藤井米次郎

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藤井 米次郎(ふじい よねじろう、1877年明治10年)1月15日 - 1969年昭和44年)1月10日)は、愛知県出身の日本の実業家。得三郎商店(のちの龍角散)の婿[1]となり、初代没後に得三郎を襲名した。2代得三郎[2]。旧姓は小林。

来歴[編集]

名古屋市立山吹高等小学校(現・名古屋市立山吹小学校)を卒業したのち、藤井得三郎商店に入社した。1928年(昭和3年)の専務取締役を経て、1934年(昭和9年)に社長に就任する。1963年(昭和38年)には会長となる。

秋田の藤井玄淵から数えると、龍角散の5代目にあたる[3]。株式会社の2代目[4]

親戚・遠縁[編集]

  • 出典は『人事興信録』の4巻と8巻より
  • 祖父:小林忠左衛門(現在の岐阜県出身)
    • 父:小林忠兵衛(忠左衛門の三男。名古屋・小林薬房の取締役)
      • 兄:吉太郎(長男)
      • 弟:房五郎(三男)
  • 妻:千代(藤井得三郎 (初代)の長女[6]
  • 義弟:藤井正太郎(初代得三郎の長男、千代の弟)
  • 養子:藤井勝之助(京都・小西駒一の甥)[7]
  • 養子:登美(正太郎の長女。勝之助の妻)[7]

遠縁[編集]

出典[編集]

  1. ^ "父から子、子から孫へ。脈々と続く創業の精神 - 日本FBMコンサルティング"
  2. ^ 財界』1979年[要文献特定詳細情報]
  3. ^ 龍角散のルーツ株式会社龍角散
  4. ^ "KANDAアーカイブ”. 百年企業のれん三代記". 2020年3月4日閲覧。
  5. ^ [1]
  6. ^ 藤井得三郞」『人事興信録』第8版、1928年(リンク先は名古屋大学のデータベース)
  7. ^ a b 『人事興信録』第13版(昭和16年) 下、藤井得三郎

外部リンク[編集]