Category‐ノート:宮沢賢治

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人物の付与範囲について[編集]

桑原啓善にこのカテゴリが付与されているため、除去したところ「賢治の研究書もある」として差し戻されました。確かに賢治研究書は出されているようですが、いわゆる「新宗教」的な見地からの著書であり、少なくとも賢治の伝記研究・文学研究で特筆すべき業績といえるものではないと考えます。「賢治にインスパイアされた」「賢治について著書を出している」人物なら山のようにいますので、とりあえず以下のような範囲に限定すべきではないかと思い、ご意見を伺いたいと存じます。

  1. 賢治の生涯に大きく関わった著名人。ただし直接の接触(文通を含む)がないか、限定的(一度会っただけなど)な人物は除く。
  2. 賢治の伝記的・文学的研究に多大な貢献を残した人物。ただし物故者に限る。

現状、桑原啓善以外の人物についてはこの範囲を逸脱していないと見てよいと思います。--Unamu会話2017年1月29日 (日) 14:20 (UTC)[返信]

桑原啓善 なる人物に関して、Unamu さんは「伝記研究・文学研究で特筆すべき業績といえるものではない」と簡単に断定しているのでしょうか?。はっきり言って読んだのか?、ということです。私も 桑原啓善 の「新宗教」的な見地からのトンデモ思想はいただけない、受け入れられない内容であることはわかります。だからと言って上記のような「研究者としての否定」はしない方が良いと思います。言論の自由、表現の自由の破壊行為と思います。--Dewiki会話2017年1月29日 (日) 14:50 (UTC)[返信]
桑原氏の評価とは別に、それが「宮沢賢治」の関連項目として挙げるに足るものかどうかという問題提起です。桑原氏の研究は研究として(自分自身の価値判断とは別に)尊重される必要があるのは理解しておりますが、「宮沢賢治」のカテゴリーから探索する利用者にとって有用かどうかはそれとは別問題ではないでしょうか。別に私は「桑原氏の記事が特筆性がないからWikipediaから削除しろ」と言っているわけではないのです。有名人になればなるほど、その人物から影響を受けたとかその人物について書いてみたという人は増えてくるわけですが、そういった人々を対象人物のカテゴリーに全部加えてしまうとカテゴリーとしての意味は失われてしまうでしょう。カテゴリーが何のために存在するかという点に立ち戻ってお考えいただければと存じます。--Unamu会話2017年1月30日 (月) 15:14 (UTC)[返信]
どうも、私は少し考え違いをしていたようです。「Category:宮沢賢治」としての役割は「宮沢賢治の研究者」すべてを網羅すべきものではないということが解りました。「宮沢賢治」を中心に考えて、関連項目としてふさわしいものかを吟味すべきですね。--Dewiki会話2017年2月1日 (水) 12:40 (UTC)[返信]
コメント カテゴリ付与に条件をつけるのに賛成します。研究者は「物故者に限る」のは少々ひっかかりましたが、線引きする条件としては妥当と納得しました。--Sazanamiya会話2017年2月4日 (土) 08:54 (UTC)[返信]