Template:ShintoFAGA/大山崎油座

Wikipedia:良質な記事より>

離宮八幡宮

大山崎油座(おおやまざき あぶらざ)は、日本鎌倉時代前期頃から戦国時代末期にかけて、京都の南西にある大山崎郷一帯(現在の京都府乙訓郡大山崎町および大阪府三島郡島本町)を本拠に、荏胡麻から作製したを広範囲に渡って独占販売した特権商人から構成されたである。座の構成員は主として離宮八幡宮神人であり、石清水八幡宮内殿への灯油貢納を本務とした。幕府朝廷の庇護を受け、原料の仕入れから製油・販売に至るまで独占的な特権を得て、塩や染料・麹など油以外の商品も扱った。その販売対象地域は畿内を中心に広範囲に及び、筑前国博多筥崎宮の油座や大和国符坂油座などをしのぐ、中世日本最大規模の油座であった。大山崎の神人たちは、大山崎郷の西国街道沿い十一保を本拠地として離宮八幡宮に所属する一方、本社である石清水八幡宮(男山八幡)の内殿灯油の貢進を行っていた神人たちであるとされる。大山崎の地は、白雉4年(653年)に孝徳天皇が山崎宮を造営させ、神亀2年(725年)には行基山崎橋を造るなど、古くから景勝地としても知られていたが、平安京造営後は都のすぐ南西にあたり、山城摂津の国境の地であり、また淀川水系の桂川と宇治川、木津川の合流地点という水陸交通の要衝であるため、平安京の外港としても栄えた地であった。 ・・・全部読む