舎人監

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舎人監(とねりげん)は、律令制において春宮坊に属する機関の一つで、東宮に仕える舎人を監督する官司である。

職掌[編集]

春宮坊に被管される三監の一つで、皇太子に奉仕する舎人の名帳・礼儀・分番のことをつかさどっていた[1]延喜年間には廃止されたものと見られ、諸書にその名前は現れなくなった。

その監察下にあるのが東宮に宿衛する帯刀舎人で、『類聚三代格』によると、光仁天皇宝亀7年(776年)には10人、その後、平城天皇大同元年(806年)に10人、さらに追加されて計30人となっている[2]。『延喜式』に、坊舎人の600人中、30人が帯刀舎人だと記されている[3]

実態として、職務に就こうとしない舎人が多かったため、平安時代に入り、白丁(庶民)枠を設けて穴埋めが図られている。白丁枠は600名中100名であったが、大同元年に一時廃止されるも、やはり運営が難しいためか、弘仁3年(813年)の法令で改めて出されるが、白丁枠は欠員が出ても補充しないとしている。さらにのち、入色枠500名の内、100名を外任(外位者)枠とし、欠員が出れば補充すると定められた。入色枠が最終的に400名(外任枠100名・白丁枠100名)となった理由は、仕えようという気持ちがないというものであり、忠義心に問題があったためである[4]

職員[編集]

  • 正(従六位上相当)一名
  • 佑(正八位下相当)一名
  • 令史(少初位上相当)各一名
  • 舎人六百名
  • 使部 十名(『延喜式』の中にも、舎人監の使部6人があることが記されている[5]
  • 直丁 一名

脚注[編集]

  1. ^ 養老令』「東宮職員令」3条「舎人監」条
  2. ^ 『類聚三代格』巻4「加減諸司官員并廃置事〈雑任〉」88条「天安元年五月八日太政官符」
  3. ^ 『延喜式』巻43「春宮坊」49条
  4. ^ 虎尾達哉『古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々』(中公新書、2021年)pp.121-123.
  5. ^ 『延喜式』巻18「式部上」100条

参考文献[編集]

関連項目[編集]