清湛院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清湛院(せいたんいん、寛政元年3月25日1789年4月20日) - 文化14年5月29日1817年7月13日))は、江戸時代後期の女性。尾張藩第10代藩主・徳川斉朝の正室。11代将軍・徳川家斉の長女(第一子)。12代将軍・徳川家慶の異母姉。名は淑姫(ひでひめ)、諱は鎮子(しずこ)。

生涯[編集]

寛政元年(1789年)に11代将軍・徳川家斉の長女として生まれた。母は側室のお万の方。家斉が数え年17歳(満15歳)の時に生まれた第一子である。

誕生の翌年、寛政2年(1790年)8月28日、尾張藩第9代藩主徳川宗睦の嫡孫(養嗣子・治行の長男)五郎太と縁組。同年11月28日、御台所茂姫御養いとなる。寛政5年(1793年)6月3日、五郎太と結納。しかし翌寛政6年(1794年)9月2日、五郎太が重病になったため婚約破棄の申し出があり、翌3日五郎太は早世した。

寛政8年(1796年)2月5日、徳川治国の長男で、一橋家3代当主・徳川斉敦の養嗣子となっていた愷千代(後の斉朝)と縁組。治国は家斉の弟なので、愷千代と淑姫は従姉弟である。同年11月15日、結納を行う。寛政10年(1798年)4月に愷千代は尾張藩主徳川宗睦の養嗣子となったが、淑姫との婚約は継続され、10月13日翌年の尾張藩邸への輿入れが申し渡された。寛政11年(1799年)11月15日、11歳で7歳の斉朝と結婚した。同年12月、宗睦の死去により、斉朝が尾張藩主となった。斉朝は将軍の縁者として異例の速さの官位昇進を遂げたが、夫妻の成人後も子女には恵まれなかった。文化6年(1809年)9月15日、諱を鎮子とする。

文化14年(1817年)に死去。享年29。増上寺に埋葬された。

参考文献[編集]

  • 「御系譜」(『徳川諸家系譜2』)
  • 「幕府祚胤伝」(『徳川諸家系譜2』)