石井次郎

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石井次郎の肖像写真

石井 次郎(いしい じろう、1868年7月8日明治元年5月19日[1])- 1939年昭和14年)3月19日[2])は、日本教育者実業家政治家衆議院議員をつとめた。

来歴・人物[編集]

現在の佐賀県多久市に生まれる。生家の石井家は、旧佐賀藩鍋島家の外戚家門で、佐賀地方で繁栄した一族であった。

地元で小学校の教師として働き始めるが、郷里の先輩である大隈重信らの活躍に憧れて、政治家を志す。1888年(明治20年)には、弱冠20歳にして郡会議員に選ばれ、政治家としての第一歩を踏み出す。10年後には佐賀県会議員に当選し、その期間、第17代県会議長もつとめた[2]。また、小城郡是製糸多久金融多久土地の各社の取締役社長などもつとめた。

県会議員時代から同僚議員や県民たちからの人望が厚く、周囲に推される形で衆議院議員選挙に立候補し、当選。1928年(昭和3年)から6年間あまり、衆議院議員として活躍した。

晩年は郷里に帰り、南多久村[2]、佐賀県農業会長[2]、佐賀県町村会長、日本勧業銀行佐賀県地方顧問等を歴任し、郷里の発展に尽くした。性格は、物静かな一方で、意志が固く、常に筋の通った物言いであった。博識で品格を備え、衆議院議員を辞職するときも、「老いては後身に道を譲るべきである」、「民権政治家は世襲すべきではない」と言って潔く去っていったという。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、32頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』57頁。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。