高倉英二

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高倉英二 (たかくら えいじ、1945年2月8日[1][2] - )は、日本の殺陣師アクション監督。正伝十二騎神道流宗家[1][2]。本名非公開。千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身[1][2][3]

来歴・人物[編集]

下総国の神道流を源流とする居合 据物斬 刀法などの御留流剣術の継承者。武家の家系であったことから、幼少期より古武術を学ぶ[1]。各種古武道はもとより空手(元東京都代表 全日本大会準優勝)、剣道、合気道、日本拳法、制定及び古流居合い等あらゆる武道に精通(それぞれ高段位取得)

殺陣師の道へ進んだきっかけは、広告代理店で映像(テレビ映画)制作会社宣弘社でアルバイトをしていた時に、時代劇『隠密剣士』の撮影を手伝ったことによる[1]

林邦史朗らと共に日本初のスタントマンチームである若駒冒険グループを創設[1]。幼少の頃より身につけていた剣術や武道の素養をベースに殺陣師として活動する一方で、乗馬〜剣術〜各種武術などの指導にもあたり、若駒の武芸的な基礎を確立。メンバーの技術向上後進育成に努めた。
[4]

のちに自身のアクション・スタントチームグループ十二騎(十二騎会、12騎会)を主宰。

主に映画民放テレビ作品の殺陣擬斗を数多く担当。第二次怪獣ブーム1971年以降)時代は特撮作品の殺陣擬斗も多く手掛けている。

高倉はそれまでの殺陣師が用いていなかった、琉球空手など 心得のあった各種武道の理合いを元にした 限りなく実戦の動きに近い殺陣を用いたことで斬新と評価され、重宝されたという[1][2](1968年9月 TBSより殺陣で表彰される)。

元々宣弘社では船床定男監督の下で制作演出を学んでいたため(外山徹監督は兄弟子にあたる)、殺陣師として殺陣擬斗を振り付けるにとどまらず、企画・脚本・演出全般をこなすことができる。担当した殺陣擬斗作品の多くは、カット割りからセットの指示にいたるまで、高倉本人の演出によるものが多い。

石原プロによる大都会西部警察シリーズ等ではカーアクションを含めたアクション総指揮を執り、1990年の映画『押忍!!空手部』『のぞみウィッチィズ』では製作総指揮を務めた。

一時期、日光江戸村をはじめとする時代村で脚本・舞台演出・若手俳優の育成を担っていたこともある。

1999年 芸能武道 十二騎神道流 を立ち上げ、芸能関係者に古武道と殺陣の教授を始める。

2013年7月、東京都両国に総合古武道 正伝十二騎神道流 総本部道場を設立[1](2015年12月東京都浅草橋に移転)。芸能関係者だけでなく一般人にも門戸を開く。

同時代に殺陣師として活躍した大野剣友会高橋一俊は後輩であり、共にアクションを学んだ仲であった[2]

作風[編集]

俳優の個性を活かした殺陣をつけており、『アイアンキング』での石橋正次は剣や鞭を使ったアクション、『スーパーロボット レッドバロン』での大下哲矢は柔道技など、各俳優の経験を尊重している[1]

シルバー仮面』で宇宙人役のスーツアクターを務めていた戸知章二がスーツに仕掛けていた火薬で大やけどを負う事故があってからは、怪我人を出さないよう神経を使うようになったという[1]。しかし、『アイアンキング』ではヒロイン役の森川千恵子に火薬の火が燃え移る事故があり、森川が降板するに至っている[1]。一方で『アイアンキング』の頃より多量の火薬やガソリンを用いた演出を行うようにもなり、『西部警察』などの派手な演出へとつながっていった[1]

参加作品[編集]

テレビ作品[編集]

(刑事ドラマ・時代劇は別途)

刑事ドラマ[編集]

時代劇[編集]

映画・ビデオ作品[編集]

 他 多数(※当初の担当殺陣師が抜け、クレジットタイトル変更のないまま途中から高倉が引き継いだ作品も多い

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l DVD『宣弘社フォトニクル』 2015年9月18日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-133 p44-47 「インタビュー 高倉英二」
  2. ^ a b c d e DVD『シルバー仮面フォトニクル2』 2015年12月18日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-137 pp.72-73 「殺陣師 高倉英二」
  3. ^ こちら特撮情報局 開局10周年記念コンテンツ(インタビュー・高倉英二)
  4. ^ 林の弟子と誤解されることがあるが決して事実ではない。

外部リンク[編集]