮に1を採った場合、「どんな訳語にせよ採用可能」ですから、限定的な2と3は否定されます。2と3の関係では、3は2が否定された場合の条件ですから、2を支持した場合、3は無意味です。
したがって私としては、Kanjyさんのご主張は、おそらく3の「一般用語と解されたときに生ずる誤解の程度が小さい」のみに収斂されるものと受け止めます。この場合の「一般用語」について確認したいので、少し考えを述べます。
もともとoriginal researchとは、ふつうに日本語に訳せば多少の幅はあるでしょうが、「独創的(な)研究」や「独自(の)調査」あたりになるのではないでしょうか。この場合、「な」や「の」は漢語的表現をとるか避けるかの違いで、これらの助詞の有無で解釈に違いは出てこないだろうと思います。英語が苦手なので確信がもてませんが、英語版のoriginal researchが通常一般的な意味で使用されているのであれば、すでに述べた日本語訳案で問題ないはずです。しかし造語的あるいは特別な位置づけとして使用されているということであれば、根本的にこうした逐語訳では一致が難しいのかもしれないと思います。
で、今後必要な選択としては、逐語訳の案からリスク覚悟で「最大公約数」を選ぶ(選択の1または2に相当)のか、それとも逐語訳から離れて、なるべく定義とずれの少ない表現を採用する(3に相当)のか、ということになるのではないでしょうか。私は、どちらかといえば、後者がよいという気がします。
仮に後者を選んだ場合ですが、本文の定義によれば、original researchとは、未発表の理論、データ、言明、概念、議論だけでなく、発表済みのデータであっても、ある立場を押し進めるような、言明、概念、議論の新たな分析・統合も意味する、となっています。なにが除外されるか、という節では、新しい概念や用語など「新しい」ものが対象となっています。これらからすると、私としては「まだ認知されていない研究」あるいは「新奇な説または見解」などが思い浮かびます。--みっち 2006年8月2日 (水) 05:17 (UTC)
みっちさん、3点ですが、そうではなくて、1が大前提、その上で2が望ましく、さらには3に配慮する、という意味でしょう。また、助詞が入るかどうか、ですが、助詞が入れば2語と解釈され、入らなければ1つの熟語と解釈されるだろう、という意味です。一般には1つの熟語と解釈されたほうが意味が狭まるでしょうから、2や3に近づくと思いますよ。
「論考」はいいかもしれませんね。「独自論考」とか「独創的論考」とか....-- 2006年8月2日 (水) 07:21 (UTC)

っさん、ナイスフォロー有難うございます。防火対策は例えば「火を出さない」「火が出ても被害を出さない」のように多段階に考えるものであり、これを矛盾とか、前者を支持すれば後者は無意味、とは考えません。提案しております要件1は「どんな訳語も無条件にOK」ではなく、厳しい条件を要求しております。その条件を支えるのが要件2です。このように要件1と要件2は表裏一体です。

要件1に言葉を補うならば「誤解のない訳語を探すのは無駄。JaWp 用語として明確に定義されるという条件を満たす訳語なら、少々誤解を生む訳語でも構わない。したがって、完璧な語ではなく、より良い語を選ぶ。」ということです。より良い語の選択基準が要件2と要件3であり、要件1を支える要件2は、要件3よりも優先すべきと私は考えます。

決めたいのは、「発表済みのデータ、言明、概念、議論の新たな分析・統合」を指し、方針本文で「________とは…を指すウィキペディア用語です。」「一次資料をなす________は…」のように使われる用語です。 S kitahashi さんの「論考」を活かした「独自論考」等は検討する価値がありそうですね。 --Kanjy 2006年8月2日 (水) 12:03 (UTC)

ご提案1~3に賛同します(議論がまとまらないのは「主観が錯綜し」ではないと思いますが)。加えるならば、

この方針が、もっとも「No」としたい対象に近い語句を選ぶ

ということではないでしょうか。もっとも排されるべき対象は、<「奇抜な叙述あるいは歴史解釈」となるような、発表済みのデータ、言明、概念、議論の新たな分析・統合>であり、端的には、いわゆる「(歴史なども含む)トンデモ理論」であるとぼくは捉えています。
出典が不明であることやその信頼性の評価が問題となるような事例(たとえば独自の一次資料をなす調査や、芸大アカデミズムなど)は、この方針ではなく検証可能性でも対応できると思われます。この方針は、いかにももっともらしい根拠・出典を提示している(あるいはできる)にも関わらず、正当な記述、たとえば専門家による査読を経て認められている説ではなく、また特に専門的な知識がなければ「統合」の論理的整合性が確認出来ないような事例に対処するためにあるのではないか、と。
この観点から言えば、「未発表、未公知、未公開」系よりも「独自、独創的」系のほうが好ましいと思われます。また、ぼくは「研究」に対して抵抗してきましたが(まあ研究でもいいかと思い始めてきていますが)、「論考」くらい硬い表現のほうが好ましいと思います。
なお、Kanjy 2006年7月26日 (水) 14:43 (UTC)での「独創的」の段落の説明は適当ではないようです。一般に好ましいと思われている独創的な研究であっても、発表を果たした後でなければウィキペディアに掲載出来ないというのがこの方針であり、「独自にコツコツと労力を積み重ね調査して得られた知見」だって、独創性が乏しくても、査読で評価され学会誌等での発表を果たした後であれば、ウィキペディアに堂々と掲載できるのです。「独創性」の表現の問題は、「編集者による聞き取り調査などの地道な調査」が「独創性」の語を採用することによって対象から外れてしまう可能性があるということ、および「独創性がある査読を経て公表された研究」(たとえば「相対性理論」は「独創的研究」だが「original research」ではない)が含まれてしまう可能性があることの二つではないかと。
originalの訳語として挙げられている代表的なものについての難点をまとめておきます

・独自(4月に Tietew さんが強く反対:現状を踏まえて改めて反対の根拠を明確にするのが望ましいと思われます)

・独創的(上の段落参照)

・未発表、未公知、未公開(発表・公知・公開の手段が曖昧。自費出版や口語として流通している事柄への抗弁が難しい)

・オリジナル(イメージが湧きにくい)

--Ks aka 98 2006年8月2日 (水) 16:48 (UTC)

「独自」ですが、Tietewさんは、それに固執することに反対されたのであって、それに反対されたのではありません。originalの訳語をいろいろと探りましたが、これ以上に英語原文のoriginalに近い漢語を見つけることはきわめて困難だと感じています。
「原初」「原初的」なども考えたのですがね。
researchですが、「研究」ないし「論究」は欠かせないだろうと思っていますが、「調査」というものやっぱり含むべきかなとも思います。というのは、ウィキペディアというのは「調べて書く」べきですが、「調べ」方が「独自」のものになってはいけない、というのがNORには含まれているように考えています。とすると、「調べて書く」の「調べる」は調査ではあっても、研究や論究ではないでしょうから、そういうのは「独自」の「調査」かなと。
となると「独自調査研究」ではことばにならない、とすると「独自的調査研究」あたりかなあと-- 2006年8月2日 (水) 17:05 (UTC)
あと、「統合」と訳されているsynthesisですが、「合成」のほうがいいような気もするんですが-- 2006年8月2日 (水) 17:07 (UTC)

未発表・未公開の場合は「信頼できる情報源」とセットでなければいけないと思います(方針の記事名に併記する必要があるかは分かりませんが)。O^tsuka 2006年8月8日 (火) 13:28 (UTC)

私の意見は理解が得られないようなので、この件からは撤退します。まあ私は、カタカナ語はやめてもらいたい、というところから出発していますので、現状の成り行きでとくに異存があるわけではありません。Kanjyさんのご主張に関して、最後にいわせてもらえば、用語は「防火対策」と違ってひとつしか選べない、ということです。これまでの議論は、結局3の条件で一致しないように見えるのですが、それより優先される条件があるとおっしゃるのなら、その通りにすすめてもらいたいとは思います。また、あまり特殊な言葉にすると、カタカナ語と同様、利用者は(自分の主張について)そういう用語とは端から無縁であると判断する可能性が増すということも考慮すべきだと思います。ではこの辺にします。どうもお邪魔しました。--みっち 2006年8月3日 (木) 01:47 (UTC)

また止まってしまいましたね。どうしましょう。-- 2006年8月7日 (月) 06:56 (UTC)

「独自(の)」で生じる問題点はありますか?--Ks aka 98 2006年8月7日 (月) 07:47 (UTC)

Ks aka 98 さんご提案の この方針が、もっとも「No」としたい対象に近い語句を選ぶ は、役立つ観点と考えます。この観点によれば、っさんご指摘の「調査」を意識する必要はなくなります。「独自…」には異議ありません。 --Kanjy 2006年8月7日 (月) 08:44 (UTC)

なるほど。では、「独自研究の排除」ないし「独自研究は書かない」で合意できそうですか?-- 2006年8月7日 (月) 09:00 (UTC)

両案とも異論ありません。他の2方針と並べたとき「…の排除」の方が据わりがよいと思いますが、「…は書かない」でも構わないと思います。

この用語を方針案の本文に反映する必要があります。本文中の「オリジナル(な)リサーチ」をすべて「独自研究」に書き換えて違和感を感じません。「オリジナルリサーチ排除の方針」は「独自研究の排除方針」または「独自研究を書かない方針」とし、これ以外の「オリジナル」と「リサーチ」はすべて「独自」と「研究」と書き換えてよいと思います。例えば「独自画像」や「ソースに基づいた研究」です。 --Kanjy 2006年8月7日 (月) 10:18 (UTC)

「独自(の)」については、提案者である以上意義はありません。他の部分については、硬めの「論考」も棄てがたく、ただその場合は「論考・調査」と並列にする必要もあるかと考えます。いったん書いた後の行為となる「排除」よりも、書く以前の行為についての表現となる「書かない」のほうがよいかと。しかし「は」よりは「の」で繋ぐ方がしっくりくるような。--Ks aka 98 2006年8月7日 (月) 17:45 (UTC)
で、どうなりますか?「独自論考・調査の書かない」では変ですよね....-- 2006年8月8日 (火) 11:38 (UTC)
「論考・調査」x「の排除」
「研究」    「は書かない」

の組み合わせ四つでどれがよいか。--Ks aka 98 2006年8月8日 (火) 12:21 (UTC)

「研究」ですが、確かに「研究」には“強く奨励されている「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチ」”が含まれそうですが、だからその前に「独自」と付けて、意味を限定しよう、という話だと思うんですが-- 2006年8月8日 (火) 12:58 (UTC)
「独自」は、日本語版の用語として長く使われてきたようですのでいいと思いますが、投票などは結局行わずと言うことなのでしょうか。「排除」は書いた後の行為を連想されやすいようですが、「こういうものは排除されるべきである」と言うことを示す意味では悪くない案だと思っています。調査でも研究でも実際上は差がないようにも感じます。O^tsuka 2006年8月8日 (火) 13:28 (UTC)
ここでの話し合いでの合意があれば投票は必要ないかもしれないし、投票しても合意に至らずに行えば議論が散るだけのように思っていたので、ずっと合意を目指してきました。もし合意できたら、また井戸端告知に告知して1週間経ったら正式化かなあと漠然と考えていたんですが。-- 2006年8月8日 (火) 15:13 (UTC)
ふたつ前の、っさんの書き込みに対してですが、特に「研究」に反対する目的で「論考・調査」の提案をしたのではなく(抵抗はあるが強く反対するわけではないと繰り返し表明しています)、「論考」あるいは「論究」を肯定的に捉える意見もあり(っさんも書いてたじゃないですか!!!)強い反対もないことから「研究」に決定するのは尚早と思い俎上においたものです(その場合は「調査」を並記した方がいいという判断で付け加えています)。「強く推奨されている云々」については、別の議論としましょう(一言だけ。対象や資料の選び方で「独自」となり、少なくとも、学術論文として投稿することができるという意味ではoriginal researchです)。--Ks aka 98 2006年8月8日 (火) 16:23 (UTC)
私には、内容に問題がないなら名称にこだわらず早く正式化したい、という気持ちがありますので、どうも最大公約数を採る方向になってしまいます。そんな中で、「論考」はちょっと意味範囲が狭いかなと。ところで、Ks aka 98さんのお気持ちは「尚早」なんですね......-- 2006年8月9日 (水) 00:05 (UTC)

お気持ちは察します。noおよびresearchの訳語は、既にいくつか挙げられている案は、originalの訳語のように問題を抱えながら最善の語を選ぶというものではなく、いずれも大きな問題を生じるわけではありませんが、そのなかでどれが最善かを検討する必要はあると思います。最終的には「どれでもいいや」となるにしても、通常記事と異なり公式方針の名称である以上、以後自由に編集するものではなく、執筆時・削除時にどのように機能するかについては検討しておいたほうがよいのではないかと。その意味で「尚早」ではないかと。

researchは「研究」にしましょうか。noについては、ウィキペディアは独自研究を受け入れない、という意味を上手く伝える上で、上記の通り、「の排除」は収まりはいいけれど書かれたものに対するもので、執筆時の規範というよりは削除方針として捉えられやすく、語感も強いですから議論の上で感情的な反応を誘発しそうな気もします。「を書かない」のほうは、執筆時の方針として機能しますが、逆に独自研究を削除する上ではやや弱いかもしれず、議論を長期化させるかもしれません。まだ検討されていないですが、「独自研究の否定」というのが内容としては適しているのではないか、というのも思いついたのですが、強く推しきれるほどではないですが、いかがなものでしょうか。--Ks aka 98 2006年8月9日 (水) 07:18 (UTC)

「否定」、一晩考えました。いいかもしれない....。どんな弊害が考えられるでしょう。小学館の類語例解辞典には「よくないこととして反対する意味合いも含まれる」とありますし、大辞泉にも「非として認めないこと。」とあります。(大辞林にはこの意味は載っていない。)確かにこれが近いように思いますね。(すみません、1週間ほどウィキブレイクにはいります。あとおまかせします。)-- 2006年8月9日 (水) 22:06 (UTC)

「排除」ですが、「排除されるべきものである」のような意味合いで示せるなら、執筆時の模範のようなかたちで用いることも可能だとは思います。O^tsuka 2006年8月21日 (月) 16:40 (UTC)

ウィキペディア用語 "original research"続編[編集]

う~ん、議論の途中で論点が若干ずれているような気がするのですが…。私が「英熟語」の特殊性に言及したのは、

  • (a)original=独自、research=調査、従って"original research"=「独自調査」。(A+B=AB)
  • (b)original=未発表?、research=研究、従って"original research"=「未発表研究」。(C+D=CD)

とするためではなくて、

  • (c)original=独自、research=調査、しかし"original research"=「未発表研究」であっても良い。(A+B=CD)

ということなのですけれども。極端な話をすると、research 本来の訳語にはこだわらずに、「独創的資料」(の排除)としてしまっても良いのではないかと思うわけです。それぞれ単語での出現回数は少ないようなので、original=独自、research=研究、と一律に訳してしまっても不都合はないと思いますが、「オリジナル画像」については、あえて訳さないのが望ましいと考えます。--Rigel 2006年8月10日 (木) 09:18 (UTC)

ええと、ちょと意図が掴みかねるのです。
  1. 「original research=独自研究(または否定)」だとしても、本文中のoriginalやresearchはそれぞれに独自・研究を当てるのではなく、個々の文脈について適当な語を選ぶべきである。(基本的にはKanjy 2006年8月7日 (月) 10:18 (UTC)への反論)
  2. 「original research=独自研究(または否定)」を決定する過程において、original/researchの訳語を組み合わせるというアプローチ自体が好ましくない。
  3. 上記理由と合わせて、「original research」に対して「未発表研究」または「独創的資料」または、熟語に対する新たな訳語(っさんの「おはなし」みたいな)の検討を提案する。
のどれでしょう? --Ks aka 98 2006年8月10日 (木) 10:17 (UTC)
意図としては2が近いのですが、すると当然ながら3の意味も若干含んでいます(Kanjy 2006年7月28日 (金) 04:10 (UTC)の「どんな訳語にせよ、…"original research" の訳語として採用可能」)。「オリジナル画像」の部分についてのみ1が当てはまります(小反論)。本来の趣意である「トンデモ理論」の排除という観点からすると、「未発表」よりも「独創的」のほうが好ましい表現であると私自身も考えます。--Rigel 2006年8月10日 (木) 15:39 (UTC)
いったん区切りを入れておきました。あ、いかん「独自研究(の否定)」と書いているのは「独自研究」です。NOの部分が紛れ込んでしまいました。
ええと、まず「original research=独自研究(または否定)」というところまでは、ほぼ合意ができており、便宜上個々の単語に分割して検討したとはいえ、「original research」という熟語(というか、むしろこの方針の内容全体)を勘案した上で「独自研究(または否定)」という訳語に至ったのであって、research抜きにoriginalの訳語として「独自」が適当であるというわけでも、また二つの単語の単純な加算というわけでもないように考えております。強いて言えば、以前っさんが挙げたような「original research」=「おはなし(はなし)」みたいな方向での検討は不十分かもしれませんが、これはまあかなりの飛躍を必要とするので、適当な案が出てこないのもやむをないとも思います。
また、3であるならば、Ks aka 98 2006年8月2日 (水) 16:48 (UTC)を踏まえた上で、「独自研究」よりも、「未発表研究」あるいは「独創的資料」が好ましいという点をご指摘頂けますでしょうか。--Ks aka 98 2006年8月10日 (木) 16:32 (UTC)

「独自」は対象が第一人称であるとの印象を強く伝える表現であるため、「他人の発表だから独自ではない」的な発想を許します。この点、「独創的」は人称に制限されずに使用可能な表現であるため、「他人の発表だから独創的ではない」的な発想は成り立ちにくく、「独自」よりも優れた表現であると考えます。また、Ks aka 98 2006年8月2日 (水) 16:48 (UTC)では「独創性」の難点を挙げておられますが、その難点はそのまま「独自」にも当てはまるように思われます。

「研究」の難点は、排除の対象とされる範囲が本来の意図以上に狭められて解釈されてしまう恐れがある、という点が挙げられるでしょう(Ks aka 98さんには「今更」な解説でしょうが)。その点で、「論考」は「研究」よりも良い表現であると感じました。

なお、最初の段落は「ORとは何か?」であり、「ORとは、…を指すウィキペディア用語です。」と定義していますので、私は「オリジナルリサーチ」(の排除)でも良いと考えています。この場合、単語で出現する"original"と"research"については、それぞれ相応しい表現に改めるべきでしょう。

また、本来排除されるべき対象とは、「奇抜な」に該当する概念のはずです。この点で、「未公開」「未発表」「未公知」といった候補は「独自」「独創的」より劣ると考えます。(「未発表研究」については、理論の組み立てにおいて便宜上言及したに過ぎません)まとめると、私が違和感を感じない表現は、「独創的論考」「独創的資料」「オリジナルリサーチ」あたりとなります--Rigel 2006年8月11日 (金) 09:52 (UTC)

「独創性」の表現の問題は、「編集者による聞き取り調査などの地道な調査」が「独創性」の語を採用することによって対象から外れてしまう可能性があるということ、および「独創性がある査読を経て公表された研究」(たとえば「相対性理論」は「独創的研究」だが「original research」ではない)が含まれてしまう可能性があることの二つ→Ks aka 98 2006年8月2日 (水) 16:48 (UTC)
については、「独自」であれば多少薄まるとは思います(特に前者)。
「調査」を含むべきと言う意見が既にありましたが(→っ 2006年8月2日 (水) 17:05 (UTC) )、個人的には「研究」であれば「調査」を含むように感じ、「論考」「見解」であれば「調査」を含まない感じがします。「論考・調査」という併記についてはどのようにお考えでしょうか。
以上の2点については、「独自の一次調査を排する」ということを、含むか含まないかというのが、もっとも大きな違いかと思われます。これについては、この方針で強調されているように読めますからここに含ませるという考えもできますし、「検証可能性」で処理が可能であるとすると見ることもできます。前者の方向で考えていましたが、後者にして割り切ってしまうのもありかなという気もしてきました。
「独創的資料」という表現は、統計的に正当ではない一次資料を想起させ、信頼できる資料の正当でない合成としてのオリジナルリサーチとは整合しないように思います。
「オリジナルリサーチ」は、いったんぼくもそっちに傾きかけたのですが、削除依頼やノートでの議論では、きちんとこの方針を参照しないユーザも想定されるため、訳しておいたほうがいいかなと思うようになりました。
というわけで、ぼくとしては「独創的論考」には賛意を示せます。他の方のご意見も待つ必要があると思いますので、意志表示をお願いしたいと思いますー。--Ks aka 98 2006年8月11日 (金) 10:29 (UTC)
なるほど、「資料」はまずそうですね。「オリジナルリサーチ」を除外する件についても納得しました。併記に関しては、「調査」は行動を表し、そうした自由な行動を制限する、と読める点が変ですよ?。しかし、そこから得られた成果を整理し、文章化して投稿した時点で「論考」とみなすことが出来ると思いますので、併記は不要と思います(それに、「論考・調査」に限らず、併記は語呂が悪いと感じます)。「独創的論考」に一票。--Rigel 2006年8月11日 (金) 12:19 (UTC)
ん。個人的には「以上の2点については」以下で、論考/研究については自己解決しているので。あとは他の方の意見を待ちましょう。Noの部分はいかがですか?「を書かない/の排除/の否定」--Ks aka 98 2006年8月11日 (金) 16:17 (UTC)
ORについてですが、「調査」は記事執筆に必要な調査が含まれてしまいそうな雰囲気があるので反対します。。。今のところ出ている案でしたら、それ以外はどれも賛成できます。
NoについてはKs aka 98さんが書かれたのと同じ語感を感じます。「書かない」は執筆以外に呼びかけづらいという点、「排除」は感情的反発を呼びそうという懸念です。また「否定」は内容の評価に踏み込んでしまいそうであまり積極的に推したい気になりません。すでで出ている、「掲載しない」or「載せない」はいかがでしょうか?(ただ「書かない」については誤解の度合いは低そうなので、賛成しても良いと思います。)Masao 2006年8月11日 (金) 16:41 (UTC)

なかなかまとまらないものですね。ウィキブレイク中につき十分に対応できずすみません。ひとつ提案なのですが、語義を語るときには、論拠を示してはどうでしょうか。「~のように感じる」も大切ですが、結局感じ方が一人ひとり違って、先に進めないように思います。というのも、ごめんなさい、大変失礼ですが、Masaoさんの『「否定」は内容の評価に踏み込んでしまいそう』というのがよくわからなかったのです。-- 2006年8月11日 (金) 21:28 (UTC)

