源奉職
この記事はカテゴライズされていないか、不十分です。 |
源 奉職(みなもと の とももと、天暦9年(955年) - 寛弘5年7月9日(1008年8月12日))は、平安時代の貴族。正四位下。
妻は藤原忠幹の娘。
略歴[編集]
源清定(清敏)の子として生まれる(源政職の弟とも)。母は藤原義文(周防守)の娘[1]。寛弘2年(1005年)10月22日に河内守に任ぜられた[2]。
『権記』によれば、長保元年(999年)8月29日条で前讃岐介奉職の館に藤原詮子が遷居したことが書かれている[3]。
寛弘5年(1008年)7月9日に死去、享年54。子に源公職、経職、公隆がいる。また娘は藤原朝経に嫁いだ [4]。
参考文献[編集]
- 『国司補任 4』(続群書類従完成会 、2000年、1p)
- 『古記録と日記上』(思文閣出版 、1993年、169p)
脚注[編集]
- ^ 『尊卑分脈』
- ^ 続群書類従完成会 2000, p. 18.
- ^ “国司の任期”. 2022年12月14日閲覧。
- ^ 思文閣出版 1993, p. 169.