田公高家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田公高家
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:新介
主君 毛利氏
氏族 田公氏
テンプレートを表示

田公 高家(たきみ たかいえ)は、安土桃山時代武将因幡国気多郡宮吉城主。

略歴[編集]

田公氏は因幡守護代であった家系。

天正8年(1580年)の織田氏家臣・羽柴秀吉鳥取城攻めの際、毛利氏に属し気多郡の重要な拠点の一つ宮吉城を守っていた。

翌天正9年(1581年)1月、織田方の鹿野城主・亀井茲矩と内通した高家は謀叛を企てるが発覚してしまい、同年2月初旬には杉原盛重によって鎮圧された。妻子と共に宮吉城から逃れた高家は鹿野城へ逃れ、茲矩に保護されたが、まもなく京都へ移住した。『因幡志』によれば高家は鉄砲の名手であったという。

出典[編集]

  • 鳥取県『鳥取県史ブックレット1 織田vs毛利 鳥取城をめぐる攻防』(平成19年)
  • 高橋正弘著『因伯の戦国城郭 通史編』(昭和61年)

関連項目[編集]