私は"No"の訳には特にこだわりがなかったのですが…。一つひとつ検証してみると、「否定」は執筆ではなく査読のための方針と捉えられかねず、「査読のための方針⇒記事削除の方針」と、現在の「検証可能性」の文面がが抱えていると同様の問題を生み出しかねませんので反対(すると「排除」もそうかな?)。この点で「書かない/掲載しない/載せない」の方が語弊は少ないと感じます。
ただし、「書く」は Wikipedia における実際の編集作業に即した表現とはいえず、「載せる」は「掲載」よりも広い(関係のない)意味をも表すようです。ですので、「執筆しない掲載しない」を推挙します。(語感についてはgoo辞書-大辞林を参考にしました)--Rigel 2006年8月12日 (土) 04:53 (UTC)
ごめんなさい、「査読のための方針と捉えられかねず」がどうしてそのように思われたのか、説明していただけますか?-- 2006年8月12日 (土) 09:01 (UTC)
まず、この文書の適用に関してですが、時間的に2つのタイミングが考えられます。
  1. 編集者が執筆している(投稿前の)段階で
  2. 閲覧者が記事の内容に対して疑問を抱いた時
2のタイミングで適用(編集除去)した場合には利用者間の意見の衝突(もしくは不和)が発生する可能性があり、従って、本来は1のタイミングでORが自主的に除去されるのが好ましいといえます。そこで、それぞれの表現を並べてみると、
  • 「書かない/掲載しない/載せない/執筆しない」 = 1
  • 1 ≤ 「否定/排除」 ≤ 2
というのが私の実感です。2のようにも読めるということは、すなわち「査読のための方針」とも読める、ということをも意味するわけです。では、2のように読めないと不都合があるのかというと、そうでもなさそうで、「ここの部分はORのように見えるのですが、出典は何ですか?」と尋ねることによって、2を実践することが事実上可能です。--Rigel 2006年8月12日 (土) 14:27 (UTC)
わかりにくい書き方で申し訳ありません。先ほどの補足です。「否定」という語は、広辞苑によれば、「そうでないと打ち消すこと。<価値などを>認めないこと。」とあります。また、大辞林によれば「(1)そうでないと打ち消すこと。いつわりであるとすること。」[3] とあります。さて、この場合、私が先に内容の評価に立ち入りそうな語感を持つと申しましたのは、「価値を認めない」「偽り」との語義から来るものです。つまり、ある記事の内容がORではないかと指摘した場合に、その内容の真偽/価値を争うかのような意味に誤解を与える恐れがあると思います。Masao 2006年8月12日 (土) 14:59 (UTC)
なるほど、私が2006年8月9日 (水) 22:06に書いた語義というのはあまり辞書に載っていないのですね。あ、つまり「暴力の否定」の意味での「否定」です。なら、「否定」にこだわりません。-- 2006年8月12日 (土) 20:46 (UTC)
広辞苑を見ましたが、「<価値などを>認めないこと。」のあとに用例として「暴力の否定」がありました。この「暴力の否定」の「否定」は、ここでいうnoとほぼ同じ意味だと思うのですが、どうでしょう。「ORをウィキペディアに掲載するものとして認めない」なら、ピッタリ合うように思うのですが。まあ、こだわりません。はい。-- 2006年8月13日 (日) 12:44 (UTC)
Kanjy です。遅筆ゆえ議論のペースについてゆけておりませんが、ウィキペディア用語と本文への反映について一言だけ。原文(英語版)で同じ語が同じ概念を指すために使われておれば、和訳でも同じ語を充てるのが、意味合いを忠実に伝えるのに良いと思います。
すぐに思いつく具体例は「一次資料をなす original research は許されません。しかし、一次資料や二次資料から情報を集めて整理する research は、もちろん強く奨励されています。」です。 Original images もこの類例ではありますが、こちらはそれ程こだわる必要はないかもしれません。 --Kanjy 2006年8月14日 (月) 12:09 (UTC)
私だったらその部分は、「一次資料をなす独創的論考(original research)は許されません。しかし、一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査(research)は、もちろん強く奨励されています。」と、原文を併記しますが。こうした「言葉遊び」的な要素を重視して訳語を選択すると、内容が二の次とされてしまいかねませんので…。--Rigel 2006年8月16日 (水) 12:26 (UTC)
おおっ!そういう意味だったのか。やっと把握した。Rigelさんの訳文に賛成(あるいは原文併記無しでも、この部分の訳語の使い分けに賛成します)--Ks aka 98 2006年8月16日 (水) 12:51 (UTC)

いっそのこと、「~はなし」ではどうでしょう。「独自研究はなし」とか-- 2006年8月15日 (火) 23:41 (UTC)

記述後のことを含む意味合いのほうが好ましいと思います。議論や削除の時に、「書かれたもの」に対して有効ではないということになってしまっては運用上困るかと。ですから、Rigelさん言うところの2または「査読」の段階に向けても書かれている「否定」を提案しました。
「~はなし」は、先行する部分が「おはなし」じゃないと面白みに欠けるw。文面としては感じにしたほうがわかりやすいでしょう(~は無し)が、他の二つの方針と統一感に欠けるのがなんとも。書かない、で妥協するほうがいいように思いました。--Ks aka 98 2006年8月16日 (水) 02:25 (UTC)
[は無し]はその呼称だけをとった時に意味がとおりづらいのであまり惹かれません。口語調でいくのであれば「はダメ」の方がよさそうに思えます。 --Masao 2006年8月17日 (木) 11:01 (UTC)

どこに書いてよいのかわからなかったので、とりあえずここに書かせていただきます。これまでの議論で「独自研究」と「独創的論考」に絞られたとのことですが、このうち「独創的論考」は、これまでの「独自の調査」「オリジナルリサーチ」「独創的研究」「未発表研究」等の候補と比べても優れているとはいえないと思います。理由は#「No」の訳出のセクションでも述べさせていただいたのですが、適用範囲が狭いのではないかと言うことです。O^tsuka 2006年8月21日 (月) 16:40 (UTC)

「No」の訳出[編集]

長くなったので、節分けます。
さて、結局のところ、これまで出ている「No」に対する訳出は、{ の排除/の否定/の禁止/を書かない/をせない/の掲載禁止 } のいずれかが有力に思えます。ここまでくればエイやっと、決めるしかなさそうな気がします。最後に一応確認ですが、「書かない」「載せない」等に乗り気でなく「否定」「排除」等を推されている方は体言止めにしたいという意向だと思ってよいでしょうか? Masao 2006年8月17日 (木) 11:01 (UTC)

すみません。誤字修正しました。(掲 => 載) Masao 2006年8月18日 (金) 03:29 (UTC)

項目の大きさが不自然なので、下の区切りをいじりました。今のところ「否定」イチオシなぼくとしては、上で述べているように、体言止めかどうかではなく、対象とする行為の位置づけによるものです。「否定」は、ウィキペディアにおける価値全体についての姿勢表明で、書くことも削除することも含む。「は載せない」は、省略されている主部の曖昧さがあるものの、特に「独自の論考」を強調しているために、断固として「載せない」というウィキペディアの姿勢を示すことに繋がる。「を載せない」になると、「は」の強調がないために、省略されている主部が曖昧で、執筆者である可能性があり、既に載せられた記事に対して用いる際に不安定になるという点が目立つ。「を書かない」になると、主部は明らかに執筆者となり、既に書かれたことについての議論で使いづらい。「の排除」は、書かれたものを対象としていて、本来執筆時に考慮する必要を感じにくい。「の禁止」は、ウィキペディア外部での行為までを禁止しているような印象を受ける。「の掲載禁止」は、語呂が悪いのと、やはり「禁止」が一方的に行為を規制しているような強さが過剰だと思う。「を掲せない」は、普通に読めないってことが大きい。というわけで

の否定>は載せない>を載せない>を書かない>>>その他(強く反対はしない)--Ks aka 98 2006年8月17日 (木) 11:55 (UTC)

ご意見ありがとうございます。すみません、先の投稿に誤字があったため修正しました。
「否定」については先に述べましたとおり、「ウィキペディアにおける」との留保が表現されていないため、研究・論考そのものの価値に踏み込んだ判断をしているように受け取られる誤解が生じかねないというのが私の立場です。助詞の使い方については「」を使うべしとのKS aka 98さんのご意見に賛成です。これは私の例示よりも「は」にした方がよさそうですね。念のため、同じように書いておきますと、
は載せない or は書かない > の掲載禁止 or の排除 > の否定 --Masao 2006年8月18日 (金) 03:29 (UTC)
POVとかにしても、「ウィキペディアにおける」が省略されていますし、ここでは「独自の論考」そのもののウィキペディアにおける価値の判断をしているのですから、さほど問題ではないと思うのですが、いかがでしょう。いやまあいいっすけど。--Ks aka 98 2006年8月18日 (金) 04:38 (UTC)
~は使わない、~の不使用.... ところでORのほうは「独自研究」または「独創的論考」の2者、にはまとまったと考えていいのでしょうか。-- 2006年8月20日 (日) 06:51 (UTC)
セクションとずれた話題で恐縮ですが、NORの方針が排除あるいは禁止・否定するものは、基本的には信頼できる情報源から発表されていないもの全てだと思うので、「独創的論考」はたしかに載せるべきではない一つの対象ですが、それを項目名にしてしまうとそれ以外の対象が外れてしまい(オリジナルなデータなど)、ちょっと意味が狭いかなと個人的には思います。これまでの議論を拝見した限りでは、たくさんタイトルが提案されるものの合意には至らないので、日本語版で定着していると思われる「独自調査」や「独自研究」にしようと言うことだと捉えていたのですが、どうなのでしょうか。O^tsuka 2006年8月20日 (日) 10:19 (UTC)
日本語版で定着しているからではなく(ここでの議論は、日本語版で定着しているからという理由で独自にこだわるべきではないというところからはじまっていると理解しています)、さまざまな意見を集約してなお「独自」であるのがいいのではないかということで「独自研究」でいったんまとまり(2006年8月7日ごろ)、その後Noの訳語に議論が向かうも、ORに異論が出たために「独創的論考」が候補として提出され反対意見は出ていないけれど十分な数の賛意は集まっていないという状態でしょうか(2006年8月10日から2006年8月11日夕方くらいまで)。「調査」は複数の視点から反論が提出されています。
2006年8月20日 (日) 19:53 Ks aka 98 (書名忘れ。追記--Ks aka 98 2006年8月21日 (月) 07:53 (UTC)
不用意な発言からわざわざまとめまでさせてしまって申し訳ありません・・・そしてありがとうございます。私は#ウィキペディア用語 "original research"での「使用実績のある・・・」といった議論も現在の「独自」の訳語が支持されている状況に繋がっていたと理解していましたが、誤解だったのかもしれません。O^tsuka 2006年8月21日 (月) 16:40 (UTC)
「書かない/載せない」に難あり、ということでしたら、「除外[4]というのはどうでしょう?。「排除」[5]は「駆逐」[6]を連想させる語で、編集合戦を推奨しているかのような印象を受け、あまり良い表現とは思えません。「否定」[7]は示す意味が多すぎ、具体的に何を意味しているのかよくわかりません。
執筆に関連するプロジェクト文書というのは概して、ウィキペディアンの行動指針を記した文書が多く、「否定」という言葉をその意図通り「姿勢表明」として受け取ってもらえるかどうかに疑問があるわけです。否定することが行動指針であるならば、ある人は査読が積極的に推奨されていると考えるかもしれません。--Rigel 2006年8月21日 (月) 07:43 (UTC)

現時点まとめ[編集]

noについては「は載せない」が有力

ORについては「独自研究」「独創的論考」に絞られている(経緯は2006年8月20日 (日) 19:53 Ks aka 98参照)--Ks aka 98 2006年8月21日 (月) 07:53 (UTC)

「書かない」がずっと議論されてきて、特別強い否定はなかったように思うのですが。-- 2006年8月21日 (月) 09:13 (UTC)

NOについてもうちょっと詳しく書くとこんな感じ。

  1. 7月以降では書かない/排除と意見が出て
  2. 14日から投票に向かう。
  3. 15日頃に「載せない」が登場(Y tambe 2006年7月15日 (土) 22:49 (UTC))。
  4. 「否定的な意味を持つ言葉は必須?」の節(7月17~18日)はあまり深まらなかった。
  5. 21日に候補は「排除」「を載せない」「訳出しない」に絞り込まれる。27日あたりまでに訳出しないに反対多数、他は反対無し。
  6. 投票じゃない方の流れで、2006年8月7日「なるほど。では、「独自研究の排除」ないし「独自研究は書かない」で合意できそうですか?」
  7. で、ふたたび排除・書かないの議論から「「掲載しない」or「載せない」はいかがでしょうか?(ただ「書かない」については誤解の度合いは低そうなので、賛成しても良いと思います。)」(Masao 2006年8月11日)で「載せない」系が再登場。
  8. 「否定」についての議論を経て
  9. 「No」の訳出の節以下はそれぞれご確認下さい。

--Ks aka 98 2006年8月21日 (月) 12:16 (UTC)

完全に中立的に書いているわけではない点についてはご了承いただきたく、ご自身の書き込みなどで必要と思われるものがあれば加筆願います。

ORについて「独自研究」「独創的論考」まで絞れたとして

  • 独自研究よりも独創的論考を支持
  • Rigel 2006年8月11日 (金) 09:52 (UTC)
  • 独創的論考よりも独自研究を支持
  • O^tsuka 2006年8月20日 (日) 10:19 (UTC)
  • Ks aka 98 2006年8月2日 (水) 16:48 (UTC)/2006年8月11日 (金) 10:29 (UTC) (独自論考でもオケーですが、厳密にはこっち)

NOについての意見

  • 「書かない/載せない」よりも「執筆しない/掲載しない」
  • <「書く」は Wikipedia における実際の編集作業に即した表現とはいえず、「載せる」は「掲載」よりも広い(関係のない)意味をも表すようです>Rigel 2006年8月12日 (土) 04:53 (UTC)
  • 「書かない/執筆しない」よりも「は載せない/は掲載しない」
  • Ks aka 98 2006年8月9日 (水) 07:18 (UTC)/2006年8月17日 (木) 11:55 (UTC)
  • 「排除」への反論はKs aka 98 2006年8月9日 (水) 07:18 (UTC)
  • 「否定/排除」への反論はMasao 2006年8月12日 (土) 14:59 (UTC)

…なので、「掲載しない」には今のところ反論はないと思われます→Rigel様 2006年8月21日 (月) 07:43 (UTC) 「除外」は「排除」と同じ理由で好ましくないと思います(執筆時よりも削除時へ向けた方針というイメージが強くなる)。

…となってます→O^tsuka様( 2006年8月21日 (月) 16:40 (UTC))(論考と研究の範囲について、やや広くなる研究のほうがベターであるという点で、ぼくは同意しますが、「信頼できる情報源から発表されていないもの全て」については、第一義的にはこの項目ではなく検証可能性の対象で、検証可能な事実のもっともらしい合成にNOとすることがこの項目の意義ではないかと考えています。脇道にそれ気味ですがKs aka 98 2006年8月2日 (水) 16:48 (UTC)も参照下さい)

かなり絞れてきているので、以後訳語についてはこの下に続けることにしませんか?--Ks aka 98 2006年8月21日 (月) 17:54 (UTC)

「この下」ってここで良いのでしょうか?。「除外」は「排除」と同一の効果を期待できるという点では確かに同一だが、「排除」のように排他的な表現ではなく、むしろ事務的な表現である、というのが私の考えです。つまり私が「排除」を問題視しているのは、「排他的な表現である」という点に尽きます(上で明記したように、"No"については元々あまりこだわりはないのです)。
また、それぞれの言葉が促す効果をイメージできるよう、具体例を一つ示します。死海文書という記事に、「地球外生命」に言及した一文があります。私はこうしたゴシップまがいの記述こそ「トンデモ説」であり、記事の秀逸さ、ひいてはウィキペディアの信頼性に何ら貢献しない不要な一文であろうと考えています(あくまで私の考える一例であって、実際に取り除くかどうかを問題にしているわけではありません)。
では、こうしたすでに記述されているものを取り除くために、「独自研究/独創的論考は掲載しない」では不十分かどうか?、あるいは、「独自研究/独創的論考の否定」で撤去をイメージできるかどうか?、ということに尽きるのでしょう。
私はその一文が「独自研究」には見えず、撤去するために「は掲載しない」で不十分であるとは感じず、また、「の否定」で素直に記述の撤去をイメージできない、と考えます。
もう一点付け加えると、「研究」という語は専門性を感じさせる語であり、私にとっては「論考」よりも意味が狭く感じるのです(この点で、言葉から受けるイメージが逆)--Rigel 2006年8月22日 (火) 07:45 (UTC)
  • トンデモ説を書かないでください、と説得するときは「独自の見解を載せないでください」と書きたいように思います。たしかに独自の研究や調査ですが、書くのは結局その人POVの見解であろうと。「書かない/書かせない」を一口に言えば「載せない」または「掲載しない」で表せるように感じます。--miya 2006年8月22日 (火) 15:15 (UTC)


<撤去するために「は掲載しない」で不十分であるとは感じず>ということでRigelさんに問題がないのであれば、「掲載しない」で決定でよいかと。

新たな意見があれば検討するとして、「独自研究」「独創的論考」については、同じ目的のために異なる語を選択していると言うことで、いくつか意見が出てきたところで投票というのがおとしどころでしょうか。

「研究」と「論考」では「論考」のほうが専門的・学術的な印象を受け、この点に関しては「論考」として限定的な印象を与えることで査読論文誌などがない分野についての記述の可能性を残したいという気持ちがあるのですが、「研究」は「調査」を含み「論考」は「調査」を含んでいると捉えづらいことから「投稿者による一次調査」を含みうる「研究」のほうが好ましい。でもこれも出典の明示や検証可能性で対応できると割り切って「論考」でもいいと思う。というのがぼくの意見。「見解」については、ぼく自身が挙げたこともありますが、「論考」と同じ理由で、「見解」でもいいと思うけれど「研究」のほうが使い勝手がよさそうに思います。

死海文書の例について。当該箇所を取り除くのであれば、「検証可能性」を満たしていないということで足り、現実的に黙殺されているとはいえ、いちおうでも学術誌と呼ばれるような雑誌で出典が示されるのであれば、「黙殺されている」という学問的な位置付けとともに記述を残すべきであり、学問的に認められていないとしても一定の信頼が置かれている複数の出版社から刊行されているもので出典が示されるのであれば俗説として記述することで記述を残すことは許されると考えます。出典を示せないのであれば削除はやむを得ないでしょうし、挙げうる出典の量・質によっては俗説としても百科事典の記述としてふさわしくないかもしれません。当該箇所は、ぼくの考えでは、「独自研究」でも「独創的論考」でもなく、誰かの「独自研究/独創的論考の結果」、ということになります。--Ks aka 98 2006年8月22日 (火) 16:57 (UTC)

ここ最近の議論を通して、「この文書の位置づけ」というのが段々とわかってきたような気がするのですが、もしかすると、この文書は「検証可能性」というフィルターを通しても問題が解決できない部分に対処するためにこそ存在するのではないかと…。

つまり、特にこれといった専門分野に偏向しない大手出版社(広く信頼されている発行元/「検証可能性」)から出版された本の中に「トンデモ説」が紛れ込んでいる場合、その本は「検証可能性」を満たしているとみなされ、ここにトンデモ説が持ち込まれる土壌が存在することになります。事実それがトンデモ説であったとしても、筆者の一意見に過ぎないものを取り除くという「言論統制」張りの処置をその出版社に期待するのは不可能であるため、これを受け入れる側としては何らかの方策を講じる必要が生じます。この状況こそNORの出番であり、単なる「検証可能性」から一歩進んで、より専門的な、専門家による査読済みの情報源だけに的を絞るべき、といえるのではないでしょうか?。従って、「検証可能性」は公正さを追求するための方針で、「NOR」は真実さを追究するための方針であり、「NOR」は偽りの記述に対する最後の防波堤なのではないかと…。

そのように想定するならば、科学分野等、本来この文書が対象としたい分野での編集上の対立を回避するのに役立つと同時に、アニメ等、対立は起こらない可能性が高いものの、査読を受けた書籍が存在しないであろう分野を初めから対象外とみなすことができるものと考えます。

最後に、私が「論考」を推す理由を説明させて頂くと、アインシュタインの「相対性理論」や死海文書の「地球外生命説」といったものは、「研究」の産物ではなくインスピレーションの産物であるように感じられ、であるならば「論考」という表現の方が近いかな?ということなのです。元々深く関わるつもりもなかったので、私はこの記述をもってこの議論への参加を終了しようと思います。--Rigel 2006年8月23日 (水) 09:07 (UTC)

議論の参考になるかわかりませんが、Yahoo!辞書へのリンクを集めてみました。
けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】/ろん‐こう〔‐カウ〕【論考・論×攷】/ちょう‐さ〔テウ‐〕【調査】/リサーチ【research】
さて、Ks aka 98さんが仰っている「検証可能性でも対応が可能では」と言う点ですが、私はこの方針の要旨を正確に表すものであれば、多少重複していても構わないのではないかと思っています。検証可能性も独自の調査も信頼できる情報源から発表されていることを重視している点では変わらないと思いますが、このうちNORの方針では特に「私的トンデモ理論」や「発表済み情報のオリジナルな解釈・統合(合成)」が禁止されると言うことを強調したいのだと理解しています。
「事実のもっともらしい合成」については、実際に方針文章で「同じ文脈で信頼のおけるソースにより既に発表されていなければならない」とあるように、結局のところ信頼できる情報源から発表されているか否かに依るのだと思われます。このような観点から言えば、既に候補からは消えてしまっていますが「未発表研究」も有効であるように思えます。未発表研究では自主公表などに対抗できないと言う意見もあったのですが、方針文章でしつこく信頼できる情報源を繰り返していますので、それほど心配要らないのではないかという気もしなくもないです。正確に表すのであれば、少々長いですが「信頼できる情報源において未発表の研究は掲載しない」などもありではと思います。
決まりかけている議論を混乱させるような発言で申し訳ないですが、もちろん現在の候補、「独自研究」で問題があるとは思っていませんし、それに反対するつもりもありません。O^tsuka 2006年8月23日 (水) 15:41 (UTC)

「未発表」については、かならずしも信頼できないソースではあるが発表はされている理論を取り除くことが困難であるという意見がなお有効と考えます。方針そのものの文章を読み、理解した上での議論が常に行われるのであれば、「オリジナル・リサーチ」で十分でしょう。何がもっとも適切か、という検討の中では、ORを書いている編集者とのノート欄などでのやりとりで有用かどうかという視点が意識されていたかと思います。方針を現実的に運用していく上で、「これは未発表研究だ」というのと、「これは独自研究/独創的論考だ」というのでは、後者のほうが有用ではないでしょうか。

また、検証可能性と重複することを避けるつもりはなく、候補が絞りきれない中で、どれを選ぶかという指針として、「検証可能なソースの正当ではない合成」を意味するものを検証可能性で対応できる部分よりも優先しようという提案をし、その議論をしていた当時はいちおうの支持を得たということに過ぎません。「論考」よりも「研究」を推しているのは、ぼくにとっては「研究」のほうが対象が広く、検証可能性で対応可能ではあるけれどもこの方針で重要であると思われる「独自の一次調査」を含んだイメージを持つのではないかという理由です。

