近藤司

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こんどう つかさ
近藤 司
生年月日 1931年
没年月日 2012年10月10日
出生地 日本の旗 日本 愛媛県
職業 美術デザイナー画家
ジャンル 劇場用映画テレビ映画日本画
活動期間 1951年 - 2012年
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近藤 司(こんどう つかさ、1931年 - 2012年10月10日)は、日本の画家日本映画美術デザイナー(美術監督)である[1][2]

人物・来歴[編集]

1931年(昭和6年)、愛媛県に生まれる[1][3]

1947年(昭和22年)から越智青山、1948年(昭和23年)から森実公、1950年(昭和25年)からは久保田耕にそれぞれ師事、日本画を学ぶ[1][3]

1951年(昭和26年)に新たに設立された宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)に入社、映画美術に専念する[1]。1957年(昭和32年)、小田基義監督の劇場用映画『ますらを派出夫会 粉骨砕身す』で美術デザイナーとして一本立ちする[2]。1966年(昭和41年)からは、劇場用映画に平行して、同社が製作するテレビ映画の美術を手がける[4]。1968年(昭和43年)に同社が劇場用映画の製作を停止して以降は、テレビ映画に専念する[4]

1983年(昭和58年)、同社が経営不振のため解散し、宝塚映像に改組されるが、就任時期は不明であるがこのときまでに同社の取締役に就任している[5]。以降、製作現場でのデザイナーとしてのクレジットは見当たらない[2][4]

2001年(平成13年)には、こぶしプロダクションが製作した映画『アイ・ラヴ・フレンズ』、2002年(平成14年)には、宝塚映像が製作したテレビ映画『大和路殺人事件』(女と愛とミステリー)で、それぞれ美術を手がけている[2][4]

2010年(平成22年)10月に行われた第11回宝塚映画祭でトークショーに出演[6]

2012年(平成24年)10月10日、食道癌のため死去[7]。81歳没。

2013年(平成25年)11月9日、第14回宝塚映画祭にて特集上映「FAKE & REAL 美術監督、近藤司の仕事」[8] が組まれる。

フィルモグラフィ[編集]

特筆以外はすべて美術、製作は特筆以外は宝塚映画、配給は特筆以外は東宝である[2]

劇場用映画[編集]

テレビ映画[編集]

特筆以外、製作著作は宝塚映画である[4]

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b c d 近藤司京都美術工芸、2010年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e 近藤司、日本映画データベース、2010年10月29日閲覧。
  3. ^ a b 近藤司森下ガクブチ店、2010年10月29日閲覧。リンク先「映画監督になる」は誤記。
  4. ^ a b c d e 近藤司、テレビドラマデータベース、2010年10月29日閲覧。
  5. ^ 『映画年鑑 1984』、時事映画通信社、1984年、p.292.
  6. ^ 第11回宝塚映画祭 プログラム宝塚映画祭、2010年10月29日閲覧。
  7. ^ 訃報:近藤司さん81歳=映画美術監督 毎日新聞2012年10月11日閲覧
  8. ^ 第13回宝塚映画祭宝塚映画祭、2013年11月15日閲覧。
  9. ^ Tsukasa Kondo, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2010年10月29日閲覧。
  10. ^ 『作品譜 - 劇場用映画・テレビ用映画』、宝塚映像株式会社、1997年11月、p.76.

外部リンク[編集]