ARTグランプリ

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フランスの旗 ART Grand Prix
GP2に参戦したジェームス・カラド(2013年)
GP2に参戦したジェームス・カラド(2013年)
本拠地 Villeneuve-La-Guyard, Yonne, France
創設者 フレデリック・バスール
ニコラス・トッド
チーム代表 セバスチャン・フィリップ
チームズ
タイトル
French Formula Three Championship :
1998, 2002
Formula 3 Euro Series:
2005–09
GP2:
2005–06, 2009, 2015
GP2アジアシリーズ:
2008
GP3:
2010–13, 2015–18
Formula Renault Eurocup:
2020
ドライバーズ
タイトル
French Formula Three Championship:
1998: David Saelens
2002: トリスタン・ゴメンディ
Championnat de France Formula Renault 2.0:
2002: Alexandre Prémat
Formula 3 Euro Series:
2004: ジェイミー・グリーン
2005: ルイス・ハミルトン
2006: ポール・ディ・レスタ
2007: ロマン・グロージャン
2008: ニコ・ヒュルケンベルグ
2009: ジュール・ビアンキ
GP2:
2005 ニコ・ロズベルグ
2006: ルイス・ハミルトン
2009: ニコ・ヒュルケンベルグ
2015: ストフェル・バンドーン
GP2アジアシリーズ:
2008: ロマン・グロージャン
GP3:
2010: エステバン・グティエレス
2011: バルテリ・ボッタス
2015: エステバン・オコン
2016: シャルル・ルクレール
2017:ジョージ・ラッセル
フォーミュラ2:
2018: ジョージ・ラッセル
2019: ニック・デ・フリース
Formula Renault Eurocup:
2020: Victor Martins
公式サイト http://www.art-grandprix.com/
フォーミュラ2
レーサー 5. フランスの旗 テオ・プルシェール
6. フランスの旗 ビクター・マルタンス
フォーミュラ3
レーサー 7. アメリカ合衆国の旗 ケイレン・フレデリック
8. スイスの旗 グレゴワール・ソーシー
9. ブルガリアの旗 ニコラ・ツォロフ
Formula Regional European Championship
レーサー TBA. 不明の旗 TBA
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ARTグランプリ(ART Grand Prix)は、フランス国籍のレーシングチーム。現在は主にFIA フォーミュラ2選手権に参戦中。

概要[編集]

共同オーナーのトッド(左)とバスール(右)

1996年にフレデリック・バスールASM F3を設立し、翌1997年よりフランスF3に参戦を開始。当時はティアゴ・モンテイロオリヴィエ・プラらを擁し、同シリーズの有力チームの1つであった。2003年にフランスF3がユーロF3へと衣替えして以降も、ジェイミー・グリーン(2004年)、ルイス・ハミルトン(2005年)、ポール・ディ・レスタ(2006年)、ロマン・グロージャン(2007年)、ニコ・ヒュルケンベルグ(2008年)、ジュール・ビアンキ(2009年)が同シリーズのチャンピオンを獲得した。

2004年、フェリペ・マッサらのマネージメントを担当するニコラス・トッド (現FIA会長であるジャン・トッドの息子) が共同経営者となり、ARTグランプリを設立。GP2メインシリーズには2005年のカテゴリ発足当初から参戦。同年にニコ・ロズベルグ、2006年にルイス・ハミルトン、2009年にニコ・ヒュルケンベルグがドライバーズチャンピオンを獲得した。なお、この3年はいずれもチームタイトルとのダブルタイトルを獲得している。

日本との関わりも少なくなく、2006年・2007年には小林可夢偉が同チームからユーロF3に参戦しているほか、山本左近も2008年のシーズン途中に同チームに加入してGP2に参戦していた。

ユーロF3での活動は2010年を最後に終了し、その後はGP2(2017年からFIA フォーミュラ2選手権)、GP3フォーミュラ・ルノー2.0(ジュニアチーム)などで活動している。スポーツカーメーカーのロータスと提携し、2011年はロータス・ART、2012年はロータスGPの名で参戦した。

在籍経験のあるドライバー[編集]

ASMチーム(F3)在籍者を含む。

F1へのエントリー[編集]

2010年に参戦できなかったUS F1 Teamの参戦枠獲得を目指し、2011年のF1へのエントリーを申請したことが、同年5月13日に明らかになった[1]。しかし、経済的な理由から7月8日にエントリーを取り消した[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]