藤丸勝俊

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藤丸勝俊
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年6月3日1582年6月22日
別名 通称:新助
主君 上杉景勝
氏族 藤丸氏
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藤丸 勝俊(ふじまる かつとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。

略歴[編集]

出身地は加賀国であり、江沼郡の赤尾砦を本拠として加賀一向一揆に参加した。

天文24年(1555年)、朝倉宗滴に敗れ越中国に敗走した。その後上杉景勝に仕え、景勝の命で魚津城の守備についた。天正10年(1582年)の魚津城の戦いでは守将として奮戦したが、織田信長の家臣・柴田勝家に攻められ自刃した。自刃の日は信長が本能寺の変で死去した翌日であった。