長崎県立高島高等学校

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長崎県立高島高等学校
過去の名称 長崎県立長崎西高等学校高島分校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎県
校訓 向上・自律・剛健
設立年月日 分校開校
1949年昭和24年)6月1日
独立開校
1960年(昭和30年)4月1日
閉校年月日 1989年平成元年)3月31日
課程 全日制課程
設置学科 普通科
所在地 851-1300
長崎県長崎市高島町(跡)
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長崎県立高島高等学校(ながさきけんりつたかしまこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Takashima High School)は、長崎県西彼杵郡高島町(現・長崎市)にあった県立高等学校

かつて高島炭鉱で栄えた島であったが、1986年昭和61年)の炭鉱閉山により、人口が急激に減少し、高等学校の閉校が決定された。

概要[編集]

設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
「向上・自律・剛健」
校章
以下のモチーフを組み合わせて校章が製作されている。
  • の葉」 - 分校時代に本校であった長崎西高等学校の校章。
  • 「白波」 - 島を囲む海
  • 「Tの文字」- 炭鉱を象徴するつるはしの形に似ていることから。また、高島(Takashima)の頭文字でもある。
  • 「高の文字」(俗字体のハシゴ高)- 高島の「高」でもあり、高等学校の「高」でもある。
校歌
タイトルは「汗と力に映ゆるなり 母校の道に映ゆるなり」。作詞は風木雲太郎[1]作曲は寺崎良平[2](当時長崎県立女子短期大学教授)による。

沿革[編集]

  • 1949年昭和24年)6月1日 - 「長崎県立長崎西高等学校高島分校」(定時制課程 普通科)として開校。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 募集定員を80名に変更。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 「長崎県立高島高等学校」として独立。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 全日制普通科に切り替え。
  • 1964年(昭和39年)
    • 1月19日 - 校歌(汗と力に映ゆるなり 母校の道に映ゆるなり)を制定。
    • 4月 - 定時制普通科を廃止。
  • 1968年(昭和43年)
    • 6月3日 - 長崎県高総体男子バレーボール優勝。
    • 6月8日 - 体育館が完成。
  • 1972年(昭和47年)3月22日 - 格技場が完成。
  • 1985年(昭和60年)6月2日 - 長崎県高総体空手道部男子総合優勝。
  • 1989年平成元年)3月4日 - 最後の卒業式および閉校式を実施。40年の歴史に幕を閉じる。

脚注[編集]

  1. ^ 諫早高等学校諫早農業高等学校諫早東高等学校五島南高等学校中五島高等学校奈留高等学校佐世保東翔高等学校の校歌の作詞、佐世保西高等学校校歌の補筆も行っている。
  2. ^ 島原高等学校平戸高等学校、五島南高等学校、佐世保東翔高等学校の校歌の作曲も行っている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]