荒尾世就

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荒尾世就
時代 江戸時代
生誕 天保3年(1832年
死没 安政3年(1856年
改名 鉄丸(幼名)→世就
別名 鉄五郎、小五郎、主計介(通称
主君 池田慶徳
鳥取藩家老
氏族 荒尾氏
父母 父:荒尾為就、母:歌浦
養子:直就
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荒尾 世就(あらお つぐなり)は、江戸時代後期の鳥取藩家老。倉吉荒尾家9代。

略歴[編集]

天保3年(1832年)、鳥取藩家老、倉吉領主荒尾為就の三男として生まれる。

為就の嫡男であった兄隆就が早世し、その子の直就が嫡孫として世継となっていたが、為就の侍女で世就の生母の歌浦が、自らの子を世継にするため、直就の母保寿院を毒殺し、さらに直就も毒殺しようと謀った。薬の効き目が薄く、直就は命を取り留めたものの、病身となり廃嫡となる。そのため世就が世継と定められる。嘉永元年(1848年)、父の隠居により家督相続する。

家老として藩主池田慶徳に仕えた。父為就と同じく歌道に秀でる。安政3年(1856年)死去、享年25。家督は直就が相続した。

参考文献[編集]

  • 『鳥取藩史』

関連項目[編集]