第九十一号哨戒特務艇

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第九十一号哨戒特務艇
基本情報
建造所 市川造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
進水 1945年4月2日
最期 1945年8月17日船体工程95%で工事中止[注釈 1]
その後 1947年11月22日漁船改造許可
要目(計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第九十一号哨戒特務艇[注釈 2](だいきゅうじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の39番艇[注釈 3]

艇歴[編集]

マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の91番艇、仮称艦名第2211号艦として計画。1944年11月5日、第九十一号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の36番艇に定められ、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。1945年4月2日、市川造船所で進水。5月25日、損傷のため特設敷設艇高千穂丸に曳航されて鳥羽へ回航[1]

終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され船体工程95%で工事中止[注釈 1][注釈 4]。戦後は市川造船所で繋留[注釈 4]

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本艇の漁船への改造許可が出された。その後の消息は詳らかではない。

脚注[編集]

注釈
  1. ^ a b 進捗率は昭和22年2月1日付 二復総第49号による。福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66では100%としているが、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第九十一號哨戒特務艇。
  3. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は36番艇、これら3隻を含めると通算で39番艇となる。
  4. ^ a b 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では「20年5月10日横須賀工廠へ引き渡し、兵装工事中終戦」とあるが、宇治山田から横須賀へ回航された記録が無く、1947年2月1日時点で宇治山田市大湊町に所在して大阪地方復員局管下となっており、戦後横須賀から宇治山田へ回航された記録も存在しない。また福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 66でも所在は「市川(宇治山田)」としている。
脚注
  1. ^ 伊勢防備隊戦時日誌(昭和20年5月1日-31日)。損傷事由は記載が無いため不明。

参考文献[編集]

  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 伊勢防備隊戦時日誌。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。