長谷川安兵衛

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長谷川 安兵衛(はせがわ やすべえ、1896年明治29年)7月20日-1942年昭和17年)10月29日)は、日本会計学者早稲田大学商学部教授商学博士[1]陸軍司政長官

来歴[編集]

1896年7月20日、埼玉県北埼玉郡羽生町(現在の羽生市)に生まれる[2]埼玉県立不動岡中学校を経て、1915年4月、早稲田大学第四高等予科に入学する[2]1916年8月、早稲田大学大学部商科に進み、1919年7月に卒業する[2]。卒業後、横浜の増田貿易株式会社に入社し、木材部を担当する[3]1921年4月、早稲田大学海外留学生に決定され、同年12月からペンシルベニア大学において、1923年からロンドン大学において、会計学を専攻する[3]。同年8月に帰朝後、早稲田大学商学部の講師となる[4]1924年12月に助教授、1925年6月に教授となる[4]1935年3月29日学位論文「原価会計学」により商学博士の学位が与えられる[5][注釈 1]

1937年3月、商工省産業合理局財務委員会委員に、1939年4月、日本学術振興会物価問題委員会委員に、同年10月、中央物価委員会原価計算専門委員に、1940年3月、価格形成中央委員会利潤率専門委員に、1941年2月、企画院財務準則統一協議会委員になる[7]

1942年7月、シンガポールジャワ島等において英米から接収した事業の経営について、「原価計算制度及び会計制度の樹立並に指導」のため、陸軍省嘱託として現地に向かう[2][7][注釈 2]。同年10月29日、陸軍司政長官に任ぜられ、正五位に叙せられる[9]。同日、台北飛行場を出発して福岡に向かう途中、飛行機事故のために殉職する[4]11月24日に福岡において陸軍合同慰霊祭が行われ、11月30日青山斎場で葬儀が行われる[10]

妻は田山花袋の次女・千代[11]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『銀行会計学』泰文社、1928年10月。NDLJP:1278995 
  • 『原価会計学』 上巻、東京泰文社、1930年4月。 
  • 『新銀行会計研究』森山書店、1930年10月。 
  • 『予算統制の研究』森山書店、1930年10月。 
    • 『予算統制の研究』(増補版)森山書店、1933年10月。 
  • 『近世銀行簿記』冨山房、1931年11月。NDLJP:1034755 
  • 『標準原価の研究―統制用具としての原価会計―』森山書店、1931年12月。 
  • 『予算統制の実証的研究』森山書店、1932年12月。 
  • 『原価会計学』 下巻、東京泰文社、1933年12月。 
  • 『最新銀行会計論』東京泰文社、1934年5月。NDLJP:1278783 
    • 『最新銀行会計論』(増補版)東京泰文社、1936年4月。 
  • 『株式会社会計』東洋出版社〈会計学全集 第6巻〉、1934年10月。 
    • 『株式会社会計』(訂新正版)森山書店、1948年12月。NDLJP:1068137 
    • 『株式会社会計』古川栄一改訂(改訂版)、森山書店、1951年7月。 
  • 『原価会計学』 合本、東京泰文社、1934年4月。 
  • 『アイドル・コストの問題』森山書店、1935年12月。 
  • 『原価会計概論』東京泰文社、1936年6月。 
  • 『アメリカに発展せる予算統制』森山書店、1936年6月。 
  • 『改訂 近代銀行簿記教授資料』同文館、1936年9月。NDLJP:1105890 
  • 『株式会社の実際』東京泰文社、1936年10月。NDLJP:1271275 
    • 『株式会社の実際』(増補版)東京泰文社、1941年10月。 
  • 『我企業予算制度の実証的研究』同文館、1936年11月。NDLJP:1281443 
  • 『配当統制の研究』千倉書房、1937年2月。 
  • 『増価論』森山書店、1937年8月。 
  • 『統制的会計』東洋出版社〈会計学全集 別巻〉、1937年10月。NDLJP:1281441 
  • 『会計学講義案』文泉堂、1938年1月。NDLJP:1034227 
  • 『株式会社の諸問題』東京泰文社、1938年5月。NDLJP:1277540 
  • 『会計学』文泉堂書店、1938年10月。 
  • 『会社分析の基礎知識』泰文社、1939年11月。NDLJP:1281439 
    • 『会社分析の基礎知識』(訂正版)東京泰文社、1940年8月。 
    • 『会社分析の基礎知識』(改正版)東京泰文社、1949年4月。 
  • 『企業評価に関する研究』森山書店、1939年12月。NDLJP:1277534 
  • 『株式会社の常識』千倉書房、1939年。 
    • 『株式会社の常識』(増補)千倉書房、1940年5月。NDLJP:1444710 
  • 『銀行経営と会計』東京泰文社、1940年4月。 
  • 『会計学』ダイヤモンド社〈入門経済学 第16巻〉、1940年11月。NDLJP:1278543 
  • 『社規社則集』ダイヤモンド社、1941年1月。 
  • 『株式会社読本』千倉書房、1941年4月。NDLJP:1276454 
  • 『優先株の綜合的研究』ダイヤモンド社、1941年10月。 
  • 『原価計算』ダイヤモンド社、1941年11月。NDLJP:1068213 
    • 『原価計算』(改正版社)ダイヤモンド社、1949年1月。NDLJP:1068214 
  • 『会計学入門』ダイヤモンド社、1948年1月。NDLJP:1068138 
  • 『株式会社講話』千倉書房、1948年8月。 
  • 『株式会社講話』古川栄一改訂、千倉書房、1948年。 
  • 『管理会計』古川栄一校訂、中央経済社、1950年11月。 
    • 『管理会計』古川栄一校訂、中央経済社〈中経文庫〉、1954年。 
  • 『会社分析入門―決算報告書の見方―』古川栄一校訂、ダイヤモンド社、1951年。 
    • 『会社分析入門―決算報告書の見方―』古川栄一校訂(改訂版)、ダイヤモンド社、1956年10月。 

