黒田治宗

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黒田 治宗(くろだ はるむね、生没年不詳)は、日本の戦国時代の武将。赤松氏の家臣黒田宗政の長男。通称などは不詳。子は黒田治重(長男)、不詳(次男)、山中貞幸(三男)。出雲の戦国武将山中幸盛の曾祖父。墓所・法号についても不詳である。

生涯[編集]

播州黒田家の祖である黒田宗信赤松則村に従い功をあげた為に、播州多可郡に知行を受けて移住し黒田城を築城した。黒田宗信から3代の後、祖父である黒田政宗嘉吉の乱に赤松氏に従い戦死し、父である黒田宗政伊勢へ逃れた後、山名宗全と戦い戦死した。この時、黒田治宗は4歳であり幼かった為、播州の山中村へ隠れ住み、山中志賀之介と称していた。明応年間に長じて別所則治に所属し、これをもりたてて、再び黒田家を再興し黒田城も回復し、黒田出羽守治宗と称したとされる。出雲山中家は三男の山中貞幸より始まったが、それ以外の詳しいことは殆んど不明である。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

先代
黒田宗政
黒田氏歴代当主
不詳 - 不詳
次代
黒田治重