高橋笠間

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高橋 笠間
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 和銅3年1月11日710年2月13日
官位 従四位下左大弁
主君 文武天皇
氏族 高橋朝臣
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高橋 笠間(たかはし の かさま)は、飛鳥時代貴族朝臣官位従四位下左大弁

経歴[編集]

文武天皇5年(701年)正月に遣唐大使に任ぜられ(この時の官位は直広参・左大弁)、同年に向けて出航するも風浪が激しく渡海できなかった[1]。翌大宝2年(702年)6月に遣唐執節使・粟田真人らは改めて出航し渡唐するが[1]、笠間は同行せずに同年8月になって造大安寺使に任ぜられている。大宝3年(703年持統上皇の葬儀において造御竈副司を務めた。

和銅3年(710年)正月11日卒去。最終官位は散位従四位下。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『続日本紀』大宝2年6月29日条

参考文献[編集]