「発表済み情報のオリジナルな解釈・統合(合成)」あるいは「事実のもっともらしい合成」とは、既発表のトンデモ理論ではなく、まさにウィキペディアで発表されるトンデモ理論を指すと、ぼくは認識しています。結局のところ、いかに信用できるソースに拠っていても、合成がトンデモであれば、記述は誤りとなります。誤りであると指摘することが可能であれば議論は可能ですが、高度に専門的な内容や否定する証拠を持ち出すことも困難な陰謀論の類については、理論を構成する要素の出典だけでなく、その「合成」について信頼のできる出典を示すことを求めているのがこの方針である、と。死海文書の例で言えば、ウィキペディア上で死海文書の記述を丹念に挙げながら、地球外生命説を導き出すことが、もっとも排除すべき「オリジナルリサーチ」であり、上で死海文書の項目での記載が「独自研究/独創的論考」でもないと書いたのは、このような理由によるものです。死海文書の項目にある地球外生命説は、出典が記載されておらず、記載された場合にでもその出典が他の文章で触れられていることと比較して信頼がおけないという点で排除しうるものですが、僕の理解では「オリジナルリサーチ」ではないのです。--Ks aka 98 2006年8月23日 (水) 16:22 (UTC)

私には、「これは未発表研究だ」と言う指摘(その合成された見解等は未発表ですね?という指摘)でも運用上は問題ないように思えますが、このあたりは個人の感じ方にもよるのであまり議論しても仕方ないかも知れません。
ただ、例えば想定されているような独自の調査に関する議論の際、「これは独創だ/独創ではない」「これは独自だ/独自ではない」といった抽象的な議論になりがちなのに対して、未発表ならば「(信頼できる情報源から)発表されているか否か」が論点であることを明確に出来るという点では有用に思えます。指摘されてもなお、個人サイトなどを情報源として持ってこられる方には、「ウィキペディアはそのような情報源にはよらない」ことを説明するしかないでしょうけれども、逆にその点さえクリアできればいい案にもおもえるのです。
とはいえ、前の繰り返しになりますが、「独自研究」に異議があるわけではないですし、Kanjyさんが仰っている通り、「どんな訳語にせよ、方針文書がそれを JaWp 用語として明確に定義する限り、 "original research" の訳語として採用可能」なのだと思いますので、その意味からも独自研究はいい訳語だと思っています。O^tsuka 2006年8月23日 (水) 17:26 (UTC)

「独自研究を発表しない」は?--Ks aka 98 2006年8月24日 (木) 11:07 (UTC)

「発表しない」の「書かない」や「掲載しない」に対する優位性は何でしょうか?(Wikipedia:Three-revert ruleのように、No original researchでいいような気がしてきた....)-- 2006年8月28日 (月) 06:05 (UTC)

ぼくにとっては「発表しない」は「載せない」「書かない」に対する優位性は特になく、「独自研究/独創的論考」に対して「未発表」を支持するO^tsuka さんの意見を踏まえての提案です。O^tsuka さんにとって「独自研究/独創的論考+は載せない」よりも「独自研究を発表しない」がより好ましいのであれば、落としどころになるのではないか、と。ぼくにとっての「未発表研究を載せない」よりの優位性は以下に書きます。

O^tsuka さんは、<未発表ならば「(信頼できる情報源から)発表されているか否か」が論点であることを明確に出来るという点では有用に思えます>と書かれていますが、この方針の「論点」は、そこではなく、「(信頼できる情報源から)発表されている」ことを、独自に合成することにあり、専門知識がなくとも論理的な思考によって誰にでも導けるわけではないものについては「合成」そのものについても「(信頼できる情報源から)発表されている」ことが求められるということのではないのかということを、ぼくは繰り返し書いているのです(この認識が間違っているならばご指摘下さい)。したがって、「未発表」という表現は、どこかで発表されているかどうかということではなく、「ウィキペディアで発表すること」を指すということになります。ぼくとしては、No+「未発表研究」という方針は、単に「検証可能性」の言い換えのように感じるので、どこかでなされた発表ではなく今ウィキペディアで行われる行為としての「発表」+Noという形にしたのが「独自研究を発表しない」という案になります。

英文の記事名は、可能な限り避けるほうがいいと思います。--Ks aka 98 2006年8月28日 (月) 12:41 (UTC)

yourselfとunique[編集]

補足説明:それぞれの言葉から受ける私なりのイメージ

  • 「独自」 = yourself
  • 「独創的」 = unique

独自」に難色を示しているのは、こうした理由からです(「独創的研究」に難色を示しているわけではない)。ついでなので「発表しない」についてもコメントすると、「発表しない」では記事だけでなくノートでの言及さえも規制しているかのような印象を受けます。

未発表ではないトンデモ説も一例を挙げておきます。イエス・キリストは自分自身のことを「人の子」(Son of Man)と表現したのですが、「これは「太陽の子人の太陽」(San of Man)の誤りである…」とする出版物に出会ったことがあります(著者はプロテスタントの牧師を名乗っていたと記憶しています)。確かに英語ではこうした読み替えも可能ですが、原典であるヘブライ語(エゼキエル書)やギリシャ語(四福音書)でも同様の読み替えが可能なのか?と、読んだ直後に感じました。つまり、こうしたトンデモ説を退けるためには、「未発表」では何の役にも立たないわけです。--Rigel 2006年8月30日 (水) 07:05 (UTC), Rigel 2006年8月31日 (木) 03:50 (UTC)修正

なるほどねえ。「独自」が yourself ですか。その辺に最大の問題があったのですね。たしかにわからないでもありません。でも、どのような根拠に基づかれているのでしょうか。人によって単語から受ける印象は様々で、それをひとつひとつ吟味することは、大事なことでしょうけれど、ここで行うべき事でしょうか。むしろ、辞書に書かれている語義などに従って進めていくべきではないかと思いますが。
いくつかの訳例を見てきましたが、なるべくシンプルなものがいいように思うようになってきました。originalを素直に訳せば「独自」になります。それがいちばんoriginal researchのoriginalに近い語義になりうるのではないかと。また、noにも、必要以上に意味を乗せない方がいいと思います。「を発表しない」では、「発表とはどういう意味か」ということをまた説明しなければなりません。ですので、
  • 独自研究を載せない
を一押しします。また、もし体言にしたければ
  • 独自研究の不掲載
です。あとのは強く推す物ではありません。-- 2006年8月30日 (水) 14:26 (UTC)
「yourself」つまり<「奇抜な叙述あるいは歴史解釈」となるような、発表済みのデータ、言明、概念、議論の新たな分析・統合を>執筆者自身が<新たに>書くことは、Noの対象です。

「unique」で「yourself」でないもの、つまり他者によって発表されたuniqueな合成は、「既に合成されているひとまとまり」の出典を示すことで記述することが可能で、ただしuniqueであるがゆえに理解が困難な場合、あるいはその検証に専門的な知識が必要である場合には、その合成自体について信頼できる情報源を示すことが求められます。「unique」であることが Noの対象ではなく、uniqueであっても信頼できる情報源が示されれば記述されるべきであるにもかかわらず、これを抑制する働きがあるという指摘が以前にあったかと思います。たとえば相対性理論は独創的な論考だが、これは「載せない」のか。--Ks aka 98 2006年8月30日 (水) 16:34 (UTC)

中間とりまとめとご議論、皆様、お疲れ様です。さて、再度ORの議論に戻っているので、一応私の考えを書かせてください。そもそものOriginalの意味はfirst,new,creativeです[8]。「独自」の欠点はその主な意味が"by myself"を意味する点[9]であり、厳密にはOriginalから遠めに見える点です。一方その利点は、比較的刺激的でなく、OR執筆者への呼びかけに使いやすそうと思う点です。この点からは「独創的」でも大差はそれほど感じません(独創の方が呼びかけにやや刺激がありそうな気はしていますが、creativeの意を含むので意味はやや近いと思います)。ですので、これらはどちらでもかまわないと思います。どちらにしろ、相当に議論が尽くされ、様々な提案とそれぞれの語義・語感についての意見は出ていると思います。結局のところ、それぞれの微妙な語感が賛否を分けているように思えます。そろそろ合意に達するための投票を行ってはいかがでしょうか。--Masao 2006年8月31日 (木) 03:36 (UTC)

独自だけでなく、独創の英語表記も original なのですが…。

それから、「相対性理論はORである」というのは、元々Ks aka 98さんご自身が言い出したことであったと考えていたのですが、どうやらこれは私の読み違いで、「相対性理論はORではない」と主張されていたようです(8/2)。私は、「現在、相対性理論はORとはみなされないが、発表当初はORであった」、と考えています。この文書の内容は、「全てのORが掲載するに値しない」というものではなく、「査読済みの書籍に掲載されたのであれば、ORであっても掲載可」ということだったのではないでしょうか?。多分、ここが多くの人が誤解している点だと思うのですが、「査読済みの書籍」と「検証可能性を満たした書籍」とは全くの別物であろう(もし両者が同一であるならば、別々の方針にする意味が無い)、というのがRigel 2006年8月23日 (水) 09:07 (UTC)の発言の趣旨だったのですが、どうもうまく伝わっていないようで残念です。--Rigel 2006年8月31日 (木) 04:25 (UTC)

環境の問題でしばらくWikipedia に接続できずにいました、申し訳ありません。さて、Ks aka 98さんに提案していただいた「独自研究を発表しない」ですが、その案ですとORと言うよりもNoの訳語の新提案になってしまいますし、Wikipediaは何かを発表する場所である、といった誤解を生じさせる懸念もありそうですので、従来通りの独自研究は載せない/は掲載しない/の排除・・・を個人的には支持します。
この方針の「論点」についてですが、Wikipedia:独自の調査#オリジナルリサーチとは何か?において

オリジナルリサーチとは、ウィキペディア編集者がウィキペディアに寄稿した情報のうち)、未だ信頼のおける媒体において出版されたことがないものを指すウィキペディア用語です。

と定義されているように、基本的には「正しいか正しくないかに関わらず、編集者のオリジナルな(定義の言葉を借りれば、「未だ信頼のおける媒体において出版されたことがない」)記述は許されない」と言うことだろうと理解しています(この点はWikipedia:独自の調査#何が除外されるかでも述べられています)。もちろんこれは「発表済み情報のオリジナルな解釈・統合(合成)」にも当てはまるわけですが、この点で「合成」を中心に考えておられるKs aka 98さんとの間に認識のズレが生じてしまっている可能性はあると思います。
また、Rigelさんの「プロテスタントの牧師」の例は、その出版物が信頼できる情報源に該当するかの問題ではないかと思います。別の例で言えば、例えばある医師がX病の治療法を提唱しているような場合、その治療法が信頼の置ける情報源から発表されていない限りは(いかに医師の発表であろうとも)Wikipediaには掲載できないはずです。Ôtsuka 2006年9月1日 (金) 17:11 (UTC)
>O^tsuka さん
Wikipedia:検証可能性では、「ある所説が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その所説があまり重要でないものならば、それを除去して下さい。もしもその所説が重要で残す値打ちがあるものならば、その所説をくだんの情報源によるものと明示して下さい」と、信頼性に乏しい情報源からの記述を担保してくれています。
また、「情報源/ソース」には「(珍奇な主張には強固な情報源が必要です)」とあります。
これに、下でKanjyさんが明確にしてくれているNOR 方針と V 方針の違いを加えて、この方針を端的に示すNORの訳語として「新規の合成」を中心に考えているとご理解下さい。
>Rigel さん
O^tsuka さんの引用にあるように、「査読済みの書籍に掲載されたのであれば、ORであっても掲載可」というのは、定義に矛盾していて、「査読済みの書籍に掲載されたのであれば、」ORではなく、したがって「全てのORが掲載するに値しない」ということになると思います。訳語に対応させると、独創的論考は査読済みの書籍に掲載されていれば掲載可能、査読済みの書籍に掲載されたのであれば「独自研究」ではない、という表現に違和感がなければ、訳語として「独自研究」のほうが好ましいと思います。ロシアの数学者が書いたポアンカレ予想の論文(ポアンカレ予想の、ではなかったように記憶してますが、それはさておき)が、何年か前にウィキペディアに発表されていたら、NORなので、掲載できなかった。今なら、おそらく査読つき学会誌で検証している論文もあるでしょうし信頼できる新聞などで報道もありましたから、ORではなく、それを出典としてウィキペディアに掲載可能、というのが、わかりやすい例でしょうか。
>Kanjyさん
といったところで、あと数回のやりとり、それでまとまらなくとも「独創的論考」「独自研究」の投票で訳語が決められそうなので、いったんそっちを先に進めると言うことでいかがでしょうか。訳語が決まれば、一通りの訳語について機械的に置き換えた後に前後関係から適当でないところについて対案を考えていくという作業で済みます。
なお、投票の場合は、ぼくが仕切るのは好ましくないと思いますので、どなたかにお任せしたいです。その際、「統合」と「合成」についても、意見を募れる形にしていただけるのが好ましいかと。--Ks aka 98 2006年9月1日 (金) 20:41 (UTC)
お二方のご意見はもっともで、「プロテスタントの牧師」の例は検証可能性の問題のようです(お騒がせ致しました)。Ks aka 98 さんにはお願いがあり、ご自身の「独自研究」と「独創的研究」、両表記の優位性についての見解を明確に表明していただけると、議論が先に進展するものと思われます。--Rigel 2006年9月2日 (土) 03:38 (UTC)

by yourselfかuniqueか[編集]

Rigel 2006年8月23日 (水) 09:07 (UTC)を再読すると、Rigel さんとぼくとの意見の相違は、方針の内容の認識の相違のような気がしています。

NORは、投稿者自身によるリサーチの排除であって、典型的な一つは独自の調査、たとえばぼくが知人にあれこれ質問したものを表にまとめて投稿することは、ORであって、これをウィキペディアは載せない。もう一つ、出典を示してはいるものの、その「新たな分析・統合」によって、出典において明らかにされている事実を超えた主張は、ORであって、これも載せない。「新たな」分析・統合を行うのは、投稿者であって、他の誰かの手によって発表された分析・統合は、ORではありません。ORは、誰かが書いたトンデモを排除するのではなく、ウィキペディアで発表されるトンデモを排除するのです。

NORは、二次資料をなすリサーチを排除していません。「ソースに基づいたリサーチ」は「基本的」なことです。複数の事実を結びつけるときには、通常出典を必要とするよりも、論理的な整合性を満たすことで足りると考えられていると思われます。そうでなければ、執筆者は特定の情報元を要約することしか認められず、ウィキペディアの運用は不可能となるでしょう。例外的ではあるけれど「(1)何らの専門知識がなくとも合理的な人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できると言える記事や、(2)分析、統合(合成)、解釈、評価を全く行っていないような記事の場合は、もっぱら一次資料にのみ基づいていてもよい」。

例外ではないような場合、つまり「分析、統合(合成)、解釈、評価」が入り込み、専門知識がなくても正確性を検証できないような場合、個々の事実が査読論文誌を情報源とする事実であっても、その事実の評価、両者の「分析、統合(合成)、解釈、評価」が適当でなければ誤った結論が導かれます。しかし、そこに風が吹けば桶屋が儲かる的な「論理」あるいは特定の意見を推進するような「分析、統合、解釈、評価」が入り込むことは、百科事典の記述においては排されなければなりません。

ところが、このような「論理」が紛れ込んでしまった場合は、「事実」の評価や出典における「事実」の背景や条件などを踏まえ、また結論への導出過程そのものの検証を行わなければ、議論などで否定することが困難です。本文で触れられている科学や歴史などの学術分野では、特にそうです。そこで、複数の事実を合成する「論理」を含んだ、いわばメタなレベルでの記述を求めることで、これを打開することとしているのがこの方針です。a1という事実とa2という事実の出典だけでなく、「a1+a2=A」の出典を求める。これが「オリジナルなリサーチではないことを検証可能な形で証明するには、その記事の主題に直接関連のある、信頼のおけるソースの出典を記し、そのソースに記された内容に忠実に記述することです」ということでしょう。

ウィキペディアは、一貫して真実であることを求めていません。この方針にも「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します」という一文があります。先に例を挙げたポアンカレ予想の論文は「真実」だとされましたが、発表当時は「真実」かどうかの検証ができていない状態であったために、この論文がウィキペディアで発表された場合は、NORの方針に従って削除されるでしょう。ウィキペディアではない場所で発表され、信頼できる学術論文誌などで検証が行われ、信頼できる新聞等で報道があったことで、ウィキペディアはこの論文を取り上げることができるようになった。査読のない一般の出版社からの書籍にあるトンデモ説は、特にその題材が学術的な分野であって、その合成が適切なものであるという判断が一般に困難である場合、査読論文誌などに認められていないという出典それ自体の評価によって、適切な位置づけ・分量でウィキペディアで記述することになるのではないでしょうか。

以上の、方針に対する認識に基づけば

「研究/論考」について。「一次調査」に対してNoであることを可能ならば含ませる必要があります。「論考」は「論じ考える」のですから「調査」のニュアンスに欠けるように感じます。「研究」も「研ぎ究める」のですから「調査」を含むとは言いづらいですが、「研究」の語は一般に広く用いられていて、「論考」ほど「調査」を排除しない字面であるとために、「論考」よりベターであるというのがぼくの意見です。「論考・調査」「見解・調査」などと並列にすることができれば、「研究」よりも硬めで学術的な内容を想起させる「論考」を用いることが個人的には好ましいですが、「調査」を含むか含まないかという点のほうが重要だと考えます。ただし、「一次調査」については、「検証可能性」「出典の明示」などで対応が可能ではあると思うので、「論考」を強く推す意見がある場合、これを許容すると表明しています。

「独自/独創的」について。まず、「独自」にはyourselfあるいは「執筆者自身による」、というニュアンスが「独創的」よりも強いと感じるということについては共通の感覚を持っていると言うことでよいでしょうか。極論すれば、「独自」を「あなたの」と言い換えられるでしょう(それはそれで弊害があるので、「あなたの」を提案するつもりはない)。

ORはかならずしも「独創的」ではありませんし、「独創的」だがORではないものもあります。「ビートルズがx年に結成された」ことと「ビートルズのメンバーはジョージ、ジョン、ポール、リンゴの4人である」という二つの事実は出典を明らかにするまでもなく知られた事実ですが、「ビートルズはx年に、ジョージ、ジョン、ポール、リンゴの4人によって結成された」という文は「独創的」ではないけれど、ORです。この二つの事実からは、結成時のメンバーは明らかではありません。また「執筆者による聞き取り調査などの地道な調査」は排除すべきORですが、「独創的」という表現は、このような地道なリサーチを対象としないように感じます。

これらの「独創的」ではないORは、「独自」とすることで、Noの対象に含めることができると思います。

他方、相対性理論は独創的ですが、ORではなく、当然ウィキペディアに記述されるべき事柄となります。では、地球空洞説はORでしょうか? これもORではありません。なぜなら、そこに新奇な主張があるとはいえ、既に発表された説であって、既に発表された説は、ORではなく「検証可能性」「出典の明示」の問題です。

これに対して、相対性理論は(yourselfの意味で)「独自」ではありません。ただし、「独自」には、誰の独自か、という曖昧さは残ります。相対性理論は、執筆者の独自な理論ではないですが、アインシュタインによる独自な理論であると受け取られる可能性はあります。それでもなお、NORの訳語として用いられている「独自」に相対性理論を含まないと説明することと、NORの訳語として用いられている「独創的」に相対性理論を含まないと説明することでは、前者のほうが容易であるように感じます。

「未発表」についても触れておきます。先に書いたようなこの方針の認識では、もっとも適切な訳語は「未発表」であるという気もします。しかし、「未発表」が指すものは何か、という点が、「未発表~」では絞りきれず、つまり、一次調査をなすORは明らかに含むものの、「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな統合」をイメージしづらく、「発表済みの情報」に関する議論に終始してしまうことに懸念があるということから、「独自」を推します。

また、念のため「あなたの」については、執筆者本人ではない誰かの独自研究で、かつその誰かによって発表されていない場合、「あなたの研究」ではないけれどORであるという状況が生じてしまいます。したがって、「独自」を推します。

ぼくの記述において、混乱を生じさせた要因は、「独自研究」が、特に大衆文化に関わる項目の記述において、出典の明らかな事実を組み合わせた場合に、その「合成」が新たな主張を含んでいたりしなくとも、過去に同種の研究がほとんど無い場合、検証が難しいとみなされてORとされては困るという思いがあるということから、「独創的見解」を内心では支持したいという屈折があったことかもしれません。この点についてはお詫び申し上げます。


--Ks aka 98 2006年9月3日 (日) 14:12 (UTC)

何が項目名決定を妨げるのか[編集]

長文ありがとうございます。
ところで、「ウィキペディア用語のとしてのORを作ろう、熟語を用いよう」という案があり、その線で来ているわけですから、議論は、独自研究、独創的論考どちらを用いるかもですが、ORの定義は何か、それに対して作られた熟語を用いるときのあらかじめ想定される問題点は何で、それにどう対処するか、という観点で話して来ていると思います。で、どちらにしても致命的な問題は想定されていないわけです。一方、NOのほうも、結局はどれでもいいのですよね? だとして、今、項目名決定を妨げている物は何なのでしょう。-- 2006年9月4日 (月) 03:59 (UTC)
ちなみに、exciteで original research を機械翻訳させたら、おもしろかったです。意外に当たっているかも??-- 2006年9月4日 (月) 04:04 (UTC)

上記長文で述べているとおり、同じ方針を、どう訳す・どう表現するか、という選択ではなく方針の内容の認識の相違が感じられることです。独自がby yourself、独創的がuniqueということは、共通した認識であるにもかかわらず、意見の一致を見ないのは、方針がby yourselfを認めないのか、uniqueを認めないのかという認識の違いではないか。だとすると、単に投票で決着させることは好ましくないのではないかということで、繰り返し意見を書いています。ここ数日のぼくの書き込みでは、方針をどう認識しているかということについて言及していることをご確認ください。ぼくは、この方針は「by yourselfを認めない」としているのだと認識しています。これについての反論はまだ見ていません。

議論は常に、っさんが指摘している観点ですすめているつもりです。少なくとも訳出の議論に参加している人たちが同じように方針を理解し、方針と訳語のズレを認識しているのであれば、どのような訳語を用いたとしても致命的な問題は生じないでしょう。by yourselfであるうち、特にuniqueに焦点を当てるという意味で「独創的」を選ぶのであれば、理解できる選択です。しかし、この方針がuniqueであるという認識の下でuniqueを意味する「独創的」を選ぶのであれば、この方針がunique researchを認めないということで広まるということに繋がります。逆もまたしかりで、ぼくが間違っているのならば、今のうちに指摘をいただきたいのです。以前とはだいぶ認識も変わってきたようにも思いますし。現時点で方針の理解が食い違っていた場合、訳語そのものの運用が致命的とはならなくとも、これは「致命的」な問題でしょう。--Ks aka 98 2006年9月4日 (月) 07:36 (UTC)

