西酉乙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西酉乙

西 酉乙(にし とりおと、1897年明治30年)5月27日[1] - 1989年平成元年)10月8日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・赤松[1]

経歴[編集]

海軍士官赤松則良の七男として生まれ、1899年(明治32年)に海軍士官・西紳六郎の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1933年(昭和8年)11月15日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1922年(大正11年)3月、京都帝国大学[注 1]経済学部を卒業[2][3][5]。同年、第一銀行に入行し書記に就任[2]。その後、南洋拓殖参事、南洋バルブ取締役、太洋真珠監査役、南洋水産監査役などを務めた[3]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2]。その他、大東亜省委員を務めた[2]

親族[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81頁では東京帝国大学と誤記。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』300-301頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ニ15-16頁。
  4. ^ 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正11年 至大正12年』京都帝国大学、1923年、533頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  7. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
西紳六郎
男爵
西(周)家第3代
1933年 - 1947年
次代
華族制度廃止