GAZ-AA

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GAZ-AA / GAZ-MM
GAZ-AA (トリヤッチ技術博物館)
種類 軍用車両/貨物自動車
原開発国 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
運用史
配備期間 1930年代~
開発史
開発者 フォード / GAZ
製造業者 GAZ
製造期間 1932年~1938年 (GAZ-AA)
1938年~1950年 (GAZ-MM)
諸元
全長 5.34 m
全幅 2.03 m
全高 1.87 m
要員数 2名

エンジン 40hp (GAZ-AA) / 50hp (GAZ-MM)
搭載容量 1.5 t (GAZ-AA/MM) / 2 t (GAZ-AAA)
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GAZ-AAロシア語: ГАЗ-АА)は、アメリカフォード AA トラックを原型として、ソビエト連邦において生産されたトラックである。生産はゴーリキー自動車工場(ゴーリキー・アフタマヴィーリヌイ・ザヴォート、GAZ)が担当。第二次世界大戦中は軍用車両としても多用された。1.5トンの積載量にちなみ、ПОЛУТОРКА(ポルトルカ:1.5の意)の愛称で呼ばれた。

解説[編集]

1930年代初頭、ソビエト連邦はアメリカのフォード社より、乗用車のフォード・モデルAおよびトラックフォード・モデルAA1930年型のライセンス生産権を取得。フォードとの共同事業として設立されたニジニ・ノヴゴロド自動車工場(NAZ)で生産に入った。

ソ連製の最初のAAは1932年1月29日に完成。同年、都市名の変更に伴い、工場名がゴーリキー自動車工場になると、車輌名もNAZ-AAからGAZ-AAとなった。入手できる資材の都合、ソ連独自の改良などにより、生産途中にさまざまな仕様変更が導入されている。ただし、水冷直列4気筒のサイドバルブエンジンと、指針でなくボビンメータが回転する前期型フォード・モデルA系流儀の速度計は、戦時中までの四輪駆動車を含むGAZ車に引き継がれた。

1938年からはエンジンが40hpから50hpへと強化され、このエンジン強化型はGAZ-MMと呼ばれ、戦後の1950年まで生産された。

当初のGAZ-MMは、エンジン以外、GAZ-AAとの外見上の差異はなかったが、戦時中には資材節約のため、さまざまな生産簡略化が行われた。1941年型では、前輪フェンダーは生産が簡単な角型になり、キャビン屋根は単純な形状のキャンバストップに、キャビンドアとフロントバンパーは廃止、前照灯は左側のみ、ブレーキも後輪のみ、荷台のアオリは後方のみが起倒式となっている[1]

大祖国戦争独ソ戦)開始時点で150,000輌以上のGAZ-AA/MMが赤軍で使用されていた。さらに戦時中、派生型を含め約985,000輌が生産されている。

派生型[編集]

GAZ-AAA
後輪を2軸に増やした6×4タイプのトラックで、6輪のフォード・ティムケン・トラックに基づき製作された。積載量は2トン。1934年-1943年にかけ、37,000輌あまりが生産された。後期の生産型はエンジンがGAZ-MMと同じく強化されている。また、そのシャーシは、6輪装甲車BA-3BA-6BA-10などのベースとしても活用された。
GAZ-410
GAZ-AAおよびGAZ-MMをベースに作られたダンプ・トラック。積載量1.2トン。1934年から1946年にかけて生産された。
GAZ-42
木炭ガス発生装置付きバリエーション。ガソリン不足に対応し1938年から1950年にかけて生産された。ガソリンエンジン車と比べ低馬力・低速だった。
GAZ-55
GAZ-AAおよびGAZ-MMをベースに作られた救急車1938年から1945年にかけて生産された。第二次大戦中、赤軍で最も多く使われた救急車だった。
GAZ-60
ハーフトラック型。
GAZ-65
1940年に試作されたハーフトラック型。
GAZ-03-30
GAZ-AAおよびGAZ-MMをベースに作られたバス。運転手1名、乗客16名。1933年にGAZ-3の名称で生産が始まり、1936年にGAZ-03-30と改称された。戦前、最も一般的に使われたバスであり、戦時中は兵員輸送やスタッフ・カー、救急車としても使用された。1950年までに1万5000輌近くが生産された。
GAZ-05-193
GAZ-AAAをベースに作られたバス。GAZ-03-30と異なり、特殊用途(スタッフ・カー)向けに製作されたもので、乗客9名。200輌余り生産された。

画像[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 田宮模型「ソビエト 1.5トン カーゴ トラック (1941年型)」説明書

外部リンク[編集]