Ks aka 98さんの「方針の内容の認識」が重要であるとのご提起には全面的に賛成いたします。その上で、私もこの方針は「by yourself」も「unique」も両方とも認めない方針であると考えております。それで「by yourself」ですが、私はこれを「あなたの独力で」というニュアンスであると理解しています。私にはこの「独力」のニュアンスが非常に微妙な影を落としていて「独自」を積極的に推す気にはなれないのです。つまり、Original Researchが独力で行われるとは限らないからです。賛同者が多数いる場合や、共同で調査・研究・論考したケースを指すのに適当でないのではないかという懸念をもっています。「独創的」「未発表」の欠点についてはKs aka 98さんが詳細に述べていただいたとおりですので省きます。KS aka 98さんの観点は、単に「by yourself」が「unique」を包含するケースを見ているのか、逆に「unique」が「by yourself」を包含するケースを見ているのかの違いな気もしてますが、いかがでしょうか? --Masao 2006年9月4日 (月) 08:27 (UTC)
長文ありがとうございます。意見の相違部分が、大分明確になりました。一点だけ、「ORは、誰かが書いたトンデモを排除するのではなく、」は違うと思います。「誰かが書いたトンデモだけを排除するのではなく、ウィキペディアで発表されるトンデモを排除するのです」というのが私の理解です。つまり、「誰かが書いたトンデモ」を排除することこそが本来の目的であろうと考えているわけです。ちなみに下で明記したように、現在の私の考えは「論考」よりも「研究」を推すものです。混乱させてしまって申し訳ない(変わり身は早い方だと思っています)。また、ビートルズの例、つまり合成による弊害については、検証可能性でも十分対応可能であろうと考えます。
私が「独創的」を推す理由とは、「独自R」と「独創的R」の二つの表記のうち、どちらがより(「誤解」の結果としての)大きな混乱を招きやすいか?、という視点に基づくものです。
  • yourself(独自)なものはunique(独創的)でしょうか?、その可能性が常に付きまとうでしょう。
  • unique(独創的)なものはyourself(独自)でしょうか?、これはほとんど当てはまらないことでしょう。
では方針名が「独自」であった場合、この方針を実際に読まない編集者は、myselfに該当しないORを編集時に取り除いてくれるでしょうか?。これはちょっと期待できそうにありません。この場合、すでに加筆されたものに対して議論することになるでしょうから、いらぬ混乱を持ち込むことに繋がりかねません。
一方、方針名が「独創的」であった場合、編集者はmyselfに該当する編集を必ず取り除かなければならないと考えるでしょうか?。むしろその人は、なぜ「独創的」なものがいけないのか?と、この方針を実際に調べるかもしれず、結果的にどこまでが許されるのかを知ることでしょう。この場合、混乱するのは編集者ただ一人で済み、ウィキペディア内部にまで混乱を持ち込まずに済むのです。--Rigel 2006年9月4日 (月) 08:32 (UTC)

私も語るべきはyourselfとuniqueの両方であると思っています。ただ、少なくともyourである必要はないですよね。ただ、uniqueであってselfの状態であるのがOの解釈ですよね? 「独創的」の語の問題点は、selfでなくなっても、つまり、査読を受けても「独創的」であり続けるわけです。しかし、ORではなくなっているんですが、そこがORを定義するのに非常に大事(査読を経ていない)なのに、スコンと抜けてしまっている部分なんじゃないでしょうか。もっとも実は英語にも同じような響きを感じていて、originalなものが査読を経たからと行って、また世間一般から認められても、originalでなくなるわけじゃないですよね。-- 2006年9月4日 (月) 10:35 (UTC)

masaoさんは誤読しているかもしれませんが、ぼくは、この方針はuniqueを排除するものではない、と考えていますから、Rigelさんがおっしゃる「myselfに該当しないORを編集時に取り除いてくれるでしょうか?。これはちょっと期待できそうにありません」は、(文中のORは単に記述と差し替えた上で)正しい行動であり、取り除くべきではないから「独自」を推しているのだということになります。

 

いちおう補足しておくと、「独自」はyourselfのニュアンスが「独創」よりも強いとはいえ、yourselfの意味ではありません。「あなたの」について検討したときに書いたように、「あなたの」で生じる問題はある程度「独自」で回避できると考えます。他方、yourselfを丁寧に回避するならば「未発表」となりますが、これはこれで別の問題が生じます。「必ずしも投稿者によるものではなくとも公にはなっていない新しいトンデモ理論を、ある投稿者がウィキペディアで発表すること」に対して、「あなたの」と「未発表の」の間にある落としどころとして「独自」を推している、ということになるでしょうか。
さて、これから先は、方針を再び精読し、その内容を精査するという作業を経なければ訳語が決まらないということになってきました。僕自身自分の解釈が絶対に正しいと思っているわけではなく(なので繰り返し問うてきたわけですが)、これはあまり好ましい事態ではないでしょう。「独創的研究を載せない」「独自研究を載せない」の両訳語自体については、ぼくは反対するものではありませんから、「独創的研究を載せない」でもよいですし、uniqueを排除するとしてなお「独自研究を載せない」という意見もありそうなので投票にしておくということでもよいですから、決めてしまったほうがよいと思うのですがいかがでしょう。内容については、個々の訳語を決めていく際に、おいおい議論することになるでしょうし。--Ks aka 98 2006年9月4日 (月) 12:18 (UTC)

Oとは何か、Rとは何か、と考えてきましたが、RであってもORでない物とは何か、また、OであってもORでない物とは何かと考えてみました。Rであって、ORでない物とは、査読されたもの、信頼できる第三者から出版された物、と言えると思います。そこから考えると、noとされるOとは、査読されていない物、信頼できる第三者から出版されていない物です。フランス語版で ine'dit (未出版 etc)と訳していますが、そう言う意味ですね。今度は、OであってもORでない物、つまり、オリジナリティーが許されている物、ないし、オリジナリティーが求められている物は、「表現」ではないでしょうか。それ以外のすべて、つまり、書かれる内容そのものすべては、noとされるRになると思います。つまり、「第三者から認められていない内容」というのがORだと思うのですが、どうでしょう。-- 2006年9月5日 (火) 05:03 (UTC)

方針文章のタイトルはoriginalとなっていますが、実際の定義はunpublishedなものを載せない、ということでしょうか。ちょっと昔になりますが、Y tambeさんのコメント 2006年7月14日 (金) 13:44 (UTC) のOriginalとunpublishedのあたりは参考になるかもしれません。
あと、野暮なことかもしれませんが、方針文章を読まない利用者のことまで考える必要はあるのでしょうか。「独自研究」なら、自分独自ではないから無関係と思われる危険の指摘がありますが、「独創的研究」でも、独創という言葉自体に自分ひとりの考えで、と言う意味があるので同じではないでしょうか? 「オリジナルリサーチ」では意味さえ汲み取ろうとしない、「未発表研究」では信頼出来ない情報源の持込を阻止できない、ということで、どの案も結局方針文章を読まない方の面倒までは見られないということではないでしょうか。
また方針名が誤解を生むと言うことであれば、Wikipedia:中立的な観点なども同じではないでしょうか。記事のノートで、Wikipediaでいう中立的な観点を誤解されたまま発言されている方を見るのは決して珍しくないと思います。Ôtsuka 2006年9月5日 (火) 15:59 (UTC)

ええと。この流れは、先に訳語を決定し、本文訳などの過程のなかで継続して内容についての共通の理解を試みるのではなく、あくまで内容について確定させたうえで、訳語を決めようということでしょうか? 

>O^tsukaさん:まあ程度問題で。ORを定義し、方針を読むことを前提とするならば、たとえ「トンデモ・ア・ゴーゴー」という方針でも問題は生じません。「独自/独創的」程度の振れ幅ならよし、という判断でもいいでしょうし、理屈があって合意が得られるならすこしでもマシなものにする努力も必要でしょう。余談ですが、中立的な観点の項目名の曖昧さが問題となるならば、修正するべきでしょうし、修正する上で変更による手間が問題となるのであれば、やはり誤解を生まないように事前に検討するのがよいかと思います。--Ks aka 98 2006年9月5日 (火) 16:41 (UTC)

Ks aka 98さんへ。ええと、まず事実の確認です。
オリジナルリサーチ とは、ウィキペディア編集者がウィキペディアに寄稿した情報のうち、未だ信頼のおける媒体において出版されたことがないものを指すウィキペディア用語です。
これがORの第一の定義です。また、検証可能性にはこうあります。
記事には、信頼できる情報源が公表・出版している題材だけを書くべきです。
では、これら文中における「信頼のおける媒体」と「信頼できる情報源が公表・出版」とは同一なのでしょうか?。
もし同一であるならば、「この方針はuniqueを排除するものではない」というKs aka 98さんの主張は真実を描写したものであるのでしょう。なぜならば、検証可能性を満たした書籍とはすなわち「信頼のおける媒体」であり、方針「NOR」によって取り除くことが出来ないからです。この場合、「WP:NOR = WP:V」となり、「「誰かが書いたトンデモ」を排除することこそが本来の目的であろう」という私の解釈は明らかに間違っていることになります。
一方、もし同一でないならば、「誰かが書いたトンデモ」を排除することが可能となるため、「WP:NOR ≠ WP:V」となり、「この方針はuniqueを排除するものではない」というKs aka 98さんの主張には、一部誤りが含まれることになります。なぜならば、検証可能性を満たしているだけでは「誰かが書いたトンデモ」ではないことの証明にはならないからです。また、上記の masao さんの主張も、言わんとしている事柄は私の主張と大差ないものと考えています。
また、「この流れは、…」ですが、議論が延々と続いている理由とは、「下手に意味の通じる語句を書いて、内容も読まずに誤解したままわかった気になられるのを避ける、という意味合いもあります。」(っ 2006年7月10日 (月) 02:51 (UTC))ということだったのではないのでしょうか?。
O^tsuka さんへ。「独創」(名詞)は、意味合いとしては「独創的」(形容動詞)よりも「独自」(名詞/形容動詞)に近く、「的」という接尾語が付くことによって、元々の語が強く暗示していた youeself の部分が欠落した表現へと変化するものと考えます。普通に考えても、「独創的」から youeself というニュアンスは感じません。ところが、「独自的」という語は辞書に定義がありませんし、日本語としてもかなりの違和感を感じる…と、こういうことなのです。--Rigel 2006年9月6日 (水) 09:41 (UTC)

WP:NOR#この基本方針の起源:ウィキペディア創設者の意見によれば、「主にウェブ上にあふれる物理学系のトンデモ理論対策」のために生まれたとあり、それを排除するために生まれた、とは書いていませんね(びみょー)。また、「我々はその理論が権威のある学術誌で発表されたかどうか、権威のある出版社から出版されているかどうか」とも書いています。つまり、私は、トンデモを排除するためではなく、トンデモかどうかを決定するための方針なのだと理解できます。そう考えれば、「WP:NOR ≠ WP:V」よりはむしろ「WP:NOR = WP:V」だと思いますが。-- 2006年9月6日 (水) 14:36 (UTC)

方針の内容[編集]

検証可能性の方針の原文は(強調引用者)

Articles should contain only material that has been published by reputable sources.

記事には、信頼できる情報源が公表・出版している題材だけを書くべきです。

ORの定義は(強調引用者)

Original research is a term used in Wikipedia to refer to material placed in articles by Wikipedia users that has not been previously published by a reliable source

オリジナルリサーチとは、ウィキペディア編集者がウィキペディアに寄稿した情報のうち、未だ信頼のおける媒体において出版されたことがないものを指すウィキペディア用語です。

もう一つ、「Wikipedia:信頼できる情報源(reliable sources)」(日本語版は草案)では

Wikipedia articles should use reliable published sources.

ウィキペディアの記事は、信頼できる公表された情報源を使うべきです。

記事は「評判のいい情報源から出版されたもの」から構成されるべきで、「信頼できる情報源から先行して出版されていないもの」はORです。

reputableとreliableの違いが重要なのでしょうか? もちろん両者は同一ではないでしょう。この違いを重要であるとするならば、われわれは両者の訳を丁寧に区別するべきでしょう。残念ながら、現在は混乱しています。NORの日本語版7節に相当する英語版8節は「reputable」が使われています。日本語版の記事で使われている「信頼できる」およびその類語のうち、英語版で多くはreputableであり、8箇所だけが英語版でreliableです。

では、ORはWikipedia:信頼できる情報源を参照し、検証可能性はORの7節を参照するべきでしょうか。おそらくそうではなく、文脈によって違いを意識することは必要であるとはいえ、ウィキペディアにおいて決定的に異なる定義がなされているわけではない、ということと考えます。

では、「WP:NOR = WP:V」なのでしょうか。「評判のいい情報源から出版されたもの」から構成されるべきで、「信頼できる情報源から先行して出版されていないもの」はORです。「検証可能性」では信頼性に疑いのある情報源はいくつかの条件を課した上で事実を記すことを認めています。NOR7節では、評判のいい情報源を定義できない非学術的な分野では、いくつかの条件を課して記述を可能にしています。この点については大きな違いはないのではないでしょうか。

「検証可能性」の方針では、「記事は評判のいい情報源から出版されたものから構成されるべき」であるとした上で、<「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」>と、検証可能性の重要さを説き、「情報源/ソース」で信頼できない情報源の扱いを提示します。これに対して、NORでは、ORを「信頼できる情報源から先行して出版されていないもの」と定義し、「未発表のmaterial」「新たな分析・統合」を含む、と続けられます。つまり、「検証可能性」はある事実の検証に関すること、および情報源の扱いに焦点を当てているのに対して、NORは発表されていないこと、新しいことを特筆して取り上げているというわけです。これが方針を分けている理由でしょう。検証可能性が不確かなものを書かないという方針だとしたら、NORは勝手な理屈を載せないという方針だと言うのがわかりやすいでしょうか。

「一次資料と二次資料」の節で排除されてるのは、「一次資料をなすオリジナルリサーチ」です。一次資料についてはWikipedia:信頼できる情報源に定義があります。これは「未発表」であることについて、「検証可能性」にある物理学者の例と同様ですが、一次資料と二次資料の比較の中で異なる具体例としてあげていると捉えることができます。

「何が除外されるか」の節では、日本語版では以下のようなものが挙げられています

  • 新しい理論や解決法を導入する。
  • オリジナルのアイデアを導入する。
  • 新しい用語を定義する。
  • 既存の用語を新たに定義をする。
  • 新しい概念を導入する。
  • 新しい用語を定義する。

ここでは、新しい何かの導入や定義が排除されるということが様々に記されています。

他の三つについては英語版を確認しましょう。

  • It introduces an argument, without citing a 【評判のいい】 source for that argument, that purports to refute or support another idea, theory, argument, or position;
  • It introduces an analysis or synthesis of established facts, ideas, opinions, or arguments in a way that builds a particular case favored by the editor, without attributing that analysis or synthesis to a 【評判のいい】 source;
  • It introduces or uses neologisms, without attributing the neologism to a 【評判のいい】 source.

最後のもの以外は、出典と同時に、導入する目的に制限があります。繰り返しになりますが、NOR7節では、評判のいい情報源を定義できない非学術的な分野では、いくつかの条件を課して記述を可能にしています。二つめのものに対応する節「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな統合の例」では、「AでありBである、ゆえにCである」という議論が「オリジナルリサーチに相当します」とされています。ここでもuniqueさは問題ではなく、「新たな統合」という行為が問題となること、「情報」が「発表済み」であっても「新たな統合」というものがあるということを示しています。もっともらしいデッチアゲを排除する、というべきでしょうか。

また、学術的分野では強く評判のいい情報源が求められていますし、いくつかの項目では導入する目的によって評判のいい情報源が求められています。これらは、Wikipedia:信頼できる情報源「特別な主張には特別な証拠が求められる」「Advice specific to subject area」と強く結びついています。

「なぜオリジナルリサーチを排除するのか」ではNORの本来の目的が語られます。すなわち「自論や自分達への注意を引きたいだけのネタ投稿荒らしやトンデモ理論の提唱者」への対処です。次の段落には「私的トンデモ理論禁止」とはじまります。この「トンデモ」の前に、「私的」があるということには注意が必要でしょう。英語版では「Private」+「Crank」が用いられていますが、これはトンデモの「提唱者」です。つまり、既に発表されているトンデモ学説の記述ではなく、提唱者による自説の記述を排除することが「本来の目的」なのです。

以上、出典の必要性は求められるとしても、uniqueであることは、なんら問題となっていません。誰かが既に発表したトンデモ学説を排除するとも書かれていません。むしろ、この方針では、新しい何かの導入や定義が排除されるということが様々に記されています。そして、「情報」が「発表済み」であっても「新たな統合」というものがあり、これも排除されると書かれています。このような「新しさ」とは、他の媒体では未発表で、投稿者によってはじめてウィキペディアで公開される「新しさ」です。

Masao 2006年9月4日 (月) 08:27 (UTC)の「私にはこの「独力」のニュアンスが非常に微妙な影を落としていて「独自」を積極的に推す気にはなれないのです。つまり、Original Researchが独力で行われるとは限らないからです。賛同者が多数いる場合や、共同で調査・研究・論考したケースを指すのに適当でないのではないかという懸念をもっています」という指摘については、理解できます。新しいことを生み出したのが投稿者ではない可能性を考慮して「あなたの研究」ではなく「独自研究」という表現を用いることで、ベターとならないかというのがKs aka 98 2006年9月4日 (月) 12:18 (UTC) で書いた「いちおう補足しておくと、」以下の部分です。ここでのmasaoさんとぼくの食い違いは、内容の捉え方によるものではなく訳語の問題かと思われます。

誰かが既に発表したトンデモ学説は、検証可能性のふるいにかけられ少なくとも出典を記さねばなりません。名の知られた出版社から出版されていたとしても、学術的な内容であれば査読論文などでなければ評判のいい情報源とはみなされませんから、学術的な項目においては中立的観点から記述は最低限になりますし、ある程度広く知られていなければnotableではなく、記述されるべきではないとされるでしょう。結果、誤りであるトンデモ学説は、トンデモ学説として記述される可能性だけが残され、ある種の陰謀論など検証不可能なトンデモ学説はその広まりと学術的な認知度によって、記事の末席に置かれる可能性だけが残されるのです。そして、このトンデモ学説は発表済であり、この学説を何かと統合するのでなければ、排除されるべきORではないのです。

さて、特に英語の読解力に自信があるわけではないですし、読み落としもあるでしょうから、誤りがあれば指摘していただければ考え直します。以下に書く通り、内容をさておいて訳語を決定すると言うことでも不満はないです。

以下補足として、「この流れ」というのは、っ 2006年7月10日 (月) 02:51 (UTC)の後、「っ 2006年8月9日 (水) 00:05 (UTC) /Masao 2006年8月17日 (木) 11:01 (UTC)/Masao 2006年8月31日 (木) 03:36 (UTC)/っ 2006年9月4日 (月) 03:59 (UTC) /Tietew 2006年9月4日 (月) 11:05 (UTC)」という流れがある。こだわらないという意見もいくつかありますし、Rigel さんも離脱したいと書いていらっしゃいます。方針名の訳自体は、ほぼ二つに絞れているのならこっちを先に片づけて正式化して、内容については後回しにするという方向で進めるなら、内容についての少数派として、それでもいいですよというのがKs aka 98 2006年9月4日 (月) 12:18 (UTC) 。--Ks aka 98 2006年9月6日 (水) 20:59 (UTC)

ありがとうございます。私も、この混乱は、方針の難解さと私たちがなかなか十分理解できていないことから来ていると思っています。そしてそのまま公式化しても、私たちが内容の理解に混乱しているようでは、他の利用者にも説明できないと思います。
reputableとreliableは訳し分けるのも一法かもしれませんね。reputableは「評判の良い」ですが、「評価ある」または「権威ある」などと訳せないでしょうか。
OとRをそれぞれ短く定義づけられないかと考えていました。上を参考に、試してみます。
O
評価ある(権威ある)第三者によって査読ないし出版された
R
事実、資料、データを観察・分析してそれを理論に構成しまとめたもの
Rをこのようにしたのは、「事実、資料、データ」そのものはWP:Vの分野かなと思ったからなんですが。-- 2006年9月7日 (木) 00:21 (UTC)
"to refer to material placed in articles"の部分ですが、to referが「指す」で、materialが「情報」、そしてplaced in articlesを「寄稿した」として訳出されたもの考えますが、to materialtoはどこへ消えてしまったのでしょう?。むしろ、to material placed in articlesとは「記述の要点を占める」、という意味なのではないでしょうか?。もしそうならば、その一文は
オリジナルリサーチとは、ウィキペディア編集者がウィキペディアに寄稿した情報記述した要点のうち、未だ信頼のおける媒体において出版されたことがないものを指すウィキペディア用語です。
となり、方針文書の性格が、これまで議論してきたものとはかなり異なった物であるように映るのですが…。つまり、今までは「寄稿した情報 → 全編集」と考えられていたものが、「記述した要点 → 理論の中核を成す部分のみ」となり、議論すべき対象がかなり絞り込まれることになります(この一文は、「ORの第一の定義」と呼べるかもしれません)。
また、過去の議論は、ORを学会誌等、権威ある情報源と結びつけて考えすぎている嫌いがあり、本文からのアプローチをほとんど怠ってきたのではないか?との疑問もあります。「何が除外されるか」(NOR2節)では、"An edit counts as original research if it proposes ideas or arguments."(もしも、ある編集が見解や論争を誘発するならば、それはORとみなされます。)とだけあり、問題とされるのは必ずしも「発表・未発表」などというレベルの問題ではなさそうです(ちなみにこちらの一文は、「ORの第二の定義」と呼べるかもしれません)。
Ks aka 98さんの挙げられた「ポアンカレ予想」を例に取ると、「ポアンカレ予想」という記事を作成すること自体は数年前であっても可能であり、ただしその記事中に「未だ証明されていない」との一文が無いかぎり「見解や論争を誘発する」に該当する故、ORであるとみなされたであろう、というのが私の考えです。一方、「証明された」と断定調で記述してあるならば、それはそれでやはり「見解や論争を誘発する」に該当することでしょう(そういった意味で、現在の記事は適切に記述されていると感じます)。これは、ORであることと「未発表」であることが必ずしも同一ではないことの一例です。
つまり何が言いたいのかというと、ORには大きき分けて2つの定義があり、第一の定義は「検証可能性」の補足であり、第二の定義は「中立的な観点」の補足であるように感じるのです。「検証可能性」と「中立的な観点」の両側面を併せ持つこの文書の一部だけを切り取って議論したところで何の解決にもならず、そういった意味では「まず本文の決定を優先させよう」というKanjyさんの提案は、良い転換をもたらしたように感じました。ちなみに、「独自」も「独創的」も単なる一候補に過ぎず、そこから連想される yourself や unique について議論を重ねたところで何も得るところは無いものと考えます。
「この流れは、…」については了解です。きっとその方が良いでしょう。が、方針名については後回しにした方が良いと思います。--Rigel 2006年9月7日 (木) 07:55 (UTC), 2006年9月7日 (木) 08:11 (UTC)修正(意見の読み間違いによる)

「a term to refer to A」で「Aを指す用語」では?google

ORは、ウィキペディアで使われる用語であり、これが指すのは、ウィキペディアユーザーによって記事の中に置かれた、先行して信頼できる情報源から出版されていない「マテリアル=材料, 原料; 資源; 要素; 資料; 題材」です。

「proposes」は、単に「提案する」で十分意味がとれます。「つまり」以下にある通り、何か新しいことを持ち出すな、それはORだ、と言っているという解釈でよいのではないでしょうか。

「Ks aka 98さんの挙げられた」以下ですが、「ポアンカレ予想」の記事はいつでも書けます。数年前に、証明の過程を示さずに「証明された」と書かれていたら、その出典を示さなければなりません。しかし、当時信頼できる情報源に「証明された」とは書かれていませんから、これは検証可能性で削除できます。「これに関係するロシアの数学者が書いた論文がネット上に存在する」くらいは書けるかもしれません。しかし、「この論文が解決すると思われる」と書くには、「この論文が解決すると思われる」と書かれた信頼できる情報源が必要です。ぼくが書いたのは、「ロシアの数学者が書いたポアンカレ予想の論文が、何年か前にウィキペディアに発表」されていたら、ORです。つまり、ポアンカレ予想の項目の中で、信頼できる情報源では解決していないものを、自らが投稿する理論によって、「以下のように解くことができる」などと記述するのが、ORだと言っているのです(2節の例示の最初には「新しい理論や解決法を導入する」とあります)。--Ks aka 98 2006年9月7日 (木) 18:15 (UTC)

あぅ、すみません。materialを辞書で調べたら "+to"で「大切」もしくは「必須」という意味になるとのことだったので、"to material placed"を「大切な位置(過去形)→要点を占める」と訳したのですが、よく調べたら"to material"ではなく"material to"の間違いでした(お騒がせ致しました)。
一方のproposesですが、現在の文面に用いられている表現である「理念や議論を提唱する」と並べると、
  • 提唱:理念を提唱する/議論を提唱する、見解を提唱する/論争を提唱する
  • 提案:理念を提案する/議論を提案する、見解を提案する/論争を提案する
  • 誘発:理念を誘発する/議論を誘発する、見解を誘発する/論争を誘発する
となります。元々は現在の訳があまりにも意味不明(理念や議論を提唱する編集とはいったい何を指すのか?)だったので訳し直したのですが、「提唱・提案」では意図的にそれを行った、とのニュアンスを感じます。ですのでここを「誘発」としたのは、意図せずにそれを行った場合をも含めるためです。ちなみに強調表示は原文に元々存在したものですが、現在の日本語版には反映されていません。--Rigel 2006年9月8日 (金) 08:14 (UTC)

propose: 何故「誘発」という表現が出てきて、意図的にそれを行った、とのニュアンスがあってはいけないのでしょう? excite辞書suggestには「提案する《★【類語】 suggest は相手に考慮してもらえないかと控えめに提案する; propose は積極的に提案する》」と書かれています。この辺gooexciteMerriam-Webster'sを参照しても、「意図せずにそれを行った場合をも含める」必要が感じられません。

An edit counts as original research if it proposes ideas or arguments.

