Template:ShintoFAGA/九十九王子 (田辺市本宮町)

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本宮町の九十九王子の一つ、発心門王子

熊野古道、特に紀伊路・中辺路沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社を九十九王子と称する。これら九十九王子のうち、比定地が中辺路の滝尻から本宮までの区間(和歌山県田辺市・旧中辺路町域および旧本宮町域)に推定される王子には、以下のような特徴的な遺構が見られる。ひとつは、緑泥片岩の碑である。江戸期にはすでに多くの王子は廃絶し、跡地のみとなっていたものがほとんどであった。それらの王子を顕彰するために、享保8年(1723年)、当時の紀州藩が造立したのが、それらの緑泥片岩碑である。それらの碑の多くは今日でも見ることができる。もうひとつは、流紋岩製の町石卒塔婆である。町石卒塔婆とは、一般に、山地の寺院への参道に1(約109.09m)ごとに建てられたもので、道標の役割を果たした。自然石を転用したものもあるが、多くは五輪卒塔婆または笠塔婆の形式を採り、上部に本尊の梵字、下部に町数、側面や背面に造立年月日や願主名が彫られる。天仁2年(1109年)の藤原宗忠の参詣記には本宮までの町数を示した卒塔婆(「三〇〇町蘇屠婆」)の存在について言及がある(滝尻から本宮まではおおよそ300町=32km、実際には約37kmある)が、これは木製のものであったようだ。現存する町石卒塔婆は、様式から鎌倉時代後期のものとみられ、承久の乱後に荒廃した熊野参詣道の整備を鎌倉幕府が幾度か行った際のものである。今日その姿を見ることができるものはその時期に建てられたものであるが、現存するものは少ない。 ・・・全部読む