笠原洋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笠原 洋子
Yoko Kasahara
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1945-08-04) 1945年8月4日(78歳)
出身地 三重県津市
ラテン文字 Yoko Kasahara
身長 176cm
体重 70kg
選手情報
ポジション エース
利き手
獲得メダル
女子 バレーボール
オリンピック
1968 メキシコシティ 女子
テンプレートを表示

笠原 洋子(かさはら ようこ、1945年8月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。

来歴[編集]

三重県津市出身。中学在学中に「なんとなく」バレーボールを始める。四日市高校在学中はインターハイなどで活躍した。

実業団チームである鐘紡四日市監督の水野崇光から声がかかり、同チームの児玉三代子吉田節子に憧れていたこともあり入部を決意した。

1965年に全日本メンバーに初選出され、1968年のメキシコオリンピックにおいて銀メダル獲得に貢献した。ロサンゼルスオリンピック銅メダリストの杉山加代子は親戚[1]

球歴[編集]

  • 所属チーム履歴
市立橋南中四日市高校鐘紡四日市/全鐘紡(1964-1970年)

脚注[編集]

  1. ^ 月刊バレーボール1978年6月号 82-83ページ

参考文献[編集]

  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1967年12月号 42-45ページ