共著[編集]

  • 長谷川安兵衛、芳野国雄『原価計算 工業簿記』非凡閣〈工業経営講座 第7巻〉、1937年7月。 

翻訳[編集]

  • シー・イー・グリツヒン『販売割当制度』森山書店、1940年2月。 

主な門下生[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 審査員は、小林行昌(早稲田大学教授・商学博士)、北沢新次郎(早稲田大学教授・商学博士)、島田孝一(早稲田大学教授・商学博士)、平沼淑郎(早稲田大学教授・法学博士)[6]
  2. ^ 他に、黒澤清横浜高等商業学校教授)、岩田巌東京商科大学教授)、山辺六郎長崎高等商業学校教授)も派遣された[8]

脚注[編集]

  1. ^ 長谷川安兵衛『原価会計学』 早稲田大学〈商学博士 報告番号不明〉、1935年。NAID 500000495130https://id.ndl.go.jp/bib/000010663103 
  2. ^ a b c d 北沢 1942, p. 26.
  3. ^ a b 長谷川 1991, p. 87.
  4. ^ a b c 早稲田大学新聞第273号 1942.
  5. ^ 早稲田学報第482号 1935, p. 10.
  6. ^ 早稲田学報第482号 1935, p. 14.
  7. ^ a b 佐藤 1957, p. 296.
  8. ^ 佐藤 1957, pp. 296–297.
  9. ^ 追想録 1943, p. 335.
  10. ^ 早稲田学法第574号 1942.
  11. ^ 坂本石創「その日の田山花袋」『人物評論』1933年9月

参考文献[編集]

  • 「学位授与」『早稲田学報』第482巻、早稲田大学校友会、1935年4月10日、10-14頁。 
  • 「南方司政に尊き殉職 長谷川安兵衛教授 けふ東京駅に無言の凱旋」『早稲田大学新聞』第273号、1942年11月25日、1面。
  • 北沢新次郎「長谷川安兵衛博士を追悼す」『早稲田学報』第574巻、早稲田大学校友会、1942年12月15日、25-26頁。 
  • 「長谷川安兵衛教授殉職」『早稲田学報』第574巻、早稲田大学校友会、1942年12月15日、32頁。 
  • 「長谷川安兵衛博士略歴」『長谷川博士追想録』長谷川博士追想録刊行会、1943年7月1日、334-335頁。 
  • 佐藤孝一『近代日本の社会科学と早稲田大学』早稲田大学、1957年10月21日、275-298頁。 
  • 長谷川惠一「長谷川安兵衛博士の原価会計学 ――わが国における管理会計論の萌芽――」『産業経営』第17巻、早稲田大学産業経営研究所、1991年12月15日、81-113頁、NAID 40004088954 

関連文献[編集]