鈴木裕

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すずき ゆう

鈴木 裕
2011年、GDCにて
生誕 (1958-06-10) 1958年6月10日(65歳)
日本の旗岩手県釜石市
出身校 岡山理科大学
職業 ゲームクリエイター
YS NET代表取締役社長 セガR&Dクリエイティブオフィサー
活動期間 1983年から現在まで
著名な実績

世界初の体感ゲーム開発 SEGAバーチャシリーズ開発代表 世界初の3Dポリゴン格闘ゲーム開発

後のオープンワールドゲームの先駆けともいえるシェンムーシリーズの開発
配偶者 あり
子供 娘2人
受賞

Best spectrum game of alltime AMD AWARDS Best computer programer賞 CS awards1998 日本ソフトウェア大賞MVP 文化庁メディア芸術祭 優秀賞 D.I.C.E.Summit Hall of Fame 2011 GDCパイオニア賞 CEDEC AWARDS2018

ギネスワールドレコーズ 史上初の3D格闘ポリゴンゲーム リングアウトを実装した最初の格闘ゲーム ハードの出荷台数に対して最も多くの売り上げ本数を出したゲームソフト 最も多くの制作費用が掛かったゲーム シェンムー1章 横須賀 *1999年の記録

など多数存在。「全10個」
公式サイト https://www.ysnet.games/ https://twitter.com/yu_suzuki_jp
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鈴木 裕(すずき ゆう、1958年6月10日 - )は、日本のゲームクリエイター。株式会社YS NET代表取締役社長。株式会社SEGAR&Dクリエイティブオフィサー。

1980年代中盤から1990年代にかけてはセガに在籍。同社でゲームディレクター・プロデューサーの役職にあった頃は、その頃のセガを代表するアーケードゲームのヒット作を多数制作、後に同社のR&Dクリエイティブオフィサーの一人となった。

プロフィール[編集]

岩手県釜石市生まれ、三陸町(後の大船渡市)出身。岡山理科大学理学部電子理学科卒業。1983年にセガに入社した。学生の頃から三次元CGを研究していたこともあり、3DCGがアーケードゲームで一般的になる以前からリアル志向の疑似3D表現を用いたゲームを多く制作していた。1990年代に入ると、他社に先駆けて本格3DCGハードウェアを駆使したリアル志向のゲームを制作した。鈴木は「最新の技術と1つのゲームセンスが高次元で融合したものこそが自分の作りたいゲームである」という一貫したテーマでゲーム制作に取り組んでいることを数々のインタビューなどでも語っている。

初めてディレクターを担当した作品は、1984年に発売されたSG-1000用ゲームの『チャンピオンボクシング[1]。この作品は後にアーケード用ゲームとしても稼働した。その後、『ハングオン』『スペースハリアー』『アウトラン』『アフターバーナーII』『パワードリフト』『G-LOC』といった多くのアーケード大ヒット作品を生み出した。

1992年にセガ初の本格3DCGハードウェアを使用した『バーチャレーシング』を発売した。以降の作品『バーチャファイター』『F355チャレンジ』はいずれも反響をよんだ。特にバーチャファイターシリーズは社会現象とも言えるほどの大ヒットとなり、同社の看板タイトル、また鈴木裕自身の代表作として知られるようになった。鈴木裕自身は当初3Dには否定的であったという噂話が出回っているが、自著『鈴木裕 Game Works Vol.1』によると、実際には彼は大学生の頃から3Dを研究しており、『バーチャファイター』開発の際もプロトタイプを自身のパソコン上で開発していた。

1990年代後半からは家庭用ゲームソフトの開発に携わり始め、1999年にはドリームキャストの『シェンムー』などを開発。シェンムーは総制作費70億円(ギネス認定記録だが、鈴木裕自身は50億円とコメントしている[1])と比較して商業的には振るわなかったが、世界各国で賞を受賞し、映画監督のスティーヴン・スピルバーグが絶賛するなど、特に海外で評価が高い。スピルバーグと会談した際に、スピルバーグの方から鈴木裕にサインを求めてきた話は、宮本茂ポール・マッカートニーにサインを求められた話と共によく引き合いに出される。

