阪神競馬倶楽部

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阪神競馬倶楽部(はんしんけいばくらぶ)はかつて明治時代昭和時代にかけて競馬を施行していた団体で競馬倶楽部の一つ。

概要[編集]

馬券黙許時代1907年に設立した関西競馬倶楽部と鳴尾速歩(はやあし)競馬会が、補助金競馬時代1910年馬政局によって整理統合され、同年5月16日に阪神競馬倶楽部が設立した。

従来、関西競馬倶楽部が使用していた兵庫県鳴尾村(現・西宮市)の鳴尾競馬場(関西競馬倶楽部時代の名称は関西競馬場)を使用して、同年春季開催から補助金を受けての競馬を始めた。一方、鳴尾速歩競馬会が使用していた鳴尾速歩競馬場は廃止となった。1923年(旧)競馬法が公布され、同年11月24日から競馬法に基づく馬券発売の伴う競馬の開催を始めた。

1910年秋季からは帝室御賞典が下賜されその後は春季・秋季の年2回施行された。1936年12月10日日本競馬会が設立されたのに伴い、1937年3月から4月にかけて倶楽部主催として最後の競馬が開催され、同年5月31日に日本競馬会に統合される形で解散した。

母体となった団体[編集]

  • 関西競馬倶楽部
1907年3月20日に設立認可を受け、同年11月17日から1908年まで鳴尾川河口西岸の関西競馬場(通称:鳴尾西浜競馬場。後の鳴尾競馬場)で競馬の開催を行なった。
  • 鳴尾速歩競馬会
1907年8月に設立、翌1908年6月20日から鳴尾川河口東岸の鳴尾速歩競馬場(通称:鳴尾東浜競馬場)で競馬の開催を始めたが、同年限りで開催は終了した。繋駕速歩競走騎乗速歩競走といった速歩競走を専ら施行していた。

関連項目[編集]