矢島作郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

矢島 作郎(やじま さくろう、1839年天保10年1月[1]) - 1911年明治44年)11月7日[1])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

山口県出身[1]。和学と漢学を修め、英国に留学し経済学を学ぶ。大蔵省に入り、紙幣助となる[1]。東京貯蔵銀行、大阪三軒茶屋紡績会社、東京電燈(株)を設立、重役となり[1]、周陽銀行取締役頭取を務めた[1]。ほかに正則英語学校を創立した[1]

1889年東京市会議員選挙に麻布区から立候補して当選した[2]1891年、衆議院山口4区の補欠選挙で当選した。衆議院議員を1期務め、1892年第2回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1911年に死去した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』664頁。
  2. ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。