荒井幸博

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荒井 幸博(あらい ゆきひろ、1957年11月23日 - )は、山形県内で活動するフリーパーソナリティ山形県山形市出身。

来歴[編集]

山形県立山形中央高等学校東北学院大学法学部法律学科卒業後の1981年、殖産相互銀行(現きらやか銀行)入行。生来の大雑把な性格故、地道で几帳面さを要する銀行業務には向かず、1986年退社。

映画好きを活かし、映画館運営と地域巡回上映を業務とするフォーラム運営委員会に入社。1987年から地域上映部門の山形県映画センター、1990年から映画館フォーラムで勤務。1995年3月、同社を退社しフリーとなり、現在に至る。

山形県内各地での青年団や、労働組合、婦人会、映画サークル等との上映会を通じて、映画を観る楽しみから観せる楽しみに目覚める。1989年には、上山市牧野で15年間映画作りに取り組んでいた世界的ドキュメンタリスト 小川紳介監督に勧められ第1回目となる『山形国際ドキュメンタリー映画祭』ボランティア・ネットワーク作りに参加。

1990年11月頃から山形放送ラジオでは、ヤマコーターミナルミュージックで、「メモリアル・シネマのコーナー」として映画の紹介を始めるようになる。直後に、読売新聞県版で「スクリーンの扉を開けて」(長嶋幸喜名義)を連載。

半年で終了後は、毎日新聞県版で「一周遅れのトップランナー」(植木三平名義)で2年間連載。1995年4月独立。フリー・パーソナリティとして山形放送ラジオでは午後のハッピーロード火曜日に「シネマしま専科」で映画紹介。山形放送テレビ「ピヨピヨ卵ばくだん」(現「ピヨ卵ワイド」)でも、毎月第3金曜日『Mr.アライのシネルーム』で、映画を紹介する(1995年6月~2004年8月)。

昭和歌謡好きが高じ、1998年春から山形放送ラジオ『なつメロリクエスト・電話でこんばんは!』のパーソナリティを務めるようになる。プロ野球ペナントレース期間中とオフで番組の時間は変わるが毎週月曜夜2時間~3時間の生放送で、リスナーからのリクエストを電話で受けて、曲にまつわる話を聴いてから曲をフルコーラスかけていた。『なつメロリクエスト・電話でこんばんは!』の好評を受けて山形放送テレビで「唄は人生十色」というドキュメンタリー番組を制作。1999年7月放送。

その後、番組は「なつかし楽し歌謡アワー」(2007年4月~2009年3月)、「月曜音楽館」(2009年4月~2012年3月)とタイトル、形を変えて2012年3月まで続いた。

多数の有名人にインタビュー・取材・トークショー聴き手を行っている。

出演[編集]

現在[編集]

  • シネマつれづれ(やまがたコミュニティ新聞2007年7月~)
  • あらいゆきひろのシネマアライヴ(エフエム山形2011年4月~2021年3月),シネマアライヴ(エフエム山形2021年4月~)

過去[編集]

  • メモリアル・シネマ(YBCラジオ「ヤマコー・ターミナル・ミュージック」内1990・10-1992・3)
  • シネマしま専科(YBCラジオ「ハッピーロード」内 1992.04 - 1996.03)
  • おしゃべりシネマ館(YBCラジオ「ハッピーロード」内 1996.04 - 2005.03)
  • なつメロリクエスト電話でこんばんは!(YBCラジオ1998年4月~2007年3月)
  • なつかし楽し歌謡アワー(YBCラジオ2007年4月~2009年3月)

トークショー[編集]

  • 村川透映画祭(村山市)、ひがしね湯けむり映画祭(東根市)、伴淳映画祭(米沢市)、田中邦衛映画祭(米沢市)をコーディネート。

それぞれ、映画人をゲストに迎え、トークショーの聴き手を務める。

村川透映画祭[編集]

ひがしね湯けむり映画祭[編集]

伴淳映画祭[編集]

  • 第1回2006年4月 赤塚真人
  • 第2回2007年5月 瀬川昌治
  • 第3回2008年5月 淡路恵子、瀬川昌治
  • 第4回2009年10月 瀬川昌治
  • 第5回2010年9月 瀬川昌治
  • 第6回2011年9月 瀬川昌治
  • 第7回2012年8月 瀬川昌治 米沢シネマ・ステージ大杉漣、松原智恵子
  • 第8回2013年9月 瀬川昌治
  • 第9回2014年9月
  • 第10回2015年9月 山本康一郎
  • 第11回2016年9月
  • 第12回2017年9月
  • 第13回2018年10月
  • 第14回2019年10月 やくみつる

エピソード[編集]

交友のある著名人[編集]

  • 村山市出身の映画監督村川透田中邦衛と特に親しく、父親のように慕っている。また、赤塚真人とは親友付き合いをしていた。

外部リンク[編集]