鮎川義文

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鮎川 義文
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県刈谷市
生年月日 (1970-04-02) 1970年4月2日(54歳)
身長
体重
181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 1988年 ドラフト6位
初出場 1990年6月13日
最終出場 2000年5月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鮎川 義文(あゆかわ よしふみ、1970年4月2日 - )は、愛知県刈谷市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物[編集]

刈谷市立住吉小学校[2]刈谷市立刈谷南中学校卒業[3]星城高では1年生の秋から4番を打ち、高校通算22本塁打[1]。3年生の時の1988年愛知大会は準々決勝に進出するが、名城大附高に敗退[1]

1988年度プロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから6位指名を受け、入団。

1990年シーズンから主に左の代打として一軍で起用される。

1993年シーズンには、シーズン前半に松永浩美が故障し、三塁手として32試合に先発出場。

1994年シーズンも7月から八木裕が欠場、三塁手の定位置を獲得し45試合に先発。同年のシーズンはプロ初本塁打を含む2本塁打を放つ。

1995年シーズンには、新入団のスコット・クールボーがレギュラー三塁手となり、出場機会が減少。

1996年シーズンオフ、定詰雅彦との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。移籍後は二軍では活躍をするも一軍では3年間で1安打のみにとどまる。

2000年シーズンには堀幸一に代わり、二塁でスタメン出場もあったがここではあまり活躍の場がなく、同年のシーズンオフに自由契約となり現役を引退。

2007年現在は、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに参加している。また2006年6月に埼玉県三郷市に開校した『松永浩美ベースボールアカデミー』で阪神時代の先輩だった松永とともに小・中学生を対象としてプロ野球選手の育成に乗り出している。

阪神時代の応援歌は一時期、同郷の赤星憲広に用いられた事がある。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1990 阪神 18 36 33 5 8 0 1 0 10 2 0 0 0 0 2 0 1 7 0 .242 .306 .303 .609
1992 4 5 5 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .400 .400 .600 1.000
1993 68 150 126 10 21 6 0 0 27 13 0 1 1 0 23 0 0 41 3 .167 .295 .214 .510
1994 55 162 140 17 36 9 0 2 51 10 0 2 4 2 12 0 4 32 2 .257 .329 .364 .693
1995 46 71 60 6 13 2 1 0 17 4 2 0 2 2 6 0 0 22 1 .217 .279 .283 .563
1996 26 30 28 1 4 1 1 0 7 4 0 0 0 0 2 0 0 8 0 .143 .200 .250 .450
1997 ロッテ 2 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .250 .250 .250 .500
1999 5 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
2000 3 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .333 .000 .333
通算:9年 227 465 402 40 85 19 3 2 116 33 2 3 7 4 46 0 5 113 7 .211 .298 .289 .586

記録[編集]

背番号[編集]

  • 62(1989年 - 1992年)
  • 40(1993年 - 1996年)
  • 36(1997年 - 2000年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、18ページ
  2. ^ 刈谷の星 刈谷市
  3. ^ 刈谷の星 刈谷市

関連項目[編集]

外部リンク[編集]