高倉量子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高倉 量子(たかくら かずこ、生没年不明)は、後奈良天皇典侍。父は参議薄以緒。養父は権大納言高倉永家。通称は新内侍、藤内侍、勘解由小路局。藤原量子とも呼ばれる。

生涯[編集]

参議薄以緒の娘として生まれ、後に権大納言高倉永家の養女となる[1]1533年天文2年)に後奈良天皇掌侍となり、新内侍と称し、「めめないし」と呼ばれていた。1542年(天文11年)に妹の好子が参入したため、藤内侍と名を改めた[1]

後奈良天皇との間には第五皇女の普光女王を儲けた。普光女王は安禅寺の預かりとなる[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「戦国時代の宮廷生活」(奥野高廣続群書類従完成会2004年
  2. ^ 「女性の暮らしと労働」(吉川弘文館1998年