血盆経

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血盆経』(仏説大蔵正教血盆経1巻)は420字余の中国撰述の偽経である[1]。撰述された時期は不明であるが、ミシェル・スワミエ(Michel Soymié 英文)は10世紀以後の作品ではないかと推測している[2]

概要[編集]

この経は通常の経典と異なって、仏弟子の目連が羽州追陽県[3]に行ったとき血盆池地獄を見たことから始まる。これは日本の血の池地獄であり、その典拠が『血盆経』とされている[4]。 『血盆経』の残存するテキストは23本[5]との説があるが、ここではこの経の草分け的な研究者の校訂したテキスト[6]が知られているが、これに3本加え校訂したテキスト[7]全文を下記に示す。

仏説大蔵正経血盆経

爾時、目連尊者、昔日往到羽州追陽県。見一血盆池地獄。闊八万四千由旬。池中有一百二十件事、鉄梁鉄柱、鉄枷鉄鎖、見南閻浮提許多女人、被頭散髮、長枷杻手、在地獄中受罪。獄卒鬼王、一日三度、將血勒教罪人喫。此時、罪人不甘伏喫、遂被獄主将鉄棒打作呌声。目連悲哀、問獄主、「不見南閻浮提丈夫之人、受此苦報。只見許多女人、受其苦痛。」獄主答師言、「不干丈夫之事。只是女人産下血露、汚触地神、并穢汚衣裳、将去溪河洗濯、水流汚漫、誤諸善男女、取水煎茶、供養諸聖、致令不淨。天大將軍、劄下名字、附在善惡簿中。候百年、命終之後、受此苦報。」目連悲哀、遂問獄主。「将何報答阿娘産生之恩、出離血盆池地獄。」獄主答師言。「惟有小心教順男女、敬重三宝。更為阿娘持血盆斎三年、仍結血盆勝会、請僧転誦此經一蔵、滿日懺散便有般若船、載過奈河江岸、看見血盆池中、有五色蓮華出現。罪人歓喜。心生慚愧、便得超生仏地。」諸大菩薩、及目連尊者、啓告奉勸。南閻浮提衆信男女、早覚修持、大辦前程、莫教失手、万劫難復、仏告説女人血盆経。若有信心書写受持、令得三世母親、尽得生天、受諸快楽、衣食自然、長命富貴。爾時、天龍八部、人非人等、皆大歡喜、信受奉行、作礼而去。」

爾の時、目連尊者、昔日羽州追陽県に往き到れり。一血盆池地獄を見ぬ。闊さは八万四千由旬。池中に一百二十件事あり、鉄梁鉄柱、鉄枷鉄鎖有り、南閻浮提の許多の女人被頭散髮、長枷杻手、地獄中に在りて受罪せるを見つ。獄卒鬼王、一日三度、将に罪人に血勒を教し喫せしむ。此の時、罪人は甘伏喫せ不、遂に獄主に被り、将に鉄棒で打たれ呌声を作せり。目連悲哀して、獄主に問えり。「南閻浮提の丈夫之人、此の苦の報を受くるを見不。只是の許多の女人其の苦痛を受くるを見る。」獄主は師に答えて言く。「丈夫に干わら不る之事。只是の女人産下の血露、地神を汚触す。并せて穢汚衣裳を、将に去りて溪河に洗濯し、水流汚漫せる、誤りて諸善男女、取水し茶を煎じ、諸聖に供養すれば、致り令て不淨となる。天大将軍は、名字を劄下し、善悪簿中に在りと附する。百年の候、命終り之後、此苦の報を受けん。」目連悲哀して、遂に獄主に問えり。「将に何ら答なるや、産生阿娘之恩に報いて、血盆池地獄を出離するや」獄主師に答えて言く。「惟みて小心に男女に孝順有りて、三宝を敬重すべし。更に阿娘の為に血盆斎を三年持すべし。仍ねて血盆勝会を結び、僧に請て此経一蔵を転誦せば、満日懺散し便ち般若船有り、奈河の江岸より載過せん。血盆池中に、五色の蓮華の出現有るを看見すべし。罪人は歓喜す。心生慚愧して、便ち仏地に超生するを得ん。」諸の大菩薩、及び目連尊者は、啓告奉勸し。南閻浮提の衆善男女を信じ、早覚修持し、前程を大辦し、失手を教うこと莫れ、万劫は復し難く、仏女人に血盆経を告げて説けり。若し信心書写受持すること有れば、三世の母親に得令め、尽く天に生じ、諸の快楽を受け、衣食自然、長命富貴を得ん。爾の時、天龍八部人非人等、皆大歡喜し、信受し奉行せんと、礼を作し而去れり。

— 仏説大蔵正経血盆経、(原文・訓読)

中国と日本とで異なるが、風土・文化への受容に関する史料は多く、その研究は盛んに行われており、発表されている論文等も容易にアクセスできる。

注・出典[編集]

  1. ^ 「新纂大日本続蔵経」に収録されている。(台湾のCBETA漢文大藏經に「卍新纂大日本續藏經」の電子テキストがあり閲覧可能である。X01n0027 佛說大藏正教血盆經 [1])底本と対校本は京都大学所蔵とされているが、その実在の確認ができないので従来問題となっている。
  2. ^ 『血盆経の史料的研究』 吉岡義豊、ミシェル・スワミエ編「道教研究 第1冊」 昭森社 1965 p.109 - 166 [2] p.130
  3. ^ 諸説あるが不明。
  4. ^ 「血の池地獄を説いた経典はこれまで血盆経しか知られていないことから、血盆経に由来する信仰と考えることが出来よう」/松岡秀明『我が国における血盆経信仰についての一考察』東京大学宗教学年報 巻6 p.85 - 100 1989-03-20 [3] p.86
  5. ^ 松岡秀明『我が国における血盆経信仰についての一考察』p.86
  6. ^ ミシェル・スワミエ『血盆経の史料的研究』p.110 - 115。底本は吉岡義豊博士所蔵の大型折本乾隆6年(1741年刊行)他、続蔵本を含む6本を対校したもの。
  7. ^ 前川亨『中国における『血盆経』類の諸相 : 中国・日本の『血盆経』信仰に関する比較研究のために』東洋文化研究所紀要 巻142 p.348 – 302 発行日2003-03 pdf p.333 – 334

関連項目[編集]