装飾体 (文体)

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装飾体(そうしょくたい、ornate style)とは、文章の類型の一種である。修辞学においては、描写や叙述性の面からみて技巧的な文体を広く指す用語である[1]美文体(figurative style)、荘重体(grand style)などと呼ばれることもある。多彩な修飾語比喩表現を効果的に用いることによって一般に華やかな印象をもたせることのできる文体である。一方での構造が複雑になりがちであり、しばしば意味がわかりにくいという一面もある。反対に修飾語の使用を控え文章のわかりやすさを重視した文体を平明体(transparent style)と呼ぶ[2]

三島由紀夫の例[編集]

三島由紀夫は華麗な装飾体を用いた作品が多いことで特に有名である[3]。以下にその例を挙げる[1]

まだ朝は寒かった。〔中略〕その間に空気はいよいよ澄明に磨かれ、今は危うく崩壊の兆しもみせて繊細に張りつめていた。弾けば気高く鳴りひびく絃(いと)のような大気であった。いわば音楽へあと数瞬間で達しようとしている豊かな虚しさにみちた静寂を思わせた — 三島由紀夫、仮面の告白

屈折体[編集]

装飾体をさらに徹底させた文体を屈折体と呼ぶ。一例として大江健三郎の文章を挙げる[1]。文の構造はきわめて複雑で、文脈をたどるのは慣れていないと難しい[4]

いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機をあたえられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によってかれの仕事の現場にも明瞭にもちこみうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度をとることなしには、かれの職業の、外部からあたえられたぬるま湯のなかでの特殊性を克服することはできぬであろうということ〔後略〕 — 大江健三郎、職業としての作家

階層的文章[編集]

長い文章をおこす際、最初におおまかな構成を決めた上で細部の記述を順次追加していくという技法は有用な手段の一つである。この技法はコンピュータにおけるアウトラインプロセッサと親和性が高く、究極的には単語のひとつひとつに注釈をつけたり、注釈にまた別の注釈をつけたりという文章をつくることすらも容易に可能である。小田嶋隆はパソコンを用いて次のような文を考案している。丸括弧を多用しているが、蛇足な修飾部分をのぞけば「オレはたまねぎが嫌いだ」という骨格が残る。小田嶋自身、このような文章を表現技法として好んで使用しているという[5]

オレ(という一人称を使う時、オレは嘘をつかない)は、たまねぎ(そう、あの臭くて、いやな歯ざわり(半生のやつを噛むと、「カオッ」っていう音がするんだが、オレはその音(「かおっ」のことだ)をもたらすような歯ざわりが嫌いなのだ)を持った再帰的無限構造野菜(ラッキョと猿の寓話 - 猿のせんずりを想起せよ))が嫌い(「嫌い」は「好き」に比べて純粋だ。なぜなら「嫌い」が生理であるのに対して、「好き」は感情に過ぎないからだ)だ」 — 小田嶋隆、パソコンによる“玉ねぎ文章”のすすめ

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出典[編集]

  • 三島由紀夫仮面の告白』河出書房、1949年7月5日。
  • 大江健三郎「職業としての作家」『別冊経済評論』4号、日本評論社、1971年2月。58-63頁。
  • 小田嶋隆「パソコンによる“玉ねぎ文章”のすすめ」『本の雑誌』83号、1990年5月。

参考文献[編集]

  1. ^ a b c 『常用国語便覧』浜島書店、1979年。346頁。
  2. ^ 輿水実『国語科基本用語辞典』1970年、明治図書。151頁。
  3. ^ 菅野昭正「小説家・三島由紀夫における小説の方法と文体」三島由紀夫のすべて(2)、『国文学 解釈と教材の研究』15巻7号、1970年5月。49-55頁。
  4. ^ 篠原茂「大江健三郎 - 意識の重層性と同時性」(現代作家と文体<特集>)『国文学解釈と鑑賞』41巻5号、1976年4月。98-102頁。
  5. ^ 小田嶋隆「パソコンによる“玉ねぎ文章”のすすめ

関連項目[編集]