眼窩上隆起

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眼窩上隆起(がんかじょうりゅうき)は、類人猿や古人類の眼窩(眼球が収まる部分)上方に見られる、庇(ひさし)のように張り出した部分。現生人類(ホモ・サピエンス)にはない。

ゴリラの顔。両眼の上に庇のように張り出す眼窩上隆起がわかる。

形状と進化[編集]

現生の類人猿では、両眼の上を覆うように弧を描いて突出する眼窩上隆起が発達する。化石の類人猿にもふつうに見られるが[1]、人類においても猿人・原人・旧人[2]ではよく発達しており、現生人類と区別される特徴の一つである。

類人猿の眼窩上隆起は、太く、左右のものが一つながりになって張り出しているが、人類においては、進化と共に左右に分離し、その後、左右個々の隆起も中央部に浅い溝が生じて分割と縮小が始まり、現生人類の段階では外側(側頭部の側)は消失し、内側(鼻に近い方)は弱い隆起が残って眉上弓となる[3]。眉上弓は眼窩上隆起の退化と縮小により形成されたもので、眼窩上隆起そのものではない。現生人類には眼窩上隆起は見られない。オーストラリア原住民など一部の人種では眉の付近が前方に突出し、眼窩上隆起を思わせるが、実際には眉上弓が強く発達したもので、眼窩上隆起ではない。

1888年時点の最初期の復元図(原人的特徴を強調しすぎとの批判もある)
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨の比較写真

ただし、類人猿でも新生児ではほとんど存在せず、成長とともに急速にはっきり目立って来る。ネアンデルタール人でも、わずかに発見されている幼児段階の頭骨の研究により、同様の傾向があったと考えられる。

俗説[編集]

眼窩上隆起が現生人類では消失している事について、通俗的な説として、現生人類ではそれ以前の人類や類人猿より大脳の、特に前頭葉が発達して、その結果として額が前方に膨隆し、眼窩上隆起を覆い尽くしてしまったとするものがある[4]。しかし、上記のように進化とともに眼窩上隆起が内側と外側に分割され、外側部が先に消失し、内側部も続いて縮小したという事実からは、このような説は受け入れられない。つまり、眼窩上隆起は額に飲み込まれたのではなく、隆起自体が退化し消失したと考えられる。右上の絵を見ると、眼窩上隆起は額から独立して大きく突出しており、その消失と額の膨隆は無関係であるように見える。ただし実際には、右の写真を見ればわかるように、極端に突出しているわけではない。つまり、絵からの推論は必ずしも成立しない。

成因[編集]

一般には原始的特徴と考えられる。類人猿又は古人類は、現生人類よりはるかに顎と歯が強大で、しかも額が低く顔面が傾斜している[5]うえに、固く粗雑な食物を摂取するので、咀嚼すると大きな衝撃が起こるため、それを眼窩上隆起で吸収して緩和するのだとされている。現生人類では顎が縮小してかむ力が弱まり、さらに火で調理して柔らかくした食物を摂取するようになったので、頭骨にかかる衝撃が小さくなって眼窩上隆起も消失した事になる。現生人類でも、クロマニョン人や縄文時代人等の古代人、また現代においても原始生活を営む種族では眉上弓が比較的強大な場合が多いのはその可能性を裏付ける[6]

しかしイギリスの古人類学者クリストファー=ストリンガーは、サルの頭骨を用いた実験では眼窩上隆起による咀嚼の際における衝撃吸収の効果は実証されなかった[7]とし、眼窩上隆起の本来の役割は、眼窩上部の補強と共にディスプレイ、すなわち敵や仲間を威嚇したり異性を引き付けるためのものではないかと主張している。

脚注[編集]

  1. ^ 中新世に繁栄したプロコンスルでは見られない。
  2. ^ 猿人・原人・旧人という区別は厳密なものではなく、専門用語でもないので古人類学では用いられないが、人類の進化段階を大雑把に示すのに都合が良いので、一般向けにはしばしば使用される。
  3. ^ 鈴木尚『化石サルから日本人まで』 岩波新書 1971年初版 93頁。本書では、ネアンデルタール人、それより進化したとみられるイスラエルから発掘されたアムッド人、オーストラリア原住民、現代日本人の眼窩部分の図示による比較を用いて、眼窩上隆起が内側と外側に2分割されて消失する過程を明らかにしている。
  4. ^ 例えば佐貫亦男(さぬきまたお)は、『科学朝日』に「進化の設計」と題する古生物学を扱った連載をしていたが、1981年12月号でクロマニョン人の眼窩上隆起の消失について論じ、そのような内容の意見を述べている。ただし、佐貫は宇宙航空工学者で、古生物学や人類学の専門家ではない。
  5. ^ 専門的には、顔面角が小さい、と表現する。類人猿や古人類は上下の顎が大きく、前に突き出している(突顎)ので顔面角は小さい。現生人類は顎が弱小化して引っ込み、一方脳の発達によって前頭部が大きく膨らんだので、顔面角が増大して90度に近くなった。
  6. ^ 彼らはすでに火を使って食物を調理してはいたが、現代人に比べると自然界から得たままの固く粗雑な食物を摂取しており、また歯を使って獣の皮をなめすなどの作業を行なっていたと考えられるので、歯と顎は現代人より頑丈な構造となっていた。
  7. ^ クリストファー=ストリンガー・クライヴ=ギャンブル共著『ネアンデルタール人とは誰か』 河合信和訳 朝日新聞社 1997年 124頁

参考文献[編集]

  • 鈴木尚『化石サルから日本人まで』 岩波新書 1971年
  • クリストファー=ストリンガー・クライヴ=ギャンブル『ネアンデルタール人とは誰か』 河合信和訳 朝日新聞社 1997年