は、「アイデア(考え/着想/思いつき/思想)や議論(主張)を提案(提出)する編集は、ORとみなされます」で十分ではないですか? そして、この文は「つまり、以下のようなことをする編集はオリジナルリサーチと認定されます」と続きます。その「以下」とは、前に書いたように、「新しい何かを導入すること」やらなんやら、ですから、そこには「意図(あるいは積極性)」があるのではないかと思います。

「誘発」が登場したのは、一次資料のあたりの訳出からのようですから、こっちも考えておきます。

Primary sources present information or data, such as archeological artifacts; film, video or photographs (but see below); historical documents such as a diary, census, transcript of a public hearing, trial, or interview; tabulated results of surveys or questionnaires, records of laboratory assays or observations; records of field observations.

一次資料は、情報やデータを提出(差し出)します。それは、以下のようなものです。考古学的な発掘物;映画(映像フィルム)、ビデオ、写真;日記、人口調査、公聴会の議事録や裁判の記録、インタビューのような歴史的文書;アンケート調査の結果一覧;実験・観察の記録;実地調査の記録。

ちなみにWikipedia:信頼できる情報源では、以下のような訳がなされてます。

一次情報源は、ある事柄の状態について直接の証拠となるドキュメントまたは人物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語はしばしば、出来事の参加者や出来事の観察者によって産出されたドキュメントを指します。公式な報告書、元の手紙、実際に出来事を観察していたジャーナリストによる報道記事、自伝などになるでしょう。権威のある機関によってまとめられた統計も一次情報源と考えられます。

この後、一次資料の扱いについて多く触れられています。ここまでから「出来事の参加者や出来事の観察者によって産出されたドキュメント」というのが一次資料であることがわかるでしょう。

Original research that creates primary sources is not allowed. However, research that consists of collecting and organizing information from existing primary and/or secondary sources is, of course, strongly encouraged.

一次資料を生み出すORは許されません。しかし、既に存在する一次資料と(/や)二次資料からの情報を集めて組織することで構成されるリサーチは、もちろん強く推奨されます。(consist ofが現在の訳文では落ちてる感じですね)

「一次資料を生み出すORは許されません」というのは、したがって、公表されていない歴史的文書をウィキペディアで発表すること、(新聞などの報道ではなく)目撃者自身による、または目撃者からの話を基にして事件や事故をウィキペディアに投稿することや、ウィキペディアで付けられている日記、投稿者自身が行ったアンケートや取材、実験などをまとめてウィキペディアに記述することなどが、「一次資料を生み出すOR」で、これは「許されません」。

たとえば、ぼくがどこかののみの市で、どこからも公表されていない紀元前7世紀の創世記の写本を入手したとしましょう。これを、紀元前7世紀の創世記の写本だとしてその内容をウィキペディアに書くことは、ORです。たとえば、ぼくが自作の実験機材で常温核融合に成功したとしましょう。その実験についてのレポートをまとめて常温核融合の項目に加筆することは、ORです。たとえば、ぼくがひき逃げ事件が発生する現場に居合わせて、運転していた人が女性であることを目撃したにもかかわらず、ある男性が逮捕されてしまったような時に、その事件の項目に、ぼくが目撃証言を書くことは、ORです。創世記の写本や、常温核融合の成功や、ひき逃げ犯人が女性であることは、真実であるかもしれません。しかし、「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します。(以下略)」(「一次情報と二次情報」)ということですから、許されないのです。--Ks aka 98 2006年9月8日 (金) 19:16 (UTC)

え~と、例えば Ks aka 98 2006年9月3日 (日) 14:12 (UTC) のビートルズの例ですが、こうした合成を意図的に行ったのがORで、意図せずにそうなってしまった場合はORではないとなると、意図的に行った場合は撤去でき、意図せずにそうなった場合は撤去できないという困った事態になってしまい、さらには投稿者本人に確認が取れないような状況では、意図が不明であるのでやはり撤去できないという、こういう理由からなのですが…。--Rigel 2006年9月8日 (金) 23:54 (UTC)

合成が意図的かどうかではなく、提示が意図的かどうか(積極的かどうか)ですよね? suggestに置き換えても「誘発」とはならない。

というか、議論を誘発するのは、提出された「何か」が必要となります。提案・提出は、まさに投稿者が「議論」を書き込むこと、ですが、誘発される議論は、提出された何かによって事後的に行われることですから、意図の生むだけではなく、行為の構造が違ってきてしまいます。

ここでのargumentは、編集によって発生する議論ではなく、したがって議論を発生させるかどうかについての意図は関係が無く、argumentである編集とは、投稿した加筆・修正部分自体がargumentなのです。というわけで、論証という訳語にするのがよさそうです。「論証」の意味で使われるargumentの例は、こんな感じargument below。方針の文としては、「アイデアや論証を提出する編集は、ORとみなされます」で、どうですか?--Ks aka 98 2006年9月9日 (土) 16:46 (UTC)

なるほど、「提出」であれば問題ないかもしれません。(「提示」も大丈夫かな?と一瞬考えたのですが、こちらはやはり「意図的」と感じます)。ところで、原文にある強調表示をあえて無視して、「提出する

、文章から受けるイメージが全く異なるものになると私は感じるのですが、これは私の勘違いであるかもしれず、他の方々のご意見を伺いたいところです。もし強調表示をしないのであれば、上記の案に反対するつもりなど毛頭ありません。ちなみにこの強調表示、文脈のアクセントとして重要な位置に置かれているように感じますし、翻訳時の版だけでなく、英語版の最新版にもきちんと受け継がれています。--Rigel 2006年9月10日 (日) 01:15 (UTC)

意図してないです。強調は原文通りに。あと、一番下のソースも含めて直さないと。--Ks aka 98 2006年9月10日 (日) 01:43 (UTC)

本文からのアプローチへの序[編集]

さて OR 命名のヒントを、方針の本文に求めてみましょう。本文も未完成であり、用語 OR の訳を決めなければ仕上がりませんので。
論文に書くべきは verifiable original research であり WP に書くべきは verifiable but not original research です。この NOR 方針は前者を明示的に排しており、この点が V 方針検証可能性と対比して際立った特徴のひとつです。言い換えれば NOR 方針は original research を追っ払いつつ、一次資料や二次資料から情報を集めて整理する research を、当然必要な手順として強く奨励しています。
一方、 V 方針は NOR を出発点とし、 "X 理論" のたとえ、正確性検証の放棄、掲載派が負う挙証責任、信頼できる情報源と疑わしい情報源、等々、 WP と検証可能性との関係を様々な側面から具体的に規定しています。 NOR 方針はこうした諸々を「検証可能性」の一言に押し込み、新規性を削ぐことに特化しています。 このように NOR 方針と V 方針は相互依存関係にあり、両輪となって正確性と中立性を支えています。
さて、論文は V・OR で WP は V・NOR です。このような NOR 方針の特徴を方針本文の和訳に反映するには、本文中の用語 OR をどう訳せばよいでしょうか。方針を曲げないためには、本文中に単独で現れる original や research との関係にも注意が必要です。例えば original research は許されないが情報源の research は奨励する、 original image は no original research の例外、といった対比をどう扱うかです。ちょっと方針名を脇に置いて、本文を考えてみませんか。 --Kanjy 2006年8月31日 (木) 09:39 (UTC)
>独創的論考は査読済みの書籍に掲載されていれば掲載可能、査読済みの書籍に掲載されたのであれば「独自研究」ではない、という表現に違和感がなければ、訳語として「独自研究」のほうが好ましいと思います
上でRigelさんが、「独自」も「独創」もoriginalの訳語とおっしゃいました。(失礼しました。)
いっぽうで、「独自」と「独創」は意味が違う、という議論もあります。
実際、どう同じで違うのか、もっと煮詰めませんか? 投票するにも必要なことと思います。-- 2006年9月1日 (金) 23:27 (UTC)

本文からのアプローチ[編集]

どこから区切ればよいのかわからないので、Kanjy さんの提案に従ってここから区切りを入れます。原文を自分なりに訳してみました。

Original research that creates primary sources is not allowed. However, research that consists of collecting and organizing information from existing primary and/or secondary sources is, of course, strongly encouraged.

OR(オリジナル・リサーチ)、つまり一次資料の作成は許されません。しかしながら、R(リサーチ)、つまり一次資料や二次資料に基づく情報を集めて整理したものについては、当然ながら強く推奨されています。

こうすれば、この一文の意味することがやや明確になるかと…。文章構造的には、この一文における「ORの'R'」と「リサーチ」は同一である方が良いように感じました。

しかし、この文脈における research は「調査」では違和感がありますが、別の場所に出現するresearchについては「調査」がぴったりの表現である部分もあります。「信頼のおけるソースは、読者が自らリサーチを行う際に参照することができるリソースを提供します。結局、人々は、リサーチの足がかりとして百科事典をひもとくのであり、リサーチの最後に百科事典を参照するのではありません。」という一文には単独の「リサーチ」が3度出現しますが、ここは「調査」が最適であろうと考えます(「研究」では微妙に変で、「論考」では明らかに変)。

話をORに戻すと、許されない「一次資料の作成」とは何なのか?ということになりますが、「一次資料 とは」の説明を読んだだけでは具体的なイメージが全く沸きません。しかし、次の段落にはこうあります。

理念や議論を提唱するような編集はオリジナルリサーチとされます。

An edit counts as original research if it proposes ideas or arguments.

もしも、ある編集が見解や論争を誘発するならば、それはORとみなされます。

こうなってくると、今まで挙げられてきた候補というのは、全てあてはまらないような気もします。むしろ、「リサーチ」は訳さないで、「独自リサーチ」もしくは「独創的リサーチ」とする、というのはどうでしょう?。ちなみに、「同一である方が良い」と言及した一例を除き、他の「リサーチ」はすべて文脈から適切な日本語を導くことを想定しています。--Rigel 2006年9月2日 (土) 02:53 (UTC)

…と思ったのですが、↑はちょっと変だなぁ。「研究」でも大丈夫かな?。
「OR(オリジナル・リサーチ)、つまり一次資料の作成は許されません。しかしながら、リサーチ、つまり一次資料や二次資料に基づく情報を集めて整理したものについては、当然ながら強く推奨されています。」
として、この一文の「リサーチ」だけ訳さないようにして、残りは全て適切な日本語に置き換えることを提案します。もしこの一文の「リサーチ」を何らかの日本語に訳すのであれば、それは「一次資料や二次資料に基づく情報を集めて整理したもの」を適切に表現したものとなるべきであり、「ORの'R'」はその訳語に決定するのが最適であると考えます。そして私はその適切な単語を思い浮かべることができません(現時点では「独創的研究」を推します)。--Rigel 2006年9月2日 (土) 03:38 (UTC)
どうも「リサーチ」には「マーケティングリサーチ」の語感が強いのですが、私だけでしょうか←ひとりごとです。
ところで、英語のresearchは非常に幅の広い意味の語であって、NORでも、いろいろな意味に使われていることが、そもそもの問題になっています。
ですから私は同じresearchでも、場所によって訳語を使い分ける必要があるし、それでいいと思っています。
あと、全然別なんですが、publishは「出版」なのでしょうか.... つまり、「出版」の語がイメージさせる印刷媒体による公開・公表のみを意味するのでしょうか。-- 2006年9月2日 (土) 03:50 (UTC)
辞書的にはpublishは「公表」や「発表」でもいいのではないでしょうか。WP:RSでも媒体は問わないようですし。Ôtsuka 2006年9月5日 (火) 15:59 (UTC)

議論延長[編集]

いろいろなご意見が出てきたようですので、とりあえず1週間議論を延期した方がいいように思えてきました。2006年7月22日 (土) 00:53 (UTC)目安でどうでしょうか。-- 2006年7月14日 (金) 13:59 (UTC)

賛成します。正式化するならばちゃんと名前も決めたいですし。O^tsuka 2006年7月14日 (金) 18:02 (UTC)
議論をあと1週間ほど続けて、その後、名称案を絞り込むための投票 (poll) をしませんか。拘束力を持たない意識調査です。これまでに出た候補は、全部投票するには多過ぎますし、予備議論で絞り込むのも無理があるでしょう。Wikipedia:メインページ新着投票所方式で、推薦・投票するというのはいかがでしょうか。 --Kanjy 2006年7月15日 (土) 19:53 (UTC)
賛成します。O^tsuka 2006年7月17日 (月) 22:51 (UTC)
Pollをしたあとの見通しは? 意見が散った場合にどうするか、あらかじめ考えておいた方がいいように思いませんか?-- 2006年7月18日 (火) 05:13 (UTC)
まず大前提ですが、予備投票 (poll) はあくまで名称案が百出する状況を収拾するためです。多数の案が並立して、議論では絞り込めないような状況であれば poll により泡沫候補は消せるでしょう。数個程度になれば、拘束力を持つ本投票 (vote) で決着を付けることも可能です。7月9日から13日にかけて、みっちさん、PeachLoverさん、っさんから続々と新しい案が出された状況から収束へ舵を切るべく poll を提案しました。
しかし、議論によって、案が数個程度に収束していれば poll で逆に発散させる(思い付き提案を促進する)虞がありますので、風向きをよく見て poll 発動を決める必要があります。今は収束に向かっているように思われます。議論で一本化ないし、せいぜい数個程度に落ち着きそうですね。 --Kanjy 2006年7月19日 (水) 13:03 (UTC)
私がかき混ぜてしまったかもしれませんf^^;。が、現状で「収束に向かっている」点については同意します。少し早いですが、候補の絞り込みについて提案します。ひとつは、original researchの日本語案として、旧来の「独自の調査」、井戸端告知前に落としどころとして提案された「オリジナルリサーチ」、その後の提案で賛同が得られた「独創的研究」の3点。もうひとつは、Noの部分で、「-の排除」、「-を載せない」、Noはあえて訳さない、の3点あたりに絞ってよいかと考えます。これらの組み合わせで9通りですが、個人的には、議論の流れからあとひとつずつ絞って、「オリジナルリサーチ」と「独創的研究」(「独自の調査」の意味を兼ねると解釈)、「-の排除」と「-を載せない」の比較(三大方針の並びから訳すという立場)に集約できないかと思いますが、いかがでしょう。投票には反対しませんが、しないですめばそれにこしたことはないとも思います。--みっち 2006年7月21日 (金) 04:28 (UTC)
しばらく間が開いてしまい、すみませんでした。
みっちさんのご提案によれば、次の9つですね?
独自の調査の排除 独自の調査を載せない 独自の調査
オリジナルリサーチの排除 オリジナルリサーチを載せない オリジナルリサーチ
独創的研究の排除 独創的研究を載せない 独創的研究
さて、議論の中で、少しでもわかりやすく表現したいという方向と、少しでも正確に表現したいという方向と、2つの方向があるように思います。その間のどの辺で折り合いを付けるかも、ひとつの目安かもしれませんね。-- 2006年7月24日 (月) 12:51 (UTC)
後になって申し訳ないですが、個人的には候補の中に「未発表研究」あたりも残して欲しかった気もします・・・。O^tsuka 2006年7月26日 (水) 14:18 (UTC)

排他法で[編集]

ええと、また議論が止まってしまったんですが、角度を変えて、「この訳は絶対に許せない」を理由付きで述べていただくというのはどうでしょうか。上の3×3の項目を書きますから、お願いします。投票は#(反対)理由--~~~~で。-- 2006年7月26日 (水) 13:26 (UTC)

original researchの訳語部分については、カッコでくるむのが望ましい。--Ks aka 98 2006年7月26日 (水) 13:44 (UTC)

original research[編集]

独自の調査[編集]
  1. (反対)「調査」では一次調査に限定して解釈されそう。「独自」はok。--Ks aka 98 2006年7月26日 (水) 13:44 (UTC)
  2. (反対)originalを逐語訳したことによるものと思いますが、いらぬ誤解を招くのではないでしょうか。S kitahashi(Ple')2006年7月26日 (水) 16:03 (UTC)
オリジナルリサーチ[編集]
  1. (反対)オリジナルもリサーチも、日本語の辞書に載っているカタカナ語で、それぞれ「独創的、原作」、「調査研究」などとされています。original researchをオリジナルリサーチとした時点で同義性は失われており、誤解を招くという点で他の日本語案より勝るものではありません。むしろオリジナルリサーチとすることで、誤解以前の、言葉の意味さえ汲み取ろうとしない身勝手な投稿を広げる弊害が考えられます。--みっち 2006年7月27日 (木) 00:46 (UTC)
独創的研究[編集]
  1. (反対)一般的に言われる「研究」はそもそも独創的なものであるとかなんとか、初心者が誤解するおそれありと考えます。S kitahashi(Ple')2006年7月26日 (水) 16:03 (UTC)

No[編集]

の排除[編集]
を載せない[編集]
(訳出しない)[編集]
  1. (反対)Original research を要求する方針との誤解を防ぐため、否定表現は必要。「中立的な観点」「検証可能性」と並ぶことになるので。 --Kanjy 2006年7月26日 (水) 13:40 (UTC)
  2. (反対)Kanjyさんと同意見です。--みっち 2006年7月27日 (木) 00:46 (UTC)
  3. (反対)理由は、Kanjyさんと同じです。--Sloop25 2006年7月27日 (木) 05:27 (UTC)

オリジナルリサーチを制限される対象は「誰」?[編集]

【ウィキペディアはオリジナルなリサーチの発表の場ではありません。出典を明記することとオリジナルなリサーチを避けることは、密接にかかわり合っています。オリジナルなリサーチではないことを検証可能な形で証明するには、その記事の主題に直接関連のある、信頼のおけるソースの出典を記し、そのソースに記された内容に忠実に記述することです。】という記述を拝見して疑問に思ったのですが、これは

【ウィキペディアはWikipedianによるオリジナルなリサーチの発表の場ではありません。出典を明記することとWikipedianによるオリジナルなリサーチを避けることは、密接にかかわり合っています。Wikipedianによるオリジナルなリサーチではないことを検証可能な形で証明するには、その記事の主題に直接関連のある、信頼のおけるソースの出典を記し、そのソースに記された内容に忠実に記述することです。】
【ウィキペディアは全人類によるオリジナルなリサーチの発表の場ではありません。出典を明記することと全人類によるオリジナルなリサーチを避けることは、密接にかかわり合っています。全人類によるオリジナルなリサーチではないことを検証可能な形で証明するには、その記事の主題に直接関連のある、信頼のおけるソースの出典を記し、そのソースに記された内容に忠実に記述することです。】

のどちらなのでしょうか。ルールの全体を拝見する限りは前者の規制を行っているようなのですが、ノートの全体を拝見する限りでは後者の規制を行っているように見えます。果たしてこのルールは「誰」のオリジナルリサーチを制限しているのでしょうか……その点について、ルールを読んでも把握できませんでしたので、どなたかお教えいただけますでしょうか。 -- かえで 2006年7月16日 (日) 16:39 (UTC)