2002年には自身の絵画展を行ったり、2003年にはそれまでのゲーム業界における功績が評価され、2003年ラスベガスで行われたAIAS主催サミットでHall of Fame (栄誉賞)を受賞するなど、ゲーム業界の「レジェンド」としての評価が確立するが、この時期ディレクターやプロデューサーとしての仕事面においては開発中止等が続きほとんど世に出ない時期が続く。

2003年10月にはセガの開発子会社再編で新規設立されたデジタルレックスの社長に就任したが、同社は2004年7月のセガ・サミーの経営統合に伴う開発子会社の全廃によりセガに再吸収され、「セガAMプラス研究開発部」の部長となった。

2004年に中国向けWindowsMMORPG『シェンムーオンライン』を制作発表したが、その後セガが中国でのオンラインゲーム事業より撤退したため発売未定のまま凍結状態になっている。また、2005年にはタッチパネルで操作するアーケード用タイトル『ΨΦ PSY-PHI』が発表されロケテストが行われたが、発売は中止となった[1]

2008年11月11日、同日に設立された株式会社YS NETの代表取締役社長に就任(この発表の少し前、当時のセガ・オブ・アメリカCEOサイモン・ジェフリーがインタビュー内で「鈴木裕は既にセガにいないが、まだ我々と共に仕事をしている」とコメントしていた[2])。2010年11月にはシェンムーの外伝となる携帯アプリ『シェンムー街』を開発していることを発表。YS社を仕事の基盤としている事が周知の事実となる(なお2009年4月の同社人事異動リリース[3]では「AM研究開発本部付」として名前が挙げられており、この発表の前年まではセガに在籍していた事が明らかだが、公式なセガ退職時期については現在に至るまで不明)。この時期YS社ではしばらくソーシャルゲームの開発を中心とした仕事を行っている。

2011年3月、GDCパイオニア賞を受賞。同年5月にはプレミアムエージェンシーの技術顧問に就任[4]

2015年6月16日(日本時間)、E3 2015で『シェンムーIII(3)』を制作するため、Kickstarterを用いたクラウドファンディングを開始する事を発表。直後にYS NETがプロジェクトページをオープンし、ファンディングを開始。約8時間半後には当初の最低目標額である200万ドルに到達。

また同年8月には東京ゲームショウ2018VRブースにてアーケード最新作『VRsus(仮題)』の制作発表を行い、その発表の中で『シェンムー 3』の新トレーラーを発売日と共に日本国内のイベントでは初めて正式に発表した。

作品[編集]

1999年7月にリリースされた『F355チャレンジ』のDXタイプ以降、鈴木裕がディレクターとして携わった作品には、「YS」の文字が入ったロゴが表記されている。

著書[編集]

『鈴木裕ゲームワークス Vol.1』アスペクト、2001年12月1日
自伝。ドリームキャスト版の『ハングオン』、『スペースハリアー』、『アウトラン』、『アフターバーナーII』、『パワードリフト』が収録されたGD-ROMが付録。『シェンムーII』に収録されたものとは異なり、無限コンティニュー、難易度設定、タイトル音楽の有無などの詳細設定が追加されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c GDC 2011レポート 鈴木裕氏が語るアーケード筐体開発秘話 「ハングオン」から「シェンムー」まで鈴木氏がファンの質問に本音で解答”. GAME Watch (2011年3月4日). 2016年11月1日閲覧。
  2. ^ Yu Suzuki No Longer at Sega1up.com、2008年8月11日)
  3. ^ 当社ならびに当社子会社(株式会社セガ、サミー株式会社)の組織変更および人事異動に関するお知らせ - セガサミーホールディングス・2009年3月31日
  4. ^ 「バーチャファイター」、「シェンムー」の生みの親、鈴木裕氏 プレミアムエージェンシーのゲーム開発顧問に就任 - プレミアムエージェンシー・2011年6月2日
  5. ^ 鈴木裕さんが語る「シェンムー街」 藤岡弘、さんも応援 - ITmedia NEWS
  6. ^ “Apple Arcade新作『Air Twister』はカジュアルユーザーも楽しめるアーケードシューター? 鈴木裕インタビュー”. IGN Japan. (2022年6月1日). https://jp.ign.com/air-twister/59979/interview/apple-arcadeair-twister 2022年9月28日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 鈴木裕『鈴木裕ゲームワークス Vol.1』アスペクト、2001年、ISBN 4-7572-0889-8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]