源重宗

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源 重宗
時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 八島重宗(はしましげむね)
官位 従五位下右兵衛尉佐渡守
氏族 清和源氏満政流(美濃源氏
父母 父:源定宗、母:藤原斉信
若狭源守忠
重実木田重長、重高、重時、重親
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源 重宗(みなもと の しげむね、生没年不詳)は、平安時代後期の武将駿河源定宗(満政の嫡男・忠重の子)の子。母は大納言藤原斉信女。官位従五位下佐渡守(『尊卑分脈』)。八島氏(羽島氏)の祖。

経歴[編集]

美濃国方県郡付近を本拠としたものと推測される。承暦3年(1079年)6月、同国多芸郡において源国房摂津源氏)と合戦を繰り広げたことから朝廷より召還を命ぜられるが、これに従わなかったため右兵衛尉を解任される。その後、源義家河内源氏)の追討を受け、9月に関白藤原師実に降伏したが、重罪として左獄に下された(『為房卿記』『扶桑略記』)。子の重実、重時は鳥羽院四天王と呼ばれた(『尊卑分脈』)。子孫は八島氏、浦野氏、河辺氏、山田氏、葦敷氏、泉氏、足助氏、木田氏、開田氏らの諸族となり、その勢力は濃尾の間に及んだ。

系譜[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]