かえでさんの疑問については、まず「オリジナルリサーチ」の定義を確認したいと思います。Wikipedia:独自の調査#オリジナルリサーチとは何か?に示されているように、ウィキペディアにおける「オリジナルリサーチ」とは、「ウィキペディア編集者がウィキペディアに寄稿した情報のうち、未だ信頼のおける媒体において出版されたことがないものを指すウィキペディア用語」であり、「未発表の理論、データ、言明、概念、議論」や「ある立場を押し進めるような、ウィキペディア創始者の一人であるジンボ・ウェールズの言葉を借りれば「奇抜な叙述あるいは歴史解釈」となるような、発表済みのデータ、言明、概念、議論の新たな分析・統合」を意味するものです。
また、「ウィキペディアン」とは、Wikipedia:ウィキペディアンにあるとおり、「ウィキペディアの執筆者・編集者」のことです。ウィキペディアに記事を書いたり、記事を編集したりする人は、すべてウィキペディアンととらえられます。
以上の定義からすると、かえでさんが挙げられた二つの捉え方は、同じことを言っているのではないでしょうか。なぜかというと全人類の誰であっても、ウィキペディアに記事を投稿しようとすれば、その人はウィキペディアンと見なせるからです。つまり、誰であっても、「信頼のおける媒体において未発表の理論、データ、言明、概念、議論」や「ある立場を押し進めるような発表済みのデータ、言明、概念、議論の新たな分析・統合」をウィキペディアに投稿することは認められないのです。--Sloop25 2006年7月16日 (日) 19:54 (UTC)
こちらでも早速ご回答頂きありがとうございます。どうも、私が書いた質問の仕方(というか、疑問を感じた範囲ですね)が不明瞭だったようで……もう一度私が感じた疑問について、書かせていただきたく思います。Wikipedia:独自の調査#オリジナルリサーチとは何か?についても、まったく同じことが言えます。この節全域に用いられている「オリジナル」の前に、「Wikipedianによる」もしくは「全人類による」を付加したとして、それでも意味は同じになるのでしょうか。Wikipedia:独自の調査#オリジナルリサーチとは何か?において冒頭の文章は「それのみを抜き出して説明を完了できる代物ではなく」Wikipedia:独自の調査#一次資料と二次資料とセットで説明を成しているので、ゆえに「Wikipedianによる」もしくは「全人類による」のどちらなのかを知りたかったのです。仮にこれが(「Wikipedianによる」ではなく)「全人類による」を前置することを許容するならば、Wikipedia:独自の調査#一次資料と二次資料冒頭にある【一次資料をなすオリジナルリサーチは排除されています。しかし、一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチは、もちろん強く奨励されています。ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。そうした記述は「オリジナルリサーチ」には当たりません;それは「ソースに基づいたリサーチ」であり、百科事典の執筆には基本的なことです。】を始めとしてWikipedia:独自の調査#一次資料と二次資料の記述はきわめて意味が不明瞭になると感じています。また、同じことがWikipedia:独自の調査#何が除外されるかWikipedia:独自の調査#なぜオリジナルリサーチを排除するのかWikipedia:独自の調査#ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな統合の例Wikipedia:独自の調査#専門家の役割Wikipedia:独自の調査#関連する基本方針とガイドラインにも当てはまります。私はこのルールの「意図」を捉えたいのであって、「他のルールとからめた運用結果」については、この疑問が解決してから改めて考えてみたいと考えております。そのためお手数おかけし恐縮ですが、できればWikipedia:独自の調査の範囲に限って(他のルールに依存せずに)言及いただけますと助かります。 -- かえで 2006年7月17日 (月) 07:40 (UTC) 履歴追記(版2006-07-17 07:40:42(UTC)において、Wikipedia:独自の調査の版「2006-07-08 17:55:09(UTC)」から引用。) -- かえで 2006年7月17日 (月) 07:55 (UTC)
出典の明記に言及していることから行っても、ここでいうオリジナル・リサーチというのは、一定の権威のある媒体にすでに発表されていたり、それに準じる評価を社会的に受けているものではない、ということでしょう。いいかえれば、一定の社会的な振り分けをすでに経ているかどうかということです。したがって、「すでに有名であって、理論としてではなく社会現象として言及に値する」ものを除いて、「学者共同体による承認か、それに準じる社会的評価・社会的検証をすでに受けている」もの以外は独自調査とみなされるものだと思います。ウィキペディアは学者が参加者であることが要件ではないので、その説の真理性自体を、学問的水準に踏み込んで問題にするべきではありません。専門外の素人による議論になるからです。しかし、振り分けはしなければならない。したがって、この基準が存在するのだと思います。素人は、とくに先端分野では、説自体の当否では誤り易いけれども、その説が学問的に承認されているかどうかの検証では誤りにくいものでしょう。--Clinamen 2006年7月17日 (月) 07:53 (UTC)(読みやすくするため、Clinamenさんの署名の位置を変更させていただきました。--Sloop25 2006年7月18日 (火) 00:56 (UTC)
「オリジナル・リサーチ」は、「ウィキペディア編集者がウィキペディアに寄稿した情報のうち、未だ信頼のおける媒体において出版されたことがないもの」ですから、リサーチの主体は全人類で、(1)未発表のリサーチ、(2)信頼できない媒体によって発表されたリサーチ、(3)信頼のおける媒体において出版されたことのあるリサーチの三つに分類される。これらのうち(1)(リサーチの主体が投稿者である場合を含む)および(2)を根拠としてウィキペディアに寄稿されたものを「オリジナルリサーチ」と呼ぶということになると思われます。
引用部分は次のように解するのが妥当かと思われます。【ウィキペディアンによる、または誰かが行ったものでも未発表または信頼のおける媒体において出版されていない一次資料をなすリサーチの、ウィキペディアへの投稿は排除されています(=オリジナル・リサーチ)。しかし、信頼のおける媒体で発表済の一次資料や二次資料からウィキペディアンが情報を集めて整理するリサーチのウィキペディアへの投稿は、もちろん強く奨励されています(=オリジナル・リサーチには当たらない)。ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。そうした記述は「オリジナルリサーチ」には当たりません;それは「ソースに基づいたリサーチ」であり、百科事典の執筆には基本的なことです。】
「一次資料と二次資料」からの引用部分の意味が不明瞭になるのは、むしろ統合との関係かと考えます。--Ks aka 98 2006年7月17日 (月) 10:52 (UTC)(署名追記)

どんな統合がオリジナルリサーチなのか[編集]

というわけで、ちょっと長くなってしまいますが。

「2 何が除外されるか」では、新しい理論、解決法、概念、用語などを導入することを除外すると同時に、以下の二つが除外されています。

  他の概念や理論、議論、立場を反駁あるいは支持する議論を、その議論に関する信頼のおけるソースを何も提示すること無く導入する。

  編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、議論を分析・統合するような議論を、その分析・統合の出典を明記せずに導入する。

最初の項目については、特定の立場に立つ内容については信頼できる典拠を示さなければいけないということでしょう。

二つめの項目は、編集者が好む立場を支持するような内容については、単なる情報だけではなく分析・統合など情報の扱い方についても信頼出来る典拠を示すことを求めています。

「1.1 一次資料と二次資料」には、「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチは、もちろん強く奨励されています。ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。そうした記述は「オリジナルリサーチ」には当たりません;それは「ソースに基づいたリサーチ」であり、百科事典の執筆には基本的なことです。」という文章があり、「新たな統合」を除外するのではなく、「特定の立場を支持する形で出典を明記せずに記述すること」が除外される理由と解するべきかと思われます。

他方、「3 なぜオリジナルリサーチを排除するのか」では、次のような記述があります。

「この方針は編集者び個人的観点、政治的意見、発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する議論や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・統合するようなことも排除します」

これも同様に、「そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する議論や定義を支持するような形で」ということでは理解出来ますが、上記文章は以下の文へと繋がります。

「つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」

これらは、「つまり」で接続されるべきものではありません。「つまり」以降には「支持するような形で」という限定がありません。解釈・統合を含む「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」とするならば、「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチは、もちろん強く奨励されています。」と矛盾します。

「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」ということを厳密に守るのであれば、ウィキペディアは既存の文章を、全体の構成や内容を保ったままで細部の表現を変えて書き写したものとなってしまいます。また、物理学や歴史学の事実、意見、解釈、定義、議論については、信頼出来る出版物が特定出来ますが、ウィキペディアの項目には大衆文化的なものも多く、これらについては一次資料をもとに論理的かつ中立性を意識しながら整理し、他の編集者による検証を受けることで有用な記事となっていきますが、「信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表」されていることが求められるならば、ほとんどの記事は除外されてしまうでしょう。この矛盾について、どのように解釈するかについては、ノートでの合意あるいは他の正式文書などによる特定が必要かと思われます。--Ks aka 98 2006年7月17日 (月) 09:10 (UTC)

「大衆文化的なもの」なんて、この原則を厳密に適用すれば突っ込んだことなんて何も書けないんじゃないでしょうか。テレビ番組の記事なんて、サブタイトルと登場人物名だけを書き写したような記事がやたら多いと思ってましたが、信頼のおける媒体に載ったこと以外は書くなと言われたら、たしかに主人公の性格についてなんて書くわけにはいきませんしね。えの 2006年7月19日 (水) 17:55 (UTC)
この No original research 方針が良い方針か否か、どのような方針であるべきか、について様々な利用者が様々な考えを持っていることと思います。しかし、この方針はウィキペディア日本語版コミュニティの合意で覆すことが許されておりません。しかも、中立的な観点および検証可能性と相互補完的なものであり、この方針を単独で解釈すべきではありません。
大衆文化に関して、百科事典的でない単なるナレッジベース的な内容が大量に執筆され蓄積されてしまっている、ということはないでしょうか。この状態をにわかに改善することは難しいでしょうし、性急に機械的に各記事を破壊して回る行為には警戒が必要でしょう。ただ、本来はウィキペディアにあるべきでない内容が大量にあり、ウィキペディアの姿が本来あるべき姿からずれているのではないか、と私は考えますが、いかがでしょうか。 --Kanjy 2006年7月20日 (木) 04:09 (UTC)
同意します。先日さる所で話を聞いたところによれば、絵画やクラシック音楽などを純粋芸術、テレビ番組などを大衆芸術、そして一般の人の表現を限界芸術──たとえば落書きやアルバム写真など──というらしいですが、大衆芸術・限界芸術は本来ウィキペディアの守備範囲外なんじゃないかと思います。S kitahashi(Ple')2006年7月20日 (木) 06:20 (UTC)
えーと、オフトピック気味になりますが、純粋芸術だろうが大衆芸術だろうが限界芸術だろうが、三大原則に従う限りにおいては、すべてウィキペディアの守備範囲「内」でしょう。例えば「テレビ番組学会」が設立されて査読付雑誌が出されたなら、それを元に書かれた記述を排除する理由は何もないですから。「大衆芸術論」でも「まんが学」でも、ヒトが関わりうる事象はすべて「百科」足りうるわけで、「本来ウィキペディアの守備範囲内」になる主題かと(というわけで、元のKs aka 98さんの議論に戻る)--Y tambe 2006年7月20日 (木) 09:56 (UTC)
脇から失礼します。邪魔にならぬようこの辺りで。 S kitahashiさんはじめまして。「大衆芸術・限界芸術は本来ウィキペディアの守備範囲外なんじゃないか」ということですが、これは管理者としてのポリシーなのか、それともただの雑談かどちらですか?・・・と突っ込まれても仕方ないくらい、軽率な発言をされたのは、ご自身でお気づきでしょうか。現在、Wikipediaの方針を決めるページで議論をしているわけですから、ご自身のWikipediaにあるべき記事・あるべきでない記事などの考えを書きたいのであれば、ご自身の利用者ページなどでどうぞ。もし、本当に「範囲外であるからして今後は落書きジャン・ミッシェル・バスキアも)や攻殻機動隊(映画を上回る、日本の文化的輸出物です)は削除するべきであるとお考えであれば、「さる所で聞いた話」の出典を明らかにした上で削除依頼へどぞ。もしくは、別の場所で議論をお願いします。以上お邪魔しました__Okc 2006年7月21日 (金) 09:51 (UTC)
まずあなたは管理者に対する幻想から改めるべきでしょう。Tietew 2006年7月24日 (月) 09:55 (UTC)

インデントも戻して、と。

ご意見ありがとうございます。ええと。大衆文化的なものについてよりも、まず、この矛盾をどう解決するか、というのが先だと思われます。

「この方針は編集者び個人的観点、政治的意見、発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する議論や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・統合するようなことも排除します。つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」とするならば、特定の立場を支持するような形ではなく、かつ出典を明記したとしても、複数のソースから得た事実を統合することは、既に発表されていなければ記述できないということになってしまいます。これは、「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチは、もちろん強く奨励されています。」と矛盾しているように思えます。

特定の立場を支持するような形ではなく、かつ出典を明記していれば、複数のソースから得た事実を統合して記述することは可能という解釈でいいのか、ということを確認させてください。そのような解釈でよいのであれば、英文では「主題」は「topic」とあり、訳語として「話題」を選ぶなら、さほど違和感はないような気もします。大袈裟に捉えすぎなのかもしれません。あるいは、「統合」と「整理」の指す違いが明示できるとだいぶ変わると思うのですが。--Ks aka 98 2006年7月20日 (木) 16:41 (UTC)


Ks aka 98さんの挙げられた疑問点について私見を書かせて頂きます。まず、Ks aka 98さんがすぐ上のご発言の中で「」付きで引用されている部分の和訳は一部正確でない部分があることに気づきました。
この部分の原文、現在の和訳、改訂訳(私案)を順に示します。(以下の説明のため強調を付加しています。)
(原文)It also excludes editors' personal views, political opinions, their personal analysis or interpretation of published material, as well as any unpublished synthesis of published material, where such a synthesis appears to advance a position or opinion an editor may hold, or to support an argument or definition s/he may be trying to propose. That is, any facts, opinions, interpretations, definitions, and arguments published by Wikipedia must already have been published by a reliable publication in relation to the topic of the article.
(現在の和訳)この方針は編集者の個人的観点、政治的意見、発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する議論や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・統合するようなことも排除します。つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。
(改訂訳(私案))この方針は、編集者の個人的観点、(編集者の)政治的意見、編集者が支持しているかもしれない立場や意見を推し進めたり、編集者が提唱しようとしているかもしれない議論や定義を支持するような(形での)発表済みの情報の発表されていないすべての統合はもちろん、編集者の個人的分析や解釈も排除します。つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。
改訂訳として分かりにくい直訳しかできなくてすみません。この改訂訳のポイントは、強調部分を、
「そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する議論や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・統合するようなことも」
と付加的に訳すのではなく、as well as~が「~はもちろん」とか「~は当然として」といった意味を持つ慣用句であることから、
「自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する議論や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・統合するようなことはもちろん」
と訳していることです。この改訂訳の方が強調部分の意味をより正確に訳しているものと考えます。
この改訂訳が正しいとすれば、上記の英文は独自の調査としては次の4点が排除されることを意味します。
  • editors' personal views-編集者の個人的観点
  • (editors' )political opinions-(編集者の)政治的意見
  • their personal analysis or interpretation of published material, as well as any unpublished synthesis of published material, where such a synthesis appears to advance a position or opinion an editor may hold, or to support an argument or definition s/he may be trying to propose.- 編集者が支持しているかもしれない立場や意見を推し進めたり、編集者が提唱しようとしているかもしれない議論や定義を支持するような(形での)発表済みの情報の、発表されていないすべての統合
  • 編集者の個人的分析や解釈
次に、「特定の立場を支持するような形ではなく、かつ出典を明記していれば、複数のソースから得た事実を統合して記述することは可能という解釈でいいのか」という疑問についてなのですが、ある統合それ自身が未発表のものであれば(ある統合それ自身が出典を持たなければ)、やはりそのような統合はウィキペディアでは認められないと考えます。なぜならany unpublished synthesisとあるように「出典のない、いかなる統合」も認められないからです。
そこで、「一次資料や二次資料から情報を集めて整理するリサーチは、もちろん強く奨励されています。」との関係なのですが、これについては「整理」と「未発表の統合」を次のように考えれば整理できると思います。「整理」とは、発表済みの一次資料(情報やデータ)や二次資料(他のソースから取得した情報やデータの概括、分析、統合、解釈、評価)を百科事典の読者が理解しやすいよう並べ替えたり、要約して示すことなのだと考えます。これに対して、「未発表の統合」とは発表済みの一次資料や二次資料を組み合わせることにより、新たに発表されていない内容を生み出すことなのではないでしょうか。ウィキペディアは百科事典であり、それは既存の知識を整理して提供するものなのだと思います。信頼できる情報源から発表されていない新たな内容は、それがたとえノーベル賞やピューリッア賞を取るような優れたものであっても、ウィキペディアの対象とはならないとされていることからもこのような理解は正しいものと思われます。
では、具体的な記述が「整理」なのか「未発表の統合」なのかという点なのですが、これについての判断基準は原則として、その内容の信頼できる出典を示せるかどうかによるのだと思います。ウィキペディアの内容の正確性は書かれている内容そのものによることはできません。なぜなら、どんな内容でも書くことができるのであり、読者は記事の内容それ自体を検証できるとは限らないからです。このため、ウィキペディアではその内容の正確性を、その出典が信頼できるものであることに求めています。換言すれば、ウィキペディアの内容の正確性は、信頼されるとされる出版社や報道機関による検証過程に依存しています。したがって、ウィキペディアのある記事が「(信頼できる)一次資料や二次資料から情報を集めて整理したリサーチ」であれば、その記述について信頼できる出典が示せるはずです。逆に、もしもある記述について信頼できる出典が示せないとすれば、それは「独自の調査」として排除されるものに該当するのだと考えます。Ks aka 98さんの挙げられた疑問点に対する答えは以上のようなものになると考えております。
なお、私の以上のような理解が正しかったとしても、「どのようなものが信頼できる情報源と認められるか」という問題や、ある記述が「(1)何らの専門知識がなくとも合理的な人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できると言える記事や、(2)分析、統合、解釈、評価を全く行っていないような記事」として認められるのかといった問題が残されていると思います。そして、大衆文化などの信頼できる情報源(出典)が求めにくい分野について考える場合、これらの残された問題が重要な論点となるものと考えます。--Sloop25 2006年7月26日 (水) 15:33 (UTC)

英語上の疑問ですが、 as well as any unpublished synthesis of published material, where such a synthesis appears to advance a position or opinion an editor may hold, <略>. について、逐語訳的に言い換えると「あらゆる発表されていない統合、それは編集者が保持していると思われる立場や意見に有利に思える、そのような統合」とはならないですか? であるならば、このanyには条件付けがなされていることになるのでは? 

もうひとつ。同じ「研究」という訳語をあてるとしても、「リサーチ」は、たとえば「スタディ」と比較して、より学術的なイメージがあるように思いますが、この点についてはいかがでしょう。 この差異が英語では一般に認識されているようであれば、ずいぶん意味合いが変わってきます。--Ks aka 98 2006年7月26日 (水) 18:46 (UTC)

本筋のほうで。「整理」なのか「未発表の統合」なのかについてですが、未発表の統合であっても、信頼出来る出典を示すことは可能なのです。Aという事柄をaという文献から、Bという事柄をbという文献から引き、いずれも信頼出来るとしても、AとBを同じ文脈で並べることが適切ではないような場合、これは未発表の統合であり、排除される「オリジナル・リサーチ」に該当します。相対性理論は嘘だった系の論証はこのようなものです。この場合、同じ文脈におけるかどうかということも専門的な内容となり容易に検証することは困難ですから、併置することについても出典が求められることは理解出来ます。しかし、これは信頼出来る情報を整理することと、同じ構造なのです。複数の信頼出来る資料から「整理」して記述を行うことは、そこに新しい内容を明示しなくとも(ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな統合の例では、編集者は個人的意見を露わにしてはいません)、新しい内容を指し示すことになりえますし、並べ替えたり要約するにしても、その並べ替えや要約にも、それ自体新しい内容を生み出す可能性があり、である以上、信頼出来る出典がなければ信用出来る記述ではない、ということにはなりませんか? 
記述に現れる事柄について信頼出来る出典を必要とするだけではなく、あらゆる「二つの信頼出来る事柄をどのように並べるかと言うこと」についても信頼出来る出典が求められるというのは、かなり記述を限定します。--Ks aka 98 2006年7月27日 (木) 19:58 (UTC)
まず、Ks aka 98さんの触れられているある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな統合の例では、「もし元のソースを常に参照したというジョーンズの主張が偽りならば、それは出典を明記するのは実際に参照したソースに限るとしているChicago Manual of Styleおよびハーバード大学生用論文の手引きで推奨される慣行に反する。」という部分が、出典に裏付けられていない新しい内容だと思います。この例に関する説明文の後の部分では、この部分に出典が必要だと解説されていますので。
確かにKs aka 98さんのおっしゃるとおり出典のある情報の整理や要約、並べ替えによって、新しい内容が生み出される可能性はあると思います。しかし、新しい内容を生み出す可能性があるから、信頼できる出典がなければ整理等もできないというのは極端すぎるのではないでしょうか。個別の記述について、新しい内容を生み出しているかどうかを判断し、新しい内容を生み出しているのであれば出典が必要ということになるのだと考えます。
言い換えると、ある整理などが新しい内容を生み出した場合、その整理自体が、新しい「二次資料」となり、したがってやはり「独自の調査」となるのだと思います。このような考え方は、窮屈なものだとも思えますが、検証可能性を満たすためにも必要なのだと理解しております。--Sloop25 2006年7月27日 (木) 22:33 (UTC)

Research[編集]

いまさらながら…ODEによれば、事象(fact)を組み立てて新しい結論を導くための体系的な調査(investigation)および学習?(study)、という感じでした。リサーチは結論をその射程に入れている語のように思います。何かのご参考になれば。S kitahashi(Ple')2006年7月26日 (水) 19:04 (UTC)

英語の訳についてですが、「,where~」は関係副詞の非制限用法であり、「そしてそこで(に、へ)」という意味になるということですから(ジーニアス英和大辞典)、
as well as any unpublished synthesis of published material, where such a synthesis appears to advance a position or opinion an editor may hold, or to support an argument or definition s/he may be trying to propose
の部分の逐語訳は、「発表済みの情報の、発表されていないあらゆる統合、そこでは、そのような統合は、編集者が支持しているかもしれない立場や意見を推し進めたり、編集者が提唱しようとしているかもしれない議論や定義を支持するように見える、はもちろん、」というものになると思います。つまり、where~以下の部分は、any unpublished synthesis of published materialを条件付けているのではなく、説明しているのだと考えます。逐語訳をしてみて、私が上に書いた改訂訳も正確な訳でないことに気がつきました。
また、「リサーチ」と「スタディ」の違いについてなのですが、私自身はあまり意識していませんでした。Collins COBUILDを調べてみたところ、Researchとは「あることを研究し(study)、それに関する事実を見つけだそうとこころみること」とありました。また、Studyについては、「ある特定の主題(学科)を学習すること」という意味や「ある主題に関する一つのResearch」という意味が示されていました。後者の意味は、ある主題に関するResearch全体のうち、個々のResearchをSuudyと呼ぶということなのだと思います。そうすると、いわゆる「学習」という意味を除く「研究」という意味では、両者はかなり似た意味を示しているように思われます。--Sloop25 2006年7月27日 (木) 05:13 (UTC)

なるほどー。ありがとうございました。たとえば文化研究(群)はカルチュアラル・スタディーズなのですよ。これがリサーチではないのならば、ソースを引いてある立場に偏ることなく記述する道が開けると思ったのですが。--Ks aka 98 2006年7月27日 (木) 19:08 (UTC)

学者、機関、メディアの“立場”[編集]

Wikipedia:出典を明記するとも関連して、2点、広く知りたいことがあるので、提示してお伺いします。文言として引かせていただきまして、たとえばノート:日本の民族問題にて、Hermeneusさんが「社会的に定評のある学者や機関、メディアの発表している解釈や意見を引きつつ解説を書くのが基本」とおっしゃられております(2006年5月20日 (土) 23:34 (UTC))。まったくそのとおり、と私Uryahは思います。そのうえで、2点、広く意見を知りたいので、以下を掲示させていただきます。

  1. 引いてくる原典が、“学会の論文” と “たとえばブルーバックス講談社現代新書岩波新書” では、意味・価値に違いはありますか?
  2. 学会論文” または “たとえばブルー・バックスや講談社現代新書や岩波新書” を引いてきた場合、wikipediaの執筆者がその単論文・単本についてのみ知っていた場合には、「誰々によるとこれこれということになっている」「誰々はこう言っている」と引くことになると思いますが、wikipediaの執筆者が“学会の全体像”または“市販の自然科学書・社会科学書の全体像”を知っている場合には、その姿を掲示して引く必要があるでしょうか?

