金戸俊介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日[1] - )は、石川県出身の飛込競技選手・指導者。1960年ローマ1964年東京の2度のオリンピックに日本代表選手として出場した。

来歴[編集]

石川県出身[1]石川県立金沢桜丘高等学校を卒業し[1][注釈 1]日本大学に進む。

日本大学在学中[1]の1960年、ローマオリンピックに出場し、飛板飛込みで23位、高飛込みで10位となった。大学卒業後、1964年東京オリンピックでは飛板飛込み24位、高飛込み11位。

同じくローマ・東京五輪に出場した飛び込み選手・渡辺久美子と結婚。息子の金戸恵太も飛び込み選手として活躍した。

引退後は指導者に転身し、1992年バルセロナオリンピックでは日本選手団コーチを務めた。

身体能力と集中力を武器に、日本を代表する飛び込み選手として長く活躍。その華麗なフォームは歴代の日本選手の中でもトップクラスであるといわれる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ローマオリンピックで同じく飛込競技に出場した山野外嗣夫英語版も金沢桜丘出身である[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e ローマ・オリンピック水泳代表団の紹介」『水泳』第134号、日本水泳連盟、1960年8月、2021年8月24日閲覧 p.8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]