Uryah 2006年5月23日 (火) 14:09 (UTC)

前者はものによると思います。価値は読者が判断するのだと思います。後者は中立的な観点との兼ね合いからもその方が有難いです。ただその評価が編集者の意図で変わったりそれが元で編集合戦になったりする現状もありますが。johncapistrano 2006年5月23日 (火) 14:19 (UTC)
コメントをありがとうございます。単論文・単本についてのみ執筆者たちが知っていて引いてきた場合には、その価値・優劣をwikipediaの執筆者が判定するのではなく、「○○はこう言っている」「××はこう言っている」と併記して引くのが百科事典ですよね?論文や本の引き方という意味では、たとえば引きこもり 2006年5月21日 (日) 12:32 の版が良い例だと私は考えます。全体像を示す(示せる)場合には、その出典が必要ですよね。特定の大学・研究機関の紀要が全体像の根拠になり得るのか、あるいは学会には、その役割を果たせる全体を俯瞰する何か目録のようなものが在るのか(定期的に発行されて用意されているのか)私は判りませんが、出典として根拠を示すことが必要です。引いてきたwikipediaの執筆者が「私は知っている。それによれば~」では、全体像の根拠にはなりません。Uryah 2006年5月24日 (水) 11:18 (UTC)

広くと言うことですので、私も一言。つまり、誰が言っているのか、明示することが必要だ、と言うことに尽きると思います。johncapistranoさんのおっしゃるとおり、そこが明示されていれば、読者が判断できます。その判断は、執筆者がするのではなく、ということです。だから、「何年何月何日に○○学会で某はこう発表した。しかし、何年何月何日に何社が発行した誰々著の「○○」にはこう書いてある。一方、....」というようになっていくのではないでしょうか。学会の全体像の件も同じで、全体像というものが唯一の国際学会で満場一致で可決されたとでも言うのならともかく、そうでもない限りは、誰々の説ではこう[1]、誰々の説はこう[2]、それを誰が支持していて[3]、.....となっていくのではないでしょうか。([1]などからは、その論拠にリンクされていくわけです。)-- [Cafe'] [Album] 2006年5月29日 (月) 09:34 (UTC)

コメントをありがとうございます。「誰が言っているのか、明示することが必要だ、と言うことに尽きる」「判断は、執筆者がするのではなく」「読者が判断」「誰々の説ではこう[1]、誰々の説はこう[2]、それを誰が支持していて[3]、.....となっていくのではないでしょうか」、まったく同感します。johncapistranoさん、っさん、ありがとうございます。Uryah 2006年5月29日 (月) 12:52 (UTC)

引用との絡み[編集]

#学者、機関、メディアの“立場”」の項とも関係してくることなのですが、日本の著作権法は GFDL との相性がとても悪く、日本語版では可能な限り引用を避けてきた、という事情があります。引用を合法的なものにするためには、引用する側とされる側とに、明確な主従関係が認められなければなりません(引用を参照)。しかし、単に各所から引用してそれを羅列するだけで、明確な主従関係が認められるかというと、なんら解説を付加せずに利用した場合には対等な関係であるとみなされ、「主従関係が認められず、従ってその引用も違法である」、との結論を生み出しかねません。そして、その解説までが他所からの借用であるならば、さらに問題をこじらせますし、かといってそれを避けるために自身の解説を加えるならば、「理論の統合」とみなされかねません(もちろんこれは日本の著作権法との絡みなので、日本語版だけが抱える問題です)。

今まで私自身は、合法的な仕方であれば引用も可能であろうとの見解であったのですが、この文書が正式に運用されたならば、PDではない文書からの引用は、事実上不可能になるものと考えます。--Rigel 2006年7月17日 (月) 04:02 (UTC)

著作権法との絡みでいうと、
適法な引用であれば、その引用を含む著作物をどのように利用・使用しても、原著作権者の権利は制限されています。また、GFDLは自由な改変・編集を許諾していますが、引用されている部分および引用の要件を成立させている部分を編集する場合に、編集後も引用の要件が成立した状態であることは、著作権法によって要請されるものであって、GFDLは法に違反しない範囲において許諾しているにすぎません。したがって、引用の要件を満たした状態を維持するかたちでという制約の中で自由な改変・編集が許諾されているのです。引用とGFDLについての議論は、法的な問題ではなく、著作権侵害になりやすいという状況下でウィキペディア内部のルール作りをどうするかという問題ではないかと考えます。
他の著作物の一部の羅列は、明らかに引用の要件を満たさず、著作権を侵害していると考えられます。引用を必要とする解説があり、全体として引用の要件を満たしていれば、その内容が「他所からの借用」であるかどうかは問題をこじらせません。その表現が借用であれば著作権侵害です。「自身の解説」を加えることは、「理論の統合」ではなく「オリジナルリサーチ」の問題として避けるべき問題です。
また、「理論の統合」は、それ自体が排除されるべきものではなく、「ある観点を推進するような」ものが排除されるべきというのがこの文書の記述の意図であると思われますが、文書の記述は曖昧なところがあります。この点については別のところに。
したがって、この文章の正式化は引用の是非に本質的な影響を及ぼさないと思われます。--Ks aka 98 2006年7月17日 (月) 09:10 (UTC)
なるほど、上の項(別のところ)による説明で納得しました。しかし、規定が細部にまで及んでいるようなので、全体像を正確に把握するのに苦労しそうです。--Rigel 2006年7月17日 (月) 10:44 (UTC)

大衆文化的なものに関する記述[編集]

セクションを変えた方がよさそうなので。

宮崎アニメのような一部の高尚な作品をのぞき、マンガやアニメやテレビ番組についての研究が権威のある媒体に掲載されることはありえません。その手のものについてのページで「少年の成長を描いた作品である」だとか「管理社会の恐怖を描いた」だとか書くのは全部アウトということになるんでしょうか。実際、作品の中身についての分析が全然なく、「主人公の名前は当時作者が飼っていたネコの名前に由来する」とか、やたら些末なことばかり詳しいページが多いなあと思っていたのですが、それがウィキペディアの目指すものであるなら仕方ありませんけど……。えの 2006年7月20日 (木) 17:27 (UTC)

先行研究がなければ、原則そういうことになろうかと思います。瑣末なことはnotableかどうか議論して、記事を短くする方向へ行くのではないでしょうか。S kitahashi(Ple')2006年7月20日 (木) 18:17 (UTC)
こと、大衆文化に限れば同時代人がどのように感じていたか、後世の歴史の中でどのような評価を得たかを示すのが大事であり、殊更「権威のある媒体に掲載」されていたかどうかにこだわるのは本末転倒のように感じます。ま、サブカルチャー的なものも現在は幅広く出版物に取り上げられているので、それらをもって検証可能性に当てればよいと思います。問題は話題にしたい題材が真にサブカルチャーであり、ほとんど出版媒体で話題に挙げられていない場合が悩ましいですよね。 Masao 2006年7月21日 (金) 03:06 (UTC)
Wikipedia‐ノート:検証可能性でも活発な議論が今繰り広げられているみたいなんで、それを読んで思ったんですが。そもそも、最初にあったのは理想の百科事典を作りたいという思いであった、そのために方針を作った、その方針は多くの分野でうまく通用するように思えたが、うまく通用しないと思われる分野も出てきた、その時どうするか。「そんな分野は排除してしまおう」という考えもあるみたいですが、それは本末転倒ではないでしょうか。百科事典のために方針があるのか、方針のために百科事典があるのか。「オリジナルリサーチの排除」という方針はくつがえすべきだ、とは思いませんが、ある程度運営に柔軟性をもたせることによって対処できないものでしょうか。テレビ番組に関する記事は、ほとんどがくだらない記事ではありますが、その中には面白そうな記事に育つ可能性が感じられるのもあります。「オリジナルリサーチの排除」を厳格に適用して、今すぐ全部芽を摘んでしまうことがいいことかどうか。えの 2006年7月22日 (土) 11:51 (UTC)
テレビ雑誌やアニメ雑誌、新聞の文化欄などを参考文献として載せればいいのではないでしょうか。「権威のある媒体」ではないかもしれませんが、出典元がないよりはましでしょう。「少年の成長を描いた作品である」のような一言は、誰が見てもそう思うなら、執筆者の判断で書いてもいいと思います。作品を一言で紹介する文がないと記事として分かりにくすぎますから。作品内容を詳細に分析する文章は、出典元がないとだめでしょうね。--Kazubon 2006年7月24日 (月) 14:23 (UTC)

この問題は独自調査の方針よりWikipedia:信頼できる情報源の問題ではないかと思いますが、いかがでしょうか。分野によって何を信頼できる情報源として認めるかというのは違うようですし(科学だと一般の新聞も信頼できる情報源とは認められないとか?)。O^tsuka 2006年8月8日 (火) 13:28 (UTC)

私も項目名と内容とのギャップには疑問を持っていました。Wikipedia:信頼できる情報源で書いたほうが適切な話なのではないかと。さて、この方針の内容で私が気になったのは、「もしある観点が顕著な少数派に支持されているのであれば、その著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。」の部分です。インターネットが普及した現在では「顕著な少数派」であっても、著名な支持者の名前を挙げるのが困難なケース(要するに2ちゃんねらーなど)が存在しうるからです。「著名な支持者の名前を挙げるのが困難」なことを理由に、「極めて矮小な(あるいは極めて限定された)少数派」と認定され、「ウィキペディアでは言及するに値しない」とされて削除・抹消されているケースが多いように思えます。この部分は修正が必要かもしれません。--春野秋葉 2006年8月12日 (土) 08:15 (UTC) 一部修正あり
ここで言う「顕著な少数派」というのは、目立つとか特異であるといった意味ではなく、「かなりの数に上る少数派」であると言うことではないでしょうか。そのような「顕著な少数派(かなりの数に上る少数派)」なら、著名な支持者の名前も挙げられるはず、言い換えれば検証可能性をクリアできるはずである、ということではないかと私は思います。逆にインターネット上のみの集まりなどは検証可能性の面からも問題がある場合が多いでしょうし、「矮小な(あるいは極めて限定された)少数派」とされてしまうのだと思います。O^tsuka 2006年8月20日 (日) 01:20 (UTC)

どうも。言い出しっぺです。ちょっと意図と違う方向に流れました。今の議論については、ここは相応しい場所ではないように思います。ついでに書いておくと、「顕著な少数派」というのは、数的には無視してもいい程度ではあるが、その世界で無視できない大物が孤軍奮闘して対抗しているような状況を想定すべきかと。アインシュタインは量子力学を認めなかった、みたいな。これはこれとして議論継続として、最初の意図を書いておきます。

Wikipedia‐ノート:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源の問題として持ち出したものではなくて、ある事柄を記述する際に、査読雑誌や主要新聞などに掲載がない場合は、出典を明記することで対処できます。煩雑であるかもしれませんが、アニメの記事に主要なアニメ雑誌を出典として記述することはかなりの記述を可能にしますし、主要でない雑誌であっても、出典を記しさえすれば、百科事典としての記述として相応しいかなどをクリアしていれば、検証可能性の観点からは許されるはずです。

ところが、オリジナルリサーチにおいては、複数の事柄を記述する場合、双方が検証可能性として問題ないとしても、それらをまとめて記述するということ(=統合)自体に検証可能性を満たすよりも一層厳しい「信頼のおける出版物」での発表が望まれています。

たとえば、邪馬台国がどこにあったかについて、「大和説と北九州説がある」と書いてある文献はあるでしょう。「従来支持を集めてきた大和説と北九州説のほかにもあれ説やこれ説がある」という信頼できる文献がなければ、「あれ説」の掲載を認めないと言うことは、ウィキペディアが採りうる判断の一つとして同意できます。

記事中の例の、「剽窃」について、訳文を読む限りでは、ジョーンズの意見を解説しているようにも思えます。ジョーンズとスミスの論争の記述の元となる資料において、「剽窃」の意味を自明のこととして記述されていた場合、ウィキペディアの読者に対して「剽窃」の意味を他の信頼できる資料から持ち込んで、統合することは許されないのでしょうか。論争における「剽窃」の意味が、シカゴマニュアルなどにおける「剽窃」とまったく異なるものであることが示されているのであれば、この編集者の統合はオリジナルリサーチです。

今書きかけのチンドン屋について例を挙げると、「チンドン屋に先行する形態としてジンタと呼ばれる楽隊広告が存在した」ということが『A』という書籍にあった。堀内敬三の著書に『ヂンタ以来』というものがあり、これを購入し、「ヂンタ」が「ジンタ」と同じように使われていることを確認した。これらを合わせて「『A』によれば、チンドン屋に先行する形態としてジンタと呼ばれる楽隊広告が存在した。堀内敬三の著書『ヂンタ以来』のように、ジンタはヂンタとも綴られることがある」と書くためには、「『A』によれば、チンドン屋に先行する形態としてジンタと呼ばれる楽隊広告が存在した。堀内敬三の著書『ヂンタ以来』のように、ジンタはヂンタとも綴られることがある」という双方の内容に触れた信頼のおける資料『C』が存在しないといけないのか。

「統合」が上の方の説で提案されている「合成」であれば、多少ニュアンスは変わるのですが、NORをどのように受け取るべきかというのが、ぼくの疑問なのです。--Ks aka 98 2006年8月20日 (日) 09:53 (UTC)

とりあえず原語で[編集]

話題を振っておいてこんなことを言うのは心苦しいのですが、私には全く代案をつくる余裕がないのでご勘弁のほどを。タイトルが決まらずに proposedのままになっている のもあまりよろしくないのでは思います。原語Wikipedia:No original researchでとりあえずpolicyに移行してしまって、タイトルについては議論を続けてはどうでしょうか。Tietew 2006年9月4日 (月) 11:05 (UTC)

  • (賛成よりコメント)これから議論を続けるにしても投票へ移行するにしても、さらに数週間の期間を要するものと思います。前回の期間延長提案の際はこれほど長くなると予想しなかったので賛成しましたが、タイトルの問題で1ヶ月以上本来公式の方針であるべきものが草案になっている現状は好ましくないと思います。Ôtsuka 2006年9月5日 (火) 15:59 (UTC)
  • (賛成)ただし仮称「オリジナルリサーチの排除」に本文が合わされているので、最低限の修正が必要ですね。
    1. 本文中に書かれた方針名を、原語 "No original research" に戻す。
    2. 「オリジナルリサーチ」を、原語 "original research" に戻す。
    3. 他の「オリジナル」と「リサーチ」は、暫定的にカタカナのまま放置。
    4. 「排除」を直訳に変更。例えば "not allowed" を「排除されています」から「許されていません」に。
    もう少し意見を集めて本文を修正した上で、方針名とページ名の変更と正式化の合意確認プロセスに移るという段取りが宜しいかと思います。 --Kanjy 2006年9月7日 (木) 04:09 (UTC)
  • (賛成)Kanjyさんの修正案についても賛成。--oxhop 2006年9月8日 (金) 15:07 (UTC)
  • (反対はしない)方針化する際はkanjyさんの暫定的修正案に賛成--Ks aka 98 2006年9月8日 (金) 19:21 (UTC)
  • (反対します)『ウィキペディアで扱える一次情報二次情報とは印刷された出版物のみではない』という問いかけの項目をこの下で展開していますが、その内容を今現在の草稿は解決していないと考えるからです。--FXST 2006年9月9日 (土) 04:53 (UTC)
  • (反対すまい)内容についてのコンセンサスがまだ内容に思えるのですが、とりわけ反対はしません。ただ、上記Kanjyさんの提案については、「オリジナルリサーチ」について、初出時に「オリジナルリサーチ (original research)」として以下は片仮名のままの方がいいような気もします。どうでしょう。-- 2006年9月10日 (日) 14:34 (UTC)
  • (コメント・提案)今回は訳が完璧でなくとも早期に正式化する趣旨ですが、どこをどう修正するという具体案をあと二日ほど集めることを提案します。 2006年9月12日 15:00 UTC (13日 0:00 JST) まで、本文修正の具体案を募集 しませんか。 "publish" には、っさんと FXST さんのお二人が疑問を示されましたが、その改訳ぐらいは可能かもしれません。すぐに決まるような修正案は正式化前に採用し、揉めて長引くような案は正式化と並行して継続審議する、ぐらいの思い切りは必要と思います。 --Kanjy 2006年9月10日 (日) 14:44 (UTC)
  • (反対)訳語すら定まらない段階で公式化することには強い違和感があります。ここでの議論にほとんど加わらなかった者が急に出てきて何を言うと思われるかもしれませんが、訳語が定まらない原因には原文の解釈に揺れがあることもあるようにお見受けします。そのような段階で公式化しては後々混乱の元にならないでしょうか。--モノノハズミ 2006年9月11日 (月) 11:38 (UTC)

本文修正の具体案[編集]

改訳について提案があったものはこんな感じ。

っさん 統合→合成

FXSTさん(印刷物に限定しない表現に)

source 出典→情報源

source ソース→情報源 (信頼される情報源とあるのでそれに統一する)

publish 出版→公表

publish 発表→公表(TV、映画、ビデオなども含まれるのに、発表というと学術的バイアスが強くなりすぎて(学術的であるかどうかではなくて、あくまでpublisherに権威があるかないかである)、それが暗黙に除外される。「定評ある報道メディアで発表し」という表現もあるが、これも含めて公表のほうが適当)

published 出版された→公表された

publishser 発行者→公表者


Ks aka 98 2006年9月8日 (金) 19:16 (UTC)からRigel 2006年9月10日 (日) 01:15 (UTC)の議論

一次資料を生み出すORは許されません。しかし、既に存在する一次資料と(/や)二次資料からの情報を集めて組織することで構成されるリサーチは、もちろん強く推奨されます。

一次資料は、情報やデータを提出(差し出)します。それは、以下のようなものです。考古学的な発掘物;映画(映像フィルム)、ビデオ、写真;日記、人口調査、公聴会の議事録や裁判の記録、インタビューのような歴史的文書;アンケート調査の結果一覧;実験・観察の記録;実地調査の記録。

An edit counts as original research if it proposes ideas or arguments. アイデア(考え/着想/思いつき/思想)や論証を提出する編集は、ORとみなされます。

Sloop25さん 2006年7月26日 (水) 15:33 (UTC)

この方針は、編集者の個人的観点、(編集者の)政治的意見、編集者が支持しているかもしれない立場や意見を推し進めたり、編集者が提唱しようとしているかもしれない議論や定義を支持するような(形での)発表済みの情報の発表されていないすべての統合はもちろん、編集者の個人的分析や解釈も排除します。つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、議論も、信頼のおける媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。

--Ks aka 98 2006年9月11日 (月) 05:28 (UTC)

Wikipeida MLからこの項への参加を表明されている方がいます。[10]をお読みください。-- 2006年9月11日 (月) 12:57 (UTC)

mlに合わせて修正しました。--Ks aka 98 2006年9月11日 (月) 13:32 (UTC)

作業上、コメントアウトを外して原文と対照させ、案が出ている部分がわかるようにしたものをどこかに掲示するのが好ましいと思うのですが、どうするのがよいでしょう? 利用者ページにサブページを作ってとも思ったのですが、GFDL違反になるので…--Ks aka 98 2006年9月11日 (月) 19:09 (UTC)

WP:NORに直接作業してもいいのでは? その方が後で履歴を見たときにわかりやすいと思います。その際、翻訳改訂中であることを文書頭に明記し、すでに運用されていることを考えて改訂開始前の版(つまり現在の版)へのリンクをそこに入れればいいのではないでしょうか。(そっちはいいのですが、このノートページ、いいかげん一回過去ログ化したいですね)-- 2006年9月11日 (月) 23:10 (UTC)
運用的には一度差し替えてrevしちゃうのがいいようにも思うのですが、どんなもんでしょう? 過去ログ化はやったことないので、逃げておきます。「まとめ」か「内容」あたりから先と、一番下の節が残ればいいように思います--Ks aka 98 2006年9月12日 (火) 17:19 (UTC)
それだと改訂をいじるのがしづらくありません? だとしたら、WP:NORを「/改訂」サブページに移動し、移動の残骸に現在の版をコピペするのは? 過去ログ化は、ページのバイトが多くなっているのでと思ったのですが、よく考えたらタイミングとしてはいいタイミングじゃないですね。-- 2006年9月13日 (水) 02:40 (UTC)

ひとまずやってみました。語の訳し直しの案が出ているものは【】でくるみ、上記改訂訳の案が出ているものについては、弱い強調をほどこしたり併記したりしています。読みにくければrevしちゃってもよいと思います。置き換えながら、直しちゃったりしている部分があります。不自然なところや違和感があるところがあれば恐縮ですが差分を取ってみてください。訳で難儀しそうなのはpublicationの訳でしょうか。逐語的にreputableとreliableを区別し、出版物などは情報源に置き換えた全体の訳文も作りつつあります。

ところで>rigelさんは、内容については、ぼくの解釈を受け入れていただいたのでしょうか? その場合、方針のタイトルの訳は、どうするのがよいと思われているのでしょう? 一度書き込みいただけると助かります。--Ks aka 98 2006年9月13日 (水) 17:16 (UTC)

ウィキペディアで扱える一次情報二次情報とは印刷された出版物のみではない[編集]

こちらには、初めて参加いたします。FXSTと申します。まず表題に移る前に、こちらに初めて参加するにあたり少しだけ全体を俯瞰させてください。

ウィキペディアの三大コンテンツ方針

というのは、おそらく科学哲学上の反証主義をある程度踏襲しており、それに還元できる場合が多いと考えます。

2つめのWikipedia:検証可能性というのは、反証主義における反証可能性というのにとても近い概念もしくは同等の概念を指し示していると思います。

3つめのWikipedia:独自の調査を禁止するというのは、オリジナルリサーチ排除の方針の本来の目的は、自論や自分達への注意を引きたいだけのネタ投稿荒らしやトンデモ理論の提唱者に対処することでした。というように、トンデモ理論(科学哲学上の反証主義によりはじかれるターゲットの理屈)を排除したい[11]という根本があります。

この三大方針のうちのこの2つWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自の調査はもっとも相互依存関係が強く、解説している文章の範囲に強い重複が存在します。底流にあるのは常に誰からも信頼される記事を書くことということであり、記事の信頼性を一義においている。そしてその信頼性を担保するものとしてWikipedia:検証可能性があります。

科学的手法においては、すなわち反証可能性を担保している理論だけ扱うということであり、それは実験において反証する ことが可能です。一方、百科事典は科学ではないので、対象とするトピックは科学理論ではなく、実験で反証することはできません。よって、Wikipedia:検証可能性であるのだと思いますが、科学における実験に対応させるものとして、ソース主義を掲げています。そのソースというのをen:Wikipedia:Reliable sources (信頼できる情報源)であると定義づけています。科学においては実験(自然現象でありこのレベルでは議論の余地なし)に完全に白黒つくのにたいして、ウィキペディアが拠り所とするこのソース(その内部における議論の余地は可能性あり)の信憑性についてはその権威に頼るという手法を採用しています。

この信頼できる情報源というのは、より表層の三大コンテンツ方針の根幹を支えるものであり、実はもっとも議論され、明確に定義されなければいけないウィキペディアにおけるルールであると個人的には考えます。私は、なるだけ上位の三大コンテンツ方針の文面において、この信頼できる情報源に文書が還元する、つまり骨組みはここにあると明示すべきであるし、肉のほうで骨議論を展開して議論を拡散するべきでないと観察しています。しかし、このノートページでも疑問、指摘されているように、残念ながら三大コンテンツ方針の文面において、その過失がところどころに散見されており、相互依存しているという名のもとにきちんと骨への還元作業が整理されておりません。重複した内容が違ったニュアンスで違う場所で展開されてしまっています。

さらに、それだけではなく、もっとも「悪い」と観察するのは、この骨=信頼できる情報源のページにおいてでも、また肉のほうの記事を参照せよ、という言い回しが「不注意に」「無批判に」行われているということです。この定義に基づいている上位の肉記事として参照せよという構造的に明確なやりかた、明示的な記述であれば良いのですが、そうはなっておらず、単純に読者は理解を深めるために堂々巡りを余儀なくされてどこが骨でどこが肉であるのか混乱していると思います。どうどうめぐりの末、相互参照の上、「なんとなーくわかったような気がしてきたよ」というのが、明確に議論された結果の三大方針の文面にたいしての感想かもしれません。またこのノートの議論においても見受けられますが、相互のページをあっちこっち巡りながら、拡散されている記述を手がかりに、解釈論に陥りやすいという弊害も観察されます。この三大方針というのは、トンデモ理論のくだりからも明らかですが、英語コミュニティにおいても最初から体系的に設計されたものではなく、共同作業のたたき上げの結果生まれたのであり、科学哲学上の反証主義をある程度踏襲しながらも、上で述べたような構造化作業が十分に行われていないと感じます。

よってまず途中になりますが、提案したい事柄に、信頼できる情報源を根幹とする三大コンテンツ方針であるという位置づけを、もっとなんらかの手段で明確にしたい、ということがあります。少なくとも個々の翻訳作業において、この見解が作業者により共有されているのと、いないのとでは大きな違いを作業結果に生むと考えます。もっとも、最初に書きましたように、現時点ではこの構造化については私の個人的な考察であり、ここにおられる方がどの程度その考察を妥当と判断するか否かというのがまず最初の議論になってくると思います。


さて次に、信頼できる情報源というのが、私は根幹であり、明確な定義を求める方向で活発に議論するべき対象である思っているので、この要素をより精査してみたいと思います。

  • 一次ソース
  • 二次ソース

があり、 その結果

  • 三次ソース

となるウィキペディア記事自体があるという位置づけになっています。

私は、例にもれず、あっちこっち行って、この一次ソース、二次ソースというのがどのようにウィキペディア記事を書くときに扱われるべきか、というのをよくよく調べてみました。具体的には、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自の調査信頼できる情報源と3つのページに渡りこの議論が拡散しているということです。もちろん、上で私が考察しているように、この根本の部分の議論は拡散されているべきではないという考えです。実際に、調べた箇所をここですべてあげると長くなるだろうし、この3つの記事で該当部分は容易に発見できると思います。

まず、もっとも推奨されるのが、二次ソースを利用しろ、です。この信憑性は、そのpublisherの権威に依存しています。

次に、推奨されるのが、一次ソースを利用しろ、です。しかし、この信憑性は、二次ソースよりもpublisherの権威に依存して判断することはより難しいので、かなり慎重に扱えという指令が下っています。もっといえば、publisherの権威に徹底的にすがれという指令が下っています。ある文面では一次ソースの利用は禁止とも読み取れる極めて厳しいニュアンスになっています。このあたりおかしなことにページごとに見解、もしくは翻訳が微妙に異なるのは、議論が拡散している弊害でしょう。

最後に、ダメなのは、三次ソースであるウィキペディア記事内部における自己参照です。これは当然でしょう。


まず、一次ソースと二次ソースにまたがる、publisherという言葉なのですが、現在この言葉は主に「出版者」「発行者」というように訳されています。またsource信頼できる情報源)は「出典」=出版物という取り扱いになっています。これもあっちこっちいって調べるとわかるのですが、基本的に情報ソースは紙媒体であるとは規定していないし、あくまで欲しいのはソースの信憑性=ソース提供者の権威なので、ソースは紙媒体、出版物のみと規定していないのは、むしろ当然のことであるといえます。

私は自信がないので、個人的に信頼している英語ネイティブの友人に質問してみました。reliable publisherっていうのは、たとえばCNNとかいうケーブルニューステレビなんかも含まれるの?と。答えは、「reliable publisher just means a publisher that is known for accurate work. that's all, and cnn would be that」ということでやはりCNNなども含まれる、という回答でした。 

オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインでも印刷物でも、表示されるメディアによって情報源の信頼性を自動的に仮定するには値しません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。

信頼性は光のグラデーションのように多種多様であり、基本的に事例ごとに考える必要があります。典型的には査読された出版物はもっとも信頼できると考えられ、一流の専門出版物がそれに次ぎます。政府の出版物は信頼できることも多くあります。しかし、政府の信頼性のレベルは多岐にわたり、情報を隠すことを許したりまさに人々をだますようなことをしている関係者がいることも多いです。この下には、具体的ではないのですが、いくつかの場合には信頼できる情報の供給元があり、たとえば、ウェブサイトやブログ、とくに信頼できる情報源と結びついている場合です。たとえば、学術分野のブログは単に個人用ブログというだけではなく、総合的には情報源として見なすべきです。

以上のような記述もあり、もっとも典型的な印刷された出版物というのがもっとも保守的であるのでしょうが、今のようにソース=出典=出版物(印刷されたもの)となっているのは問題であると考えます。

Wikipedia:検証可能性において、

この方針の要旨: ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。あらかじめ信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない題材は、異議を述べて取り除くことができます。

となっており、この情報源を明記というリンクを踏むとWikipedia:出典を明記(このページにおいては確かに出典という表現が適当である)するという見出しになり、そのページに書かれていることはすべて印刷された出版物についてです。つまり三大方針のひとつの要旨のなかにある「これのことね」というリンクを踏むと、それは印刷された出版物のことですよ、と解説する仕組みになってしまっている。これは非常にインパクトが大きい誤った印象操作に結果的になってしまっています。

また、Wikipedia:独自の調査の最初のセクション、オリジナルリサーチとは何か?において、

オリジナルリサーチを避けるためには、そしてウィキペデアの記事の質を向上させるためには、一次資料、および既存の情報やデータの概括、分析、統合、解釈、評価が、すべて信頼のおける第三者の(つまり自費出版ではない)発行物として発表され、ウィキペディア以外のウェブサイトか公立図書館を通じて閲覧者が閲覧できることが必須です。とここも、(つまり自費出版ではない)発行物と、なぜか印刷出版物というように限定されて記述されています。(ウェブサイトを通じてという文字はあるが、あくまで対象物は自費出版でない発行物という記述)

Wikipedia:独自の調査のセクション、何が信頼のおける出版物とされるのか?

信頼のおける出版物とは、例えば、査読制度のある雑誌や、学術書出版で有名な出版社や大学出版局、一般図書出版社の学術書出版において定評のある部門などから出版された書籍などが含まれます。

という大きな見出しとともに、信頼のおける出版物=印刷物、という図式のみフォーカスされており、その他の「情報源」もここに信頼できるものとして、併記する、さらに信頼のおける「出版物」ではなくて「情報源」などに置き換えたほうがよいと思います。

publisherというのを出版する物、発行者としてしまうのではなく、単に「情報源」かそれに置き換わる紙の印刷物のイメージに特定されないもっと一般的なものに置き換えたほうがよいと思います。

主に二次ソースについてのページ間にまたがる以上のような記述でさえも問題があると思いますが、一次ソースの取り扱いについては、さらに難解な扱い、記述が複数ページにまたがり展開されており、この点についても私見があるのですが、長くなりましたので、とりあえず、以上でこの回の投稿は終了させていただきます。--FXST 2006年9月9日 (土) 04:05 (UTC)


追加させていただきます。翻訳中ということなので当然のプロセスとして、目につく部分で英語版はどうなっているのか?調査しました。

検証可能性ですね、このnutshellから、ソース=今現在の日本語の情報源(ある場所では出典と書かれてしまっている)を出せ、というのに対応するWikipedia:cite these sourcesに飛びます。リンク先のタイトルはCiting Sourcesであり、その内容は、今の日本語のWikipedia:出典を明記するつまり100%印刷出版物の出典フォーマット説明とはまったく異なり、ここは、まさにソースのことが書いてあって出版物フォーマット説明はその一部にしかないことがわかります。

わたしもどなたかに「出典は?」と聞かれたので良く覚えておりますが、普通に出版物のことだと思っておりましたし、その質問された方もこの情報源=出典=書籍というような理解であったと思います。おそらくこの誤解はこの出典という日本語さらに、日本語Wikipedia:検証可能性情報源を明記というリンクを踏むとWikipedia:出典を明記に飛ぶ、ここから始まっているのは想像に難くありません。誤解でなければ、原文の三大方針に深く関わる部分における日本ローカルルールがなんらかの議論によって独自に策定されていたのでしょうか?--FXST 2006年9月9日 (土) 06:17 (UTC)

こちらでも失礼いたします。結論だけ言えば、「情報源」と書き換えること自体は、ウィキペディアの3大方針から逸脱するものではなく、「改善」と呼べる措置であると思います。ただし、Wikipedia:検証可能性の観点から、出版物以外の情報の取り扱いには細心の注意が必要ではないでしょうか。個人的見解を述べさせてください。
  1. ネット上の記載。これはたとえばCNNなどが上であげられていますが、新聞社や通信社、大学、政府、あるいは政党、宗教団体などある程度の社会的妥当性(情報の信頼性ではなく)のある情報発信源に関する限りは認められるべきだと思います。現在のところ、あらゆるウェブサイト上の記載は紙媒体による記述よりも簡単に失われやすいし、頻繁に改訂されうるので、読者が自分自身でその情報の妥当性の度合いを確認できることを保証しづらくなります。ですから、ネット上の記載を参照する場合は、紙媒体に典拠がある場合よりもより強く本文中に典拠(場所および日付)を明記する事を要請すべきです。そのことにより、将来検証可能性が崩れた場合に処置を講じる事がたやすくなります。もしかすると、ネット上からの情報にはそれを明示し、査独制度などを経て認証された情報でない事の注意喚起のページへのリンクを作るなどの方策が必要なのかもしれません。
  2. 出版物に記載されず、ネット上でも初出の個人の証言。私の意見では、これは排除すべきであると思います。故意にせよ過失にせよ、ねつ造や歪曲が起こりやすいソースだからです。特に、それが社会的に認知された人物の証言であった場合は、ねつ造や歪曲が含まれる内容であっても読者は簡単に事実だと信じてしまうでしょう。このようなことについてウィキペディアは責任を背負い込むべきではないし、他の場所で社会に通用させるべき情報だと思います。一方、ある程度広範に広まっているようなに属するような事は、記事の重要な部分を形成しない(たとえば、項目の最上部定義要約の部分に混入させない)などの条件の下、それが噂であると明記した上で記述を認めてもよいのではないかと思います。
何れにせよ「出版物」を「情報源」と書き換えるといった事柄は、運用ルールに関する事柄ですから幅広い周知の上でコンセンサスを得るべきでしょう。
とりあえず、個人的連絡の部分は私の会話ページ=利用者ノートに移動されるのが、ルールとマナーであると思います。すみやかに善処願います。--FXST 2006年9月9日 (土) 09:48 (UTC)
失礼いたしました。転載いたしました。--Pugnari 2006年9月9日 (土) 10:01 (UTC)

FXSTさんから「日本語Wikipedia:検証可能性情報源を明記というリンクを踏むとWikipedia:出典を明記に飛ぶ」仕組みが「出版物出典フォーマットにしたがって書けと強制していることになる」との疑義が提出されています。私自身は、Wikipedia:信頼できる情報源などを理由に、(現時点でのガイドライン集の文言の下で)条件付きでネット上の記述を典拠に含めても良いのだと理解しています。私はウィキペディアで初めて編集するまえに、各所のノートページやウィキペディアンの知り合いからウィキペディアの記事執筆の3大方針について何となく知っていましたので、自分の書き込みに異論が掲げられたとき、何処までは論理的に完全に反論可能で、どこからがグレーゾーンなのかをつねに意識しています。グレーゾーンに関しては、異議があった場合には取り下げる、あるいは削除を黙認するといった心積もりで、慎重に吟味した上であえて盛り込む場合もあります。特に、1次資料に依存した記述はグレーゾーンに入りやすいのでいつも心をいためています。

記事の検証可能性についてどの程度まで厳密に運用するか、また典拠の信頼性についても、結局は個々の案件での取り扱いかたに依存しているのだと思っています。検証可能性が多少危うくても、そのことが読者に伝わるよう書かれており、程度が微々たるものであって、項目全体の理解にとって非常に良い働きをしているのであれば、異論の対象にはなりにくいという現状もあるような気がします。そのこととガイドラインをどういう文言にするかは別問題ですけれども。--Pugnari 2006年9月9日 (土) 11:01 (UTC)

事実誤認がありました。ウェブページの参照の仕方について、Wikipedia:出典を明記するで言及されていましたね。ですから、現状ですでに何の疑いもなく「情報源=出版物」ではないのですね。--Pugnari 2006年9月9日 (土) 11:07 (UTC)

はい、そのとおりです。これはけっして揚げ足取りだと誤解されないで欲しいのですが、あなたのような、ウィキペディア習熟者でもそのような事実誤認をされるようなページに強制リダイレクトされます。

ですから、現状で。。。と事後解釈されることは本質ではありません。そのように簡単に誤解される仕組みは修正するべきであるというのが本質です。

さらに「出典」というのが「私はわかっていますよ」といくら主張されても、「わからない」人がほとんどでしょう。そもそもそのページに飛ばされるのは初心者の方々が多いわけです。一般社会において「出典」といえば通常は印刷された出版物としての意味が広く流通しています。この「出典」などという言葉は単純に「ソースもしくは情報源」に置き換えるほうがよいし、わざわざ誤解されやすい状況を放置する合理性はどこにもないので、この点については速やかに合意を形成し、その方向で協力して置き換えを推奨するように告知したほうがいいでしょう。--FXST 2006年9月9日 (土) 11:35 (UTC)

違いますよ。あなたが長文で考察らしきものを加えて、結局「出版物出典フォーマットにしたがって書けと強制していることになる」と仰ったのでそれを鵜呑みにしたまでの事です。でも、おかしいなと思ってWikipedia:出典を明記するをもういちど見直してみたら1秒ぐらいで事実誤認だと気付いたのです。あと、私はウィキペディア歴3ヶ月ちょっとの初心者ですよ。
「出典」が印刷された出版物のみを指すというのはいささか早合点かとは思いますが、「情報源」と置き換えても実質的な害はないと思います。Wikipedia:検証可能性ではすでに「情報源」という語句がたびたび使用されていますし。単純にそれだけの話ですね。--Pugnari 2006年9月9日 (土) 12:09 (UTC)

そうですね。「出典」というタイトルについてもそのような鵜呑み、先入観が働きます。 あのページのタイトルについては「情報源を明記する」と「出典」「情報源」の置き換えに伴って変わるもしくは、新しいそのようなタイトルのページへ移動され、英語版のWikipedia:cite these sourcesのように再構築するほうがよいですね。これを見ればわかりますが、出版フォーマットの部分は一部です。その他のソースについて豊かな解説が用意されており、このあたりはすでに英語版で推敲も終わっているのだから、踏襲して日本語版にも追加し翻訳作業を始めるのがバランスのよい方法でしょう。「出典」=印刷物というのは、早合点ではなくて、一般的に流通しているという事実を申し上げているのですよ。私も通常そのように認識しますがね。ウィキペディアの中のバイブルを読み解くとくようないかに原典が正しいかというレベルですらなくて、単に翻訳ミスです。『「情報源」と置き換えても実質的な害はない』、などとという言及をなぜされるのでしょうか?今のほうが害であるというのはすでに説明もうしあげているはずですが、あなたはその部分に納得しないという姿勢を表明されていることになるのですよ。--FXST 2006年9月9日 (土) 12:27 (UTC)

それは「「出典」=印刷物というのは、早合点ではなくて、一般的に流通しているという事実」という点に同意しないからです。「事実」だと単に主張する事には意味がないと別の場所で申し上げました。もしも「出典=出版物」が一般的な認識だとしても、現行のWikipedia:出典を明記するをみれば2段落目早々と「執筆する際に、書籍や外部サイトを参照することがあるでしょう。そのときは、情報源を明記してください。つまり、参考文献(書籍や論文、ウェブページなど)の一覧を用意してください。」と書いてあります。そのことから、この文書のいう「出典」にウェブサイト・ウェブページが含まれる事は一目瞭然で、だからこそ事実誤認に「1秒ぐらいで気付いた」と書いたのです。あなたがいうほどWikipedia:出典を明記するへのリダイレクトはミスリーディングでもないし、害もないと思いますよ。Wikipedia:信頼できる情報源の翻訳作業にも手が付いているようですし、翻訳を完成させて、関係記事とのターミノロジーの整合性を付けるということでいいのではないですか?--Pugnari 2006年9月9日 (土) 12:39 (UTC)削除されたので再投稿します--Pugnari 2006年9月9日 (土) 12:57 (UTC)
個人的には「出典=印刷物」とは思いませんが、確かにweb上の国語辞典などをみると「書物」としか書かれていないようです。手元の広辞苑では、広がりを持たせていました。情報源と置き換えてもよいと思いますよ(個人的には「出典=印刷物」と思っていないので問題はない。ウィキペディアとして置き換えるべき、置き換えなければならないというには、文脈などによる個々の検討も必要でしょうし、たとえば出典=印刷物ではないということをRSに書くとかとう対処もあると思うので、このような表現になっています)。この方針での訳語については、翻訳の再確認作業を進めているところなので、検討・対応は可能だと思いますし、それを喚起し、議論することはこのページで行うべきでしょうが、より本質的な議論はWikipedia:信頼できる情報源[Wikipedia:出典を明記する]]でやるのがよいのではないでしょうか。--Ks aka 98 2006年9月9日 (土) 16:25 (UTC)
国語辞典などで書物としか書かれていないのは、単にその国語辞典がウェブが登場する以前に編纂されたからではないでしょうか。--モノノハズミ 2006年9月11日 (月) 11:44 (UTC)
わかりにくかったかな。「ネット上で容易に確認できる国語辞典では「書物」と書かれているけど書物って限定してない国語辞典もある」ということが言いたかったですよ。ちなみにgooもexciteも大辞林第2版なので1995年だが、「手元の広辞苑」は第2版補訂版なので1976.12。--Ks aka 98 2006年9月11日 (月) 12:13 (UTC)
読み違えていました。広辞苑では広がりのある定義になっているのですね。広辞苑の場合はウェブ登場以前からですが、書物としか書かれていない国語辞典にも、今の時点で改定したとしたらウェブなどの電子媒体を念頭に語釈に広がりを持たせるものもあるかもしれません。--モノノハズミ 2006年9月13日 (水) 21:13 (UTC)

(インデント戻します) wikipedia:信頼できる情報源を翻訳中のj8takagiと申します。私の意見は、「sourceの訳語は、基本的に『情報源』、文脈によっては『出典』も可」です。出典の「典」は「ふみ。書物。」(広辞苑第4版)という意味であるため、出典ということばはどうしても本(書物)がイメージされると思います。また、「信頼できる情報源」ではsourceを「本」「Web上の情報」のほかに「情報源となる人物」の意味で使っています。例えば、次の部分。

A primary source is a document or person providing direct evidence of a certain state of affairs;
〈訳〉一次情報源は、ある事柄の状態について直接の証拠となるドキュメントまたは人物です。

なので、出典ということばがWeb上のsourceにあてはまるかどうかという議論は保留して考えても、sourceを出典とは訳せない場面があります。言い換えれば、少なくともsourceを一貫して出典と訳すことはできない、ということになります。あとは、訳語をどの程度統制するのが適切かというのが問題になるでしょうね。すべて統一するのが正確でいいのか、文脈ごとに訳し分けるのが親切でいいのか。ちなみに、出典を明記するの場合、基本的に本、一部Webからの引用方法を示すドキュメントなので、この題名で適切だと考えています。

ちなみに、「ソース」(ついでにいえば「オリジナル」「リサーチ」)などというのはイヤですね。カタカナ語は、どうしても適切な訳語がないときに限るべきだと思います。j8takagi 2006年9月15日 (金) 10:14 (UTC)

publicationについては、どうするのがよいかご教授いただけると助かります。sourceについては基本的に情報源として、文脈上制限がある場合は出典も可、するのが望ましいと考えます。publicationについて、たとえばテレビの信頼できる報道番組、ウェブ上の信頼できるテキストなどが含まれるかどうか、いまいちわからないです(「信頼できる情報源」では、査読付きのpublicationを刊行物と訳出しているところがありましたが、査読付きのウェブ上のテキストも存在します)。--Ks aka 98 2006年9月15日 (金) 16:31 (UTC)
publish、published、publicationは悩んでいます。現状は、出版(物)と公表(物)を文脈によって訳し分ける方針です。実際問題としてwikipedia:信頼できる情報源では、publicationは「出版物」が適切な場合が多いように思います。典型的には次の部分です。
The websites and publications of political parties and religious groups should be treated with caution,
〈訳〉政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は注意して扱うべきであり、
j8takagi 2006年9月15日 (金) 17:24 (UTC)